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趣味の高尚さ、低俗さについて質問させていただきます。

私と私の父は読書が趣味です。
その父は頻繁に、高尚な趣味、低俗な趣味という言葉を口にします。
例えば、電車の中でスマートフォンを利用しているのは低俗な趣味でありくだらないことだ、というように使います。

しかし、私はそうは思いません。なぜならば、趣味とは所詮時間を潰すためのものであるから、他人に迷惑をかけない限り何をしても、同じ価値を持つ(高尚、低俗の差がない)と思うからです。

ですが、よく世間一般で読書は(読んでいる本で区別されることはありますが)真っ当な趣味であるとされることが多く、それに対して上記の例や、ゲームなどはくだらないものである、とされることが多いように思えます。

この違いというのはどこから来るものなのでしょうか?

父に聞いても、「そんな当たり前のことは自分で考えろ。」「そんなのは言うまでもないことだ。」などと、納得のいく説明をもらえません。

もしその違いが、趣味から得られる知識の質や量であるとするならば、(読む本にもよりますが)確かに読書の方がゲームに比べて、国語という観点ではより多くのものが得られると思います。
しかしそのような主張をするのであれば、広辞苑などの辞書を読んでいればいいのでは?と思います。
趣味の貴賎を勉強に有用か否か?という観点で考えると、このような結論に至り納得いきません。

また、私の読む本のジャンルについても文句を言われることがあります。
私は、マンガから純文学まで様々なジャンルの本を読むのですが、例えば"太陽の季節"(作:石原慎太郎)を読んでいたときは褒められたのですが、"ダイヤモンドダスト"(作:南木佳士)を読んでいたときは、ひどく詰られました(そもそも父はダイヤモンドダストを読んでいません)。マンガも、言うまでもなく怒られてしまいました。さらに、方法序説(著:デカルト)までも怒られました。
このような本の優劣(私はないとは思っています)があるならば、それは何に依存するのですか?

怒られた理由に関しては、父の頑固な性格ゆえ、自分の理解できないことはほとんど否定してしまう、というのが主な原因だと思っているのですが……

長々と失礼いたしました。
上記の質問
1 趣味の貴賎は、あるとすればどこからくるのか
2 本の優劣は、あるとすれば何に依存するのか
について、回答者様が納得した考えをお聞かせください。

A 回答 (10件)

これは、言葉の定義とか何が高尚で何が低俗か、という問題ではありません。



自分が良いと思ったものだけが良いと思い込み、自分の理解できないものを否定する、という、非常によく見られるタイプの人間が質問者様の近くにいる、というだけのことです。

こういう人間に対しては、そもそも読書など男のするものではないとか、太陽の季節こそ低俗小説の極みでチンポで障子に穴を開けるのが話題になっただけだ、とか反論しても意味がありません。

気に入らないものはとにかく気に入らないのだ、という分かりやすい感情論でしか物を言えない人とは議論ができませんので、一切聞く耳を保つ必要はありません。

というわけで、質問者様の推測通りだと思います。はいはいと言って聞いていればいいのではないでしょうか。

この回答への補足

回答ありがとうございます。


やはりそうでしたか…

ならば、世間で認められる趣味、認められない趣味というのも、感情論から出た価値観が、なんとなく広まってしまった結果である、と考えてもいいんでしょうか?

補足日時:2014/01/26 11:28
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こんにちは。



多趣味な者です。

趣味が時間潰しという考え方には賛同出来ません。

私は、幼い頃から工作好きで、自分で遊ぶための玩具などは自分で作って遊んでましたが、暇潰しと思ったことはありません。

また、小学4年生の時に簡単に作れる、ゲルマニウムラジオを作ったことが切っ掛けで、無線機作りに興味を持ち、中学1年生の時にアマチュア無線の初級従事者免許を取得して日本全国のアマチュア無線局の人達と無線交信を楽しむようになり、中学生ながら大人の人達(無線愛好家)との接し方(コミュニケーション)を知りました。

その後、高校生になってからは上級のアマチュア無線従事者免許を取得して、海外のアマチュア無線局の人達とも交信するようになり、日本国内はもとより海外の地理にも詳しくなりました。

そして、無線好きが高じて電子専門学校で電子工学を勉強して職業無線従事者免許など電子電気関係の免許を複数取得したことで、電子機器関連企業に就職が有利になり、定年退職を迎えるまで某通信機メーカーに勤務してました。

ちなみに、私がアマチュア無線を始めた50年前当時は「King of hobby」と呼ばれ趣味の王様と高く評価されてました。

何しろ、現代のように完成品の無線機なんて滅多になかった時代(米国製の無線機は当時50万円から100万円程度と高嶺の花)ですから、趣味を楽しむために無線機やアンテナを自作しなくてはなりませんので、無線従事者免許を取得するだけの知識だけではなく、無線機などを作れる技術や知識も必要だったからです。

その他の趣味もたくさん持ってますが、趣味に高尚も低俗もないと思ってますし、単なる時間潰しではなく知識や技術を磨き上げる趣味も世の中には存在することを知って欲しいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。


そうですね。
趣味が時間潰しでしかない、というのは言い過ぎでした。
申し訳ありませんでした。

趣味が高じて仕事になるというのは、何とも楽しそうな人生のように思えます。

お礼日時:2014/01/26 11:32

ゲームはあらかじめ作られたプログラムを使用して楽しんでいるんですけどそんなに高貴なのですか?



結局は、作者側にはめられているんでしょ?

この回答への補足

回答ありがとうございます。

私はゲームが高貴だとも低俗だとも考えていません。
それに、もしそのような考えに基づいて判断するのなら、例えば読書、音楽なども、(やり込みの深さの違いはもちろんありますが)ただ作者の書いたものに沿ってシーンを想像するだけ、ただ作曲者の書いた楽譜に追従するだけ、というように言えるのではないでしょうか。
回答者様の言葉を借りれば、それは作者、作曲者にはめられていることになると思います。

補足日時:2014/01/26 11:37
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 たとえば履歴書などに「趣味」を書く場合。


読書・旅行・映画音楽鑑賞
お父さんのおっしゃるところの趣味とははこういうものです。

 ネットサーフィン・TVゲーム・コミック購読
などとは普通書きにくいと思います。

 この恥ずかしく感じるか感じないかなどがその人にとっての趣味の貴賎なのでしょう。
こればかりは年齢とかの問題ではなく、その人の考え方の違いです。
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。


たしかに、回答者様のおっしゃる通りそのような趣味は書きにくいし、私も書くのは避けてしまいます。
ということは、私の中でも、建前は趣味の貴賎はない、と言っていますが、実際には貴賎を考えてしまっている、ということになりますね…

そう考えたら、なかなか考えがまとまらなくなってしまいました。

お礼日時:2014/01/26 11:43

こんにちは。



質問者様がおっしゃっているように、
他人に迷惑をかけないものであるなら、個人的な事柄ですので基本は優劣などないと考えています。

直接ご質問内容にお答えする前に、云わせてください。
「何かを貶めることで」価値観を値踏みするという行為そのものが野蛮です。
解らないものについて批判することも同じです。

それをふまえた上で、あえて回答させていただくとするならば……。

1.は、主体性の有無ではないでしょうか。
”流行っているから、とりあえず”という弁別法は、私個人も苦手です。
流行りを入り口として活用するのなら良いと思いますが、
自身の価値観が完全に欠如している場合は、思慮が足りない”様に”みえます。

2.「今」という時代を的確にとらえた作品や、
はるか以前より読み継がれ、普遍的価値を持つものは、優秀といえるでしょう。
無個性の二次創作品や、かつては優秀であっても、自己模倣に陥っている作家の作品などは、
どれほど認知度が高くとも、「劣」の部類と考えています。

ではでは(^_^)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど、非常に納得しました。
主体的ではない趣味というのは、そもそも趣味と言っていいのかわかりませんが(笑)

ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/26 12:04

一言で言ってしまえば「価値観」。



貴方のお父様は、前例踏襲主義で新しいものは頑として受け入れない中央官僚のお役人そのものですね。
別の言い方をすると、他の(同世代の)人と違うことをするのを著しく嫌う。他の人と違うことをすると無視されるという強迫観念が無意識化にある。
これは学生世代にも言えること。
ということは、もう日本人の性質みたいなもんですね(^^;

でも考えてみてください。
「自分が理解できないことは否定する」というのはイジメを容認し、最終的には人種差別・戦争に発展する考え方です。
そういう人が国や企業など組織のトップに居ると全体がそういう流れになって歯止めが効かない危険な状態に陥りやすい。そして危険という認識をしにくい。


質問の趣旨と違うかもしれませんが、根幹は共通だと感じます。
そういうところを政府や大企業はうまく利用して先導しているかもしれないので、間違った方向に進まないようジャンルを特定せず本を読みましょう。
マンガも深読みする力があれば考える力を養う非常に有益な教材になります。
他人の考えを知るだけが本じゃありません。そこから自分なりに咀嚼して理解を深め今を読み解き将来に役立てるっための手段のひとつ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。


スレテオタイプな言葉になってしまいますが、まさにかなりお堅い役人気質です。

趣味のことに限らず、
"理解できないもの=くだらないもの"
という論調で話されると辟易してしまいます。
せめて、反面教師としてそうならないように気をつけます。

素晴らしい回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/26 12:11

よくいるタイプですよね。

自分のいいと思うものは、いい。自分が認めないものは悪いという、とてもわかりやすい人。

読書もゲームも漫画も、表現方法が違うだけで、貴賤はないと思うんです。世間に認められやすいもの、認められにくいものは、ありますけどね。

うちの親も漫画やゲームを否定してますが、それ漫画の映画化なんだけど(実写版)というのをを絶賛して見てます┐(  ̄ー ̄)┌

知らないということは恐ろしいことです。同時に幸せなことかもしれない。

他をおとしめて、自分のいいと思うものを引き上げることで満足しているんだと思いますよ。

太陽の季節は、どちらかというと苦笑い…みたいな感じだったのでワンピースの方が好きです。

趣味は楽しむことが基本だと思います。人に迷惑をかけるものはダメだけど、それ以外は自由ではないでしょうか?
趣味に高尚とか低俗とかレベル分けみたいなことをするのは、私は無意味だと思います。でも、その人にとっては価値のあることなんだろうなって思います。

下に見たり見下す対象を作ることで、高尚な趣味をもつ自分を優位にしたい、みたいな下心が嫌らしい感じがします(;_;)
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ま、いまさらですが・・・



残念ながら高尚な趣味と低俗な趣味というのはあると思います。
でも本が高尚でゲームが低俗である、という単純なものでもありません。

でもゲームは基本的には高尚であるとは思えません、なぜか。

私は高尚な趣味と低俗な趣味の違いは「自分のオリジナルティ(創造性)をどれだけ発揮できるか」「それによって新しい価値を創造できるか」という点にだと思います。

ゲームについていえば、基本的には「誰かが作ったシナリオの中で遊ばされている」ものであり、ほとんどゲームの枠組みから出てオリジナリティを創造する事はできません。

それならまだプラモデルや鉄道模型のほうがましで、単にきれいにプラモデルを作るところから、ジオラマ(背景や風景を一緒に作ること)で世界観を創造する事ができます。鉄道模型で例を挙げれば、江ノ電のある駅に、病気で亡くなった子供さんが運転手になる夢を表現した模型電車が飾られていて、このような価値の創造ができることこそが「高尚」なのではないでしょうか。
参照:http://www.enoden.co.jp/train/giorama.htm

読書においても、単に多読であるだけなら低俗です。多読であるがゆえに、多様な価値観を知るとか、多彩な世界、難しい問題などに切り込めるだけの知識を得て、それを実生活に生かしていけて初めて読書が生きてくるのです。

このように知識を実生活に生かしていけるなら、ネットサーフィンでも高尚な趣味になりえるでしょう。また、ネットであるがゆえに、自分のホームページなどでその知識を生かした研究結果などを発表することもできるでしょう。

またそれがライトノベルばかりであったとしても、批評が中心であったとしても、現代に生きるライトノベルを必要とする中高生の実態にするどく切り込める批評を展開できるなら、十分に高尚になりえると思います。もちろんその点では漫画も同様です。

このほかに高尚とされる趣味にはたとえば盆栽などがあるでしょうか。短歌などもそうでしょうか。
これらは定期的に発表会などもあり、また川柳などは見事に時代を切り取って現代社会の世相をあぶりだしてくれることもあります。

このような「社会の一面の切り出し」は写真や絵画・造形・ドキュメント映画などでも行われますが、川柳だからこそできる切り取り方もあるといえます。
このようなものは高尚であるといえるでしょう。

ということで、どんなものでも「その世界を作った人の手のひらで遊ばされている」なら低俗です。残念ながら、ゲームやパチンコはその最たるものであるといわざるをえません。しかしそのようなものでもひとたび「その世界を作った人の意図しない展開」を作り出せるなら、それは十分に高尚になりえるでしょう。

私はそれが教養というものの本質だと思います。
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1、それを趣味にしてる人たちのモラル、マナー


 モラル、マナーが良ければ高尚といわれ、悪ければ低俗と言われる
 本来、趣味に貴賎なんてものは無いはずなのに

2、多くの人に読まれ、絶賛されている本
 誰の目から見ても、素晴らしいものであり、尚且つ判断者が知っている本
 ただし、本人が読んで何も感じないのなら、その本に価値など存在しないも同然
 まあ、2に関しては自分の好きな本を読んで学べればいいんじゃないの?って思いますね

お父さんに関しては、自分の世界が狭いのでしょう
デカルトを読んでて怒られるというのはちょっとってなります
いっそのこと、我が闘争(アドルフ・ヒトラー著)を読んでみては?
怒られたら、
「自分はヒトラーが嫌いだ、大嫌いだ。 だけどその人を知りもせず批判する自分はもっと嫌いだ
だから、これを読んでるんだ」
って言ってみたらどうでしょう
知りもせず批判と言う時に精一杯の皮肉を込めてどうぞ
知らなくてもダメな人間と言うことは分かるだろって言われたら
「テレビとかの情報は誰かの意図が混入しやすい。 だからその人が書いた、その人の思想が入った本を読んでる」
とでも言っておいてくださいな
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私も質問者様と同じく、趣味は楽しみでありそれ意外の何でもないと思います。



あえて、その違いを考えるならば、その趣味が習慣になった時に自分を高めるか貶めるかでしょうか。

私は文学は世界や人生をひらけてくれるものだと思っています。でもゲームは楽しみそのもので、人生を劇的に変えたりはしないでしょう。パチンコは楽しみですが、生活を貶めることもありえます。

本の優劣は何に依存するかということですが個人差があるのはあたりまえではないでしょうか。価値観はおのおの違いますから。私は本の優劣は物語、文体、雰囲気、読後感色々です。
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