初めて自分の家と他人の家が違う、と意識した時

(Wikiから抜粋)

ソ連解体したゴルバチョフは、米国大統領のロナルド・レーガンと同じく統一教会を支持し、ゴルバチョフが設立したゴルバチョフ財団は、長きにわたり統一教会の資金で運営されてきた

1990年4月、統一教会開祖の文鮮明はソビエト連邦を訪問し、国家元首であったゴルバチョフと会談。ゴルバチョフに対して「宗教の自由を認めなさい。共産主義を放棄しなさい。」と語り、その後、クレムリンの敷地内にあるロシア正教会の重要な教会ウスペンスキー大聖堂で統一教会の儀式を行なった。この時、文鮮明は「統一教会はやがてロシアで国教として受け入れられるだろう」と発言した。

統一教会は1980年代からソビエト連邦にて活動を始めていたが、ソ連でペレストロイカが始まると、堂々と布教活動をするようになった。

1990年4月に統一教会とゴルバチョフにより開催された「第11回世界言論人会議 モスクワ大会」では、松本十郎前防衛庁長官(安倍晋太郎元自民党幹事長代理)も参加した。

ロシア宗教・宗派研究センター協会会長のアレクサンドル・ドヴォルキンは、「ソ連の国家元首が、現役の一国のトップとして一番最初に文鮮明に会った。周囲の人々のプロ意識がなかったとしか思えない」と語っている。

ゴルバチョフ財団は、長きにわたり統一教会の資金で運営されていたがわゴルバチョフは西側では人気があるが、ロシアでの人気はさほどなく、ゴルバチョフ財団は、統一教会が望むような影響力をロシアで持てなかった。

ロシアを含む多くのポスト・ソビエト国家の宗教当局は、統一教会の運動をセクト(ネオナチ)と呼び厳しく批判し、その結果それらの場所で統一教会の活動が抑制。


2016年、ウラジミール・プーチン及びプーチン政権は、ネオナチ勢力(セクト勢力)への新たな対テロ法として、新興宗教勢力に対する布教活動や私的な参拝を禁ずるとし、すべての伝道師や布教者は「登録済み」の組織に所属していなければならない事を取り決めた。これにより、ロシア国内における統一教会の活動は事実上不可能となった。

A 回答 (2件)

そうですか



でも  文鮮明には関係無い事なのだが?

文鮮明は国という考えを持って無かった
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ゴルバチョフがアメリカに留学してた事実はありますか?

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