最速怪談選手権

人間の世の中で嫌われるのは、自分の意思を相手に押しつけようとする人です。
小説やドラマ、漫画でも、悪役は、それをしようとするから、嫌われます。
犯罪も、基本的に同じ事で、それが相手の許容範囲を超えるから、犯罪になります。

ところで、宗教団体の布教活動とは、まさに、自分の意思を相手に押しつける活動といって良いでしょう。
活発に布教活動を行う宗教団体とは、悪そのものでは無いでしょうか。

他人を折伏しようとしている宗教者は、自分が悪だという自覚が本当に無いのでしょうか?
例えば、水戸黄門を見ると、悪代官を憎たらしく感じますが、それは、悪代官が自分の意思を相手に無理矢理押しつけようとするからです。
布教活動をしている人でも、水戸黄門を見ると悪代官を憎むと思います。(たぶん)
それなのに、自分が本質的に悪代官と同じ事をしているという事に、どうして気付けないのでしょうか。

それが不思議でなりません。

無理に勢力拡大を図る宗教団体を、悪の団体として、法律で取り締まるように出来ないのでしょうか。
信教の自由といいますが、そんな宗教団体は逆に、他人の信教の自由を著しく損ねているとしか思えません。

布教活動をする宗教団体とは、悪そのものではないですか?

ショッカーは、世界征服を企む悪の秘密結社である。
オウムは、マジで日本征服を企んだため、悪の烙印を押された。
ほかにも日本征服を企む宗教団体がいくつかあるようですね。

A 回答 (30件中11~20件)

>>しかし、それを超えた視点、例えば地球規模や宇宙規模で考えると、人間が人間を殺そうが自滅しようが、ホンの一瞬の出来事であり、人類の存在や、人類の行為を、善か悪か考える事自体、無意味なのかも知れないと思うのです。



えーと、そういう「創造主としての神」での視点をとるならば、質問者さんの言われるとおりで、神の1日は私たちにとっては千年とか1億年っていう単位だったりもするようですので、「善か悪かを考える事自体が無意味」っていうのは正しい面もあると思います。幸福の科学のアニメ映画「神秘の法」でも「悪は善となり、善は悪となる」という歌詞がありますが、そのとおりに思えるんですよ。

幸福の科学の教えでは「悪魔の存在」は認めていますが、その存在意義については、深淵なる秘密のような言い方がされたりします。
単純に悪魔が「悪の元締め、ラスボス」というなら、根本神(エル・カンターレ)の力で簡単にその「悪」を消去できると思えるんですよね。でも、それをしていませんし、ある問答でもなんとなくぼやかした「神の秘密」的な回答だったりしました。

とはいえ、「大人の世界は汚い、だから大人になるための勉強も努力もしないよ!」なんて子供の言い分が認められないようなものではないでしょうか?
やはり、遙かに悟りに遠い私たちからすれば、その段階に応じて、善と悪をしっかりと見極める知恵や知識、勇気を努力して身につけて、ベガやプレアデスなどの宇宙人のみなさんと、古代のように宇宙間の貿易ができる未来の地球を目指したいと思ったりするこのごろです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

面白い方ですね。

論理的に鋭い指摘をされるかと思えば、宇宙人との交易を大まじめで述べられる。
そのアンバランスさが面白いです。

宇宙人については、私も否定はしませんが、そのまま信じているわけでもありません。
ただ、この世には人知を超えた不思議なことが有ることを、身をもって体験したので、そうしたこともあり得るとは思います。

読みかけの「太陽の法」をもう一度ひもといてみる気になりました。

布教活動を悪と呼んだ割には、逆に自分が布教されて、本末転倒なんですがね。
あなたは押しつけがましくないので、好感が持てます。

私は48歳ですが、この年で、結構素直な性格なので、すぐに人に左右されます。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/01 16:04

>>ところであなたは、特定の宗教団体の信者でしょうか?


立場をはっきりさせて頂けると、話が明確になると思います。

これに答えるのを忘れていました。
私は、幸福の科学の信者であり、幸福実現党の党員です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうでしたか。

私も常にベストセラーに名前を連ねる幸福の科学関連の本に興味を持ち、以前「太陽の法」を読んだことがありますが、残念ながら、その内容について行けませんでした。

しかし、教団として、本による布教を主にしているのであれば、押しつけなどありませんので、理想的な方法だと思います。

詳しくは知りませんが、幸福の科学は、穏健な教団という印象がありました。

しかしながら、高額のお布施を集めているらしいという情報もネットに上がっています。
信者の方は、教団に関して、年間、平均いくらの出費をしているのでしょうか?
また教団は、収支報告書を公示しているのでしょうか?

No.13の方の回答にありましたが、健全な団体であれば、年間の収支を明確に公示しても、何ら差し支えないと思います。

それができないというのであれば、お金儲けが目的の教団であると、自ら告白しているも同然です。

差し支えなければ、教えて下さい。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/01 13:26

>>創価学会は、政権党の一部である公明党を通して、政治上の権力を行使しているのではないでしょうか?



それは、宗教団体に限らず、議員を出すときに、応援した個人・団体はどこも利益誘導を考えているんじゃないでしょうかね。
そして、その条文は、そういうレベルじゃあなく、「イスラム教に改宗すれば税金を免除とする」みたいな特権を意味しているのではないでしょうか?

>>また、公明党が政権党である限り、カルト教団に関する法整備が進まない可能性があります。

私はそのあたりは判りません。創価学会が国教を目指して「折伏大行進」をやっていたころのような過激さは、現在は無いと思っていますし。

また、オウム真理教の事件の場合、明らかに法律違反、犯罪行為だと思えることでも警察はきちんと捜査せず、見逃していたように思います。
それは、「オウムを捜査すると、仕返しが怖い!」といって弁護士も警察も恐れていたからだと思います。まあ、実際に坂本弁護士一家は、奥さんや赤ちゃんんもいっしょに惨殺されて埋められましたし、国松警察庁長官が357マグナムで狙撃されて重症となったり、地下鉄サリン以外にも、VX毒ガス攻撃をされた方たちなど多くいましたからね。電磁波による攻撃も機材を用意していたと思います。
彼らの情報収集能力は、ソ連や北朝鮮の情報部からの援助もあったように思えますし、弁護士もいましたから、目をつけられるとほんとに危なくて、法律違反があっても、手が出せない状態ではあったと思えます。
なので、さしあたり特別にカルトにたいする法整備が無くとも、捜査機関が勇気を持って、既存の法律を厳格に適用すれば、いいんじゃあないでしょうか?

ちなみに、創価学会・公明党については、現時点では、カルトかどうかの問題よりも、大学への留学生などを通じての中国人スパイ活動への援助など、売国奴的な活動問題のほうが影響が大きいと思っています。

>>他にも突っ込み所があるようにおっしゃっていますので、その点も宜しければ、お願い致します。

それは、No.6さんのお礼にある以下の文ですね。

「私は、人間のやることに、そもそも善悪は無いと考えています。」

そう思われているなら、ナチスの民族浄化運動(ユダヤ人大量虐殺)も悪ではないし、中国の文化大革命で3千万?の同胞を殺害したことも悪ではないし、ソ連の数千万人の処刑も悪ではないって思われているのですよね?

それなのに、宗教団体の布教活動が悪であると考えるのですか?上記の行為が悪でないなら、宗教団体が強引な布教活動しようが、詐欺的な行為でお布施を集めようが、子供を拉致しようが、それは「悪」でないと考えていいのではないでしょうか?
そもそも、「人間のやることに善悪なし」と考えられているなら、なんでこんな質問をされたのか疑問です。

>>このような活動を通して、私たちは、団結することの大切さ、協力して目標を達成することの喜びと感動を学びます。
日本人はそうした活動が大好きなのです。

もちろん、そういう面もありますけど、日本人には「他人と違うことをすると不当な村八分(差別)扱いをされる」ということを恐れているから団体行動をするって面も強いですよ。部外者からみれば「その行為は違法だろう!なんで皆が協力して、そんなことをやるんだ!」ということでも、やっちゃうことがあります。企業ぐるみの消費期限偽造とか、学校や企業でのイジメなど、いろいろと事例はありますからね。

なので、そういう意味では、

>>日本人、タイ人の気質のどちらが良い悪いと言うことではありませんが、日本人は、カルトに取り込まれやすい性質を持っているのかもしれません。

という指摘は、当たっている面があるように思えます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

大変勉強になりました。

善悪についてのご指摘では、おっしゃるとおりで、自分でも矛盾があると考えています。
これについてご説明させて頂くと、物事は、視点や立場を変えて見ることによって、今までと違った見解に到達する事ができます。
人間あるいは、日本人としての立場で物事を見ると、宗教団体の勧誘行為は悪だと思います。
しかし、それを超えた視点、例えば地球規模や宇宙規模で考えると、人間が人間を殺そうが自滅しようが、ホンの一瞬の出来事であり、人類の存在や、人類の行為を、善か悪か考える事自体、無意味なのかも知れないと思うのです。

色々ご教示頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/01 11:51

とりあえず以下のこれだけ



>>ところで、創価学会と公明党が、憲法で定められた政教分離の原則に違反している事は、学会員以外のほとんどの人が同意するのではないかと思います。
このような明らかな憲法違反が、どうして野放しにされているのでしょうか?
これで、日本が「法治国家」といえるのでしょうか?

政教分離について、質問者さんだけではないですが、多くの方が勘違いされています。
政教分離とは、政府が特定の宗教に対して、特別に肩入れしないっていう規定であり、縛ろうとしている対象は「宗教団体」ではなく、「政府」なんです。
だから、創価学会が政治活動をやろうが合法なんですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

政教分離の件、了解しました。
あなたのおっしゃるとおりの様です。

しかし、一点だけ。
1「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならない」(憲法20条1項後段)

創価学会は、政権党の一部である公明党を通して、政治上の権力を行使しているのではないでしょうか?
法律には疎いので、宜しければ、教えて下さい。

また、公明党が政権党である限り、カルト教団に関する法整備が進まない可能性があります。
これは問題ではないでしょうか?

他にも突っ込み所があるようにおっしゃっていますので、その点も宜しければ、お願い致します。

ところであなたは、特定の宗教団体の信者でしょうか?
立場をはっきりさせて頂けると、話が明確になると思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/31 14:59

毒も使い方次第で薬になるし、薬も使い方次第で毒になると思います。


宗教が原因で戦争も起きれば命が助かる人達も居る。
医学や薬も使い方次第でマインドコントロールや洗脳、人体実験、殺人になる。
科学もロケットに使うかミサイルに使うかで違って来るし。
全ては使い方と受け取り方次第。
あなたに使いこなす能力が有るか無いか次第。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

法律を整備して、宗教を毒として活用した人を、もっと積極的に罰するべきだと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/31 13:27

>>犯罪も、基本的に同じ事で、それが相手の許容範囲を超えるから、犯罪になります。



いえ、それは違いますよ。
日本の場合、「法治国家」であり、法津に基づいて、その行為が犯罪かそうでないかを決めています。なので、一般の方が「私の許容範囲を超えると思う。なので、それって犯罪行為でしょう?」と訴えても、法律に記載が無ければ犯罪になりません。だから、時代の変遷に合わせて、それに応じた犯罪が発生し、それを「犯罪」として処罰できるように、新たに法律を作って対応します。
 

例えば、現在の日本では、児童ポルノの書籍やビデオを販売すると「犯罪」として処罰されます。でも、1999年ころには、一般書店で堂々と今でいう児童ポルノ掲載の月刊誌や書籍、ビデオが販売されていましたし、少女の割れ目がバッチリと映った写真が裏面に印刷されたハガキを、写真集販促用として郵送していたこともありました。

また、中国という国は「法治国家」ではなく「人治国家」です。法律があっても、共産党における地位があれば、巨額汚職での個人的蓄財という法律違反があっても、国家権力を全て使ってもみ消すこと、嘘をつくことは正しいとされています。法的には犯罪でも、現実は犯罪になりません。


>>無理に勢力拡大を図る宗教団体を、悪の団体として、法律で取り締まるように出来ないのでしょうか。

それは「無理に努力拡大」という行為を「法律を犯す行為」として判断すれば、現時点でも法律で取り締まることが可能ですよ。
ただ、現実には、その犯罪行為が、「起訴して裁判で戦うほどのものじゃあない」と思えることが多いとか、勝訴しても、その経費と時間や労力を考えるとバカらしいと思うからやらないだけだと思えます。もし、被害が大きい行為なら、現在でも訴えている人はいると思いますし、取り締まられていると思います。

>>布教活動をする宗教団体とは、悪そのものではないですか?

ここまで言うと、「悪とは何か?」の定義にかかってきますね。同時に「正義とは?」「善とは?」という問題が問われてきます。そして、いずれもが「目にみえない」ものです。

アメリカは、「正義のための戦争」として、ベトナム、イラク、アフガニスタンに兵を派遣しました(しています)。現実としては、それらの戦いにより利益を得る企業や人々がいたとは思いますけど、戦場で戦う兵士たちの心情としては、「正義のために戦う!世界平和のために戦う!」です。(厳しい空母での任務などを考えると、そういう信念がないと続かない)
そして、その「正義」は「神の正義」であり、宗教からくるものです。

人殺しが「悪か?」「善か?」を考えたとき、単純に「人殺しは悪」と決めてしまえば、古代の仏教の「殺生禁止」の教えとなり、それを厳格に守ったシャカ族は侵略への自衛の戦いもできずに滅亡しました。
このような状態は、現代の日本の状況に当てはまるでしょう。自国民が殺されても、自衛隊は憲法の縛りによって戦うことは出来ません。誘導弾ホークや155ミリ砲は当然のこと、89式小銃さえも発砲できないのです。

そしてその「人殺し」が「善か悪か?」を決める判断基準は、最終的には「目にみえない」ものによって決めるしかないのです。それは「宗教」なんです。

「日本が中国の植民地になるのを防ぐ」ためには「憲法を改正する!」、あるいは「現行の憲法を破棄する!」ということが必要ですが、多数の国民が「現行憲法堅持!」「憲法9条死守!」なんて自殺行為を願っているとき、「日本の独立を守るために必要」と信じるとき、それは布教活動をして、人々の目覚めをさせるしかないと思います。
そして、「日本の独立を守るため、日本の未来を守るため」となれば、最終的には、「殺人」という法的に違法とされる行為を行うことは、当然に必要なこともあるでしょうし、それは「正義」「善」とされると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>いえ、それは違いますよ。
>日本の場合、「法治国家」であり、法津に基づいて、その行為が犯罪かそうでないかを決めています。

おっしゃるとおりです。
「相手の許容範囲を超えるから、それを禁止する法律ができて、それに違反すると犯罪となります。」と訂正させて頂きます。

ところで、創価学会と公明党が、憲法で定められた政教分離の原則に違反している事は、学会員以外のほとんどの人が同意するのではないかと思います。
このような明らかな憲法違反が、どうして野放しにされているのでしょうか?
これで、日本が「法治国家」といえるのでしょうか?

フランスでは、創価学会がカルトの指定を受けて、その活動が制限されているそうです。日本では、創価学会と公明党を憲法違反で起訴できないのでしょうか?

しかし、一個人がそれを行うと、学会員から公私に亘って大きな攻撃を受けるのは明らかです。
何かの団体がそれを行う事はできないのでしょうか?
日本が法治国家であるにもかかわらず、法律違反を提訴することが怖くてできない。
そんな馬鹿な話があるでしょうか。
彼らによる日本征服が、もう既に実現しているのでは無いですか?

>ここまで言うと、「悪とは何か?」の定義にかかってきますね。

No.6のお礼で述べさせて頂きましたが、私は人間のやることに善悪は無いと考えています。お手数ですが、詳しくは、そちらをご参照下さい。

今回の質問は、その範囲を限定して、人間社会の中で、あるいは日本社会の中で、個人の幸福の追究を阻害する物を悪と定義し、宗教団体の布教活動を悪では無いだろうかと疑問を提示させて頂きました。

さらに、ここで、「布教活動」ではなく、「教団入信の勧誘活動」に訂正させて頂きます。
布教そのものは自分の意見を述べるだけであり、悪とまでは言えないような気がしてきました。
両者の違いの線を引くことは、非常に難しいですが。

さて、この問題の原因は、「日本教」信者である日本人の特質にもあると思います。
日本では、学校の放課後に部活動が盛んに行われています。
学校によっては、部活に入るのは義務になっています。
また、日本人は町内のお祭りも大好きです。

このような活動を通して、私たちは、団結することの大切さ、協力して目標を達成することの喜びと感動を学びます。
日本人はそうした活動が大好きなのです。
それが日本の企業の強みとして、日本経済の発展にも寄与してきました。
しかし、その日本人の性質を利己的な目的のために利用しているのが、宗教団体だと思います。

私は、タイ在住ですが、
タイでは、学校の部活動も町内のお祭りもほとんどありません。
ですから、団体としてなにか活動するということはほとんどありません。
他人に干渉されたくないし、自分も他人に干渉しない。
それがタイ人の気質です。
ですから、タイではニューハーフがカミングアウトしても問題ありません。
活動的なカルト教団も、私の知る限り存在しません。
日本人、タイ人の気質のどちらが良い悪いと言うことではありませんが、日本人は、カルトに取り込まれやすい性質を持っているのかもしれません。

ご回答頂いた内容とは直接関係ない事を、この場を借りて述べさせて頂き、失礼致しました。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/31 13:25

あなたの気分は痛いほどよく分かります。


個人の信仰は否定しないが団体活動を否定されていると見ました。

実際、強制強要、霊感商法、おどろおどろしい団体、中には朝から晩まで
政治活動に嵌っている団体もあって、何をやっているんだろうかとつい思ってしまいます。


実は私は生まれながらにしてある団体に強制的に会員にされ、
中学生の頃まで監視されて生きてきた過去があります。
本当にこの集団はキチガイ集団だと思っていたものです。
神や仏なんぞあるものかと悪魔のようになっていた時期もあります(--;)


ところがある日インドで、ある聖者に巡り合ったのです。
初対面なのに自分のことを何でもわかっていたわけです。
なんだこりゃと思ったですよ。

子供の頃こうやって生きていたよねとか、
絶対知られたくないようなことすら、丸当てです。

やっぱりさすがにこういう人間離れした人に出くわすと
考え方はコロッと変わるものですね。
宗教は極めて人間の本質を教えていると痛感しました。


さて現在私が今感じている宗教団体に対する見方ですが、
あなたが仰るように確かに変な団体も多いのは確かです。

しかし宗教団体は実はピンキリなのです。

幼稚園レベルから大学レベルまでいろいろです。
そして人によっては幼稚園団体ばかりに縁が深くて
それこそ坊主憎けりゃ袈裟まで憎くなるような偏見を持ってしまうことも
多いだろうということです。
私がそうでしたから・・・。

わたしも自分のブログで宗教団体の活動を批判しているのですが、
それはその活動が政治的、強制的なものであれば批判されて当然と考えています。

あるいはインターネットで大々的に宣伝というか広報活動しているような類も
同類ですね。

ところがです。
世界には本当に穏やかに、相手の自由性や自主性を尊重して
細々と神学や仏典を学んでいる団体もそれなりにあるんですよ。

たとえばマザーテレサ。
彼女の行動力を否定できる人はいないでしょう。
あなたの信じているキリスト教は間違いですよ、あなたは騙されているんですよ!
と面と向かっていえる人がいたら
気が狂っている人だと思うわけです。
彼女の行動力は信仰心があればこその生き様なわけです。
彼女にとっての布教活動は、とにかく死にそうな人々を助けることだった。
そしてそれに共感した人が後からついてきました。

それからガンジーですが、彼はヒンズー教徒でしたが、
彼の不屈の活動もまた信仰心があればの話です。
その死を駆けた行動力にインド国民はついていきました。

ギリシャ正教もとても静かな祈りの団体ですね。
そしてみな心が癒されている感じです。

ですから団体活動というよりも、
「強引な布教活動」をすることを正義のように信じこんでいる
過激な教義を信奉しているところに問題があるということだと思うわけです。

日本の場合もこれといって活動はしていないけども、
家に来る人には「これやったほうがいいわよ」なんて布教活動している信徒も
いるでしょうし、外に向かって破壊的に活動しなければ私はセーフだと思うのです。
自分がこれは本当に本物だと思いそして救われたと思えば、
人に勧めるのは当然だからです。

ようするに外に向かってアクティブにやっているものには
気をつけたほうがいいということなんでしょう。
この点についてはわたしも同意する次第です。

日本の場合世界中の多種多様な宗教団体が集まってきていて、
宗教法人の数は2万とも3万とも言われています。
それだけ競争したくなる場なのかも知れませんね。

困ったものです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

大変なご経験をされたとのこと。
お察し致します。

インドの聖者の件を読ませて頂き、私の経験と同じだと思いました。
私の場合は、タイ仏教のお坊さんでした。
他人のことがまるまる分かる人が、現実に存在するんですよね。

さて、私の場合は、宗教団体による被害は受けていませんので、宗教団体に対する怒りは、それほど切実ではありません。
しかし、タイに住んで、タイの仏教に身近に触れていると、日本の宗教団体の異常さ、理不尽さが、まざまざと目に付くようになりました。

マザーテレサと、ガンジーについては、私も非常に尊敬しています。
「ガンジー自伝」を読んだこともあります。

ギリシャ正教については知りませんでした。
心に留めておきたいと思います。


この場をお借りして、恐縮ですが、これまで、色々な方にご回答頂き、私も少し意識が変わってきたようです。
「布教活動をする宗教団体とは、悪そのものではないのか」という表題は、私の考えを正しく表現していなかったようです。

「布教活動」ではなく、「教団入信の勧誘活動」に訂正させて頂きます。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/31 12:03

>「人間の世の中で嫌われるのは、自分の意思を相手に押しつけようとする人です。


小説やドラマ、漫画でも、悪役は、それをしようとするから、嫌われます。
犯罪も、基本的に同じ事で、それが相手の許容範囲を超えるから、犯罪になります。

ところで、宗教団体の布教活動とは、まさに、自分の意思を相手に押しつける活動といって良いでしょう。
活発に布教活動を行う宗教団体とは、悪そのものでは無いでしょうか。」


まず、ここまでで、「嫌われるから、→悪そのもの」

で、さらに
>「布教活動をする宗教団体とは、悪そのものではないですか?」
とまで筆を進めておられますね。


それから、「ショッカー(て、仮面ライダーのだよね)、オウムと例に挙げて、「ほかにも日本征服を企む宗教団体がいくつか」・・・
・・・
・・・
・・・nung様は具体的にご存知ということですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

確かに、論理の飛躍があるようですね。
ご指摘ありがとうございます。

ショッカー以下は、冗談です。
しかし、日蓮系の宗教団体は、自分たちの教えを日本中に普及させれば、世の中が救われると説いています。
それは宗教の世界における日本征服ではないかと考える次第です。
その意をくんでいただけると思いましたが、言葉足らずであれば、失礼いたしました。

他人を救う事を考える前に、まず、自分自身を救ってほしいものです。
その人が本当に救われたのであれば、強引な布教活動などしなくても、その人を慕って、自然に人が集まってくることでしょう。
自然に集まった人々の心が癒されたなら、いつまでもその人にしがみついている必要がなくなり、穏やかな友好関係が持続するでしょう。
癒された後も、その団体にいつまでもしがみついている必要はないのです。
病気が治れば、病院にいつまでも居る必要はないのです。
自分を救いもせずに、他人を救おうとするところに大きな矛盾が内蔵されています。

自分が持っていないものは他人に与えることは出来ません。
自分を愛せない人は、他人を愛することも出来ない。
自分が幸せでない人は、他人を幸せにすることも出来ない。

それと同じです。

当人がそれを持っているといくら強弁しても、外からその人を観察すれば、本当にそれを持っているかどうかは、一目瞭然です。
強引な行動を取る人は、何か心の不安に突き動かされて、そうしていることが多いものです。
水に溺れそうな人が、何かにしがみつこうとするのと似ています。
自らの心の不安を解消すれば、何かにしがみつく必要がなくなると思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/31 10:25

尼崎の角田なんとかいうような怪物が押し付ける無理難題と信仰家が押し付けるものとを一緒にするわけにはいかないと思いますが、貴方の言うことも一理ありますな。

私も宗教は亡くなればいいと思っています。ただ日本教とかいうようなものは国民の共有する文化みたなものですから、なくせ、と一概にはいえません。

宗教は個人の自由ですから、これを規制するのはなかなか無塚しいと思います。悪である面もありますから、このへんからじっくりと攻めていけば次第に枯れてくるかもしれません。たとえば勧誘はこれを禁止するとかですね。右翼の街宣も、野田さんの辻説教もやめねばならなくなうかもしれません。それはそれですっきりすると思います。

賛成です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

今日、新たに知りましたが、フランスでは創価学会が、カルトの指定を受けていて、法律でその活動が制限されているそうです。

そのような団体を野放しにして、世界に輸出までしているのは、日本人として恥ずかしいことですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/31 00:28

 No.4です。



 ★(No.4お礼欄) ~~~~
  >そのオシエを思想として捉え 哲学の立ち場から批判すべきはしかるべく批判する。

 そのように、宗教を客観的に捉えることのできない人を、食いものにしようとするので、宗教団体は問題だと思います。
 ~~~~~~~~~~~
 ☆ この問題は 視野を大きく取って歴史的に捉えなくてはならないと思われるだけではなく 必ずしも理論どおりにコトは運ばない そういう複雑な現実に連動しているように思われます。

    *

 あらましを述べます。

 1. 日本という社会は その世の中ないし世間がひとつの――言ってみれば――宗教集団として成り立っています。

 1-1. 日本教・キリスト教派や 日本教・共産主義派などもあると言われています。

 2. オシエがあるわけではなく 教祖もおらず教団組織にも成っていませんが そうではないのですが 言ってみれば お上にしたがうという論理と現実――つまりは それとしての生活宗教――として成り立っています。

 2-1. お二階のえらいさんの言うことを聞け。その意味で 和を以って貴しと為せ。あるいは いちいち言葉で言わないから そのクウキを読め。という第一条を不文法としています。

 3. 世の中には 心性ないし知性のあり方から見て みっつの種類に分けられる人びとがいます。

  ( a ) ヨリ(寄り・憑り)なる原始心性
       :世界に寄り憑く。
       :アニミズム・シャーマニズム

  ( b ) イリ(入り)なる歴史知性
       :世界に《入り》する。
       :時間的存在ないし 世界‐内‐存在

  ( c ) ヨセ(寄せ)なる超歴史知性
       :世界を寄せる。束ねる。
       :イリ歴史知性から出て その上に立った。
       :神のごとく如何なるものの下にも立つまいと誓った知性。
       :ヨリ原始心性を寄らしめかつ依らしめ イリ歴史知性を統べる。

 3-1. 前項の( c )が 社会という家のお二階さんです。もっぱらの公民です。お上です。

 4. けっきょく問い求めの件ですが 次のようです。

 4-1. ( c )のヨセなるスーパー歴史知性が 国なる家の全体を治めているのですが まだまだその集まりに言わば活気がとぼしい。と見た。つまり 落ちこぼれが出る。そしてそれは こう言っては何ですが ( a )のヨリ心性の人びとの間に見られる。

 4-2. この落ちこぼれとしての( a )なるヨリ心性の人びとを さらに活気づける。そのために いわゆる新興宗教なるウゴキが現われた。そこで お二階さんとしての( c )ヨセ知性は 半ば成り行きとしてよさそうな団体には その《統治》の一環として――或る種の社会政策として―― たとえば戦後の経済復興の時代などには 暗黙のうちにだと思いますが それらの宗教団体に めんどうを見させるというふうに任せた。

 4-3. このような《落ちこぼれ》に対する広い意味での・ゆるい意味での救済策は 《落穂ひろい》という言い方で 半ば是認され公認されていた。つまり いかにえげつない強制的な勧誘をおこなっても 結果としてその人びとが元気になるならよいだろうと考えられた。

 4-4. いまは 安定成長・ゼロ成長の時代ですから そのような過去の時代における仕組まずして成り立った社会政策の結果が 残っている。ということではないか? 二世や三世が現われている。

 4-5. 人びとの中には たとえばもし( a )のヨリ原始心性であった人が 元気になってあたかもヨセなる超歴史知性の担う地位や身分に成ったとすれば まだまだ余韻が残っていて あらたなお二階さんとして なお威張り散らし足りない。ごく一部分なのでしょうが そのような事情が――《後遺症》でしょうか?―― 消えゆかない。といったような事情。


 5. ★ 自分の意思を相手に押しつける活動
 ☆ 心性ないし知性のあり方を推し測って その人たちの行動に対しては 向き合ってみてください。


 6. ★ 日本征服を企む宗教団体がいくつかあるようですね。
 ☆ このもんだいは 直接には基本的に 共同自治のための市民政府としてと言いたいところの政府や国会が担当しましょう。

 
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この回答へのお礼

再度の詳しいご回答ありがとうございます。

内容が難しく、理解できない部分もありましたが、「日本教」という概念を初めて知りました。

確かにおっしゃるとおりで、日本では、長い物に巻かれろ、お上に逆らってはいけないという暗黙の了解があり、それがこの問題の一翼を担っていると感じました。

また、歴史的な経緯もあることを理解致しました。

私はタイ在住ですが、タイ人は、他人に干渉しない、他人にも干渉されたくないという意識が、日本人よりも強いように感じます。

それが、タイにカルト教団が存在しない原因になっているのかも知れません。

大変含蓄のある内容で、感服致しました。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/29 19:04

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