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 教会では、幼稚園や老人ホームを経営しているところがありますが、献金でまかなっているのでしょうか?後、このこととは違いますが、最近、信仰からはなれていく人々がかなり多くなりました。
(奉仕を沢山やり、かなり信仰に燃えていたのに、急に来なくなったのです。信仰生活も長いかたです。)かなり残念です、いったい何が原因なのでしょうか、同じ信者のかた、ぜひ、おしえてください。

A 回答 (2件)

 幼稚園や老人ホームなどを経営している教会…、ありますよね。

そのすべてが、経済的な基盤や状況を等しくしているとも思えませんが、大変大まかに言ってしまえば、おそらく幼稚園や老人ホームは、それぞれその施設を利用する方たちから入ってくる収入によって経営を継続しているものと思います。

 ただし、それも状況次第だと思います。場所や利用条件によって、収入が多く、それ自体安定した経営を継続できる施設、さらにはその施設の利益から教会側に布教活動などの資金を上納できるまでの余裕のある施設、また逆に、施設の経営にかかる経費に比べて収入が少なく、教会側から献金で集まったお金や上層組織から支給される活動費などを経営援助金として投入せざるを得ないケースもあろうかと思います。また、宗教活動にかかわる経営には税制面で猶予があるはずで、そのメリットも生かせているのかもしれません。

 ただ、言えることは、施設の経営を献金で賄う…というのは本来の姿ではなく、むしろ施設の経営などを通じて入ってくるお金を布教などの活動資金として生かしているものだと思います。

 それで思い出しますのは、メンソレータム(のちにメンターム)、誰もがきっとご存知の市販のメントール塗付軟膏のことですが、このメンソレータムを開発して売り出したのは、ウィリアム・メレル・ヴォーリズという宣教師の方でした。日本での布教にむけて、拠点をガリラヤ湖を思わす滋賀県の琵琶湖のほとり近江八幡に置き、このメンソレータムの生産と販売によって得られた利益をもって本来の布教資金としたと言われています。

 ちなみに、このヴォーリズは、たとえば神戸女学院や東京の山の上ホテルなど、今日に残る優れた建物を多く設計した有能な建築家でもあり、日本にストーヴや優れた建築金物などを導入した輸入商でもあり、当時は不治の病とされていた結核の療養のための施設としてサナトリウムを初めて作った人でもあり、国会議事堂の建設の際には財務省のアドバイザーも務めたというスーパーマンだったそうです。


 さて、最近、信仰からはなれていく人々がかなり多くなりました…。寂しいことですね。でも、信仰に疑問を抱いたといった根本的な理由ではないような気がします。きっとなにか、お忙しくなったのか、健康上のことなのか、なにか本意ではないことが原因ではないかと思います。

 たしかに、この時代、複雑にして即物的な社会環境を背景として、たとえばヨーロッパでもミサには行かないと言う人も増えているようです。ですが、無味乾燥な社会環境だからこそ、むしろ今こそ、寄って立つべき何か…を人々は求めているのではないかと思います。

 もしそうであれば、あとはきっかけ次第、神であれ、主であれ、聖母であれ、仏陀であれ、人は進んで帰依するはずだと思うのです。ニューヨークの911以来広く歌われはじめたあの讃美歌「アメイジング・グレイス」の作詞者ジョン・ニュートンの場合のように。
 
 ニュートンのお母さんは敬虔なクリスチャンだったそうですが、ニュートンは船乗りになり、そののち不潔で劣悪な環境のもとで大勢の奴隷を輸送するという仕事を選んで巨万の富を得たといいます。ところがある航海の際に激しい嵐に遭遇してしまったのです。今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈ったそうです。敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、ニュートンが心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだったといいます。すると、嵐は突然弱まり、偶然貨物が船体に開いた穴を塞いで浸水が止まったのです。

 船は運よく難を逃れました。ニュートンはこの日を転機として自らの生活態度を改め、のちに、勉学と多額の献金を重ねて牧師となったそうです。「アメイジング・グレイス」の歌詞の中には、以前の心無い行為を悔い、にもかかわらず見放すことなく救い給うた神への感謝の言葉が歌い込まれています。(参考文献:Wikipedia)

 もちろん、これはひとつのエピソードにしか過ぎないでしょう。でも、きっと、いつの日にか、去って行ったその方も戻っておいででしょうし、後々、あらたに清らかな満足を求めて人々は教会に集まってくるとわたしは思います。


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クリスチャンです。

以前幼稚園をやっている教会にいました。献金で賄われていません。
むしろ幼稚園の月謝や、入園時の入園金などで教会が維持されているという感じでした。
教会の人が責任を持って教会を守ろうという気迫がなかったと記憶しています。
何処の教会も高齢化が進んでいます。
今行っているの教会はかなり大きい教会で地域ごとに結束を固め交わりを密に持っています。
平日も教会を開け木曜礼拝とか聖書を読む会とか日曜日に来れない人や、
もっと聖書を知りたい人のためやっています。
 質問ですが、一生懸命、真面目にやってこられた人に仕事が集中し、
周りの人の配慮が足りなかったのではないでしょうか、
まずはお身体の具合を尋ねて上げて欲しいと思います。
私もあちこち身体の具合が悪く、かなり平日の奉仕を配慮してもらっています。
うちの教会は男の方も平等に掃除やらお茶当番、受付などやってもらうようになりました。
それと若い人が増えました。
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