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生きる意味はなんですか?
五感を満たすことですか?
苦痛しかない世の中に子供を産み落とすのは悪だと思います。
「劣等感・無力感・絶望感・嫉妬心・苦痛・かなしみ」生きるのが辛くて自殺する人もいますよね。
この世界に子を産み落とすのは孤独や死への恐怖を和らげるためですか?
楽しみはお金持ちや人気者にしか与えられないのですか?
こんなチープな頭ではお金持ちにも人気者にもなれない。ならば楽しみはない。死ぬまで国やお金持ちのために労働し続けなければいけないのか。
やはり、生きる意味を感じられない。
なぜ、みんなは生きようと思う?
私は死ぬのが怖いから。

A 回答 (7件)

人間は何処から来て?何処に帰って行くのか?或いは人間は何のために生きているのか?或いは人間は何故苦しまなくてはいけないのか?はたまた人生とは何ぞや?



こう云った疑問は大抵の人が生まれて来て、死んでゆくまでに一度は考える事がある問題かも知れません。

こう云った事を考える事自体が釈迦の悩みの一つだと思われます。

キリスト教の聖書にも同じような事が書かれています。それは失楽園という言葉ですが、その意味が大事と思います。

仏教もキリスト教も同じ事を違う形で表現しています。極楽とか天国に一番近い存在は幼子とか嬰児と説明している事です。この状態の時こそ『心の苦しみとか生活の苦しみから離れて、安楽の心持で生きているからだと思います。』

その理由とその理由の体現が出来る時、人生は無限の望みや究極的な安楽や、心の平安が訪れる様です。幼かった頃にこう云った疑問が生まれて来る事が無かったからです。

人間の心が何故苦しくなるのか?という事を精神医学では解明出来ていませんが、分からない中で心の救いを、或いは心の癒しを与えようと暗中模索を試みているようですが、あまりうまくいっていない現実がある様です。

こう言った結果に於いて、精神疾患等に於いて完治が存在していな事実が存在していののかも知れません。

処が宗教の世界では『魂の救い、或いは心の救い』は、何千年も前に完成しているようです。

仏教に於いては人間の苦しみの原因は『無明の故』と書かれています。それは苦しんでいる原因が分からないでいる事によるとしています。

禅等では、人間の悩みや苦しみを師匠に質問をした場合では、『お前は何故そう思うのか?』と聞き返してくるようです。

そうして人間の悩みとか苦しみや疑問は、その疑問が湧き上がる時まで遡るなら、そう云った疑問は『根こそぎ解消する。』と教えています。

そのヒントです。幼子には疑問に苦しまされる事、或いは苦しさに苛まれる事が無いようです、それが天国に一番近い存在である理由です。

処が思春期頃から、あらゆる疑問が湧き上がり始めています。その主なものの代表格が『人生とは何ぞや?』になっています。

それは思春期頃の、人間の脳内の機能と関係しているようです。早い話が脳内の人格が二つに分かれてしまうからです。

一人は自意識とか我と云う私です。

もう一人は『無意識界を司っている、無意識の自分です。処がこう云ったとしても不十分の存在です。』無意識界の主人公だけではないからです。

此の存在とは『生命の機能そのものさえも司っている存在とも云えるからです。』言葉を替えていうらな『命を働かせている存在』とも云えるからです。

こう云った二人の人格の存在が共存し始める為に、人間には苦しみが始まる様になっています。この様が『失楽園』になっています。

云い方を替えるなら『見ている自分』vs『見られている自分』と云っても良いのかも知れません。恥ずかしいと云った感情などを感じるようになってきます。

もっと他の言い方をするなら、『苦しんでいる自分の心』VS『苦しませている自分=漠然とした不安を押し付けている自分の命の働き』と云った構図です。

話が変わりますが『神経症の原因も同じです。』症状こそ違うとしても神経症の原因は、はっきりしています。『自意識』VS『無意識の自分』です。

不眠症も吃音も書痙も同じ原因です、強迫行為とかも同じです。自分の自意識と無意識が強調出来なくなったり合い争っているからです。

吃音を例にするなら、幾ら話し方教室に通った処で良くなりません、『意識する前に話が出来た時が完治した証です。』自意識が話をする自分を遮っているからです。』

結論を書いてみます。幼子には幸福感が付いて回っています。その理由は『死に往く人が、満面の微笑みを讃えて笑顔で逝く場合と同じです。

人間の脳内には『命を司っている存在』が備わっているからです。その者を確認した人が釈迦だからです。言葉にするなら『命の働き=仏性』という事になります。

キリストも同じ事を云っています。脳内での苦しみの原因とは、見えざる神という事です。

自我意識が感じている苦しみは『内部的に争っている神からの攻撃』という意味です。漠然とした不安感や恐怖感とは『内部に存在している自身の生命力』からの攻撃という程の意味です。

自身の生命力との戦いを自意識が感じているものだから、大変に辛くて厳しいものが在ります。

精神疾患の苦しみは誰も理解してくれない事が多いようです。心の矛盾とか争いとかを自我意識という心が受け取っているからです。

処が『心が自意識と無意識とに分かれる瞬間に、出逢う場合がある様です。』これ以後では心の矛盾が解消して、『心の中が静まり返ってしまって、大変に安楽な時が訪れる様です。』この様を涅槃と釈迦は云った様です。

キリスト者は神と仲違いして(出番争いして)苦しかった心が、神の後ろから歩く事によって、内部からの圧迫感或いは漠然とした不安感から解放されて、心が解放された!と表現する事がある様です。罪の意識片解放されるという程の意味です。『幼子の気持ちが分かった時』という事を意味します。

神経症の場合も出番争いをしています、自意識の出番を減らす時書痙等も影を潜める事になる様です。無意識の出番を奪って自意識が出しゃばっている姿だからです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
皆さんの回答読ませていただきました。
考えがどなたも違うことはおもしろいと思いました。
今回は長文を書いていただいたのでBAにしようと思います。労力への対価です。(偉そうですいません。)
人生は簡単には語れないということがわかりました。

お礼日時:2022/12/18 02:22

初めまして



生きる意味とは、自分自身の人生に責任を取れる自分になる為だと思います

自分の生きる意味は、自分自身で決定するべきもので、決めたらブレずに突き進んでゆくべきだと思います

自分の人生が上手くいかないのを周りのせいにしていては、自分の人生は歩むことはできません

これは、あなたがそうだという意味ではありませんので・・・
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No.1です。


幸福の科学の大川総裁は、最近の著作において、「え?!こんなこと話していいの?これって、かなり教団として奥義に近い話ではないのかな?」と思うことがありました。
なんというか、この世、あの世のこととか地球や地球にやってくる多くの宇宙人たちについて、創造主としての考え方なんですね。

たとえば、アニメ作家や小説家が、自己の作品創造の秘密(舞台裏)なんて語るのは、もう自分の寿命が見えてきたころかな?なんて思います。
なので、現在の地球文明も終わりが近いってことで、この世界の舞台裏を公開してもいいってことなのかも?なんて思うこのごろです。
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今のままの自分で満足だから、嫌なものには嫌と言ってたらそこそこ自分好みのものが手元に集まったから。


嫌なものを抱えたまま沈んで行く人間をなんとか引きずり上げてやる余力はないから、誰かが自殺しても私は生きようと思います。
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生きることそれ自体が意味なんで。



生きる意味を問うても、そんなものは存在しないから気にしなくていいです。
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生きる意味なんて考えちゃいけない


気が狂うから
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皇子として産まれて、文武両道がOKで、望めば美女を何人でも自分のものにできたシッタールダが、「何のために人はこの世に生まれてくるのか?苦悩が多いこの世に?」という答えを求めて、妻と子を残して、出家し、6年間の苦行を経て、悟りを得ました。

(まあ、跡取りが生まれたら、出家してもいいというルールは世間的にはあったそうです)
彼は、「この質問の答えをくれれば、出家はしない」と言ったのですが、誰も答えることができなかった・・・。

まあ、それほどに、この質問は難しいのです。

幸福の科学に入会すれば、その答えはだれもが知っているけど、簡単にいえば、「魂を成長させるため」です。

この世だけでなく、死んだ後のあの世においても、それは同じです。
とはいえ、「成長のため」だけだと潤いが無い感じもするので、それ以外にも自分の興味あることに打ち込むとか、食事を楽しむとか、いろいろと目的はあるでしょう。
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