マンガでよめる痔のこと・薬のこと

初投稿 有名な昔話で 「舌切り雀」というお話がありますが お話しの終盤で「雀」が 「良いおじいさん」に 「大きなつづらと小さなつづらどちらがいいですか?」みたいな有名なやり取りがありその時「良いおじいさん」は 「小さなつづらをもらうよ」と言って 家に帰って 小さなつづらの箱を開けると 「金銀財宝」が箱の中から出て来ました。 けど もし「良いおじいさん」が 「大きなつづらをもらうよ」と言って 大きなつづらの箱を開けたら 何が出てくると思いますか? 僕は例え 大きなつづらを開けたとしても中からは「金銀財宝」が出てくると思います そして逆に 「悪いおばあさん」が 小さなつづらをもらって 箱を開けたら 中からは 「虫やお化け」が出てくると思います。 なぜかというと大きなつづらと小さなつづらには最初から 何も入っていないんじゃないかと思うからです 「良いおじいさん」は普段から良い行いをしていて 「意地悪なおばあさん」は普段から悪い考えや悪い行いをしていたつまり この二人が どんなつづらをもらったとしても結果は同じじゃないのかと 思うのですが つづらの箱を開けた人が今まで何を考えてどんな行動をしてきたのかそれを つづらが教えてくれたんじゃないのかと思うのですが 僕の考えは 合っているでしょうか?

A 回答 (8件)

そうですね


つづら の中にはなにも入っていなかった
おじいさんが見つけたもの いただいたものは
さえずり という宝物だった
そんな気がします

金銀財宝と同じくらい 或いはそれ以上に貴重でかがやく
さえずり という宝物だった

雀の声が 純粋に聞こえたのでしょうね

おじいさんには 雀の声が 純粋なものに聞こえた
けれども おばあさんには 純粋なものに聞こえなかった

無償の心に かえってくる純粋さ
貪るところに かえってくる濁りみたいなもの

心の違いが生む ものの見方みたいなもの

うるさい雀だと思うのか なんてかわいい雀だと思うのか
心の違いで すべてが変わって見えてしまう、感じてしまう
そんなふうに思います。
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この回答へのお礼

さえずりという宝物 面白い考えですねありがとうございました!

お礼日時:2013/04/20 21:52

 似た話にイソップの「金の斧」がありますね。

言ってみれば「つづらの箱」も「斧」も、それらの教訓をより効果的に示すための象徴的な存在とも考えることも可能でしょう。
 「良いおじいさん」の行為が善行でありそのことを示すならば、「つづらの大小」に拘泥する必要も少なくなりますよね。善行をしたのでそれをはたらいた人物に相応の褒賞が与えられたのが、物語のプロットですから、良いおじいさんが「どちらもいらないよ、ご褒美をもらおうなどと大それたことを考えてもいないのだから」と口にしたら箱の大小などはこの物語から消えてしまいます。
 これは僕の想像ですが、雀も「そんなおじいさんだったから」「そんなおじいさんに会うことができたこと」に感謝していることを本当は物語りの作者が言いたかったのかもしれない、と感じています。箱の中には「雀が感謝する気持ち」が溢れんばかりにギュッと詰め込まれていて、その様子が読者を幸せな感じにさせるには十分と思いますよ。
 箱を満たすのは、文字どおり「気持ちと言葉」でありそれこそが「宝もの」と考えてはご不満でしょうか?

この回答への補足

「舌切り雀」のお話しは、 普通に考えると、「良いおじいさん」は「小さなつづら」を「お土産」でもらい「悪いおばあさん」は「大きなつづら」を「お土産」でもらった「悪いおばあさん」は「こんなに大きなつづらだから、もっと沢山のお宝が入っているに違いない」と思って箱を開けたら「虫やお化け」が出てきた、だから、 あまり欲張ってはいけないよ。という「教訓話」です。 けどもし、 「良いおじいさん」が 「悪いおばあさん」がもらってきた「大きなつづら」を間違えて開けてしまったら・・・・・僕はそれでも 「大きなつづら」からは 「金銀財宝」が出てくると思うのです。 つまり「良いおじいさん」は 「金銀財宝」が出てくるに ふさわしい行いをしてきた。 「悪いおばあさん」は「虫やお化け」が出てくるにふさわしい行いをしてきた。 「つづら」は それを教えてくれたのではないかと思うのですが?

補足日時:2013/04/22 21:00
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この回答へのお礼

「浦島太郎」のお話しでも 「おとひめさん」が「玉手箱」を渡す場面が ありますが、 「浦島太郎」はおじいさんになってしまった、「浦島太郎」もおじいさんになるにふさわしい行いを 「竜宮城」で していたのかもしれません。 ありがとうございました!

お礼日時:2013/04/22 21:25

こんばんは。



このお話はですね むか~し むかし ある処にそれはとても正直で一生懸命に働くお爺さんと どんなに裕福な生活をしても文句ばっかり言っていつも意地悪をするお婆さんが暮らしていました。それでも 正直者のお爺さんは お婆さんをどうしたら 幸せにできるのかと悩んでいました。
ある日のこと お爺さんがいつものように行商に行くと 子雀が巣から落ちて鳴いていました 心優しいお爺さんは子雀を巣に返してあげました。その日は 沢山の金銀財宝が手に入りました。お爺さんは お婆さんを喜ばせるにはどうしたらいいかといつも考えていました。
家に帰ったお爺さんは 意地悪なお婆さんに どうして そんなに沢山の金銀財宝を手に入れたか問い詰められました。お爺さんは 怖かったので あらん限りの知恵を使って 「舌切り雀の話」を創りだしました。
お婆さんは 喜んで同じようにして(子雀を巣から取り出し巣に戻して)行商に行きましたが。お婆さんの持っていった大きな箱には 何も入ることはなく 行商の難しさを身にしみました。
この後 お婆さんは お爺さんの日頃の苦労が分かるようになり 二人は仲良く暮らしました。
お爺さんは ふとしたチャンスから 知恵を使うことで幸せになることができて良かったですね。(笑)
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この回答へのお礼

昔話には 色々な説や 色々な解釈があります 諺にも 「群盲象を撫でる」という 言葉があるようにある一部分だけしか知らないのに「自分は何でも知っている」と思ってしまう。 勉強になりました。 ありがとうございます!

お礼日時:2013/04/21 19:09

その大きなつづらからは、たくさんの虫やお化けが出てきて、


おじいさんと仲良く暮らしましたとさ・・・・それで「よい」おじい
さんと呼ばれるようになったのです。
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この回答へのお礼

面白い考えですね 「良いおじいさん」が大きなつづらを開けて「お化け」が出てきたとしても 仲良くできるなら おじいさんは 一生幸せでしょう。 逆に悪いおばあさんが大きなつづらを開けて「お化け」が出ただけで驚いているなら その先の人生は不幸でしかないと思います!

お礼日時:2013/04/21 13:52

確かに、よいおじいさんのつづらには金銀財宝、悪いおばあさんの選んだつづらには「むしやおばけ」という筋が重要です。

真実といってもいいでしょう。でも、一旦つづらに大小をつければ
いいおじいさんは必ず小さい方を選ばねばなりません。大きなつづらを選ぶのでは意味がありません。つづらに大小をつけてそれぞれに選ばせたのはお話の筋にふくらみを持たせたということでしょう。
物語作家は話のあらすじを考えると共に、枝葉をつけていろいろ面白く、更に奥深いしかけをいくつも作るのガ楽しいのです。そういったものが読むひとを更に興味深く楽しくさせるのでしょう。
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この回答へのお礼

確かにそのとおりですしかし 僕が聞きたいのは「舌切り雀」に限らず昔からある昔話の 裏側には必ず 大事なメッセージがあると思います 悪いおばあさんみたいな生き方をしていたら 必ず将来後悔すると思います!

お礼日時:2013/04/20 23:52

「金銀財宝」ってのは、まあ世界万民共通の欲望の象徴だね。


「世界中の街からゴミを無くそうと壮大な夢をもって、毎日ゴミ拾いしてるおじいさん」だと、
市指定のゴミ袋が詰まっているんじゃないかな???
その時点で、つづらの大きさなんて読者の興味の対象じゃありめんせんね・・・
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この回答へのお礼

そのとおりだと思います ありがとうございました!

お礼日時:2013/04/20 21:55

つづらの大きさは欲望の大きさを示してるんじゃないかな?


「良いおじいさん」が、世界中の街からゴミを無くそうと壮大な夢をもって、毎日ゴミ拾いしてるなら
超巨大なつづらになったかも知れない・・

話のオチは、欲張ってはいけない だと記憶してます。
普段から慎ましい生活ってことだったかと・・・
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この回答へのお礼

確かに欲張ってはいけないですでも、やっぱり良いおじいさんが「大きなつづら」の箱を開けたとしても 「金銀財宝」が出てきたと思います!

お礼日時:2013/04/20 19:26

どちらのつづらにも最初から何も入っていない、という推測は面白いですね。



質問者さんの考えが合っている、或いは間違っている、ということを議論したところで答えの出ない事なので、その様な観点からの回答は出来ませんが、質問者さんのご意見に賛同できるかどうか、という問いなのであれば、概ね賛同できる、という回答になります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました とても 嬉しいです!

お礼日時:2013/04/20 18:57

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先ほど舌切りスズメのストーリーを教えていただいたのですが、教訓が分かりません。

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その本の描き方にもよると思うのですが、うちの本では、お爺さんから雀の世話を頼まれたお婆さんが、餌もやらずに放っておいたので、雀はあまりにお腹が空いてのりを食べてしまったとありました。
お婆さんは、働き者のお爺さんに対しても、傷ついた雀に対しても、思いやりがなさすぎると思います。
周りへの優しさを忘れ、自分のことばかり考えている人間は、やはり痛い目に遭う、と言うことだと思いました。

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Aベストアンサー

 それはお話のつくりによるのではないでしょうか。舌きり雀は一種の報恩譚(恩返しの話)と勧善懲悪がひとつになった物語であるという部分にポイントがあります。
 恩返しと勧善懲悪をひとつの物語にまとめるためには、

   恩をかけてくれた人(善行)    → お返し(恩返し)
   恩をかけてくれずいじめた人(悪行)→ 仕返し(負の恩返し)

という構図で物語を構成しなくてはなりません。舌切り雀での善行は「雀を大切に飼うこと」、悪行は「舌を切ること」です。飼っている雀の舌を切るのは、もちろん隣のいじわるばあさんでもかまわないと言えばかまわないのですが、どちらかといえば飼主であるおじいさんと一つ屋根の下に住んでいるおばあさんのほうが自然です。いくらいじわるでも、隣で飼っている雀の舌を切るというのはいささかゆきすぎで現実味がないのではないでしょうか。
 それにもし隣のおばあさんに雀が舌を切られてしまったとすれば、今度は隣のおばあさんとこちらのおじいさんの交渉という一段を話のなかに挿入してあげないとどうもまとまりがつかなくなります。いくらおじいさんがいい人でも、となりの家が勝手にそんなことをしたら文句のひとつも言いにゆくであろう、ということは用意に想像されますが、こういう脇筋を入れると話がもたついてくる。それに「どうしてそんなかわいそうなことをするんだ」といわれた人が、隣にならってのうのうと雀のお宿に出かけるのもおかしいといえばおかしいのです。こっちのおばあさんなら、舌を切ったとは家、おじいさんといっしょになって夫婦で雀を世話してやった、という恩義が、すくなくとも成りたちえますが、これが隣のおばあさんでは「恩ということはなにもかけてくれず、それどころか善良な雀の舌を切ったクソ婆」がおみやげを期待して出かけてゆくということになって、いささか設定に無理がありすぎる。
 おばあさんがおじいさんのまねをして出かけ、しかも失敗して帰ってくるには、(1)おじいさんとの共通点、(2)おじいさんとの相違点、の両方が必要なのです。おばあさんは主観的に(1)=恩義、のほうにばかり視点がいっているが、じつは雀のほうは(2)=いじめ、のほうばかり記憶している。だから齟齬が生まれて物語が成りたつわけです。
 これはたとえば瘤取り爺さんでもいっしょで、となりのいじわるなおじいさんは、(1)=俺だって踊りは踊れる、(2)=踊れるには踊れるけどヘタクソ、という二つの条件を満たしている。花咲爺さんの場合は、最初の宝堀りは、(1)=同じ犬に探索を任せた、(2)=日ごろの行いがよくない(あるいは自分が育てた犬ではないという消極的な理由)、となって、報恩譚の性格が弱いのですが、物語の核である花咲かの部分では(1)=同じ灰を使った、(2)=でもその灰のもととなった犬を殺したのはいじわるじいさん、と、みごとに報恩譚と勧善懲悪が結びついている。
 ひるがえっていえば、もし舌切り雀にとなりのおばあさんが出てきていたら、ちょうど花咲爺さんの宝堀りのように、いささか報恩譚としての骨格が弱くなるような気がします。そのためにおじいさんとおばあさんは夫婦になっているのではないでしょうか。
 ついでに言えば、おばあさんの残酷な仕打ちには、現代の視点からすると「雀にばっかりかまけている」というおばあさんの嫉妬も感じられるような気がします。これなどはおじいさんとおばあさんが夫婦だからこそ成りたつ要素ではないかと思います。

 それはお話のつくりによるのではないでしょうか。舌きり雀は一種の報恩譚(恩返しの話)と勧善懲悪がひとつになった物語であるという部分にポイントがあります。
 恩返しと勧善懲悪をひとつの物語にまとめるためには、

   恩をかけてくれた人(善行)    → お返し(恩返し)
   恩をかけてくれずいじめた人(悪行)→ 仕返し(負の恩返し)

という構図で物語を構成しなくてはなりません。舌切り雀での善行は「雀を大切に飼うこと」、悪行は「舌を切ること」です。飼っている雀の舌を切るの...続きを読む


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