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宗教に頼る人って自分の考えに自信がない人なのでしょうか?

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A 回答 (11件中1~10件)

いわゆる宗教を信じている人の回答はこの問題の参考になりますね。

ただ、犯人側が物証ないから手錠を外せの例えのくだりだけは、どっちが犯人で何の話か分かりにくくて残念ですが。
自信がないという表現でいくと科学でも同様でむしろ人文科学者あたりなどまるで自信がない人らの集まりにも思えます。
自分の考えが科学か宗教かになります。ところが日本人は感覚論になるのでどちらも大成しない民族なのです。
宗教的思考をしてもいいのですが納得の行くものではないのです。意味がない。それが霊だから自己陶酔です。一方の科学は論理的に感覚を排除します。ひいきをしない世界です。単純にそこの差が大きい。
したがって白を黒として欲しい人ら、それならば金を払う人らを陶酔させる総帥が宗教商人です。ケジメのない娯楽です。詐欺と言えば以上です。
ですから自分の考えに自信があるから詐欺にはまるとも言えるわけで要するに詐欺の顧客であり、キャバクラや国民年金を支持するサポーターと本質的には変わりありません。むしろその程度では満足できない貪欲さや強引さを手頃に体感しようという事です。
自分の考えに自信のない奴らは新興宗教信者ではなく国民年金支持者の方です。国民年金というその信仰で採算の合う自信があるのならば、強制年金にせずに任意でいいではないか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/21 10:42

他人で自分を図る愚かしさ

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/21 10:42

自信がないひとはあれこれ選択の幅が広いのです でも重要な一つの選択がへたなのでまよってしまいます 宗教はそのような自分に疲れたとき

にはまり込んでくるのでしょう そして単純に信じる快感を覚えてはまってゆきます その宗教の教えによって本人は幸福感を味わえるわけです
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/21 10:42

こんにちは。


人類の進歩の途中である現代も進歩の過程の未熟な段階に過ぎず、そうした中で外圧が集中してしまう人がどうしても出てしまうものです。人は人して限界のある生き物に過ぎませんから、そういう時には自分では対処しきれなくなってしまいます。それは仕方のないことであり、そういう人が宗教に頼ったとしてもそれは自分が弱いからだというのではないと私は思います。「誰でも人として限界がある」、その一つの表れ程度の話に過ぎません。ただ、宗教にもいろいろあるのでその辺は気をつける必要はありますね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/21 10:42

宗教は、人生の道しるべのようなもの。




生き方のヒントにすぎませんから、結果を宗教のせいにするならば、弱い人間です。


さらには、宗教まがいの思想集団の中に身を置くと安心する人間ならば、弱いと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/21 10:42

こんばんは。



「宗教を頼る人」は、自分の考えに自信が無い、とは言わないでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/21 10:42

>>宗教に頼る人って自分の考えに自信がない人なのでしょうか?



そういう方は沢山いらっしゃると思います。例えば、日本人の多くは、証明されてないけど「唯物論」という名の宗教を崇拝し頼っています。そして物質に頼ることで、死への不安を紛らして生きていると思えます。

とはいえ、キリスト教など、いまの主要な宗教は、2500年から2000年以上も前に生まれた”古くさい”というか現代社会にマッチしない教えとなっていますし、それ以上に政治的、つまりは統治の道具として、さまざまな教義が追加されたため、世界中で、多くの人々が信仰を失う状況となっているようです。その証拠にバチカンの金庫は年々、減少の一途をたどっています。現状では、予算規模が創価学会レベルまで落ちたのではないか?などという噂もあるくらいですからね。
そんな「宗教」に頼る人も、また自分の考えに自信のない人かもしれません。

私の場合は、過去におこった不思議なこと、また現代において私たちの周囲でも起こる不思議なこと、また広い宇宙の成り立ち、UFO飛来など、それらを科学的に、論理的に考えて合理的に説明しようとしたとき、この世を越えた異次元の世界があることを想定したほうが、論理的で合理的に説明しやすいと思っています。
そして、その場合は、数学でいえば、演繹法ではなく、帰納法となるように思っています。「こんな(たとえば霊界の存在の)仮定をすれば、すべてのできごとがうまく説明できる」っていうことですね。
当然ながら、現代科学では、いまだに異次元存在との通信装置は完成していませんし、異次元空間を飛行する、宇宙船のワープ航法も発明されていませんので、犯罪捜査でいえば、犯人側は、「私が犯人だという仮説を立てれば、矛盾なく犯罪状況を説明できるだろう。でも、何も物的証拠が無いじゃあないか、さあ手錠をはずせ!」っていわれるようなものですけど・・・。

そして、そういう考え方をするとき、「物的証拠は無いけど、異次元世界の存在を信じる。永遠の生命を信じる。」というのが私にとっての「信仰」であり「宗教」です。

私の妻のように霊感があって、死者たちの霊とほぼ自由に交信ができ、その霊の姿も見えるなら、物的証拠はなくとも、本人にとって、それはまぎれもない真実です。
でも、残念ながら、私には、霊感が無いため、真実とは言い切れず、ただ「信じる」というレベルでしかありません。たぶん、私が死んだとき、その信仰が真実かデタラメを信じていただけかが判明するでしょう。そして、死んで肉体が焼かれた後も、私に意識があり、幽体の心臓も目も耳もあることを確認し、「あの世」に「導きの霊」と行くとき、「私は賭けに勝った!あの世の存在は真実だった!大川隆法先生はやはり正しかった。」と思うのでしょうね。

そして、こういう「信仰」があるとき、「死」への恐怖は消えてゆく。肉体を失うことを恐れずに、中国と戦うことができる。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/21 10:42

こんにちは。



☆宗教に頼る人って自分の考えに自信がない人なのでしょうか?
◇「宗教に頼る」とはどんな意味ですか?
まず、ここから議論を始めないといけないのでは?

自分の思い通りにならず、
アルコール依存症のヒトのように、現実逃避の手段として、慰めを求める手段として、宗教に依存する、
という意味ですか?

であるならば、
過酷な現実に向かっていないので、
弱いヒトなのかもしれませんね。

このようなヒトにとって、
宗教はまさしく《バカの飲み薬》なのでしょう。

バカの飲み薬


「残念無念な脳みそに 終身無能な脳みそに
すこぶる効くらしい
ただ副作用は三倍返し バカの飲み薬~
間違い人生上の空 とっくの未来
ほれまだ治らぬと入り浸り またバカは飲んだ♪」
です。


ですが、
宗教的確信を持ったヒトや、宗教の中に真理を見出すヒトは、
自身のないヒトではないのでしょうね。
自身の信仰に強い自信もあれば、宗教の中で真理を見出そうと、極めて理性的、理知的な態度を示すのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/21 10:42

思うに、多くのみなさんが、宗教に自信をもって頼っているように見えます。


つまり、宗教は頼れるという自分の考えに自信をもって、宗教に頼っているのではないでしょうか。

宗教に頼っていない私が言うのもなんですが・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/21 10:42

そうですね。

宗教についてあまりに知らない戦後教育の私たちにとって、宗教はあまりに絵空事のように考えがちかもしれません。「宗教」の意味は、簡単にいえば「精神についての学問」
でしょう。人の生きる道です。
神様を信じるとか、信じないとか、そのようなものでは本来ありません。
人として、より高い境地に至り、人間の幸せを追求するための哲学、もしくは人文科学の範疇でしょう。
宗教=神にすがる という考えは、偏見にしか過ぎないと思います。
人間社会が相互依存によって成り立つ以上、人は何かに頼っている訳です。
それは、だれか尊敬する方の考えであり教えであるかもしれません。単に親の教育かもしれません。何れにせよ、人は個人の知識や考え方のみで生存するものではありませんから、仏陀の教えであろうと、キリストの教えであろうと、荘子であろうと、そのより高い精神性の教えに沿うこと、習うことが
俗にいう、"宗教に頼る"弱さであるならば、人はみな弱い生き物であるといえるでしょう。宗教の教えの中に、苦境に立たされた人が、もしも最後の希望を見出すならば、宗教の価値はその方の命に沿うものであり、本来の教育の真髄がそこにあることを証明するのではないでしょうか?如何なる学問も、人ために存在し、引いてはより良い共存と発展のために有るのですから。神というのは、永遠という概念です。この概念がなければ、冷え切った唯物的な儚い生の時間や現象があるばかりです。ただ、神が居るか居ないか?という古代から続く論争にはさして有意義なものはありません。物理的な法則があり、また、神とか、永遠という概念は、かっことして私たち人間に無くてはならないものだからです。
ただ、多くの宗教が抱える矛盾や理解し難い教義というものは、確かにあって進展の余地を残すものは少なくありませんね。ただこれは、他の学問とて同じこと。私たち人間の文明は多くの課題を処理しきれぬまま、やはり抱えきれないほどの矛盾と混沌の中に揉まれながら、見えぬ明日を生きているのですから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/21 10:42

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