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平等であることってどういうことなんでしょう?
もしくは、人は平等であると思いますか?
身体的な差異、能力的な差異はいくらでもあります。生まれてくる環境、育つ環境はまた人それぞれです。人間は決して平等になるようにはできていない。現代社会で規定する平等は「法のもとに平等」、しかしそれは一体どこからわいて出たのでしょうか。差異ばかりの世界で、なぜ「平等」なのでしょうか?
私の考えでは、今の社会は矛盾に満ちています。回答に対する私の反論には、一部の人に対する差別的な考えがあるかもしれませんが、この議論によってそれを乗り越え、矛盾の無い「平等」に到達できることを望みます。逆にいえば、私はそんな差別的な考えを、今の社会の論理では否定できません。「差別」と「差異」は根本的に違います。しかし、「差異」があるからこそ「差別」する、というのは人間が生活する上において普遍的な出来事です(例えば、塩と砂糖を分ける、のように)。人間に対してその論理を適用することがいけないのはどうしてでしょう?

A 回答 (8件)

じゃあ追加で、



> 動物と人間はどう違うのでしょうか?

 おや?人間って動物じゃないんですか?
少なくとも植物や菌類、原生生物では無いと思いますが...。

> 同じ"生きている"という共通点を持ちながら、
> なぜ私たちは彼らに"生きる(生と死を選べる)"
> 権利を与えないのでしょうか。

 人間も動物もみんな生と死を選んで戦っていますよね?
権利ってのは与えて貰うモノですか?

> 我々よりも知能の高い宇宙人がきて、
> 我々が侵略されたとします。
> そのことを否定できる論理ってありますか?

そんなものはあるわけがありません。
種の違いというのはそーゆーものです。
そこにあるのは論理ではなく、生存に対する欲求だけです。
動物達が自分の生を守るべく全力で戦うように、
もしも地球外からの侵略者が我々の生存権を認めなければ、
それこそ動物のように命を懸けて戦わなければならなくなるでしょう。
納得行きませんか?
権利なんてものは持って生まれるものではなく、戦って勝ち取るものでしょう?
有色人種の権利だって長い戦いの果てに手に入れたものじゃないですか。

なんか...最初の主題と全然関係ないような気がします。(^^;;

区別する理由として正当かどうか?が分かれ目だと言う私の主張は御理解頂けた?
世の中にはイルカが知能の高い動物であることから、イルカに人間に近い権利を認めるべきだと主張する人達も居ます。
もし彼らが多数派になれば、イルカと人間の区別は「不当な区別」=「差別」だと言う事になるんでしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>なんか...最初の主題と全然関係ないような気がします。(^^;;
まさにその通りです。私の質問文から読み取れることから明らかに主題がずれています。申し訳ありません。
しかし、私の意図する所はむしろずれたほうだったのです。私の考えの道筋は下記のような感じです。

動物や植物が意味もなく殺されている現実がある。人間の嗜好のみに依存する虐殺もある。化学物質や放射能などで地球を汚染し、生態系を破壊している。なぜ我々はそうも簡単に命を奪えるのか?最近では人間同士の殺し合いも多くおきている。それを咎めるのはなぜ?動物は殺せて、人間を殺せない理由は?同じ種だから?黄色人種、白人、黒人は違わないの?そこの違いは年代のさかのぼり方と勝手な人間の区分けでは?少年犯罪は、その区分けを10年ぐらいの単位でとっていて、もはや世代が違えば人ではないと考えているのではないか。それならば、誰も文句は言えまい。コミュニティーの考えを押し付けてそれを受け入れるという考え方はもう薄れてきている。他人とのふれ合いが希薄な中で、どうして少年に文句が言えるだろう。そんな世の中を作ったのが私たちなのだから。躾だとしても、そういう風に育てておいて文句をいうのは筋違いだ。
生きているという上で全てのものは平等ではないのか?どこで区別をするのだ?手足のない人でも人間、聾唖の人も人間、奇形児として生まれてきても人間、精神がまともでない人も人権はある。何をもってして人間というのか?人間の体から生まれたら?その内試験管で生まれる子も出てくるだろう。脳があるから?もし生態移植でチンパンジーと脳を取り替えたらそいつは一体何者?そんな事態は決して遠くない未来にやってくる(それがチンパンジーかどうかは定かではないが…)。今の内にちゃんとみんなで議論しないと手遅れになる。確実に。そもそも"同じ"という発想から生まれる"平等"って何なんだ?それが分れば何とかなるんじゃないか?

と言うように考え、質問してみました。また、まだまだ私の考えに筋の通らない論理があるかと思います。そこを私は指摘して欲しいとも思いました。道徳を重んじて社会を生きてきた私にとって、これは私自身を根底から揺るがす考えでもありますから。

お礼日時:2001/06/04 22:15

平等、あるいは法の下の平等というのは18世紀に身分制が当然のものとされていたヨーロッパで提唱されたものです。

おおざっぱに言って、貴族と平民との身分があり、貴族は貴族であるというだけで特権を持ち、圧倒的多数の平民にはほとんど権利は認められておらず、税負担が過超であった時に、「なぜ、同じ人間なのに不平等なのだ?」という疑問から生じたものです。

アメリカ独立革命、フランス革命などは貴族の特権を廃止して、市民にも権利を与えるということを目的の一つとしました。犯罪を犯しても貴族なら逮捕もされず、平民なら犯罪とは無関係であっても逮捕状なしで掴まえられてしまう・・そのような社会において、「法の下の平等」・・誰でも同じ扱いをする、というのは求めるべきものでありました。

その後、社会主義は現実社会にある経済的差異に着目して「経済的平等がなくては真の平等とは言えない」という主張をしました。ただ、残念ながら、社会主義という試みは失敗したようですが。

こうした過去の上に現在があるわけです。「平等」という理念がまだ意味を持ち、かつまた現実に「平等にはなっていないではないか」という疑念を持つならば、さらに論議を深めて実際に意味のある平等を作っていかなければなりません。

「自由」にしろ「平等」にしろ「政治参加権」にしろ先人たちが血と汗を流して社会に認めさせてきたものです。で、あるのに、それがまるで天与のものであるかのように思って不満を唱えるだけでは先人たちの苦労に報いているとは言えないように思います。さらなる「平等」を作るべくお互いに努力していこうではありませんか。
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違うからと言って、それを理由に不利な扱いをしないこと。

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 「法のもとに平等」これをあまり拡大解釈しないほうがよいのでは?この条文の主語はすべての(日本)国民であり、この条文の含まれる憲法14条は「すべての(日本)国民に法律は平等に施行されますよ。

」ということが書いてあるだけです。だから一部の人だけに適用される法律はよっぽど正当な理由がない限り作ることができないし適用もされないわけです。更にこれも日本国民に限ったことで外国人に対しては想定されてないです。
 まあ私の考えを一言で述べるなら『人権は平等であるべし、しかし人は皆同じではない』ってとこですかね・・・・・
 社会が矛盾に満ちているのは今に限ったことではありません。昔のほうが理不尽な差別は多かったです。それは主に貧困と無知によるものであって、今もその本質は変わりません。もし人間が平等になるときが来るとしたら、すべての人類が貧困と、無知に打ち勝ったときでしょう。これは、いわばひとつの理想社会でありそれを目指すのは決して悪いことではないのですが・・・・・
 まあ過程を無視していきなり結果を求めるというのはどうも性急すぎますね。
 
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人が支配(?)するこの世の中で「矛盾の無い」平等は不可能かと思います。


唯一あるとすれば神(?)が与えてくれた同じ時間を共有できることでしょうか。
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貧富の差は避けられない事であり、平等な自由競争の結果として容認されるべきものであると思います。

平等の問題は、その自由競争に参加する資格が平等に与えられているか、というレベルで考えるべきだと考えます。肉体的能力などの問題は仕方ないとして、出自などで制限されてはならない、という事ですね。
日本でもかつては士農工商というハッキリ区別された身分制度があり、本人の資質とは無関係に生まれる前から差別があり、これを公的に保証していました。インドのカースト制度や南アフリカのアパルトヘイトなど、生まれながらにして人の格には差が設けられていました。法の下の平等というのは、そういう事は間違いである、と宣言しているに留まるものでしょう。
co-89さんが問題にしておられるのは、平等といっても身の回りにはたくさんの差別があるではないか!ということですね。人が集団を作ればいくつかのグループができることは自然ななりゆきで、人と自分を比較する、競争意識を持つというのも避けられない事だと思います。その結果として敵対心や憎悪感情も生まれてくるでしょう。力を得たものは破れたものを踏み付けようとするかもしれません。具体的な暴力はともかく、心理面は法で規制するには難しい事柄です。人の心の問題はいちばんやっかいだと思います。
平等の精神を前提とする事で、せめて、出自や思想や身体的特徴を理由に不当な扱いを受ける事があれば、それを法的な拘束力で改善解消していこう、という事なのだと思います。
差別されているもの、力が無くてしいたげられているものが強く自己主張しない限り問題にもならない、という難しい問題はありますが。
「差別感情は仕方のない事だから、平等などといわなければ良い」、とするならば、一方で「同じ人間なのに」という感情の処理がつかないのではないでしょうか。力のないもの、弱いもの、嫌われものの集団に生まれたものは、本人の資質がどうあろうと、強い集団から差別され、制限を受け、対等につきあってもらえる事はありえない、となれば、彼等はいつまでもその境遇に甘んじてはいないでしょう。とても平和な望ましい状態とは思えません。集団生活社会の在り方として望ましいものでは無いから、たとえそれが人間の性向に反する思想であっても、「平等」を基本理念として掲げる必要があるのだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
みんなが平和に、仲良く暮らすという目的のために"平等"というものが存在するのですね。

お礼日時:2001/05/29 13:16

差異があるのは事実ですが、それと同時に共通点もあるわけですよね。


同じ「人間である」という共通点を元に、人間であるからある程度の権利は互いに尊重・保証しよう、と言うのが「平等」だと思います。

上のような考えは(現実に存在する多くの)差別・区別を無視した考えです。
これっぽっちも現実的ではありません。でも、貴方の最後の文を逆手に取るとすれば、

「共通点があるからこそ同じものとしてあつかう、というのは人間が生活する上において普遍的な出来事です(例えば、茶碗の中の御飯一粒一粒を区別しないように)。人間に対してその論理を適用することがいけないのはどうしてでしょう?」

この問いに貴方が答えられるならば、有意義な意見交換ができるのではないかと期待しています。
質問に質問で返すと「ずるい!」と言われるかも知れないので、現段階での私の答えは「同じ人間だから」です。
確かに差異は存在しますが、その差異が「区別する理由として正当かどうか?」は個別に議論する必要があります。
社会秩序を維持する上では、ある程度の区別は必要です。5歳児に30歳の大人と同じ社会的権利を与えるわけにはいきません。年齢による区別も必要と思われるために存在しています。
人種による差別は、今の所、誰も正しいと認める「理由」が存在していないので、「不当な区別」=「差別」と言うことになります。

(私は貴方の問いかけは有意義な問題提起だと思ってますよ。茶化しているわけではないですからね。)

この回答への補足

回答ありがとうございます。
>「共通点があるからこそ同じものとしてあつかう、というのは人間が生活する上において普遍的な出来事です(例えば、茶碗の中の御飯一粒一粒を区別しないように)。人間に対してその論理を適用することがいけないのはどうしてでしょう?」
では、動物と人間はどう違うのでしょうか?同じ"生きている"という共通点を持ちながら、なぜ私たちは彼らに"生きる(生と死を選べる)"権利を与えないのでしょうか。例えば、モルモットや保健所に収容されて安楽死させられる犬、家畜など。種という違いはあるけれども、生きている事には変わりがありません。犬や猫には感情さえもあります。生きていくためにしてはあまりに多くのものを殺しすぎていませんか?彼らに知能が足りないから、という理由での区別ならば、それは不当な区別に違いありません。もし、我々よりも知能の高い宇宙人がきて、我々が侵略されたとします。そのことを否定できる論理ってありますか?

補足日時:2001/05/29 12:38
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人間は性格や能力や姿形など、そんなところで見ればみんな違います。


そこを平等にしようとしてはいけません。

平等にするのは「選挙権」等の社会的待遇に対してです。
それについても「金持ちかどうか」等は本人の労働などに関することで、社会からの待遇とは違います。
その金持ちは資産家の家に育ち、回りの人からの待遇も違ったかも知れません。
それは人の輪の中でのことで、社会の「制度」から優遇されているわけではありません。

塩と砂糖は違いますが、調味料として扱われる待遇としては平等であるわけです。
つまり「平等」とは社会制度の元に於いて基本的な待遇が平等である、と言うだけのことで、それで十分です。
後は己の努力でなんとかするわい。誰も頑張っているんだ。

逆に「人間」を誰も同じにしようとすると、ファシズムに近い物になって行くのではないでしょうか。

以上を持ってご質問に対する、僕の回答とします。

老婆心ながらアドバイスすると、人間の社会は有史以来ずっと矛盾に満ち続けているので、「今の社会」と断る必要はありません。
だから、もっと重要で深刻な問題がいくらでもあります。

そしてこのOKWebは議論する場ではありません。
反論は断りますし、反論されてもお返事はしません。
あしからず。

この回答への補足

>そしてこのOKWebは議論する場ではありません
そんなことはどこにも書いてなかったです。それを書き込み、押し付けるのはあなたの傲慢でしょ。
補足という形での私の反論に答えたくない人は答えない権利を有している、それだけではないんですか?"自信あり"にチェックしたなら自分の解答に最後まで責任もって欲しいですね。

補足日時:2001/05/29 12:42
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