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解放講堂からの時計台放送が一向に再開する気配がありませんね。
どう思いますか。

>「我々の闘いは勝利だった。全国の学生、市民、労働者の皆さん、我々の闘いは決して終わったのではなく、我々に代わって闘う同志の諸君が、再び解放講堂から時計台放送を真に再開する日まで、一時この放送を中止します」


かつて学生運動があった時代に解放講堂からの時計台放送を中断したと聞きます。
しかし、一向に再開する気配がありませんね。
放送を再開することはほぼ無いと思います。また、今時誰も望んではいないのでは無いでしょうか。
当時戦っていた学生は今どう思っているのでしょうか。
反省しているのでしょうか。
また、当時学生運動に参加しなかった人から見て現在の状況は安心しますか?

というか、中断当時は「我々の闘いは勝利」でも現在の評価では学生運動の存在がすでに「敗北」のような気もします。

A 回答 (1件)

この時計台放送は、“いつの日か、自分たちのやったことを理解してくれる同士が、再び蜂起して意思を継いでくれるだろう・・・”という希望の意味でそう言ったのかと思いますが、いかんせん当時と今とでは、日本が内外で置かれている政治的な状況が全く違うし、加えて今の「一億総ノンポリ」では、この放送が再開されることはもうないでしょうね。


逆を言えば、政府が国民のキバを抜いてしまって、意図的に「政治的白痴国民」を作ったともいえます。そうしておくことで、たとえ政治的な不満があってもかつての騒乱のようなことにはならないと踏んでいるのでしょう。

私は当時のセクト世代よりも若い世代ですが、当時最も政治にビビッドであった学生と比べて、今の学生といえばのほほーんとして無気力で怠惰な生活を送っているという、この「時代ギャップ」には危機感を覚えます。
加えて、適当な理由をつけて選挙で投票をしない国民をみるにつけ、「投票率の低さ=国民の政治的レベル」と同義のような気がします。
国民は政治には決して満足していないはずなのに、耐えることが美徳であると植え付けられてしまったのは、悲しい末路です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

政治的な関心が無い人をノンポリと言ったらしいですね。
社会的な状況は違いますし、そうはいってもほほーんとしているかというとそうも思いません。
10年以上前に始まった愛国者化は若者発だったと思います。
その後、良いのか悪いのかは別として日本に対立する国を批判する本が一時人気となりました。

お礼日時:2014/03/14 22:44

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