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三年前程から、自分とは何かと問い詰めるようになりました。
最初その思考を持ち始めた時は、すごく気持ち悪く、怖く、
胸がザワザワし、苦しい毎日でした。
時には途中下車して吐いたり、友達と食事していても
頭から離れず、食べたものを吐いていました。

精神科にもいきましたが、鬱ではなく、
いくつか通いましたが、全て考えすぎとのこと。
通っても治らず、私も逆にお金の無駄だと
思うようになりました。

私は死にたい訳では決してないのに、
こんなに苦しいなら、死んだ方がいいんじゃないかと
たまに頭をよぎり、またそんな自分もすごく怖い。

楽しく生きたいのに、常に頭から離れず、
頭痛が続いています。。

また、楽しいと思えるような時でも、
どうせ死ぬ。私も友達もみんな、
いなくなるんだと思うとまたまた怖さが襲います。

この世は何?
何で自分は生きてるの?
動物は何でいるの?
死んだらどうなるの?
意識って何?

考えたくないのに、
吐きけがする程毎日考えてしまうこと、
自分の意識を意識する癖が治らず、
これは誰だ。と思い続けてしまうことが
苦しい。

どうすれば治るのでしょうか。

※周りには、全くわかってもらえません。
見た目は元気なので。

A 回答 (6件)

自己肯定感の低さが原因かも。


自分は相手に受け入れられているのか?
愛されているのか?
自分を肯定的に受け入れていない感覚が外に投影されて、相手に肯定的な気持ちをもたれているのかが不安になっている状態だと思います。
きっかけはありましたか?
例えば
「君の話はつまらないよ」
「君って面倒臭い奴だな」
など言われたことが引き金になっていないでしょうか。
人間関係で傷ついた心は、人に受け入れられ、共感され、肯定されることを通じて心を癒し、自己肯定感を回復させていくことが有用です。

違った視点で。
あなたがその考えにとらわれ始める時の目線はどうなっていますか?
恐らく一点をぼーっと見つめているだけだと思います。
人間の脳は目に入ったきた情報を真っ先に処理するようになっています。
遠くの方で誰かがあなたを呼んでいるとします。
相手の姿を捉えていたらどんなに遠くでも聞こえる声が、相手を見失っている状態では聞こえないものなのです。(耳に届いていても認識出来ない)
そこでアドバイス。
目をダイナミックに動かしてみるといいです。
散歩などがお勧めです。
誰かにぶつかるかも知れないと思うと、常に意識をして目をキョロキョロさせているものです。
あ、やばい、また捉われそうだ、と思ったら是非そうしてみて下さい。
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デカルトの哲学だな。



デカルトも同じ悩みに陥って
ずっと考え続けた。
「我思う、ゆえに我あり」という答えがそこから導き出された。

(ヨーロッパ哲学の影響があるけど)
肉体は魂を収める器でしかない。
まあ、iPS細胞なんてものが登場し
クローン技術もある以上、遠からず肉体は本当に器となるかもしれない。
「考える」ことが意識であり、それが自分という存在。
楽しい、悲しい、うれしい、悩み苦しんでいる
そういったことを感じること、
それこそが自分の存在だということ。

治るという類のものではないかな。
一生頭のどこかにあるし、それが正常。
すこしその考えが目についてしまっただけのこと

自分という存在をどう歩ませていくか、ということが重要。

考え悩むことをやめる必要もない。
「自分とは何か」をひたすら追い求めて、
デカルト哲学の道を行くのもまた人生だと思う。
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アナタだけではありません。

フランスで「実存主義」という哲学が昔はやりまして、サルトルの「嘔吐」という小説で自分の手見て吐いてた人物がいました。私もむかしきつかったです。

心療内科で投薬する以外の選択肢ですよね。
解決のアイディア:「我を忘れるようなこと」をすること。
あっドラッグはいけません。逆に自分の感覚が増幅して悪夢を生きることになりますから。
おすすめは芸術、ものづくりです。手を動かすのは好きですか?たくさんの人が写経するのもこの効果のせいでしょうか。(悪霊カンケイも祓えるかも)人に見せる必要はないので、「ばか」になってなにかやってください。楽しくなくてもいいんです。書くとか、つくる、とか。わたしは少し救われました。
それと、「自分はだれか」なんて考えてもわからないです。っていうか、わたしたちは始終変化しています。息をするたび、まばたきするたび。それをとめよう、とらえようとすると、むりがでる。だから苦しいんです。わかってるよね。考えたくないのに考えちゃう、というあたりが苦しいんでしょうね。しゃっくりって、苦しくてとめにくい。
でも、何かの拍子にとまるかも、と希望をもって暮らしていてください。
なにかここまでのことになるもっともなきっかけがあったんだと思うけど、それより明日のアナタのほうが大事だから、「とりあえず」違うことをしながら待っているのもいいと思います。
さっき言った「手作業」がいやなら、そうだなあ、ひたすら、ほかの人のためになることをやってみてください。家族や友達をほめたりとか、レジの人にありがとうというとか、道の子供にほほえむとか、お金のかからない小技を積み上げることはけっこう気を散らしてくれますよ。さいわい鬱ではないそうなので、外には出られそうですし。

結局前述の「実存主義」の人たちは自分たちの吐き気を「社会実現」で解決することにしました。政治とか、ジャーナリズムとかです。「人のためになろう作戦」だと思います。
わたしは芸術のほかは語学をやったり、筋肉をきたえて自己改造するのが好きです。自分が固定した存在でないということを感じるとき、生きていると思えます。また、年をとると、生きてること自体に「慣れてくる」可能性もありますよ。(時間が解決、なんてむちゃくちゃいーかげん?)
やっぱり、いつかみんないなくなるのはすごく寒い感覚だけど、(私も家族が亡くなったあと時々感じます)一瞬でも存在できたこと、笑えたことはいいことですよ、たぶん。科学的に考えても、「エネルギー保存の法則」によると、形は変わっても、エネルギーはなくならないしね。それが魂とよばれるものかな?

感受性が強いと、「とりつかれちゃう」ことも多いですよね…。(へんな感覚に、といういみ)
ぜんぜん的外れで、かえって傷つけてしまったかなあ。
でも、0.1%でもアナタの苦しみがやわらぎますように。



 
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自分とは何か?という問いは紀元前の哲学の最初からの謎ですね。


私もわかりませんし、わかる人はいないでしょう。
(宗教でイカれてる人の中にはわかると言う人もいるでしょうけど的はずれ
の勘違いでしょう)

参考にならないかもしれないけど、この世界についての自分の考えです。

この世は「現実という夢」だと思います。
みんな夢を見ているんです。あなたはなぜか夢に埋没できていないようだけど。
でも、あなたのその状態も半分夢でしょう。

ところで、どうせ見るなら自分は悪夢より楽しい夢を見たいと思っています。
いろんな人たち、いろんな動植物、いろんな鉱物、空、星、いろんな物があって
にぎやかなのでこの世界は祭りなんだと思って楽しい夢を見たいと。

自分とは「夢を見ている意識」といえるかもしれません。
でもなぜ、夢を見ているのか?なぜ意識なのか?さっぱりわかりません。

わからなくても、この夢は死ぬまで続いていきます。
死んだらこの夢は覚めて、またそこで新しい夢が始まるのか?それはわかりません。
死んでからのことは死ねばわかることだし今考えてもわかりません。

それより今ここでは楽しい夢を見たらいいんですよ。それしかないんですよ。
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ご質問者様こんばんは。



「生きることとは死へと向かう病である」と言ったりしますね。ですから治療して治るようなことはありません。生命は必ず命を終えるのですから。

ご質問者様の問題は、生命の負の部分ばかりに目が行きがちなところです。それよりも増して生命の神秘や継続性は驚きや発見を伴ってご質問者様を癒すことでしょう。

どんな考え方もそうですが、ご自身の生命感や尊厳を高めるような考え方ではないような考え方はある程度のところで切り替えるべきですね。もちろん良いことだけを考えるのも同じように間違いではありますが、良いことも、悪いこともバランスよくお考え下さい。

ご質問者様の問いに一つ一つこたえてみたいと思いましたが、ご質問者様はどのようなこたえに至ったのでしょう(^-^)

ご参考になれたら幸いです。
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私も一緒です。

10年くらい同じことを考えています。
でも、考えるだけ無駄なのかな?って思います。
だって10年経っても何も考えが変わらないんですから。
精神科なんて本当に意味ないですよ。
アメリカに行ったほうがもっとましなセラピーをしてくれます。
あなたは、被害者意識が強くはないですか?全ての事柄を、悲観的に捻じ曲げて捉えてしまうとか。
私は「君はひねくれてるね」と言われた一言から、ずっと苦しんできました。
二十歳で、一番自信を持てたかもしれない大事な時期に、あの上司の言葉で深く傷つきました。
でも、それは本当のことでした。自分では直そうと思っても治らないため、ずっと悩んで来た事だったから、信頼していた上司からそう言われて、それからその上司と全く一言も会話ができなくなり半年後に退職しました。それから10年です。

この動画を見て、ちょっと元気になりました。
すごく私は共感できました。
しっかり、聞いてみてください。

http://www.youtube.com/watch?v=NozH-1BAiFQ
http://www.youtube.com/watch?v=3tuRGli9GSY

この方はたくさん動画を出していますので、ほかのも参考になるかもしれません。

あなたに、幸せになっていただきたいです。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
動画、早速拝見させていただきました。

何て言うか、すごく良かったです。
共感できました。
私は動画の方の様な経験はしていませんが、
『いき辛さ』を感じる点では同じでしたので、
特に『人は幸せになる為の修行にいきている、
その証拠に生まれてくる時には泣いて出てくる』
と言う言葉に、すごく感銘を受けました。

貴様もすごく辛い思いをされたんですね。
人間って、ほんのちょっとしたことで、
傷ついたり、真っ暗になったり、繊細なんだなぁ~
と思います。※人によるかもしれませんが。。

私も被害者意識は、少し強い方かもしれません。
自分の悪さや弱さを棚にあげて、
『自分は~された』とよく考えていました。
あと、自己肯定感じも強いのか弱いのか。。
大学生のころ、チヤホヤされる女の子がいて、
自分の方が可愛いのに、何であいつなんだと
そのことばかり考えていたことも、きっかけとなる、原因の一つかもしれませんね。

お礼日時:2013/02/05 21:47

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