【大喜利】【投稿~9/18】 おとぎ話『桃太郎』の知られざるエピソード

1)生まれたての赤ちゃんに、自由に宗教を選ばせるとしたどんな方法がありますか?

2)また、赤子に宗教的儀式を行うことは、自由でしょうか?

3)それによって、他の宗教への転向がしづらくなった場合に、どういう対処があるでしょうか?

4)そもそも、生まれたての赤子に強制的に入信させることは、哲学的にOKですか?世襲の是非について問いたい。

A 回答 (11件中1~10件)

♯5の者です。


少しだけ、追加。

(1)ですが、太宰ファンの回し者ではないので、コメントできませんが
心理学に病跡学っていう分野がありますが
(文豪や芸術家の精神的な性質を研究し、どのように創作に影響を及ぼしたか考える学問です)
それを見た時に、「浮き沈みの激しい」って書いてあった様な気がする。
太宰もまともな結婚生活を送った時期がありますから、
その時は 子供をちゃんと育てていたんでしょう。
未来への展望もそれなりにあったのだろうと考えます。

(2)は、そういう意味だったのですか。
今やれば、確実に傷害罪……どころか殺人未遂に問われかねませんね。
しかし、古代の考えでは、赤子はまだ親の一部と見なされていたのでは?
だから、所有物である赤子に何しようが親の勝手。
だからこそ、間引きなんかが出来たわけですしね。

余談ですが、日本の法律では赤子について、
「体の一部が母体から露出した時」に人権をもつと考えられています。
何故なら、体の全体が出た時に誕生したと認められる場合、
頭が出てきた時に間引きの目的で絞め殺しても罪に問えないから。
ちなみに、「一部が出た」「全体が出た」の他、
「産声をあげた」時に誕生したとする説もあるそうで。
(これを独立呼吸説というらしい)
人間の誕生の瞬間について、これほど考えさせられるとは思ってもみませんでした。

というわけで、赤子の人としての扱いは時代の変遷と共に移り代わり、
なおかつ今でも様々な意見がある、ということです。

ごめんなさい、長くなりましたが……
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この回答へのお礼

有難うございます。
(2)いくら親の私物でも、最近の幼児虐待や、子供へのネグレクト(無視)、あるいは無関心な親御さんには、絶句します。

核家族化が進み、年寄りから学ぶ機会が少なくなりました。ほんとに世の中は進歩しているのだろうか?

お礼日時:2003/06/24 04:18

この質問にを見て感じたことを書かせていただきますね。



1)については、生まれたての赤ちゃんの意志を確認する方法が無い以上、選ばせることも不可能だと思います。

2)についてですが、それを行う親はその宗教の考え方にのっとって行うので、親の「自由」というよりも「義務」として考えられているのではないでしょうか。日本人は「宗教」というものに独特の感覚があるので、世襲的な宗教伝統をもつ社会に対する理解はなかなか難しいと私は思います。

3)世襲性の宗教社会では、改宗することは選択肢として存在していません。「肌に合わないからやめる。」という簡単なものではないようです。結婚したから改宗するということもほとんど無いようです。つまり、彼らにとってはそれが当たり前の日常ということになりますが、改宗する場合は親族などとの絶縁になることが多いようです。

4)ですが、私個人は世襲に対しての嫌悪感はありません。それによって幸せだと思える人生を歩む人も多い訳ですし。哲学的にも何ら問題になることではないと私個人は思います。ただ、割礼などによって死亡する赤子がいることは、改善していく余地があるとは思いますが、そのことも含めて信仰ならば私には彼らに何も言うことはできないですね。

私は無神論者ですが、これもまた一種の宗教だと思っています。世襲的に宗教を伝達していく社会から見れば私のような考えが許される社会が疑問でしょうがないことでしょう。しかし、それが人間という生き物だと私は思うのです。様々な価値観を生み出し、対立し、許しあう。その混沌の中からまた新しい価値を発見していく。
最終的にどこに行き着くのかは誰にも分かることではありませんが、繁栄だろうと破滅だろうと、今を生きる私たちは「良い」と思うことをやっていくしかないですよね。

BadCompanyさんの、異国の赤子とその将来に思いを馳せる優しさが素晴らしいと思います。これからも日本人ととしての感受性を大事にして色々なことを哲学的に考えていきましょう、お互いにね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
例え、世襲でも、その子のことをよく考えた上で行うことなら、子供も理解すると思います。
しかし、女性性器切除などは、昔から行われていた伝統だからというだけで、継承していくのはおかしいと思います。
その時代時代に応じて、価値観は代わると思います。それでも、いつの時代も女性や弱者に負担をかける社会は見直そうと考えるのが人間的な振る舞いだと思います。

お礼日時:2003/06/25 02:36

No.2、No.7です。


「余談」に深入りする気はないのですが、
質問を頂いたので、参考URLを挙げておきます。

参考URL:http://www2.neweb.ne.jp/wd/waaf/guideto1.htm
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
宗教以前の通過儀礼が、数千年の長きにわたって続いているの何ということでしょう。
どうしていつの時代も女性や弱者の声が消されてしまうのだろうか。

お礼日時:2003/06/25 02:27

4について。


子育てとは、親が子供を自分の色に染める行為です。
それによって、親の持つ規範や倫理・道徳が子供に受け継がれます。

親が宗教を持っていれば、自我が成熟するまで子供は受け入れ
ざるをえないでしょう。

しかし成長すれば、親とは違う道を選ぶことは当然ありえます。
実際、明治期のクリスチャンは、大半が別の宗教からの改宗
ですしね。(長崎の隠れキリシタンなど、一部の特殊な例を除く)

ただしイスラム教やユダヤ教など、宗教が完全に社会に溶け
込んでしまっている国や地域では、留学して別の国へいく
などしないと、別宗教への改宗はかなり難しいかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
もし、弱いものへのいじめや虐待が連鎖していくものだとしたら、恐ろしいことですね。

虐待を受けた子が大人になり、さらにその子供に虐待する例があるそうです。
負の連鎖を断ち切るには、どうしたらいいでしょうか?

お礼日時:2003/06/24 04:25

本題からははずれますが、


ユダヤ教の割礼が生命に危険ということはないはずです。
衛生的でない環境で行えば感染症の危険はあるでしょうけれど。
アフリカで女子を対象に行われている性器切除は、
古くは女子割礼とも呼ばれましたが、割礼とは全然別で、
確かに生命の危険を伴い、国際的に問題視されるようになってきています。
宗教的な要素は少ないと思いますが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
女子割礼は、いったい何のための儀式(或いは風習)なんでしょうか?宗教以外の理由でおこなうのでしょうか。

お礼日時:2003/06/24 04:21

(1)宗教を選ぶって行為の意味をどう決めるかですね。

ほかの方が書いた太宰氏のようなやり方は、「子どもがどっちがいいか考えて選んだ」と言い切れないので、意味があるかどうかわからない。子どもとしては大きくなった後で「お前が選んだんだ」っていわれても、ねぇ?

(4)宗教だけを特別視することに意味はないと思います。常識と呼ばれる共同幻想も一種の宗教です。日本人の親を持った時点で子どもは日本の常識を強制的に植えつけられる運命にあります。結局のところ、子どもが自分の意思で自分の常識や宗教を選ぶのは不可能ですからね、強制的に入信させたらいいじゃないですか。ただまぁ、後で別の宗教を選ぶ自由を与えてあげられるといいんじゃないですかね。

何かの宗教に入るか、「どの宗教も支持しない」っていう宗教をとるか、どっちでもいいんじゃないかと思います。こう表現すると何かの宗教に入信しないって選択肢はないことになりますな。(苦笑)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
世襲の是非は、確かに宗教に限った話ではないですね。

他の世襲の是非についても、ぜひ問いたいですが、政治家などを含めると混乱すると思いますので、ここでは一
応、宗教に限らせていただいて、その可能性について哲学的な考え方が、もしあるのであれば、よろしくお願いします。

お礼日時:2003/06/23 02:19

新参者ですが、少しだけ。



(1)についてですが、太宰治だったかな。
ある作家で、自分の子に自分で名前を選ばせた方がおられます。
紙に候補の名前をひとつずつ書いて、その2枚の紙を自分の赤子に握らせたそうです。
で、片方の紙を放り投げたから、手許に残った紙に書かれていた
名前を役所に届けたということです。
だから、現実的では無いですが、般若心経と聖書とコーランを目の前に置いて、
どれが一番 いい反応を示すか、実験するとか。
ですが、親としての自分の宗教との兼ね合いもあるでしょうから、
(たとえば、息子がいきなりキリスト教に入信したいと言っても、
自分がキリスト教じゃなかったら、現実味が乏しいとか)
実際に行うのはまず無理でしょう。

(2)は、質問の意図がわからないのですが……
乳幼児洗礼やお食い初めなんかは、宗教的儀式じゃ?
そういえば、アイルランドの伝統で、洗礼をしていない子供は
針とかをベッドのそばに置いておかないと、
妖精にとりかえっ子される、というのがありますね。
とりかえっ子はつまり、妖精の子供と知らず知らずのうちに
嬰児交換される、というやつです。
つまり、自由と言うより、幼児の健やかな成長を願ってなされるものが大きいかと。
今の習慣ていうのは、大体は昔の名残ですよ。
この場合、幼児の死亡率が高かった時代の。

(3)は、信教の自由が認められている日本なら、大体可能でしょう。
新興宗教なんかに手を染めていなければね。
第一、日本は神仏をごっちゃにする習慣がありますから、
宗教を鞍替えしても、宗教家からは褒められたもんじゃないでしょうが
一般市民は何も言わないでしょう。
……対処というのの答えになっていませんが。

(4)は、哲学的以前に、現実問題として認められなければならないでしょう。
宗教は、世襲によって信者を増やしたってのも一理ありますよ。
昔は、今の日本みたいに出生率1.38なんてことはないでしょうし。
それがあってこそ、キリスト教で同性愛が禁じられたわけだし。
まあ、カトリックの一夫一妻制は理解に苦しみますが。
(私はプロテスタント派なので、カトリックが嫌いなんです)
それ以前に、子育てって言うのは洗脳ですよ。
心理学者の誰かさんも仰ってます、
「私に赤子を預けてくれたら、思う通りの人間にしたてることができる」
ってね。
つまり、世襲云々以前に、親が自分の宗教を信じるように育てるんだから、
結局は一緒。ということです。

私なりの見解ですが、いかがでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
(1)太宰治も自殺するまでは、子育てする気があったのでしょうか。
(2)子供の割礼は、やりすぎだと思い、この質問になりました。
(4)プロテスタントは、一夫一妻制ではないのですか?キリスト教については余り知識が無いので良く分かりません。

子育ても、洗脳的な部分は多分にあると思います。
けど、割礼のように生命に危険な風習は、無くしていっても言いと思います。

お礼日時:2003/06/23 02:08

参考程度に



結婚をする場合に仏式、神式、キリスト教系の式いろいろありますね。単なる儀式だと思って皆さん結婚していますが、本来的には宗教的儀式ですね。
葬式も同じですね。
それから
七五三やお宮参りは神道の儀式の一つですね。
キリスト教系のお国では、生まれると聖書からの名前を必ずつけますね。ヨーロッパ、アメリカ系の名前はほとんど聖書からですね。洗礼も多くがやっていますね。
ということで、親の考えで儀式としてはやっていますね。ただ、宗教の教義や儀式の本来的な目的はあまり気にしていないので、ある種のエンターテイメント性でやっているのでしょうね。子供は、親の姿を見て成長するので親が単なるエンターテイメント的な儀式だと考えていれば、宗教とは思わないでしょうね。
親が信仰を持っていれば、子供も影響は受けますね。
それは、それでよいのではないでしょうか。子供も大人になる過程で自分で判断し、選択するでしょうからね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
大人になってから、代える人って、どれくらいの割合であるのだろう。
割合が多ければ良いってことは無いと思うけど、難しい問題ですね。

お礼日時:2003/06/22 18:36

基本的に、生まれたての赤ちゃんには「選ぶ」ことはできないですよね?


親がいずれかの宗教を信じている場合、子供の幸福を願う親としては、宗教的儀式を行うことは幸福を願うことと同義でしょうから、一概に責められるものではないと思いますが…
やはり子供の人権、自由といった観点から言えば、洗礼などを行うことは、後に子供の自由を縛ることになってしまうこともあると思います。
親が自分の信教に基づいて倫理を子供に教えることや、日々の生活習慣がそれに則ったものであることから、子供の考え方が親と同じ宗教を信じる方向に傾くことまでは、その環境に生まれた子供の運命のようなもの…かもしれませんが、
実際に入信するところだけは、子供の意志で行うのが、子供の自由を守るということかな?と思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
両親が別々の宗教に入っている場合が、何か解決のヒントになるような気がしてきました。

お礼日時:2003/06/22 15:52

子どもの幸福な将来を願うことは、親として当然のことです。


そのために、親が自分の信ずる神仏の助けを求めたとしても、
そのことで親を咎めることはできないと思います。
子が成長した時に、親と異なる選択ができないとしたら、
それは問題だとは思います。
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この回答へのお礼

有難うございます。
実際に、成長して異なる選択を行うことは、子にとって親への裏切りにもなるので難しい気がします。

お礼日時:2003/06/22 10:34

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