プロが教えるわが家の防犯対策術!

私は、自分の人格を高めて聖人の様な人格者になりたいと思っています。
そのために、どんな本を読み、
どんな学問(心理学、宗教、哲学など)をやれば良いのか、
誰を模範にしたら良いのかなど、良かったら皆さんのアドバイスを下さい。

A 回答 (6件)

>私は、自分の人格を高めて聖人の様な人格者になりたいと思っています。


このように思うことは非常に良いことなのですが、実際は難しいですよ。

僕自身、4年2か月ほど前に自らが起こした人間関係のトラブルにより底に落とされました。
そこで自分がどれほど小さいか思い知らされたのです。
その時は先生の言葉で救い出されましたが、正直「救われた」という気持ちはありませんでした。

その反動かトラブルのあった3か月ほど後に急に怒りやすくなり、家では毎日怒っていました。
ビデオデッキの調子が悪いと、そのデッキを蹴る・ちょっといらっとすると家族を怒鳴りつけるなど今考えると反省しきりです。

そんな中怒ると自分はどうなるのだろう、と思いその様子を全てノートに記したことがあります。
初めからすべての様子は分からないので、少しずつやっていきました。

「自分は怒る」というところから始め、怒るとビデオデッキを蹴って足を痛めるだの地団駄を踏んで腰を痛めるだのその時の様子をとにかく書いていきました。


それをやり続けて1~2か月くらい経った頃だと記憶しています。
ネット検索をしていたら「テーラワーダ仏教」というサイトが目に入り、「怪しいな」と思いつつも興味を惹かれたのでそのサイトにアクセスしたのです。

そのサイトには「根本仏教講義」というのがありました。
「んんっ、これはますます怪しい。」と思いながらも、なぜか不思議なもので気づいたらそこをクリックし中身を読んでいきました。

そこには仏陀の教えが分かりやすく書かれていました。
そして、読み進めるうちに怒りの部分に差し掛かっていきました。
すると読んでいるうちに、すごく心が痛くなっていったのです。

そこに書いてあったのは、まぎれもなく僕がしていたことだったからです。
「もうつらいし、読むのをやめよう」と何度心に決めたか分かりません。
ですがその度に「ここから逃げてはだめだ」という思いに変わっていきました。
読み進めていくうちにだんだんと、「もう以前の自分に戻りたくない」という気持ちが表れてきたので
す。

怒りを持つことの怖さがいっぱい、もうこれでもかというくらいに書いてあったので「怒りを持つことへの恐怖心が生まれたのではないか」と今しがた書きながら思いました。

先述したサイトに出会ってから、2か月で4年になろうとしています。
怒りはだいぶおさまり、僕自身穏やかに生きられるようになったのは事実です。
しかし車に乗ると、イライラするときはありますし私生活でもまだあります。
だいぶ怒りはとってきましたが、怒りの炎を消すには至っていません。

僕の中で「怒りの炎」のくすぶりがある以上は、それもまた怒りなのです。
ちょっとしたイライラも怒りです。

聖人になろうと心がけることは非常に良いことです。
しかし、僕は凡人のままがいいのではないかと考えています。

聖人になろうとすれば、それを追いかけるあまり心の安らぎを見いだせないでしょう。
心が安らいでいなければ、それはいずれ貪りという化け物にとって代わるかもしれません。
「もっと知識が欲しい」とか「今のままじゃダメ、もっと勉強しないと」と思ってくるでしょう。

でもそれは欲のかたまりであり、あなたが求める聖人の姿ではないでしょう。
僕の考える聖人は仏陀やイエス、老子や孔子、日本でいう高僧たち(親鸞や法然など)のことを指します。
僕はその人たちには一生かかってもかなわないと思っているので、凡夫でいいのです。

凡夫のままで心を磨いていく、というのが僕には合っている気がしますね。


まずは感謝をすることから始めるといいでしょう。

何かをしてもらったら「ありがとう」や「ありがとうございます」と言ってみて下さい。
その言葉に上下の別は関係ありません。
僕も感謝するようになってから変わっていった気がします。

僕は個人的には、老子と仏陀の教えを勉強することをお勧めします。
図書館にもあると思いますよ。

最後になりますが、他人のミスを赦せる人間になるいいと思います。
それには、まず自分のミスを赦すことから始めるといいでしょう。

これを書いていく中で、今まで気づいてなかったことに気づかせていただけたことに感謝します。
長文失礼しました、聖人目指してがんばってください。
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この回答へのお礼

詳しい体験談を有難う御座います、大変参考になりました。

お礼日時:2013/10/07 21:55

聖人の定義は国や人で異なると感じますが、


お世話になっている人で聖人の様な人がいます。
其の方が、ためになったと言っている本や人物で日本でも検索しやすい(?)をリストしますね。
ー『自由論』(J•ミル)
ーセネカ
ーバガヴァッド・ギーター(インドの聖典)
ーミケランジェロ
ー『知恵の七柱』(T•E ローレンス)
ーソクラテス
ー形而上学一般
ーアインシュタイン
ージミー•ヘンドリックス
ーフェラ•クティ
ーキケロ
ーダライラマ

まだまだありますが、とりあえず、一つの分野に固執せず、一般教養としてバランソを保ち理解して行くのが良いともいます。
頑張って下さい。
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この回答へのお礼

具体的な書名を上げて頂き、アドバイス有難う御座います。
さっそく読んでみようと思います。

お礼日時:2013/10/20 21:02

素敵な心がけですね。



是非聖人とやらに成って下さいね。
凡人の代表より。

しかし、凡人ではありますが、聖人の近くにはいます。
聖人・・本を読んでもなれません。
心理学を勉強してもなれません。
宗教をやってもなれません。
哲学?をやってもなれません。

勉強している・・間は。
つまり知識を増やしても、それだけではなれません。
知識で聖人になれるなら、この世の中聖人だらけ。
最も、性人は沢山いる様ですが?

この世には聖典と言われるもの(本)は星の数ほどあります。
ありますが・・それを読んだ所で、殆ど聖人にはなれません。
何故なら、その聖典の中に入って行かないから・・だとか。

易しく言うなら、実践をしないから・・
それも殆ど命がけで・・それ位の真剣さが必要の様ですよ。

聖人など数十年に一人・・です。
本も大切ですが・・聖人と出会うこと。
その聖人から教えを受け、実践すること。
そして運が良ければ、聖人になれるかも。

所であなたの思う聖人ってなあに?
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この回答へのお礼

有難う御座います、よく考えてみます。

お礼日時:2013/10/07 21:51

人格を高めたい。



聖人になりたい。

その時点で、あなたは聖人ではあり得ない。

悟りと同じだね。

「悟ってる」と思った時点で、全然悟ってない。

聖人になりたきゃ、「聖人にならなくていいや」と
心の底から思うことが必要だね。

こういう逆説を受け入れなきゃ、ムリだよ。
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この回答へのお礼

そうなんですか、有難う御座います。

お礼日時:2013/10/07 21:50

全ての欲を捨てる事。




>私は、自分の人格を高めて聖人の様な人格者になりたいと思っています。

欲の塊なのでは?
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この回答へのお礼

欲を捨てることですか、有難う御座います。

お礼日時:2013/10/07 21:49

聖人ですか?聖人ってのは、自分の不甲斐なさ、汚さ、哀れみ、寂しさを知らないとなれないと思います。

あなたが書いた本すべてが必要だと思います。仏教には、人の哀れみが書いてありますし、心理学には、こころは、こういう動きするんだよって書いてあり、哲学書は、人間とは、こういうものであるから、そんなに頑張るなって書いてあります。聖人になりたいのですね。ならば、弱い人間を理解しなくては、いけません。世の中における弱者です。世の中の弱者って誰でしょうか?差別された人たちです。私は、うつを経験しました。だから、精神障害があろうが健常者だろうが、差別しません。というよりは、出来ません。自分を差別しても何にもなりませんからね。差別をしない聖人になってね。
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この回答へのお礼

そうなんですか、有難う御座います。

お礼日時:2013/10/07 21:48

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