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題名の通り、日本人は無宗教なのか議論になることがあります。東洋経済オンラインの記事(https://toyokeizai.net/articles/-/627356?page=3)では、著書「日本人はなぜ無宗教なのか」を引き合いに出し日本人は無意識のうちに自然宗教の心があると述べています。
つまり、「信仰があると自覚していなくても、お盆などの宗教行事に参加するってことは無意識のうちに信仰心があるでしょ」というわけです。
 私はこの主張に反対です。多くの日本人は無宗教だと思います。
なぜならその行事について詳しく知らなくても、「ただ周りがやっていて楽しそうだから」と参加する例が多くあるからです。
例えば花火大会には、戦争で亡くなった人々の鎮魂を目的としたものと、見た目を楽しむために打ち上げられるものがあります。花火大会ごとの歴史を知らなければこれらを見分けることはできません。
見分けることができないのであれば、こっちの花火大会の時には信仰心が働き、あっちの花火大会の時には「きれいだな~」と純粋に楽しむということは起こりません。なんの花火を見ようとも「きれいだな~」で終わります。知識がなければ信仰心が発生しないのです。
他にも、知識不足が原因で形だけ行事を楽しむという例もしばしばあります。12月25日に街でイチャついてるカップルたちのどのくらいがキリストの降誕を記念しているでしょうか。多くの方が「クリスマスってあれでしょ。キリストの....何だけ?誕生日だっけ?」状態でしょう。
彼らにも当然信仰心はありません。
このように、仮に宗教行事に参加していても、知識がない状態で、形だけ真似しているだけでは信仰心は生まれないと思います。
皆さんの考えを、私の主張にさらに反対する形でお聞かせください。

質問者からの補足コメント

  • 皆様回答ありがとうございます。大変恐縮なのですが、私の主張に反論してほしいのです。ですので、私の挙げた根拠と主張のセットがおかしいとツッコミを入れてほしいのです。根拠が間違っているとか、その根拠ではその主張は導かれないとか、そういう類のものです。私だって引用した記事の主張に対して「その根拠からはその主張は導かれない」という形で反論しています。反論する際に、私の根拠+主張を無視して、別の根拠と主張を展開されてもそれは反論とは言えません。反対意見ではありますけど。

      補足日時:2024/03/11 13:49

A 回答 (13件中1~10件)

記事にある真鍋氏は、日本人の信仰心について、自然宗教>創唱宗教という形で、あるもの(有宗教)とします。

また、その自然宗教的な信仰心の根拠として例示するイベントは、初詣とお盆です。
それに対し匿名氏が反論のために挙げるイベントの例は、花火大会とクリスマスです。ここに反論方法の不当性がありそうです。
花火大会やクリスマスは、真鍋氏が例示する自然宗教的信仰心の根拠ではないため、それらのイベントにおける信仰心の欠如を主張しても、反論の根拠になりにくいです。
花火大会で信仰心が欠如していても、初詣やお盆に自然宗教的信仰心がないことにはなりません。また、クリスマスにおける創唱宗教的信仰心の欠如を主張しても、真鍋説ではすでに日本人における創唱宗教に対する自然宗教の優越が語られているので、反論になりにくいです。
真鍋説に反論するためには、初詣やお盆における自然宗教的信仰上の欠如の可能性を示すことが妥当です。
私は、初詣やお盆には人知を超えたものへの信仰心が自他ともに伴いがちだと思うので、真鍋説を支持します。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かには花火大会とクリスマスの例は不適切でした。おっしゃる通りお盆や初詣における信仰心の欠如を考えるべきでした。
お盆や初詣を例に考えてみると...どうでしょう。日本全体の話をするときに個々の話や私の感覚の話をあまりしたくありませんが、年齢が上がるほど慣習的行為の中にも信仰心が見え、若い世代ほど形式だけといったような印象です。

お礼日時:2024/03/11 18:57

>日本人は無宗教なのか??



違います。

無宗教と言っている人は、宗教について何も知らないという事です。
要するに、自分で自らを「バカです」と言っているようなものです。

何故、そうなるかと言えば、学校教育、特に義務教育においては授業で教えないからです。せいぜい、歴史的事象としての事しか教えません。
しかしながら、宗教というものは直接私共人間の幸不幸に影響するものなのです。それくらい良く知らないと恐ろしいものなのです。

逆に言えば、日本ほど数多い宗教が信仰されている国は無いのです。
宗教にいい加減だから、そうした様々な宗教を何のためらいもなく行ってしまう民族なのです。挙句の果てに、『無宗教』だと言い放つのです。
この責任感の無さですよ。
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この回答へのお礼

反論として成立していませんし、人格攻撃は詭弁の最たるものですよ。

お礼日時:2024/03/11 18:58

宗教を否定していないので無宗教とは分類されません


宗教的価値観の延長上に法整備がなされていますので、それはもう宗教でしょう。

おそらく世界で一番宗教に寛容な国民性ですからあたかも無宗教かのように感じる=他社を迫害してまで自らの信仰を正当化しないということです
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> 私の主張に反論してほしいのです。

ですので、私の挙げた根拠と主張のセットがおかしいとツッコミを入れてほしいのです。根拠が間違っているとか、その根拠ではその主張は導かれないとか、そういう類のものです。

> 宗教の定義については私が引用した記事でばっちりされています。そして、この記事を背景に私の主張をしているので、

東洋経済オンラインの真鍋の記事には、次のように記載があります。
➀ 最初の議論の前提として、一般的に、宗教とは、「人知を超えた存在に対する信仰と、それに伴う儀礼や制度」と定義することができるだろう。
② 有力な手掛かりを提供してくれるのが、宗教学者の阿満利麿(あまとしまろ)が唱えた「創唱(そうしょう)宗教」「自然宗教」という区分けである(『日本人はなぜ無宗教なのか』ちくま新書)。
③-1 明治維新後のおよそ80年もの間、神社神道は、安丸のいう「国家的神々」を崇拝する場として機能し、「宗教ではないが、礼拝の対象」となり、人々の慣習として少しずつ浸透していった。 ③-2 概念的にも「宗教」の定義に値するのは、キリスト教や仏教など高度に体系化された教義を持つものとされていた事情もあった。加えて、神仏分離と神社合祀などの政策により、「国家的神々」にそぐわない神仏や民間信仰などはことごとく一掃された。そうすると、当然ながら「宗教」が意味するものは、実質的に「創唱宗教」だけとなる。 ③-3 わたしたちが「宗教」と捉えるものが、創始者の名前が明らかで組織化された教団があるものとみなしやすく、それ以外のものが意識に上りにくいのは、「自然宗教」の優越や、近代化に伴う「神社神道の非宗教化」などに、その歴史的な起源を求めることができるというわけである。

真鍋は、➀で宗教を定義し、②で宗教の分類を示し、③で日本人が創唱宗教のみを宗教とみなし、自然宗教を宗教ではないように思い込みやすい歴史的事情を説明しています。
『この記事を背景に私の主張をしているので』ということは、{自然宗教も宗教であって、創唱宗教だけが宗教であると思うのは間違えている}という見解に立っているということでしょうか。

> 私はこの主張に反対です。多くの日本人は無宗教だと思います。

日本人の多くは自然宗教のような行為もしないという見解でしょうか。
多くの日本人はそこそこ葬送儀礼に参加します。
https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc= …
人類史のなかで死者に対する何らかの配慮を読み取れる最古の例としてよく挙げられるのはネアンデルタール人のものである。大貫良夫によれば「ネアンデルタール人が死後の世界について考えをめぐらせ、死者を特別に扱ったという例がいろいろと発見されている。ネアンデルタール人の分布の中でももっとも東になるウズベキスタンのテシク・タシュでは、子どもの頭のまわりに六頭のヤギの角を立てたらしい。西の方ではイタリアのモンテ・チルチェオの洞窟の奥深くで、円形に石を並べた輪の中に頭骨が逆さまに置かれていた。」 また北イラクのシャニダール洞窟で発見された 6 万年前のネアンデルタール人の骨に大量の花粉がついていたことから、死者に花を手向けたという推測がなされた。この点については疑問も表明されているが、ネアンデルタール人が埋葬をしていたことは広く認められている。死者に対して鄭重な扱いがあったとすれば「供養」の要素も含まれていたのかもしれない。しかしそれは埋葬時の儀礼として、あるいはそれを含む「葬送儀礼」の一環であろう。ネアンデルタール人が埋葬後の定期的な「死者供養」をおこなったかどうかは不明である。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本では、江戸期以前は、死者を葬ることが一般的ではなく、そこらに廃棄処分的なことをしていたようです。ですが、豊作・豊漁・降雨・停雨・疾病快癒・怪我平癒・安産・災害や攻撃から無事・魔物怨霊の退散なぢは、結構祈願するやり方が習俗として連綿と伝承され、続いていただろうと、私は思います。
文献でわかるのは、古事記など8世紀のアマテラスとスサノウのうけいとか禊ぎになりますが、魏志倭人伝の卑弥呼の記事や鏡、銅鐸、剣の扱い、また土偶や翡翠の遺物の全国出土状況から考えて、祈祷や呪い・魔除け・マジカルパワーへの強い志向が広い地域で連綿となされていたと思います。
死後や祖霊などは気にしなかったのかもしれないですが、日々の生活の中での益・幸・害・苦・飢・乾・恐を強く気遣って、オカルト的期待でやっていたことは間違いないと思います。 4世紀、6世紀、8世紀、10世紀ほとんど変わりがないです。明治になってから神社は増えます。1940年代前半も無事を祈る行為は盛んです。 アホかと思うけれども、合格祈願をするような人まで増えているのですから、日本人ではただのオカルト好きではなくて、宗教心が旺盛なのでしょう。
今の令和の時代にはやる人数はガックリ減っているでしょうが、辻々の地蔵、石塔、小祠、宮、神社札、六曜暦、地鎮祭で埋める、
https://tokyo-clip.cocolog-nifty.com/tclip/2020/ …
「日本人では、『祈らない』人が多い」とは、思えません。
➀の意味で、日本人も、紀元前の古代エジプト、メソポタミア、インダス、揚子江、黄河、だいたいどこでも、宗教心はそれなりにあったと見る方が、矛盾が少ないでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>『>この記事を背景に私の主張をしているので』ということは、{自然宗教も宗教であって、創唱宗教だけが宗教であると思うのは間違えている}という見解に立っているということでしょうか。
はいそうです。私はユダヤ教も神道も宗教だと認めています。

>日本人の多くは自然宗教のような行為もしないという見解でしょうか。
多くの日本人はそこそこ葬送儀礼に参加します。

私の主張は、「宗教行為であったり、宗教行為が時間を経て慣習として残った行為をする際に、形式だけを引き継いでいて信仰心は残っていないのではないか」というものです。
そしてその原因として宗教行事に対する知識不足を挙げています。
言い換えれば、「行事形式だけ同じでも歴史的背景を知らなければ信仰心は生まれない」という主張です。

お礼日時:2024/03/11 19:21

No.6です。



> クリスマスの場合は祝い事ですが何を祝っているかも定まっていない中で信仰心はありません。

宗教を信じてない人に、お守りをハサミで切れと言ったら、バチが当たるから切れないという話はご存知でしょうか。
知らないときのために、URLを貼っておきます。
https://toyokeizai.net/articles/-/22709?page=2

この場合、お守りという物を粗末に扱えないということで、信仰心が目に見えるようにしています。
切らない理由も滑稽ですね。
これはお守り以外にも当てはまります。
クリスマスでキリストが出てきたのなら、キリスト教がまっさきに浮かぶでしょう。
それなのに「何を祝っているかもわからない」なんてことはありません。
キリスト教の何かであることは知っています。
キリスト教のなにかのお祝いと知って祝っているのですから、盆踊りと同じ形の信仰です。
それでも、信仰してないというのです。
これは日本人の悪い癖であり、お守りの話と同じだと思います。


> 例えば七五三は「こどもがここまで無事に頑張って成長してこれたなぁ」と祝うわけですが、この気持ちに関してはたとえ無信仰でもしみじみと感じることでしょう。

それは、現代では毎年誕生日でお祝いするものです。
昔と違って七五三まで生き残るのは当たり前のことですし、誕生日と全く関係のない日に行いますから、私にとってはただ気持ちの悪い宗教行事でした。


> 例えば食べ物を残すとお金を払ったのに対して得られる対価(カロリーや栄養)が少ないことが悔しくて食べるのです。

もったいない=信仰ではないので、そのような人もいると思います。
しかし、食べ物を残すことに罪悪感を感じる人がいるのも事実です。
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この回答へのお礼

>キリスト教のなにかのお祝いと知って祝っているのですから、盆踊りと同じ形の信仰です。
それでも、信仰してないというのです。
これは日本人の悪い癖であり、お守りの話と同じだと思います。

ごめんなさい、お守りをハサミで切れないことが信仰心の表れだというのは理解できるのですが、それがキリスト教の話とどう繋がるのか理解できないのです。私の頭が悪くて申し訳ないのですが、もう少し詳しく説明いただけませんか。

>それは、現代では毎年誕生日でお祝いするものです。
昔と違って七五三まで生き残るのは当たり前のことですし、誕生日と全く関係のない日に行いますから、私にとってはただ気持ちの悪い宗教行事でした。

確かに昔と違って七五三まで生き残るのは当たり前ですが、その現代においても誕生日も同様に祝われます。そして、誕生日以外には振り返らないというのはそれこそ宗教的です。もちろん毎日人生を振り返ってしみじみしていては奇妙ですが、誕生日以外にも、進学、受験、勤続10年目、...etcなど機会はたくさんあると思います。
私も議論の場で感情は持ち出したくありませんが、宗教、特に宗教の押しつけは大嫌いです。「お前は日本に生まれたんだから神道」とか言われた日には怒りでどうにかなりそうです。しかし、そうだとしても、七五三が信仰心を伴ったものなのか、形式だけ引き継がれたただの節目なのかは冷静に区別する必要があります。

>もったいない=信仰ではないので、そのような人もいると思います。
しかし、食べ物を残すことに罪悪感を感じる人がいるのも事実です。
そうですね。ただし罪悪感にもいろいろあります。動物の命がうんたらかんたらは信仰心ですが、作ってくれた人が目の前にいて、残すことでその人を傷つけたくないという感情は信仰心ではありません。
前者は自他ともに認める信仰者でしょうし、後者は違います。

お礼日時:2024/03/11 19:16

基本的にはその通りだと思います。


ただそれは意識的なレベルの話。意識はしていない人が多いとは思います。通例だったりその人達の中では常識過ぎて考えてもいない。

ただ、これはある意味信じているから、そーいうものだからと疑っていないから出来ること。これもひとつの信じる心が無意識に埋め込まれているからとも言えます。
あとは!それを意識的に行うか無意識に、また何かあったときにすがる先がその人の心の底にあれば、それは深いところにある信仰心が働いている証拠かとは思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに、無意識の信仰もあります。ただし、無意識の中での行動原理が信仰心ならその人は神を信じている人といえます。
しかしどれだけ自分の意識を探ってみても信仰心なんてこれっぽちも持ち合わせていない、クリスマスに参加しているのも形だけだしって方も大勢いるのではないでしょうか。

お礼日時:2024/03/11 14:37

日本人特有の宗教観は、それを信じているかどうかではなく、それを信じないと確信することができない、です。



例えば、事故物件というのがありますね。殺人であったり自殺であったり等があった物件は忌物件とされ法的な告知義務までありゆえに価格そのものも低下する。これは、日本人の大多数が霊魂など存在しないと確信できないからこそ発生する事象です。経済活動にまで影響を及ぼすほどにね。

日本人は、確かに宗教に関して無知なんですね。その無知ゆえに霊魂があると確信することもできないし、霊魂などないと確信することもできないという状態になる訳です。無知とはそういうものですからね。

だからリスク回避をする訳ですよ。そのリスク回避のために「ご利益があるらしい」で手を打つんです。霊魂があるなんてさらさら信じることなんてできないが、もしあったら困るのでとりあえずやっときましょう。それが日本人の宗教観ですし、それこそが日本人特有の信仰行動です。なので、日本人の手にかかればどんな宗教もたちどころに形骸化するのです。

宗教の信仰とは、信心のみならず行動や倫理観を伴います。キリスト教は原理的には信心のみの宗教ですがそっちの方が珍しいタイプの宗教でして、ほとんどの宗教は信仰行動を主体とします。信心なくとも行動する日本人の信仰タイプは世界基準としてスタンダードではあるが、その無節操は度し難いものである。

が、それを無宗教であるからとするのは、ピントがズレているように思いますね。
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「信仰があると自覚していなくても、お盆などの宗教行事に参加するってことは無意識のうちに信仰心があるでしょ」


というのはあってると思います。

しかし、花火大会については、大半がただの娯楽です。
鎮魂を目的にしている花火大会があるのなら、それを知っている人だけが宗教行事だと思います。
鎮魂を目的としているといえば花があります。
だからといって、花を飾れば宗教行事かといえばそうではありません。
花火大会も同じことです。

一方、クリスマスで「キリスト」という言葉が出てくるのであれば、信仰に関連していると言えるでしょう。
クリスマスはChristmasで、キリスト(Christ)とミサ(mass)が合わさった言葉です。
キリストに関係があると知っていて、ミサに参加しているのですから、その時点で十分です。

他にも同様のことがあります。
七五三:子どもの成長を祝う行事
元日:年のはじめを祝う行事
雛祭り:女児の幸福を祈る行事
端午の節句:男子の健やかな成長を祈願
七夕:短冊に願い事を書く=神に祈る行為
盆踊り:先祖の霊をもてなす行事

これらは明確な宗教行事です。
和服を着たり、偶像崇拝したり、よくわからないことにめでたいと言ったりしてお祝いをしたりしているのです。
ですから、無信仰の私は参加することに忌避感を感じます。
例えば、年賀状の「あけましておめでとう」なんて、何がめでたいのか理解できません。
「入学おめでとう」「誕生日おめでとう」ならわかります。
逆に言うと、忌避感を感じない時点で信仰しているということです。


他にも、多くの日本人は無信仰と言いつつ、バッチリ信仰してますよ。

悪いことをするとバチが当たると言います。悪いことが起こるとバチが当たったと言います。誰が当てるか。神です。

食べ物をもったいないと言って残さずに食べます。なぜもったいないのか。神のせいです。
後少し食べることで、太って不健康になるのですが、神のせいで残せないのです。

多くの人が凶悪犯を死刑にしたがります。なぜ死刑にしたいのか。死後の世界を信じているからです。
死後の世界を信じてない人にとっては、刑務所に監禁して人権を侵害することのほうが罰です。

がちゃを引くとき、「お願いします」のように何かにすがる行為をする人がいます。あれはまさに神に祈る行為です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>キリストに関係があると知っていて、ミサに参加しているのですから、その時点で十分です

「キリスト関連の何か」という知識だけで信仰心は生まれないと思います。
クリスマスの場合は祝い事ですが何を祝っているかも定まっていない中で信仰心はありません。

>これらは明確な宗教行事です。
和服を着たり、偶像崇拝したり、よくわからないことにめでたいと言ったりしてお祝いをしたりしているのです。
>「入学おめでとう」「誕生日おめでとう」ならわかります。
逆に言うと、忌避感を感じない時点で信仰しているということです。

あなたがおっしゃるように無信仰の人でも祝う気持ちはあります。そしてその祝う気持ちが宗教行事に結びつけられたものもあります。例えば七五三は「こどもがここまで無事に頑張って成長してこれたなぁ」と祝うわけですが、この気持ちに関してはたとえ無信仰でもしみじみと感じることでしょう。「入学おめでとう」が意味する「ここまで受験頑張ってよく合格したなぁ」と同じ感情です。七五三も振り返って生きてきた努力をしみじみする思いが宗教行事に結びつけられているのです。一方で盆踊りは完全な宗教行事ですね。宗教がなければあんな踊りしません。

>他にも、多くの日本人は無信仰と言いつつ、バッチリ信仰してますよ。

罰当たりの例、食べ物の例、凶悪犯の例をいくつが挙げてもらいましたが、これらの中にも完全に信仰心がなければなかったであろうものと、信仰心とは別の損得勘定であるものがあります。例えば食べ物を残すとお金を払ったのに対して得られる対価(カロリーや栄養)が少ないことが悔しくて食べるのです。悔しさであって信仰心ではありません。
一方でガチャで祈る行為はまさに信仰心ですね。

お礼日時:2024/03/11 14:33

逆に、日本人以外の、信仰を持つ人々が皆その行事について知識があってやってるわけじゃないと思います。



皆がやってるからとか、よくわかんないけどついていってる人が大半ですよ。形だけ真似ね。
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まあ、どちらでもいいかな?と言うのが正直な感想。



「宗教」と「信仰」の定義もしないで、そんな議論を
しても、仕方がないのでは?

「宗教」とは、キリスト教、イスラム教、仏教、等
代表的なものが思い浮かびますが、その共通印象は、
「強制力」のように感じる。

もし、その「強制力」の視点で考えれば、日本人は、
「無宗教」に近い。

しかし日本人にも「信心」は有るように思う。
日本人の場合は、「ご都合主義の多神教」の
ようなものではないか?

それを「信仰」といえば、「信仰」だろうが、
「ご都合主義」なので、クリスマスを祝いながら、
平気で、神棚に手を合わせ、仏壇に線香を上げる。

これは、世界的な「宗教」という枠から外れているが、
「信心」が無いわけではない。

画一的に、日本人は無宗教なのか、と悩むほどの
事柄ではない、ように思いますが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。宗教の定義については私が引用した記事でばっちりされています。そして、この記事を背景に私の主張をしているので、当然回答者の皆様も読んでくださると思っていたのですが、そういうわけで無さそうですね。議論の仕方を人に問うようなのであれば、相手が示したものをきちんと読むくらいはしてほしいものです。何も難しい本ではありません。数分で読み終わるネット記事です。

お礼日時:2024/03/11 13:44

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