何歳が一番楽しかった?

人間の世の中で嫌われるのは、自分の意思を相手に押しつけようとする人です。
小説やドラマ、漫画でも、悪役は、それをしようとするから、嫌われます。
犯罪も、基本的に同じ事で、それが相手の許容範囲を超えるから、犯罪になります。

ところで、宗教団体の布教活動とは、まさに、自分の意思を相手に押しつける活動といって良いでしょう。
活発に布教活動を行う宗教団体とは、悪そのものでは無いでしょうか。

他人を折伏しようとしている宗教者は、自分が悪だという自覚が本当に無いのでしょうか?
例えば、水戸黄門を見ると、悪代官を憎たらしく感じますが、それは、悪代官が自分の意思を相手に無理矢理押しつけようとするからです。
布教活動をしている人でも、水戸黄門を見ると悪代官を憎むと思います。(たぶん)
それなのに、自分が本質的に悪代官と同じ事をしているという事に、どうして気付けないのでしょうか。

それが不思議でなりません。

無理に勢力拡大を図る宗教団体を、悪の団体として、法律で取り締まるように出来ないのでしょうか。
信教の自由といいますが、そんな宗教団体は逆に、他人の信教の自由を著しく損ねているとしか思えません。

布教活動をする宗教団体とは、悪そのものではないですか?

ショッカーは、世界征服を企む悪の秘密結社である。
オウムは、マジで日本征服を企んだため、悪の烙印を押された。
ほかにも日本征服を企む宗教団体がいくつかあるようですね。

A 回答 (30件中1~10件)

『布教活動をする宗教団体とは、悪そのものではないですか?』というご質問ですが、必ずしもそうではない と思います。

その宗教を正しいと確信し、人のためになると考えた人は他者のために布教すると思います。布教活動のなかでは 大なり小なり迷惑を他者にかけているわけですから そこでは議論なり喧嘩なり 緊張関係が生じると思います。ですから そのような接触を好まない人のため 布教ルール(法律など)は必要と思います。が

大きな問題は布教活動よりも その宗教団体がどのような目的でどのような活動をしその活動をどのように修正しているか を何時でもどこででも誰でも理解でき、容易に観ることが出来るかということです。その上でその宗教が信じ得るかどうか判断したらいいかとおもうのです。

日本の多くの宗教法人の場合、宗教活動収入に対する納税が免除されており その金の動き 活動内容が開示されていません。そのような法人の教えを信じろといっても相当無理があるとおもいます。

また、特に排他的宗教団体の中心部分は狂信的であり よくよく監視出来るシステムになっていないとオームのような殺人集団になるということでしょう。

要は わけがわからん団体の布教活動は×ですが 理解できる団体の布教活動はルールは必要ですが OKではないかと思うのです。もちろんその教えを信じるかどうかは よくよく考えた上で決断するべきですが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほどです。
おっしゃるとおりだと思います。

上場企業では、財務状態を偽ると犯罪になります。
宗教団体を無税とするからには、収入と支出の明細を明らかにするべきですね。
そして、その内容を偽ったら犯罪として罰せられると良いと思います。
あるいは、ごく少ない%の税金とするか。
そうすれば、虚偽の申告をすれば、脱税となりますので。

しかし、公明党が大きな顔をしている限り、そんな法律はできっこないでしょう。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/31 12:43

・悪というかよろしくないという自覚はあるか


人様によれば無い
これは時間構わずの訪問や伺いを立てずの訪問や物事の強要、納得や理解いかぬ事柄への自画自賛等、様々あろうかと、数年前知人から宗教団体に在席なさる方への不満を聞き思いました。

・悪そのものか
在り方が変わり間違った欲望が加われば悪に成りえると思いました。

安易さや行き過ぎた事柄や良かれとの判断が勘違いや間違った判断の元である場合もかと思えます。

宗教団体に限らず心理手法を活用する様になると良い印象やものも悪くなる場合もあるとも思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

おっしゃるとおりだと思います。

間違った欲望とは、劣等感から来ているのでは無いでしょうか。
教祖の場合、お金や権力によって、自分が素晴らしい人間だと感じたい。
信者の場合、自分は神の使徒に選ばれた、特別な存在だ。
他人を折伏することで、他人から認められたい。
こうした心の弱さを、おかしな信仰に固執することよって満足させようとするので、ますます泥沼に陥ります。

ありのままの自分を受け入れることさえできれば、そのような欲望が消滅し、自分が救われるはずです。
ある種の宗教団体は、逆にその欲望をあおり、団体内部の権力争い、信者獲得競争、他団体との闘争に明け暮れています。

そのために活発に布教活動をする宗教団体は、悪そのものでは無いかと思います。
自分の欲望を満足させるための団体だからです。
教祖の劣等感による動機が、一番の元凶では無いでしょうか。
欲望の強い人は、自分も教祖と同じような欲望を持っているため、その教祖の邪な動機に鈍感になっているのだと思います。
それ故に、教祖の欲望に賛同し、教祖と自分を素晴らしい人間だと錯覚しているのです。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/23 20:34

真如苑というカルト団体に関わっていました。



信者はマインドコントロールされ、その宗教から離れると不幸になると信じています。

真如苑は接心修行と呼ばれる修行で偽霊能者がコールドリーディング、ホットリーディングを用いた霊言をだし、信者をマインドコントールしています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/コールド・リーディング
http://ja.wikipedia.org/wiki/ホット・リーディング

もし、真如苑の信者から勧誘された場合、真如苑に入信して間もない方は、マインドコントロールされる前にこの宗教の危険性を知ってもらいたいです。

http://space.geocities.jp/mindmanipulate/shinnyo …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

サイトを覗いてみました。
下記が面白かったですね。

「お笑い手かざし道場」

信者:「○○は凄いんだぜ。奇跡が続出!」
「この間、事故に遭ったけど、車だけ破損して俺は無傷だった。乗る前に車を手かざししておいたんだ。
それだけじゃないぜ。職場で足を火傷したんだが手かざししたら治っちまったぜ。あっと言う間だったぜ。」
友人:「ふうん」
信者:「そうそう、こないだ、空き巣に入られちまった。でも金庫は無事さ。
金庫の周りはいつもお浄めしてたんだ。 警察も不思議がってたよ。 まだあるぜ、
親父が突然入院したんだけど、毎日お浄めしてやったら早く退院して今は元気さ。医者も驚いてたぜ。凄いだろ!!」
友人:「お前、○○やるようになってから、やたら災難に遭うようになったな」

お礼日時:2012/12/03 19:39

自由と、その限界ということ(限界を越えたら、ペナルティー)で。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
おっしゃるとおりだと思います。
その限界と、ペナルティーを法律できちんと決めるべきですね。
おかしな壺なんかの霊感商法なら、欺された方もすぐに欺されたと気付くので、法に訴えて解決しようとしますが、宗教団体の場合は、欺されたはずの人間が、欺されたと感じていないので、被害が拡大再生産されます。
その線引きはどうするべきでしょうかね。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/23 15:30

 No.4&11です。




 息抜きにどうぞ。


 エワという女が 光も曲がることに気づいたとか。わが心にちょっと逆らってみようかと思ったとか。
 その前には 自分の感じや思いをそのまま表わしていたかも。夫のアダムに逆らう場合にも わが思いをそのまま表出していたから 言ってみればまだまっすぐであった。


 
 言いかえると 言葉は わが心・わが思いをそのまま表わすとは限らない。もっと早くいえば ひとはウソをつくことができる。そういう意味でも 表現は自由なのだ。

 このことを やがてエワだけではなくアダムも知ったし そういう振る舞いにそれぞれ自由に及ぶこととなった。



 ひとは 言語による表現をもって意思疎通を図る。その必要が現われたとも言い得る。
 その言葉の海を航くとき 大きなウソ・イツワリという嵐に遭い 難破することも生じ得る。

 こうなると 自由あるいは自由意志を擁護したい向きは たとえば《欺かれるなら われ有り》という《哲学》を生む。――世界を知り 世界を変えることをも考える行為である。――《あやまつなら われ有り》と堂々と宣言する。

 あやまちに気づいたなら われに還る。そこには 生まれつきそなわった自由意志とその自由がある。したがって 表現の自由は そこに同時に 表現した内容についての答責性を帯びることになった。

 このとき もし哲学をもう一歩伸ばすなら――超哲学ないし超経験思考として――この自由を 仏性とも神の霊とも言った。これは 非思考として《信仰》と呼ばれる。



 この個人の信仰を いわゆる観想・瞑想において それは思考に非ずであるにもかかわらず 人間の言葉で思考の次元に置きかえて言い表わすことが起こる。

   神の霊の宿ると言われるわが身とわが心において その自由に従って
  いるならば――つまりは へそを曲げウソをつくのではあるが これをあ
  やまちとして気づくときその自由に留まるならば―― ひとは ひとを殺
  すこともなければ むさぼることも裏切ることもなかろう。

 といった命題を得る。
 この命題を どう思ったか 格言として受けとめ規範化しようとする。――

 《殺すなかれ・むさぼるなかれ・姦淫するなかれ》という戒律としてまた道徳として 神の霊に代えて崇拝するやからが現われる。

 つまりそのときこれを神のおきて(法)として 説き始めたのが 《宗教》である。



 一般に 集団をつくりその集団の振る舞いにかんする規則をもこしらえ この規範道徳と組織運営上の規則という物指しで人間の自由を捌(さば)こうと言うのだ。
 やがてこれが権威とさらに権力を持つようになると――つまり それにあざむかれて従うわれら阿呆な人間がいるということだ(欺かれるなら われ有り)―― 人間が人間を勝手に裁くというあやまちを繰り広げるようになる。
 宗教は 個人の信仰〔の自由〕の自殺行為である。




 《科学》は哲学をさらに詳しく問い求めたものである。

 それでも哲学と分けるのは たとえば人間の社会について・そして中でも殊に経済活動については 或る種の仕方でその活動領域として分立しうると考えられるからである。
 利害関係をどのように――個別的にも総体としても――捉えるかによって 見方が分かれ得るからだと考えられる。哲学は 社会科学となる。

 あるいは 誰れの思考や行為であるかにはかかわらず ひとしく認識しうるモノ・コトの世界がそれとしてあるとなれば この世界をやはり分立させそれに対しては 自然科学という領域を 設定している。



 果てさて 《芸術》は これらの定義や分野の設定などなどをすべて取り払ってまったく自由に表現の自由を追求する人間の自己表出および自己表現なる行為である。

 ゆえに手段は 言葉に限らない。哲学に通じる人間の真実――あるいは 稀には科学の問い求める経験的な世界の真実――がそこに描かれていると人が感じ得るなら よいものだと言われる。

 ということは われわれおのおのの日常生活における一挙手一投足が 芸術行為であると考えられようか。果たして いかに?

     *


 もんだいは 宗教者も そもそも人間として生きているということであり また同じく宗教関係者も 科学者でありえており 哲学をも非宗教者と同じようにおこなっているということにあるようです。


 何がどうあれいかに悪事をはたらいていようが 人間は人間であり みなひとしく同じ存在であるという原点から出発しなければならないと思われることが ひとつです。
 言いかえると その行為が罪と見なされ
 ★ 悪の烙印を押された
 ☆ 場合にも その人なる存在については 互いに――掛け替えのない存在であるからには――愛さねばならない。


 その上で 哲学は容赦なくマチガイを指摘し批判していくものと考えます。
 ひとつの問題点は 議論が 芸術という広い分野に逃れて行く場合に起こると思います。
 約束事から逸れてそれこそ自由だと言わんばかりに文学的表現でお茶を濁す場合。
 となると それこそ茶の木畠に入ってしまって 批判を受けてもお茶の子さいさいと逃げ回ることが出来てしまう。


 言えることは 個人の信仰から逸脱して倫理規範をかかげその規範にもとづき人びとへの働きかけを対話交通の基本とするような組織宗教 これは――組織のヒエラルキアなる権限関係に従わざるを得ないとき そしてその慣わしをほかの人びとにも思わず押しつけるようにして実行するとき―― 信教・良心の自由をつねに侵すおそれのある状態を作り出しており つねにその組織人じしんの信仰が自殺行為を犯しているといううたがいが持たれる。でしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

面白かったです。
こんな文章を書ける人を尊敬します。
私には書けません。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/08 02:28

あなたのおっしゃるとおりです。

あの連中が自分たちの悪行為を認める(気付く)事は無理でしょう~ね。宗教ではなく、宗教の看板を掲げた悪徳会社(集団組織)です。ですのでそんな事に気をせず無視しましょう。バカに塗る薬はない。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうですね。
疲れました。

しかし、乗りかかった船ですので。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/06 17:16

>>しかし、宗教に取り込まれると、思い込みに阻害されて、論理回路が働かなくなるのが問題なのです。



それは、宗教に取り込まれてない方にも、起こりうることですよ。宗教に取り込まれていない方、左翼の方は、「死後の世界は無い」「霊は存在しない」という教えの「唯物論教」を信仰されています。その信仰は、「自分の命至上主義」となり、「正義のため」「自由のため」「祖国のため」とか、「未来を担う子供たちのため」に命懸がけで戦うということを「論理的に否定します」。自分の肉体が消えてしまえば、全て終わりであるなら、その肉体生命を維持するためなら、どんな卑怯なことでもしでかすでしょう。

唯物論者は、論理的にみて、「自分たちが命がけで戦わねば、国が侵略される。もしその戦いにより、自国の独立が守れるとしても、そこで自分が死んでしまえば、戦いには全くの意味がない。」という結論となり、いざという時は「どこかの国に亡命します、国外に逃げます!」となるはずです。
そして、「戦わず(中国や北朝鮮等に)侵略されれば、そこで生きている多数の国民の生命・財産やいろんな自由が失われる可能性が高い」ということが論理的に導かれますが、そういうことを判断する論理回路が働かなくなります。
あるいは、「原発即時ゼロ」なんて左翼や中国のスパイに踊らされて活動している人たちがいます。原発ゼロにしたとき、日本の産業界がどうなるか、電気の安定供給や電気代がどうなるかを論理的に考えているでしょうか?「自分の肉体生命が大切」ってことで、危険性のある原発をゼロにしたいという考えはわかるのですが、その原発ゼロという判断が、直近でどんな影響を与えるか論理的に考えられなくなっています。

まあ、論理回路が最も重視される数学の世界を考えてみてください。学生時代に授業や試験でいろんな証明問題を論理的に解かれたはずです。そこでは、いろんな「定理」に基づいて論理展開しますが、その定理の前提には、「公理」があり、それは、論理で導かれたものではありません。「この世界はこういうふうにできているのだ!」という宣言からはじまります。
「平行線は交わらない」という公理からは、ユークリッド幾何学の世界が生まれ、「平行線は交わる」という公理からは、非ユークリッド幾何学の世界が生まれます。
公理は証明不用・不能のルールであり、どの公理を採用するかで、世界は変わります。それはどの宗教を信じるかと同じ構造です。

宗教を肯定、あるいは否定しても、私たちは、論理回路を働かせるとき、証明不能の公理をベースにします。そして宗教を論理で否定する方も、その論理のベースには公理が存在しており、それを意識したかしないかにかかわらず、その公理がその方の宗教になっているのです。

>>あなたの挙げた例は、財産についてでしょう。
>>財産を持ち出すのは、論理のすり替えです。

ちょっと説明不足でしたね。単なる能力の問題なら確かに論理のすり替えでした。
あれは、霊界の階層世界での出世というかランクアップの話です。
いくつもの転生の過程で、例えば、それまで、99回の転生で素晴らしい成績を収めて人生を終えたとしても、100回目の人生で、それまでに獲得したすばらしい能力により、世界征服の直前までゆき、その過程で多数の人々を殺害、苦しめて甚大な被害を与えたとき、その99回はチャラになり、さらにマイナス評価になるかもしれないってことです。
つまり、99回の人生の成功は、財産的であり、1回の大失敗は、その99回を無効にするってことです。もちろん、それまでに獲得した能力が奪われることはありませんが・・・。
ちなみに、この世的な「能力」とか「努力」っていう面では、もしかすると地獄の世界の住人たちのほうが上というケースが多いかもしれません・・・。

出世というか向上に無頓着であれば、それまでの実績なんて無視してもいいかもしれません。

>>自力でなければ、成長は望めないからです。

そうです。他力本願、たとえば念仏だけ唱えればいいっていう宗教からは、念仏地獄というものが生まれています。自力と他力は車の両輪です。

>>宗教団体の問題は、教祖様の金銭欲、権力欲、自己顕示欲にあります。

それは、質問者さんが思い込んでいるだけのことです。もちろん、凡人には他人の心が読めませんから、それはしかたのないことです。赤いサングラスを通して見れば、白いものも赤く見えるのは仕方ないですが、なかなか、本人は、赤いサングラスをかけているという自覚は無いものです。

>>それが脅迫だと言うのです。

真実は真実です。真実を告げられて、それを親切な忠告ととるか、脅迫ととるか、無意味な戯れ言ととるかは、本人しだいでしょう。

>>あなたの教祖様が本当に仏陀の生まれ変わりなら、東南アジアのお坊さんたちが2500年も守ってきた戒律に対して、どう責任を取るのでしょうか?

大川総裁は、タイでの海外錫杖を予定されていましたが、あの洪水のために中止となりました。もし実現していたらタイのお坊さんの考えも変わったのに残念でした。
その代わりにスリランカの錫杖を行い、英語での説法をされています。スリランカは小乗仏教の国です。そこでは「涅槃に入った仏陀はもはや地上に生まれ変わらない」との教えがあるわけで「再誕の仏陀」なんてありえないのです。「再誕の仏陀を信じないなら、説法には来ないでください」と僧侶たちに事前に知らせていたのですが、彼らはやってきてました。
そして、その法話は、数時間後、テレビ3局でノーカット放映されたのです。

2500年前の仏陀の教えが、現代にそのまま通用するはずがありません。根本の部分は通用しても、現実のさまざまな問題には対処できません。宗教にも耐用年数があるのです。
そして、幸福の科学の教祖である大川総裁は、その2500年前の教えを変更する権威があるのです。映画「神秘の法」で述べているように「地球神」なんです。
その映画をご覧になった方は判ると思いますが、幸福の科学は、仏教、日本神道だけでなく、キリスト教、イスラム教の教えも変更・統合することを目指しています。
(総裁はイスラム教、あるいはキリスト教からの暗殺指令が出ることも折り込み済みです。)

ちなみに仏教には「殺生禁止」の教えがあります。でも、幸福実現党は、憲法改正し、きちっとした国軍の創設、尖閣や竹島問題への断固とした対処を訴えています。たぶん今後は、核武装や空母、原潜などの保有の話も出るでしょう。(ここまで言わないなら実現党のメンバーに日和見が入ったということです。)
これらの主張の延長には、当然ながら「場合によっては、自衛のために敵兵士たちを殺す」という結論が導かれます。
大川総裁は、以前の説法にて釈迦族の滅亡を思い出されたのか、涙ながらに「教えを変更します。自衛の為の殺生は認めます」というような説法をされたことがあります。(記憶があいまいで言葉は正確ではないと思いますが・・)

全ての根源にあるお方であり、地球の全責任者の方が、何かに対して責任を取るということはないでしょう。
かりに失敗となり、どうしようもない状態になったなら、地球文明を終了し、違う星でまた新たに文明実験を始めるだけでしょう。

この回答への補足

何度もご回答頂き、ありがとうございます。

>それは、宗教に取り込まれてない方にも、起こりうることですよ。

おっしゃるとおりです。
宗教のみならず、共産主義、科学万能主義、唯物主義、などのイデオロギーに取り込まれると、その思い込みにより、論理回路が阻害されます。

大前提:宗教の信者は、思い込みにより、論理回路が阻害されやすい。
少前提:幸福の科学は宗教である。
結論: 幸福の科学の信者は、思い込みにより、論理回路が阻害されやすい。

長い話で論点をぼかそうとし、また、数学の公理まで持ち出されましたが、全て、論理のすり替えです。
あなたの話では、大前提は否定されません。

尚、私は全ての宗教を否定しているわけではありません。
積極的に信者を増やそうとしている宗教を否定しているのです。
押しつけはやめましょうと言っているのです。


>あれは、霊界の階層世界での出世というかランクアップの話です。

私は「能力」と書きましたが、「経験」または「人格」の誤りでした。
失礼しました。

輪廻転生は、経験を通して、魂の人格向上を図るのが目的です。

どの階層に居るかなどは関係ありません。
霊界に階層世界がある、というのがそもそも変です。
幸福の科学は、身分制度を認めていると言うことでしょうか?
身分制度は人間が勝手に作り出した物です。
上の身分に居ると、気分がいい。
それは、自己顕示欲を満足させます。
そして、お釈迦様がおっしゃったように、欲は全ての苦しみの元です。
幸福の科学は、霊界に、欲望の元である階層世界をでっち上げ、信者に自分が上の階層の身分であるとの自己顕示欲を植え付けているのでは無いですか?

「出世やランクアップ」と、「人格向上」という言葉の違いを考えましょう。
出世やランクアップは、相対的な物であり、他人に認められるかどうかと言うことです。それに対して、人格向上は、絶対的な物で自己完結しています。

自分と他人を比べるのは、苦しみの元です。


>>宗教団体の問題は、教祖様の金銭欲、権力欲、自己顕示欲にあります。
>それは、質問者さんが思い込んでいるだけのことです。

大前提:
お金を集める人には、金銭欲があります。
人を自分の下に集めたり、政界に進出しようとする人には、権力欲があります。
出世しようとする人には、自己顕示欲があります。

少前提:
幸福の科学の教祖様は、お金を集めています。
幸福の科学の教祖様は、人を自分の下に集め、政界に進出しようとしています。
幸福の科学の教祖様は、霊界に階層を設け、自分を地球霊界の最上位であると認めさせようとしています。

結論:
幸福の科学の教祖様には、金銭欲、権力欲、自己顕示欲があります。

この大前提は、私の思い込みでしょうか?
尚、この問題は、幸福の科学のみならず、積極的に勧誘活動を行う宗教団体の教祖様、全てに当てはまります。


>地球の全責任者の方が、何かに対して責任を取るということはないでしょう。

全責任者とは、全てに責任を取る人の事だと思うのですが?
責任を取らないのは、言葉通り、無責任と言うことです。

また、全てを統治し、かつ、責任を取らない人を、「独裁者」と呼びます。
あなたの教祖様は、ヒトラーの生まれ変わりでは無いですか?

あなたの教祖様は、奥さんと離婚の裁判状態にあるようですね。
愛で全てを包み込めれば、そんなことにはならないはずです。
言葉でどんな立派な事を言っても、実践が伴わなければ、信頼されるに値しません。

また、「太陽の法」では、自分がいかに勉強ができたか、優秀な成績だったかと言うことを、これでもかと言うくらい、説明しています。
自慢話をすると言うのは、劣等感の裏返しです。
自分に自信があれば、わざわざそんなことを言う必要は無いのです。
自分の本に書いたことを本当に実践していれば、そんなことは完全に克服しているはずです。
また、有史以前から地球の全責任者たるお方が、東大時代の成績にこだわる物でしょうか?
しかも、改訂される前の同書では、自分の成績のふがいなさを嘆いています。
改訂版では、嘘を書いたのでしょうか?


下記は、わたしが気に入っている言葉です。
「教師になるのは簡単である。弟子として実践する事の方が、よっぽど難しい。」

ありがとうございました。

補足日時:2012/11/05 12:33
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

あなたの回答は、「一応」つじつまが合っていると思います。
仕事も忙しく、少々疲れてきましたので、今日は頭が働きません。
日を改めて、あなたの回答について考えてみたいと思います。
また、当初の質問の意図から外れてきましたので、少し頭を冷やしたいと思います。

尚、あなたとのやりとりで、ますます宗教団体の危険性を認識し直しました。
宗教そのものが悪であると、No.8の方よりご回答頂きましたが、その考えに傾きかけています。

また、No.15の方のお礼にも書きましたが、タイのお坊さんには、相手のことが丸わかりの人がいますので、私の気が向いたら、その人にあなたの教祖様の事を確認してみます。

しかし、そうまでしなくても下記の事実で十分かも知れません。

このような神通力を持つ人々は、世界中の重大事件を、マスコミ無しで居ながらにして認識しています。
もし、本当に仏陀が再誕していたなら、彼らが既に気付いているはずです。
そして、その情報はとっくの昔に、私の耳にも入っているはずです。

何故なら、私の義父が、そのお坊さんのうちの一人だからです。

それが無いと言うことは、あなたの教祖様は、偽物に間違いありません。

私は、地獄など無いと思いますが、もし地獄があるなら、そこへ行くのは、詐欺でお金を集める集団に決まっています。
お気を付けて。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/04 03:49

>>このように、他人を脅迫するのが、幸福の科学の常套手段なのですね?


あなたの物言いを読んだだけで、幸福の科学が、大嘘と分かります。

え、それが脅迫と感じるのですか?大嘘つきを教祖にもつ宗教団体の言うことなんて思うなら、それも嘘だとして無視すればいいだけだと思いますよ。
また、すばらしい能力ですね。物言いだけで大嘘って判定できるのですか、ならよけいに無視すればいいだけですよね。

>>数千年の人生の判断がどうして今生だけで決まるのですか?

今まで生きてきた人生をふりかえって、「あのとき、ああ判断していれば、私の人生は今よりも違ったのでは?」ってことありませんか?
「あのとき、連帯保証人を引き受けなければ・・・」「あの日、家を出る前にちゃんと火の元の確認していれば・・・」なんてのいうようなものです。
それまでに努力して積み上げてきたものが一瞬で崩れて、またゼロからやりなおしになることがあるってことです。

>>あなたのような考えこそ、他力本願です。

別に他力本願があってもいいと思いますよ。他力と自力を両方使うのが効率的です。

>>あなたはこの言葉を吐きながら、もう一方で、心の片隅で恐怖を感じていませんか?

感じていません。

>>あるいは、信じない人々に哀れみを感じていませんか?

別に感じていません。そう感じたほうがいいんでしょうけど・・・。まだ修行が足りないんです。

>>そして、いつもそんな考え方をしていると、あなたは、幸福の科学を批判しようとした際に、恐怖に駆られるはずです。

いえ、平静です。

>>私は単に、「隠し事をする人は、嘘つきである」という事実から判断したのです。

私は、隠し事はしていません。ただ、大川総裁は、沢山の隠し事があると思っています。
神智学においても、準備ができていない人に教えてはいけないってことを言いますが、それと同様でしょう。
子供に、性のことを全て教えないようなものです。知らせないほうがいいことってあるもんです。

>>ある一種のテクニックに優れているからと言って、必ずしも立派な人格とは限らないのです。

論理的にはそうです。そして、同様に「立派な人である」ということを否定することもできません。

>>死後に反省のあまり、自分が自分の心を責めさいなんでしまう状態を、地獄と表現したに過ぎません。
>>地獄など、何も恐れる必要は無いのです。

「自分が自分の心を責めさいなんでしまう状態」だけとは思いませんが、そうだとして、そんな心の状態になってしまうことでいいのですか?
肉体の苦しみなら、死んで肉体から解放されれば無くなります。でも、霊になってしまえば、その苦しみは数十倍に増幅されるといいますし、感覚麻痺もしません。
そういう苦しみがいつ終わるともなく続くことを恐れないなら、それを選ぶことも個人の自由でしょう。

>>ちょっと「太陽の法」を読み返してみたのですが、正しいことも言っていますがそれは他から借りてきた、単なる受け売りで、本質はやはり偽物のようです。

「他から借りてきた」と判断されていますが、その「他」というものの起源を創られたのがエル・カンターレであるわけです。
まあ、超古代よりも古い時代になる話なわけで物的証拠なんてないから、信じるかどうかだけですけどね。
だから「科学」でなく「信仰」なんですが。

この回答への補足

思い出しました。

タイ仏教の戒律では、お坊さんは、結婚はおろか、女性に触れることも、オナニーさえも禁じられています。

お金を所有する事はもってのほか。
お金に直に、手を触れることさえもできません。
托鉢で食べ物をもらって生活していれば十分だからです。

なんちゃってお坊さんも多いですが、まじめなお坊さんはきちんと戒律を守っています。
私の妻はタイ人ですが、熱心な仏教徒です。
妻と一緒にあちこちのお寺に行きましたが、上記はタイでは常識です。

あなたの教祖様が本当に仏陀の生まれ変わりなら、東南アジアのお坊さんたちが2500年も守ってきた戒律に対して、どう責任を取るのでしょうか?
まさか、知らなかったでは済まされませんよ。
ご本人なんだから。

補足日時:2012/11/02 18:49
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>え、それが脅迫と感じるのですか?大嘘つきを教祖にもつ宗教団体の言うことなんて思うなら、それも嘘だとして無視すればいいだけだと思いますよ。
また、すばらしい能力ですね。物言いだけで大嘘って判定できるのですか、ならよけいに無視すればいいだけですよね。

脅迫を無視できなくて、あなたの様に宗教団体に取り込まれる被害者が居る、その実態を知りたいために、この質問を立てたのです。
また、このサイトの趣旨は、こうした質問が多くの人の役に立つ事を目的としています。
あなたのお陰で、大変勉強になりました。
尚、物言いだけで、論理を組み立てて事実に迫ることは、十分可能です。
あなたもご自分の宗教以外では、そうしているではありませんか。
しかし、宗教に取り込まれると、思い込みに阻害されて、論理回路が働かなくなるのが問題なのです。


>それまでに努力して積み上げてきたものが一瞬で崩れて、またゼロからやりなおしになることがあるってことです。

あなたの挙げた例は、財産についてでしょう。
財産がなくなっても、修行によって身につけた能力は、無くなりません。
輪廻転生は、魂の修行が目的のはずです。
財産を持ち出すのは、論理のすり替えです。


>別に他力本願があってもいいと思いますよ。他力と自力を両方使うのが効率的です。

他力本願こそが、宗教における、諸悪の根源です。
教祖様に頼ろうとするから、そこにつけ込まれるのです。
正しい師匠であれば、アドバイスだけに留め、相手を突き放すと思います。
自力でなければ、成長は望めないからです。


>私は、隠し事はしていません。ただ、大川総裁は、沢山の隠し事があると思っています。神智学においても、準備ができていない人に教えてはいけないってことを言いますが、それと同様でしょう。
子供に、性のことを全て教えないようなものです。知らせないほうがいいことってあるもんです。

教団の収支を伏せていることが、隠し事です。
私は、幸福の科学に対し、お金儲けが目的であると批判したつもりですが、論理をすり替えて、このことに対する返答を避けましたね。
宗教団体の問題は、教祖様の金銭欲、権力欲、自己顕示欲にあります。
お金のことを隠すのは、もっとお金が欲しいからです。
それが、現世における執着です。
欲を無くせば、苦しみが減ります。
お釈迦様がお金を欲しがりましたか?


>論理的にはそうです。そして、同様に「立派な人である」ということを否定することもできません。

信者から、お金をたくさん集めて、その収支を隠している人が、誠実な人とは思えません。


>そういう苦しみがいつ終わるともなく続くことを恐れないなら、それを選ぶことも個人の自由でしょう。

それが脅迫だと言うのです。
自分がいつもそうやって教団から脅迫されているので、他人に対しても同じ手法を取るのが、習慣になっているようですね。
そうやって脅しておいて、相手が恐怖に駆られたところで、自分の宗教に引きずり込むのが、カルトの常套手段です。
あなたの様に理知的な方に、なぜ、それが分からないのですか?
その理由は、それが信仰だからでしょう。
信仰が絡むと、とたんにあなたの判断力が低下しているのがありありと覗えます。


ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/02 12:38

>>人間であれば、つい小さな嘘をついてしまうことはある程度仕方ありませんが、あなたの教祖様は、とても大きな嘘をつき続けているようですね。



質問者さんは、ネットでそれらの情報を仕入れられたようですが、私も2chとか、それ以外のサイトで、その手の情報を見ています。でも、その情報が正しいとどうして言えるのですか?それが嘘って可能性もあるでしょう?
最近では、新聞やTVで大誤報が流されるという事件がいくつもありました。
また、新潮や現代などの週刊誌では、ネタの裏とりをすることなく、「この人の大川氏を批判する内容っておかしいなあ、でも週刊誌が売れればいいや」的に、記事に何度もしています。
そういうような捏造記事っていえば、世界が騙された湾岸戦争でのオイルにまみれた水鳥の捏造写真とかありましたが、そんな類のもんでしょう。

まあ、現実問題として、私たちはネットやマスコミなど、伝聞で得られる情報でしか真偽の判断をすることはできません。
相反する2つの情報があるとき、イロイロと情報を仕入れて判断するわけですが、それでも判断ができないとき、もう自分の直感で判断するしかありません。

それはもう「賭け」です。そして、大川総裁の書籍に書かれた霊界や宇宙のことを、真実とみるか、それとも大嘘とみるか、それは、自分の死後の行き先、来世以降の転生輪廻、数千年の人生を賭けた大バクチです。大川総裁に張るか、それとも、ネットや週刊誌で流れている「大川大嘘つき説」に張るか、それはもう自己責任でもって、自分で決めるしかありません。
質問者さんが、「大きな嘘をつき続けている」と判断されるのであれば、私はこれ以上言うことはありません。その判断がもたらす結果は自分自身で引き受ければいいことですからね。

ちなみに、総裁が横浜アリーナで説法されたとき、ベガ、プレアデス、ウンモなど形の違った(形の変化する)多数のUFOが上空に現れましたし、私の妻は、総裁の霊的パワーを東京ドームの講演時に強烈に体験しています。そういうことも判断材料として、どっちが正しいか?どちらが嘘つきか?を判断しています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>その判断がもたらす結果は自分自身で引き受ければいいことですからね。

やはり思ったとおりです。

このように、他人を脅迫するのが、幸福の科学の常套手段なのですね?
あなたの物言いを読んだだけで、幸福の科学が、大嘘と分かります。
数千年の人生の判断がどうして今生だけで決まるのですか?
理不尽にも程があります。
あなたの教祖様を信じることだけが正しい道で、私の地道な努力が全くの無駄だとおっしゃりたいのですね?
あなたのような考えこそ、他力本願です。
あなたはこの言葉を吐きながら、もう一方で、心の片隅で恐怖を感じていませんか?
あるいは、信じない人々に哀れみを感じていませんか?

そして、いつもそんな考え方をしていると、あなたは、幸福の科学を批判しようとした際に、恐怖に駆られるはずです。
そのように心の深いところまで教え込まれているので、そこから逃れられないのです。
それこそ、カルトそのものです。

私は単に、「隠し事をする人は、嘘つきである」という事実から判断したのです。
ネットの情報は、きっかけに過ぎません。
私は、普段の生活でも、仕事上でも、極力嘘をつかない様に心がけています。
自分を客観的に観察すると、嘘をつくのは、自分を守ろうとする時であることに気付きます。
自分を守りたいと思う気持ちを捨てて、勇気を持って、本当の事を言うのです。
そう心がけていると、実は自分を守ろうとする必要など、全く無いという事実に行き当たります。
自分を守る必要が全く無いという境地は、非常に気楽な状態です。
そして、他人が嘘をついた時に、それがすぐに分かるようになるのです。


それから、霊的パワーに依存するのは、非常に危険です。
タイの仏教の教えと、もうひとつ、私の信じる著者の方の本によると、霊的パワーを追究する人は、悟りの道筋から外れてしまい、最終的な悟りに到達する事は絶対にできません。
霊的パワーとは、単なるテクニックの一種に過ぎません。
心の状態、悟りのレベルと、霊的パワーは、比例する物では無いのです。
ある一種のテクニックに優れているからと言って、必ずしも立派な人格とは限らないのです。

最後に一つだけ。
地獄という特定の場所は存在しません。
死後に反省のあまり、自分が自分の心を責めさいなんでしまう状態を、地獄と表現したに過ぎません。
地獄など、何も恐れる必要は無いのです。

ちょっと「太陽の法」を読み返してみたのですが、正しいことも言っていますがそれは他から借りてきた、単なる受け売りで、本質はやはり偽物のようです。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/02 00:34

>>しかしながら、高額のお布施を集めているらしいという情報もネットに上がっています。



そのとおりで、一般の方からすれば相当高額なお布施をしている信者さんは沢山います。
元々、信者さんの資産レベルが中から上の中クラスの方が多いようですので、わりと余裕があるんでしょうね。
また、企業からのお布施も多いみたいです。急成長企業としてTVの注目企業の紹介番組に出るようなところでは、たぶん数億単位でのお布施を出していると思えます。(そういう企業は、目指せ”兆円”単位のお布施?)
でも、強制は一切ありません。出せる方が出せる分だけ出しています。まあ、一千万をポンと出せるような方たちが割といるようです。

個人的には、祈願で死にそうな方が完全に回復したり、ガン組織があっという間に消えたり、ご本尊のある家庭だけが、あの3.11の時の津波が避けていき、周囲は全滅しているのに、そのお宅だけが全く無傷で残っていたり、社長が信者さんの企業が大発展しているのを見ると、「お布施は天の倉に徳を積むというが、現世ですでにかなりの実利的な見返りを得ているんじゃあない?」なんて思ったりします。

>>信者の方は、教団に関して、年間、平均いくらの出費をしているのでしょうか?
また教団は、収支報告書を公示しているのでしょうか?

そういう数字は出されていませんし、公表もしていません。神の懐を探るのは、やっぱり良くないんじゃあないでしょうか?ただ、災害復旧支援とか、海外の学校校舎建設などの名目で集めたお布施については、金額が公表されているようです。
ちなみに、幸福の科学出版から出ている、大川隆法著(霊言の場合、実際にはあの世の方が著者だと思うのですが・・・)の印税は、しばらく前から、すべて教団に渡されているようで、著者である大川氏は1円も受け取っていないそうです。
自分の著書の印税であるなら、そっくり自分のものとしても、信者さんはもちろん、一般の方であっても何も批判するところは無いと思いますが、それを全て教団運営に出して、「幸福の科学学園」や千葉の「幸福の科学大学」の建設資金とか、3.11で亡くなった人たちの鎮魂のための建物建設、海外の精舎、学校建設などの資金にまわされているようです。

また海外での布教活動は、例えばウガンダなどは貧しい国です。経典なんて買えるお金がありませんし、お布施もなかなか・・・。なので経典代を始めとして、ウガンダ支部精舎建設資金も全て持ち出しです。以前、幸福の科学の職員さんたちは採算重視だったようで「海外布教は、赤字になるからやめたほうがいいのでは?」という意見も言ったみたいですが、「地の果てまで伝道せよ!」という教祖の意気込みで海外伝道が赤字覚悟でスタートしたものです。(なお日本では、教祖である大川総裁の説法は、TVの生中継が入りませんが、海外では国営放送や民放がTVの生中継を行っています。)

>>No.13の方の回答にありましたが、健全な団体であれば、年間の収支を明確に公示しても、何ら差し支えないと思います。

人間って嫉妬深いんですよ。お金があると思えば、絶対に嫉妬して、叩き落とそうとします。ライブドアのホリエモンも、通常は処罰されないレベルの行為であったけど、国民の嫉妬のために逮捕投獄されたと思っています。なので、この世的にみて公示することはとても差し支えのあることだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なにやらあなたに丸め込まれてしまいそうになりましたが、「幸福の科学 カルト」で検索すると、たくさんの批判がヒットします。
被害者がたくさん居るようですね。

>人間って嫉妬深いんですよ。お金があると思えば、絶対に嫉妬して、叩き落とそうとします。
>なので、この世的にみて公示することはとても差し支えのあることだと思います。

こうした事の全ての基本は、「嘘をつかない事」に尽きます。
何かを隠したり、ごまかそうとしている限り、「嘘つき」であると言えます。
嘘つきの教祖様など、信用するに値しません。
人間であれば、つい小さな嘘をついてしまうことはある程度仕方ありませんが、あなたの教祖様は、とても大きな嘘をつき続けているようですね。

全部オープンにすれば良いのです。
叩き落とされるなら落とされてみればいいのです。
政治家が嘘つきなのは、仕方が無いと、みんな思っています。
しかし、宗教家が嘘つきなのは許されません。
政治家は、生活上の表面的な指導者です。
しかし、宗教家は、人間の心の根本的な部分の指導者です。
そんな人が嘘をついてどうするんですか?

人間だれしも、嘘をつくと苦しみが増えます。
苦しみを減らすための宗教ではないのですか?
その最も基本たる事が、「嘘をつかない事」です。
他ならぬ、お釈迦様がそう言っているのですよ。
あなたの教祖様は、再誕の仏陀と自称しているようですが、お釈迦様は輪廻から解脱されたため、二度とこの世に生まれないのです。

>善と悪をしっかりと見極める知恵や知識、勇気を努力して身につけて

この言葉をそのまま、あなたにお返しします。
繰り返しますが、「嘘つき」は、信用するに値しません。
「嘘つき」は、「臆病者」でもあります。
嘘は、自分を守るためにつくからです。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/01 17:09

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