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私は今、無神論者ですけど宗教を全否定してはいません。というか信じたい、すがりたい時が有ります。此処で宗教(何系かは不明)は(おそらく敬虔な信徒)と言う方に、貴方の信ずる宗教の教義を教えください。と尋ねたら
宗教は、論理で信じる物ではなく、心で信じる物だと抽象的な返答でした。意味不明です。
宗教的に分かりやすく言うなら「迷える子羊を救う事も信徒の使命じゃないでしょうか?もしかしたら、その教義の言葉が、私の、琴線に触れるかもしれないじゃないですか?シンプルな言葉で言えないのでしょうか?
私間違っていますか?
と言う質問をしたら、〜を信仰したら幸せになります。的な回答ばかりで「私は〜教、〜派を信仰しています。貴方の疑問点を言って下されば全て、お答えします。」の様な回答は、ひとつもありませんでした。益々、無神論者になりました。いくら洗脳されているとは言え、そんな初歩的な回答すら出来ないのでしょうか?あと、信仰は論理では、ありません。意味不明です。

A 回答 (3件)

そうだね。


人事を尽くして天命を待つ。
御天と様が見てる。
とかね。
自分に対しての
戒めとか奮起を
促すためにすがりつきたいものを
内に持つのでしょう。
それでいいのでは。
何も人によく見られようとして
人生あるいてるんじゃないしね。
死ぬときに
やましいことを反省するような
人生じゃだめだけどね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。今日も気が合うね

お礼日時:2021/11/19 22:37

創価学会 壮年部の者です。



■ひとつ、回答する前に前提としてお話をしておきたいと思います。

それは『神』についてですが、『神』と言うモノ、存在は宗教・宗派によって捉え方が異なるという事です。もちろん、『無神論者』、『有神論者』によっても見解は違うと思います。

■私は、創価学会員として、鎌倉時代の僧:日蓮の仏教を根本として信仰をしております。
日蓮の仏教というのは、その流れを辿るとすれば、日本天台宗、中国天台宗、釈迦仏教の流れを有しております。中でも、釈尊仏教の総括と言っても良い『法華経(妙法蓮華経)』で説かれている『法』を根本とした教義です。

人間の生命状態(魂、心)の在り様を現わしたものに、釈尊においては『十界(十法界)』と言うものがあり、中国天台宗の祖:天台大師(智顗)はこの『十界(十法界)』をベースに『一念三千法門』を著されました。日本天台宗の伝教大師(最澄)は中国(唐)に渡り、天台で修行の後、天台の法門をベースに比叡山延暦寺に(日本)天台宗を開きました。そこから、日本には様々な僧が修行し多くの現在の宗派を残しています。

しかしながら、日蓮はすでに鎌倉時代、日本の天台宗には最澄の持ち帰った純粋な天台の教えはなく、第二代寂光(円澄)、第三代慈覚(円仁)の時代に真言の教えを混ぜてしまった為、教義が間違ってしまっている事を指摘しています。現在の、日本天台宗もその間違えを改める事なく続いています。

さて、先にあげた『人間の生命状態(魂、心)の在り様』と言う事で、『十界(十法界)』、『一念三千』ですが、『一念三千』については少し複雑になりますので、ベースである『十界(十法界)』を説明して行きたいと思います。

■【十界】

・地獄界・・・苦しみの境涯
・餓鬼界・・・欲深い境涯、どのような状況でも常に満たされない状態。
・畜生界・・・本能のおもむくままに生きる境涯。⇒以上、三悪道
・修羅界・・・憎しみが強く、争いを好む境涯。⇒以上、四悪種
・人 界・・・一般的な『人間』の境涯。
・天 界・・・喜びの境涯。⇒以上、六道。六道輪廻の六道です。
・声聞界・・・悟りを求める、求道の境涯。
・縁楽界・・・自然現象などから、物事の真理を悟る境涯。⇒声聞、縁楽二つの境涯を併せて『二乗』といいます。
・菩薩界・・・悟りの道を開いて、人々を救おうとする境涯。
・仏 界・・・究極の真理を悟った覚者の境涯。

この十種の境涯が、一つも欠けることなく人(衆生)の生命に具わっている事を『十界具足』と言います。
そして、何かの縁に触れる事によって、瞬間瞬間にその境涯が変化していくのです。
その生命の奥底にある十種の境涯が、意識や言葉、表情や態度や動作にそのまま表れてくるのです。
そしてそうした事が関係して、自身の生活環境や地域社会を形成しているのです。

我々人間の生きている今の世の中(現世)で、様々な事象が起きます。苦しみもあれば、悩みも発生してくる事もあるでしょう。しかしながらそれらは、自分自身の生命にある宿業が元(機縁して)になって起きてくるのです。
しかし、人間はそれを他人のせいにしたり、環境のせいにしたりしますが、根本的には自身の生命に原因を求め、変革しなければそうした苦しみや悩みも解決しない事を教えています。


>宗教は、論理で信じる物ではなく、心で信じる物だと抽象的な返答でした。

■信仰と言うものは、確かに『信じる』ものです。そして、大事なのは二つあります。

①.先ず、その宗教(信じるもの)を“正しく”理解する事です。しかし、宗教と言うものは全てを科学的に解説できるものではありません。また、いきなり瞬間的に全てを理解できるほど、浅くて狭いものでもありません。そして、『信じる』、『理解する』と同時に『行動する(修行をする)』事が大事になります。これは、相互作用するもので、理解が深ければより信ずる事が強固となり、信ずる事が強くなれば行動する事も確信を得て行動できるようになるのです。

②.こと宗教に於いて、『信じる』と一言で言っても、大半の人が信じるものが分からない、理解できないでいるのです。仏教に於いては、その『信じる』対象となるものを『本尊』と言います。宗派によっては、仏像を本尊としたりする宗派もあります。浄土宗のように『阿弥陀仏』を本尊とするものもあります。
要するに、“何を本尊とするのか??”これが一番重要であり、信仰の肝心なのです、、、、、が、理解されていない方が殆どです。

★★ここで重要なのが、『正しいものを本尊とする』事です。

本尊が間違っていると、そこに帰依した命(生命)も間違えてしまうからです。幸せになるつもりで信仰をしたのに、本尊が間違えているから幸せになれないのです。正しい信仰には『正しい本尊』が絶対的に必要なのです。

創価学会の本尊と言うものは、日蓮の残した法華経で説かれた『法』である『南無妙法蓮華経』の曼荼羅御本尊です。ここに南無(帰命)した時に、縁に依り自身の『仏』の生命が涌現し、最高の生命状態を体現できるのです。
そうなると、自身の今ある生命、人間としてこの世に生まれてきた事、生きて御仏に縁し仏の大慈悲に包まれて生きる事に、最大の喜びと感謝を胸に人生を生きられるようになるのです。

■追記:長々と書きつづり申し訳御座いません。
意味不明な点があれば、何なりとお礼の欄にお書きください。
私の説明できる範囲でお答え申し上げます。
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ブルースリーの名言。


「Don’t think. FEEL!」

なのでは?

そもそも宗教を信じている人の大半は日本でいう「道徳」と同じような意味で捉えてます。

・弱い人は助けなさい
・人の迷惑をかけてはいけません

とか、そこにあんまり理屈というのは存在しなくてみんなで「善行」すれば、世界はよくなるよね?みたいな感覚だと思います。

 無神論者の大きな欠点として、無神論者ゆえに「迷い続ける」危険があることです。

 宗教はある意味、人生の羅針盤ともいえる存在です。

誰もが一度しかない人生。
そして同時に誰もが幸せになりたいと願うのが人生。

であるならば、道しるべの一つとして「宗教」の存在はあり得ると思ってます。

 私も無宗教なんですが、結局、心の拠り所が無い人が心を病んでしまう原因の1つかなとも思ってます。
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