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このドラマを見た方いますか?

このドラマの放送中止を訴えたり、内容に抗議する方が多数見えるそうですが、何故なのでしょうか。

確かに養護施設の子供をペットショップの犬扱いしたり、嘘泣きを強要したりと問題のある内容ではあっても、明らかにフィクションですよね。施設の職員への侮辱だという意見もあるそうですが、全ての職員さんがそうしていると表現している訳ではないと思います。

親のない子どもや施設出身の人を傷つけると言いますが、そんなことを言い始めたらなにも放送出来ないのではないでしょうか?
グルメ関係のテレビは「裕福でなくてそんなもの食べれない子どもや人を傷つける」からと批判しないと思います。震災後は食べ物関係のCMは自粛したようですが、災害時の一時的なものでした。
いじめを題材にしたドラマも、いじめに遭った子、遭っている子、遭った事によって自殺した子、そしてその親を傷つける可能性は十分あります。
刑事ドラマも家族や友人を犯罪で亡くした人には耐えがたい内容かもしれません。
ほんわかしたホームドラマも、家庭を持たない人を傷つける可能性はあります。

「誤解や偏見、差別」を心配する声もありましたが、あれだけ現実とかけ離れていれば、『真実』だと信じる人もいないのではないでしょうか。

どうしてこのドラマに関して、こんな意見が多数寄せられているのか教えて下さい。
もちろん身近にこういった問題を抱えている方々は違うご意見をお持ちの事は重々承知の上です。
ですが、私は、こういった施設にいる子どもたちに多くの人が関心を寄せることで、里親になるきっかけになったり、それはできなくても金銭的な支援をするきっかけになることは大切なことだと思います。また、大人が決めた制度の中で生きざるを得ない社会の中で、護ってくれる「親」を持たない子どもたちの目線から描いたドラマも大切なのではないでしょうか。

皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

A 回答 (14件中1~10件)

No.11です。

三度目の回答申し訳ございません。
というのも、客観的な回答をしようと意識しすぎて、
肝心の自分の意見をちゃんと言っていませんでした。
毎度のことながら長文になりますが、もしよければお読みください。

私も、「放送中止にはしなくていい」と思っております。
しかし、慈恵病院側が放送中止要請を出したのも理解出来ます。
だって、直接被害を受けた本人ですから。遠慮する必要はありません。
真剣に怒っていることをアピールするために、最大限のクレームを
言う必要があります。「ちょっと内容を変えてくれませんかねぇ」
程度のクレームでは、「あまり真剣でない」と、ナメられます。

少し話がそれますが、今回の件で、
「テレビには表現の自由がある。だからクレームを言うな」
と言う人が居ますが、ハッキリ言って論外です。
テレビに表現の自由があるなら、視聴者にも
自由に文句を言える「表現の自由」があるはずです。
だからそういう人は、一見「表現の自由」を守っているようで、
一番「表現の自由」というものを蔑ろにしています。

しかしやはり、テレビ局側にも表現の自由がある以上、
闇雲に放送中止にするのもどうかと思います。
正直言って、今回の件だけで見れば、中止にしても
構いません。しかし、今回のドラマを中止にしてしまうと、
それが今後、「悪い例」として残ってしまう恐れがあります。
変な視聴者に、「そうか。テレビはこれくらいの騒ぎを
起こせば打ち切りに出来るんだ」という、いらない知恵を
与えることになってしまいます。
ですから、今後のことを考えて放送中止は反対です。

結局、今回の件は、日本テレビ側に配慮が欠けていたのが
一番の問題です。もし本当に、日本テレビ側の言う通り
「真面目に向き合って作っている」のであれば、
慈恵病院に対してもっと配慮しているはずです。
ですから個人的には、「芦田愛菜を使って刺激の強い
作品を作ればとりあえず視聴者が食いつくと思った。
そうしたら悪い意味で食いつかれた。助けて」
……なんて本音までは期待しませんが、
最低限、「確かに配慮の至らない点があった。
来週の放送からテロップを増やすなど対策を練る」
という声明を発表し、放送し続けるのがベストだと思います。

あと、余談になりますが、今回の件で、
「これくらいでクレームを入れられたら何も作れない」
と嘆いている人が居ますが、それはおかしいです。
すべてのドラマ製作者が、そのモラル、「クレームが来ない範囲」
を一生懸命考えて作っているのです。
例えば去年、「あまちゃん」が大ヒットしましたが、あれは
NHKの朝ドラで、しかも被災地を舞台にしています。
ですから、「NHKなのでこういう表現はダメ」とか、
「被災地が舞台なのでこういう展開は不謹慎」とか、
そういう規制が山ほどあったと思います。そこで脚本家の
宮藤官九郎さんが、「これくらいでクレームを入れられたら
何も作れない」と匙を投げてしまえば、「あまちゃん」は
完成しませんでした。しかし宮藤さんは不貞腐れることなく、
決められたルールの中で最大限面白いものを作ろうとして、
見事成功させました。これが「プロ」です。
今現在のテレビ界、視聴者のモラル、ルール内でも、
本物のプロであれば面白いものは作れます。
それが出来ないという人は、自分の無能さをアピールしているだけです。
だって実際、今現在もこのドラマ以外はクレームが来ることなく、
面白い作品を提供しているわけですから。

ただ、今回の件で放送中止にしてしまうと、そのルールが
さらに厳しくなる恐れがあります。それを避けるために、
現状を維持するために放送中止には反対です。
ですから、「これくらいでクレームを入れられたら何も作れない」
と、今現在の状況を嘆く人は理解できません。
何故なら、今現在のテレビ界、視聴者のモラル、ルールに置いて、
「児童養護施設をいい加減に扱う」というのは
完全にアウトであり、クレームが来るのは当然だからです。
それを「これくらい」と表現するのはおかしいです。
しかしそうではなく、「これくらいのクレームで放送中止にされたら
今後、何かが作りにくい環境になってしまうかもしれない」
と、将来を見越して危惧している人は理解できます。
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この回答へのお礼

何度もご回答ありがとうございます

客観的なものから個人的なものまで、全てのご意見がもっともで、自分の意見はかなり甘いものだったことを認識できました。理解を深めるのにご尽力いただきまして、感謝しています。

今のところ論争を巻き起こし、不愉快な思いをされた方も多く見えるようですが、このドラマが社会に良い影響を齎すエンディングを迎えるまで、放送が中止にならないことを願っています。

お礼日時:2014/01/29 22:14

このドラマが問題視された理由は大きく分けて3つですね。



1.赤ちゃんポストという実在するきわめて限定的なものをネタにした。
2.児童養護施設やその職員、そこで暮らしている子への偏見を植え付ける。
3.似た体験を持つ人が傷つく。

1については既に挙げられているように問題であり、軽率だったと言えるでしょう。
赤ちゃんポストのシステムをストーリーの小道具として利用する必要があったのかも考える必要もあると思います。
橋の下から拾ってきたなんてのが笑い話としてありますが、そういう形で施設に保護される展開ではダメだったのか? といった具合にです。

しかしながら、赤ちゃんポストのシステムはその成立の背景を考えたならどこにできてもおかしくないもの(日本ではまだそこにしかないというのを、私は今回の騒ぎで初めて知りました)なので、現実には日本唯一だからといってこの物語の舞台を実在する施設に結びつけるのは短絡的だと思うのですが。


2については、視聴者やその保護者のモラルと知識の問題でしょう。
あのドラマが放送されている時間帯は、まだ分別のない年齢の子供は寝る時間です。
したがって、子供に偏見を植え付ける云々という批判は的外れ。そんな時間まで子供にテレビを見させる保護者に問題があります。
テレビに文句言う前に、親御さんに対し、子供にそんなものを見せるなと言うべきでしょう。
そして、何らかの形でそういう作品を子供が目にしたとき偏見や差別意識を持たないよう指導するのも保護者の務めです。

それと、一般人があのドラマを見て養護施設の全てがあのドラマの通りだと思うわけがないでしょう。
普通に、家庭環境に恵まれない子を保護して健やかに成長できる環境をもたらすため頑張ってる人たちが大半で、ごくまれに問題起こす残念な人も職員もいるけどそんなのごく一部。
その一部として描いたのがこのドラマなんだなというのが、一般の認識だと思うのですが。
むしろ、その一部の問題ある手合いに被害を受けたものが堂々とその被害を訴えられるようにするためにも、その一部についても堂々と扱うべきなのでは。


3については、そういう傷をもち癒えていない人やその保護者が、そういった描写のある作品を見ないよう自己防衛するしかないのでは。
アレルギーのある人がアレルゲンを避けるようなものです。
番組の紹介文には、そのために充分な情報が盛り込まれていると思うのですが。


あと、偏見の延長でいじめを誘発するという意見もあるのですが、しつけの不行き届きをメディアのせいにしているだけでしょう。
子供があだ名のネタになる作品を見たとしても、モラルがあればいじめなんてしません。

私は耳が奇形で潰れていたため『耳なし芳一』というあだ名で虐められましたが、あの怪談がこの世になかったからといって虐められずにすんだとは思えません。
この奇形に対するあだ名は他にもたくさんありました。
施設の子に対しても、『ポスト』というあだ名のネタになる作品を潰したところで他の経緯でそのあだ名を思いついたり他のあだ名で呼ばれる展開になってしまうのではないでしょうか。

誤解や偏見、いじめなどを防ぎたいなら、フィクションを潰すのではなく『真実』、つまりはドキュメンタリーを別の枠、それこそ小さな子供がまだ起きてる時間に流すよう訴えるべきだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

私もこのドラマへの批判に関しては、観る側の知識やモラル、常識が普通にあれば問題ないと思います。

お礼日時:2014/03/28 21:42

私も同意見です。


ドラマを見たことにより、家族がいない子供を救ったり、支援や募金をしてほしいと思ってます。
私もドラマを見たので、これからは募金など小さな事ですが、支援していけたらなと思います。
放送中止は反対です!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

ご賛同頂きありがとうございます。
もっと他で家族のいない子どもたちに対する支援が盛んに行われていたり、そういうきっかけがたくさんあるならいいと思うんですけど。でも日本ではそういうことは少ないですしね。
確かにドラマに出てくる子どもたちの境遇は可哀そうと思える描写が多いですが、違う意味で、もっと傷ついている子どもだって現実にはいると思いますし、そういう子たちの支援に気持ちが行くことは大事だと思います。

お礼日時:2014/01/28 20:24

No.4です。

お礼ありがとうございました。私も「物語を作る側の人間」として、
この問題について改めて考えているのですが、やはりややこしい問題なんですよね。
日本には「表現の自由」という概念がありますが、だからと言って何でも
していいわけではありません。「フィクション」という言葉を使えばテレビ局様は
何を作ってもいい、というわけでもありません。
やはり今回のケースは、「児童養護施設」という特殊な場所を舞台にするのに
配慮が足りなかった、というのが一番の原因だと思います。

世の中に誰も傷つかないドラマなんて無いです。だから、
「このドラマを放送したらどこかの誰かが傷つくかもしれないなぁ」
なんて漠然とした不安には配慮しなくていいですが、
「このドラマを放送したら○○で働く○○の人が傷つくかもしれないなぁ」
と、被害者の顔が具体的にイメージ出来る場合は配慮しなければいけません。

質問主様は、「信じる人が居るわけがない」と言いますが、児童養護施設は
一般の人に馴染みがありません。学校などが舞台であれば、
「100%フィクションだ」と分かりますが、児童養護施設は「99%フィクションだと
思うけど、残り1%はどうなんだろう」という疑問は生まれてしまいます。
このドラマを見た人(視聴率から計算すると約2000万人)の1%でも本気にすれば、
児童養護施設の人は何も悪いことをしていないのに、全国20万人の人に
嫌われることになります。
また、正直言って、信じるとか信じないは大した問題ではないのですよ。
信じなかろうが、「子供を虐待するドラマのモデルになった施設」という汚名は
絶対に消えません。
「あのドラマはフィクションと分かっているけど、やっぱりなんとなく嫌なイメージがついた」
という印象は、子供大人関係なく、持ってしまいます。
真面目に働いている職員からすればたまったものではありません。
これが「職員へ対する侮辱」です。

例えば今、全国のスーパーでアクリフーズの商品が撤去されています。
農薬が出た群馬工場以外の商品も、「お客様がなんとなく嫌がる」という理由で
撤去されています。
このように人間というのは、理屈よりも感情で動く生き物です。

ですが、この感情というものがややこしいです。「フィクションでどこまでしていいのか」
「どこが舞台なら気を使わなければいけないのか」などは、明文化出来ません。
そのバランスを考えて作っていかなければ今回のようなトラブルになります。
少なくとも、不特定多数の人を相手にするテレビ局やスーパーの人間は、
そういう「一般人の感情」に対する嗅覚が敏感でないといけません。

この問題に対して意見を言っている一般の映画ファンの人のHPです。
http://hakaiya.com/
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この回答へのお礼

再度ご回答ありがとうございます

ややこしい問題。そうですよね。皆さんのご意見を聞いて、今私はドラマに対して賛成とも反対とも思いません。ただ、「中止」には賛成できませんが。

>「職員に対する侮辱」
分かりやすい説明をありがとうございます。
確かに100%なんてありえないし、世の中色んな人がいますよね。信じてしまう人もいるだろうし、そういう人の存在で実際の職員の方たちが嫌な想いをする可能性もあり得ますよね。
(『アクリフーズの商品』は農薬は入っていなくても、杜撰な管理しかできない会社の製品と言うことで敬遠されているのではないでしょうか?)


確かにこのドラマは配慮が足りていないことが多いと思います。それに対して「抗議した」事や「中止を求めた」「不適切なドラマだと言う意志を示す」ことが大事なのかもしれません。これだけ抗議したことがニュースになれば、信じる人もかなり減ると思いますし。
それでもやはり、私が「フィクションであって、現実なわけない」と思って見ているせいでしょうか。『「中止」はやりすぎじゃないか?』と思ってしまいます。

お礼日時:2014/01/28 20:19

足の悪い、怖い院長とか、一昔前の解り易過ぎる、子供向け番組みたいな設定で、思わず、噴き出してしまいました・・・



解り易過ぎるフィクションですが、「この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません」と、表示して、ダメ押しすれば、良かったのでしょうか?

自分の身近には、施設で育った人がいないので、どこまでが当事者の気持ちか分かりません。

「子供が傷付くから、放送を中止して欲しい」と発言してるのは、施設側の人たちのように見受けます。

子供が傷付く云々もあるかもしれませんが、むしろ、施設側の職員さんたちが、ドラマに出て来るような、オカシナ施設職員と同じように見られるかもしれないという誤解の方を恐れているのでは?

それと、日本では、育ての親より、産みの親が優遇される土壌があります。

ドラマの中で、子供たちが、積極的に、恵まれた環境の養父母の元に養子に行こうとしたり、「捨てられたんじゃない、私がママを捨てたんだ」みたいなセリフとか、面白くないと感じる人も多いのではないかと思いました。

>また、大人が決めた制度の中で生きざるを得ない社会の中で、護ってくれる「親」を持たない子どもたちの目線から描いたドラマも大切なのではないでしょうか。

このドラマの中の「子どもたちの目線」自体も、フィクションという認識が必要だと思います。

このドラマはドキュメンタリーではなく、娯楽作品ですから、ドラマ中で起こる全ての出来事を現実とリンクして見てはいけないと思いました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

、「この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません」という表示はあったように思います。

>このドラマの中の「子どもたちの目線」自体も、フィクションという認識が必要
もっともでした。こんなに芯の強い子どもたちの訳がないですよね。

このドラマが悪いとかいいとかではなく、「ドラマでの出来事を現実と思われること」や「ドラマによって揶揄される子どもが出ること」が問題なんですね。でもそれなら、中止以外にも、中止以上にも方法があると思うのですが。。。

お礼日時:2014/01/23 21:51

No.3さんが載せていた関連記事の



『施設の子どもに対する「想像力の欠如」と「加害性」』の内容につきると思います。

『実際に同じような施設で暮らす子どもたちが放映の翌日、学校に行った時に

「お前のところも食事の前に、泣けよ、とか言われるわけ?」などとからかわれる可能性がある。

日頃、施設から通学していることをあまり口にしたくない多感な子どもたちにとって酷なことではないか。

あるいは「お前のところも、ペットショップみたいに、新しい親を探して、

お試し期間とかやったりするのか?」

とも言われるかもしれない。

それがどれほど残酷なことか。

施設にいる子どもたちにとって、あの放送は「加害性」があるものだったといえる。

番組の制作者はどう感じているのだろう。』

『一番守らねばならない「施設の子どもたち」への「想像力」を失い、

彼らを傷つけているのだとしたら、それはどんなに良い放送をしても意味がない。』


…ということを、放送を観た後に感じた方々があまりにも多いから、これだけ問題になっているのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

確かに同じ境遇の子どもたちが傷つくことは避けなくてはいけないことですよね。私はあの時間帯のドラマを学童が見ていることを想定していませんでした。

お礼日時:2014/01/23 21:46

実際に養護施設にいる人や出身者が見てどう思うのか?というのが問題なのであって、当事者以外の意見は無意味です。


ちなみに、日テレは中止しないとコメントしているのでこれで終息ですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

当事者以外の意見は無意味ということであれば、中止しなくてはいけないドラマと言うことでしょうか。
当事者が「中止しろ」と要求していて、日テレの「中止しない。見守って欲しい」は『実際に養護施設にいる人や出身者』ではないので、無意味な意見というですよね。

お礼日時:2014/01/23 21:42

この回答自体に非難があるのを前提に書くならば、



「あのドラマにクレームを付けるような輩がもっともああいう子供に偏見を持っているのだろう」というのが感想です。
単純に言えば、クレームの内容は「あのような境遇の子供たちは『可哀想』だから、からかいやイジメにつながるような内容のドラマはNG]ってことだと思います。
逆に、例えば父親が弁護士で母親が芸術家などのような社会的地位の高いとされている家庭に生まれた子供が面白おかしく扱われたようなドラマだった場合に「家庭に恵まれた子がからかいやイジメの対象になるからNG」などという同様のクレームが起きるでしょうか?
多分クレームはここまで大きくならないでしょう。なぜなら、そのような境遇の子供は『可哀想ではない』からでしょう。

これって、生まれた環境や出処で子供を「可哀想」とか「可哀想ではない」という偏見以外の何者でもないように思います。

もちろん、自分自身が全く偏見も持っていないかといえばウソになりますが、少なくとも子供を生まれた環境や出処で「可哀想」とか「可哀想ではない」などと声高々に言うような行為はしたくありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自分を護ってくれる絶対的な『親』が不在の訳ですから、大人社会の中では弱者に当たるとは思います。傷つきやすい立場ではあるけれど、だからこそ自分たちが支援していけばいいんだと言う啓発にもなるドラマだと思っていたので、一つ一つの反対意見はもっともかもしれませんが、単に『中止しろ』は違う気がします。むしろ、ドラマに出てくる『偏見を持った大人たち』を見て、それは実は自分たちの事なんだと気付かせることもできると思うのですが…。

お礼日時:2014/01/23 21:40

まあ、批判はナンセンスですね。


日本に総理大臣は1人しかいません。総理大臣をおちょくるような作品は作れないのか?
否、大いに結構。
反対意見の存在しない民主主義は有り得ません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

フィクションはフィクションであり、実際の施設や現状がこうだ!と言っている訳ではないし(そう思わせる力は持っているにしろ)、ここまで反対意見があるものかと驚きました。

お礼日時:2014/01/23 21:35

えとですね、確かにフィクションなんですが、作中に赤ちゃんポストが出てくるでしょ?


あれは日本に一つしかないんですよ。
従ってみんなその病院の話しとして見ちゃう。


もしフィクションで東京にあるとあるドーム球場の野球チームが全員薬物をやってて~、とかやったらどうですか?
架空のチームだよって言っても、どうみてもジャイアンツでしょ?



日本にある、とある赤ちゃんポストがある施設で入所者や職員が~、ってやったら傷つきますよ。
どっかの施設じゃなくて、赤ちゃんポストがあるのは日本で『そこ』しかないんだもの。
どうみてもそこの話しじゃないですかー。
せめてその編を配慮すべきだったと思います。


このドラマが流行れば、
件の病院に足を運んだり、除き込んだりする輩が必ず出ます。
入所者をポストポスト指差すやつも出るでしょう。


フィクションとして描く以上、どこのどの施設だと分かるようにすべきではなかったのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

不勉強で申し訳ないのですが、慈恵病院は赤ちゃんポストを設置しているだけではなく、養護施設も併設されているのですか?私は、赤ちゃんポストが一つしかないのは知っていましたが、それと施設を結び付ける関連性はないと思っていました。施設が特定できてしまうのであれば、確かにドラマの表現はかなり不適切ですね。

お礼日時:2014/01/23 21:33

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