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法然の一弟子として終わろうとしたのでは
ないのでしょうか? 親鸞の弟子が始祖にして
真宗を作ったのでは?

親鸞が真宗を作ろうとしたので、あれば法然の
教えに異議があったという事でしょうか?


例えばキリストはユダヤ教の戒律主義に異を
唱えて愛を広めただけで、最期までユダヤ教とで
あったと、パウロがキリスト教を作ったと本で
読んだ事があります。

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A 回答 (8件)

 No.5です。




 ○ 念仏は 往生する(ブッダになる)ために必要か否か?

 ☆ 親鸞は《要らない》と言ったと見る立ち場から この問いについてのみ 述べます。


 ▼(親鸞:他力 / 義なきを義とす / はからひ無き) ~~~~~~~~
 (あ)(末燈抄(親鸞の書簡)・十) 他力と申し候ふは とかくのはからひなきを申し候ふなり。

 (い)(同上) 仏智不思議と信ぜさせ給ひ候ひなば 別にわづらはしく とかくの御はからひあるべからず候ふ。ただ ひとびとのとかく申し候はんことをば 御不審あるべからず候ふ。とかくの御はからひあるべからず候ふなり。

 (う)(同上:九) 他力には 義なきを義とするとは申し候ふなり。

 (え)(歎異抄・十) 《念仏には 無義をもつて義とす。不可称・不可説・不可思議のゆゑに》と仰せ候ひき。

 ☆ なお 次の書物によっています。
  ○ 伊藤博之校注:『歎異抄 三帖和讃』 1981 (『末燈抄』をふくむ))
 ~~~~~~~~~~

 (1) これによって――類推するかたちですが―― わたしたる人間がその意志によっておこなう《念仏》は それが思わず口をついて出てもよいであろうけれど 往生するためには 要らない。と考えられます。




 ▼ (末燈抄・一)(お) 真実信心の行人は 摂取不捨のゆゑに 正定聚のくらゐに住す。信心のさだまるとき往生またさだまるなり。 
 
 (2) 《摂取して 捨てず》なる他力によって 往生する。他力を得たとき 信心がさだまり 往生もさだまった。――ここに 《念仏》は要らない。




 ▼ (末燈抄・六) ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 (か) 信心決定の人は うたがひなければ(疑いがないので) 正定聚に住することにて候ふなり。

 (き) さればこそ愚痴無智の人も をはり(臨終)もめでたく候へ。如来の御はからひにて往生するよし〔を あなたが〕 ひとびとに申され候ひける 少しもたがはず候ふ(間違っていません)なり。・・・かまへて学生沙汰せさせ給ひ候はで(学者ぶった議論をなさらないで) 往生をとげさせ給ひ候ふべし。



  ▲ (く) (法然:一枚起請文) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   念仏を信ぜん人は たとひ一代の法をよくよく学すとも 一文不知の愚鈍の身になして 尼入道の無智のともがらに同じくして 智者の振舞をせずして 唯一向に念仏すべし。
   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ (ぶらじゅろんぬ註) すなわち 法然にあっては 《念仏》をおこなうのである。




 (け) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   故法然聖人は

     浄土宗の人は愚者になりて往生す

 とさうらひしこと(おっしゃったこと)を たしかにうけたまはり候ひし上に(承ったその上にさらに) ものもおぼえぬあさましきひとびとの参りたるを御覧じては 

     往生 必定すべし

 とて ゑませ(微笑み)給ひしを 見参らせ候ひき。文沙汰(学問上の論議)して さかさかしき人の参りたるをば

     往生はいかがあらんずらん

 と たしかにうけたまはりき。いまにいたるまで おもひあはせられ候ふなり(思い出される)。ひとにすかされさせ給はで(だまされたりなさらないで) 御信心たぢろがせ給はずして おのおの御往生候ふべきなり。ただし人にすかされ給ひ候はずとも 信心のさだまらぬ人は 正定聚に住し給はずして うかれ給ひたる人なり。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ このくだりについて さらに枠の外で考えます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 (3) (け)で《信心がさだまる・さだまらない》というのは (お)⇒(2)で見たとおり 《他力によって摂取されたかどうか》による。すなわち 《その摂取を こんどはワタシたる人間が 心より受け容れたかどうか》による。

 (4) そしてそのまま死ぬまでの一生を送る。

 (5) すなわち 念仏は口に出してもよいが 往生するには要らない。
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 俗に真宗のボーズと呼ばれるものです。

すいません。ちょっと今いろいろ立て込んでいるので、短めに。

>>法然の一弟子として終わろうとしたのではないのでしょうか? 親鸞の弟子が始祖にして真宗を作ったのでは?
 そうですね。親鸞聖人は宗派を立てるつもりはありませんでした。ですから、親鸞聖人は『三帖和讃』高僧和讃には

智慧光のちからより 本師源空あらわれて 浄土真宗をひらきつつ 選択本願のべたまう

と説いておられます。ここでいう浄土真宗は「(法然聖人が開いた)浄土宗こそ真の教え」みたいな意味で、現在の使い方とは違いますが自分が一宗派を立てたという感覚ではないことが分かります。

 しかも、真宗内部においても親鸞聖人が初代と考えられるようになったのは、ある意味九代目の実如上人以降です。その証拠に現在八代目といわれている蓮如上人は自身を「七代目」と名乗っていて(詳しくは吉川弘文館『人物叢書蓮如』を参照)、親鸞聖人を初代と数えていません。これは、現在三代目とされる覚如上人は法然聖人⇒親鸞聖人⇒如信上人の「三代伝持の血脈」という教えの継承を示しその後継者は自分であるということを主張しましたが、直接の面識があるのは如信上人のみだったので、如信上人を初代としたと考えられます。しかし、蓮如上人の後を実質的に継いでいた順如上人が蓮如上人に先んじて亡くなってしまい、次を継いだのが現在九代目の実如上人が継ぐことになりました。本来七代目蓮如上人⇒八代目順如上人⇒(蓮如上人)⇒九代目実如上人であったわけですが、実如上人と順如上人は異母兄弟で不仲説が残っています。ですから、実如上人は自分は九代目のままで、兄順如上人の名前を歴代から消去するために、法然聖人とともに別格扱いであった親鸞聖人を初代に繰り上げて、初代親鸞聖人⇒二代目如信上人⇒覚如上人⇒・・・・・八代目蓮如上人⇒九代目実如上人という事にしたのではないかということも言われています。

 また、浄土真宗外部からも浄土真宗が一派閥として認められるのは室町時代に入ってからです。それは、法然聖人の亡き後の門下をまとめた史料からも読み取れます。1257年成立の七愚勧住信著『私聚百因集』、または1311年成立の凝念著『浄土法門源流章』によれば、法然上人亡き後の教団を「五流」としています。名前だけを挙げますと、幸西上人の一念義、証空上人の西山義(現在の西山浄土宗の流れ)、隆寛上人の多念義、聖光上人の鎮西義(現在の浄土宗の流れ)、長西上人の諸行本願義、の五つです。この中に親鸞聖人のことは一切記されていません。親鸞聖人の流れが存在することが、真宗史料以外の浄土教内において客観的史料で現れる最初は1416年成立の浄土宗八代目聖聡上人の『浄土三国仏祖伝集』のなかに初めて「一向義」という名前で紹介されています。つまり、史料的に見れば、法然聖人の浄土教団内においても浄土真宗が一宗として認められるようになるのは、1311年~1416年の間くらいなわけで、親鸞聖人の直接の影響力とはいえません。

 上述のような理由から、親鸞聖人が浄土真宗を開いたという事は一概には言えないと思いますし、親鸞聖人もそのつもりはなかったでしょう。

 あと、余談ですが

>>親鸞が真宗を作ろうとしたので、あれば法然の
>>教えに異議があったという事でしょうか?

という質問に関して、No,5のbragelonne氏が法然聖人と親鸞聖人の教義的な違いを『歎異抄』第八章を例に出して指摘しておられますが、これには大きな誤解があるので記しておきます。

念仏は行者のために非行・非善なり。わがはからひにて行ずるにあらざれば非行といふ。わがはからひにてつくる善にもあらざれば非善といふ。ひとへに他力にして自力をはなれたるゆゑに、行者のためには非行・非善なり

という『歎異抄』第八章の言葉は、他にも三代目覚如上人が『口伝鈔』第五章にも引用しておられます。

一 自力の修善はたくはへがたく、他力の仏智は護念の益をもつてたくはへらるる事。
たとひ万行諸善の法財を修し、たくはふといふとも、進道の資糧となるべからず。ゆゑは六賊知聞して侵奪するがゆゑに。念仏においては、「すでに行者の善にあらず、行者の行にあらず」と等釈せらるれば、凡夫自力の善にあらず。まつたう弥陀の仏智なるがゆゑに、諸仏護念の益によりて六賊これを犯すにあたはざるがゆゑに、出離の資糧となり、報土の正因となるなり。しるべし。

『口伝鈔』のなかでは、 諸善万行を修行して法財(功徳)を貯めようとしても、悪業煩悩という泥棒に積んだ功徳が盗まれてしまって貯めることができないが、お念仏は阿弥陀如来の仏智によるものであって凡夫が自力でなす行でも善でもないから、悪業煩悩という泥棒によってによって盗まれることはなく、念仏は浄土往生の糧として蓄えられ報土に生れる正しい因となるととかれます。ここでいう「非行非善」とは「万行諸善」のことで、万行諸善と念仏の比較検討の意味があります。
 また、『歎異抄』『口伝鈔』の元ネタとして親鸞聖人自身の御消息『末灯鈔』のなかに、

『宝号経』にのたまはく、「弥陀の本願は行にあらず、善にあらず、ただ仏名をたもつなり」。名号はこれ善なり行なり、行といふは善をするについていふことばなり。本願はもとより仏の御約束とこころえぬるには、善にあらず行にあらざるなり。かるがゆゑに他力とは申すなり。本願の名号は能生する因なり、能生の因といふは、すなはちこれ父なり。大悲の光明はこれ所生の縁なり。所生の縁といふはすなはちこれ母なり。

とあって、引用文「弥陀の本願は行にあらず、善にあらず、ただ仏名をたもつなり」は弥陀の本願は諸善諸行を修することではなくお念仏を称えることであるとし、続く「名号はこれ善なり行なり」名号とは阿弥陀仏が本願成就のためになされた善と行であると、対句表現で諸善諸行と念仏比較がなされいます。

 上述のように「非行非善」の意図は、「弥陀の本願念仏は、諸行でもなく諸善でもない」ということを言っているわけです。そして、この諸善諸行と本願念仏の比較検討をして「諸行を選捨して、選称仏名を選取す」という「廃立」の立場を強く打ち出したのが法然聖人の『選択本願念仏集』です。つまり、この『歎異抄』第八章や『口伝鈔』第五章根拠、そして『末灯鈔』の根拠は法然聖人の『選択本願念仏集』にあるわけです。

 ほかにも、親鸞聖人独自の解釈といわれている「三願転入論」も、法然聖人の「行具の三心」説をベースにしていて、また親鸞聖人の「浄土和讃」には「定散自力の称名は果遂のちかひに帰してこそをしへざれども自然に真如の門に転入する」とありますが、法然聖人の『十七箇条御説法』には「十九願は諸行の人を引入して念仏の願に帰せしめんとなり」とあり、三願転入論も法然聖人の思想がそのベースにあることがうかがえます。
また、称名に関しても親鸞聖人は「報恩の行」としての「報謝の称名」を説かれるわけですが、これも法然聖人は『つねに仰せられける御詞』の中で「人の手より物をえんずるに、すでに得たらんと、いまだ得ざるといづれか勝るべき。源空はすでに得たる心地にて念仏は申なり。」とあって、人から物をもらう時に、もうすでにいただいていると思うのと、これからもらうんだと思うのとどっちが優れてますか?という問いに、私はすでに往生を頂戴した心地でお念仏を称えていますと説かれていて、これが原型です。
そして、『歎異抄』の第三章「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」は、覚如上人の『口伝鈔』の中でも法然聖人の言葉とされ、現在では『法然上人伝記』(『醍醐本』)の中に法然聖人を看取った弟子である源智上人が法然聖人の言葉として書き残したものが書写されたものが発見されています。また第十条「念仏は義なきを義とす」は法然聖人の『沙弥随蓮に示される詞』に残っている「念仏はようなきをようとす」と一致します。

 上述のごとく、親鸞聖人の御言葉を丹念に調べるとその元ネタは法然聖人の言葉の中に見出せるものがほとんどです。だからと言って二人が全く同じであるというわけではありませんが、別であるという事は言えないように思います。

 時間がなくて二十分ほどで書き上げたので、引用等々は基本ネットで引きました。間違ってるところがあるかもしれません。時間がないため誤字脱字乱文ご容赦ください。
合掌 南無阿弥陀佛
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法然の一弟子として終わろうとしたのではないのでしょうか? 親鸞の弟子が始祖にして


真宗を作ったのでは?

○その通りです。親鸞は、親鸞の信心は一代限りと明言しています。
破戒僧としての親鸞が救われる道がひとつあると説いたのが黒谷上人と呼ばれた法然だったわけですね。親鸞は法然の説いた一筋の道をただ信じただけですね。親鸞は「法然を信じる、たとえそれで地獄に落ちてもかまわない。」と言っていますので、親鸞一代の信仰であることは間違いないですね。
それが、広まった理由は簡単ですね。川の水が低いところに向かって大河になるように、ダメだけど簡単なものは広まるのですね。高みを維持することは難しいという手本のようなものですね。
ちなみに法然は戒律を守って修行する道も解いているのですね。ただ末法の世ではそれは困難なので易行道としての念仏の道も説いたということですね。女好きの親鸞にとっては、念仏にすがる道しかなかっただけですね。ダメなものほど広まるのは現代も同じですね。
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 こんにちは。




 ▼ (歎異抄第8条) ~~~~~~~~~~~~~
  http://ouraimono.terakoyapro.net/?eid=1399316

 一 念仏は行者のために、非行・非善なり。

  わがはからひにて行ずるにあらざれば非行といふ。
  わがはからひにてつくる善にもあらざれば非善といふ。

  ひとへに他力にして自力をはなれたるゆゑに、
  行者のためには非行・非善なりと云々。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これは 親鸞直筆ではありませんが ほかにも書簡などでこのように言っていたと思います。

 これによって 法然の行き方とははっきり違うということを言いたいと考えます。

 要するに 念仏をして それが修行となって さとりを得るのではないということ(非行)。
 あるいは 称名念仏が 善行として 往生にみちびくというものでもないということ(非善)。

 つまり 念仏をすることによって極楽往生するという法然のオシエとは 根本的に違っています。
 念仏をしたから 救われるなんて あるわけがないだろうって言っています。


 思わず 南無阿弥陀仏なる名号が口をついて出て来た場合は 仕方がない。ありがたいという思いがふと現われ出たというくらいに捉えておけばよい。




 あるいは 
 ▼ (歎異抄 第六章) 親鸞は弟子一人も持たず候。
 ☆ とも言っていたと受け取られます。

 《非僧非俗》という立ち場だとすれば 市民一般とは少し別の者だという意味合いがあったのかも知れません。《非僧》なら 一般市民と同じであるが 《非俗》とも言うからには 市民一般とまったく同じ生活のかたちではないと思っていたかも知れません)。ある程度は 指導者であるという自覚を持っていたのでしょうか。

 けれども けっきょくはあたかも M.ルーテルが《万人司祭》を言ったように アミターバ・ブッダの信徒は みな互いに《同朋》であるとも言った。




 これぢゃ 組織はほろびるはずです。果たして そうなって行きました。
 けれども ふつうの市民生活とそれとしての共生が 信徒であることの真骨頂であると心得られたからには例の一向一揆では そのような市民社会としての自由を打ち建てこれを守ろうとしました。

 守ろうとして 為政者に楯突き 一時は――加賀一揆などは 一世紀にわたって 市民による共同自治を曲りなりにも 信長に敗れるまで 実行したように―― この自由市民のあり方を実践しようと試みました。


 そのころ――つまり 組織がぼろぼろになっていたはずのころ―― 例の蓮如が出て来て この人間は あくまで政治的に成功しチカラのあることが 信徒とその集まりのためだという《教義》を立てて いまの一揆を煽り立てたということが 研究の成果として明らかにされています。

 (加賀一揆に 時の権力との間合いを図りながら 政治的に――信徒らを煽り立てつつ――振る舞ったと言われています。その結果 宗門は《栄える》に到りました)。

 浄土真宗が勢力をいまも持っているのは ひとえにこの蓮如の《活躍》によると考えられています。




 
 つまり結論として 親鸞は 法然とは――タテマエでは 師匠をどこまでも立てていますが―― 信仰とそれによる生活日常の行き方として まるで違うと考えられます。

 法然のオシエは いわゆる宗教として気休めの部類です。
 親鸞は 共同の戒律というようなオシエは いっさいありません。《義無きを以て義とす》でした。

 言いかえると 信仰はすべて 個人としての《わたし》にゆだねられています。いわばわたしの実存の問題であると言えるだろうと思います。
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親鸞は豊年の忠実な弟子ですね。


決して対抗の宗派の創設などは考えていなかったでしょう。
当時の求道者がそれぞれ後世の宗派の宗祖とされていますが、彼らは新たな宗派を考えてはいなかったでしょう。
一生懸命自己において探求すればどうしても展開と付加はやむを得ないでしょう。
万人がみな違う人ですから。
でも普遍を求め普遍となっていった。それぞれが。

信仰精進はただ漫然と宗祖の言う通りにするのではなく、宗祖も予定している通り展開し付加することにより歩めるものでしょう。
草原の草が風になびくがごとくに大勢に従うだけが人間ではなく、創造者や創造の原理が予定しているものではないでしょう。
素直であると同時に、自己の展開付加は宗祖が期待しているものであります。
異端こそが真の道です。

何世紀も同じ内容なんてそんなのは俗界の強制でしかない。
異人である必要はないが、奇人変人は求道者の当然のあり方でしょう。
そうして求めていくのでしょう。人における信仰と修行の宿命でしょう。
だから親鸞も自分は法然の弟子だと最後まで思い続けていたでしょう。
私は自分の信仰人生からそうであらざるを得ないと存じております。
ただただ違わないように、自己流の勝手にならないように願いながら。
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悪人正機説を採用して、時の権力者に媚びただけじゃないの?


Windows8が8.1になったようなもので、基本的な発想は大差ない。
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いわゆる浄土真宗は親鸞が創りましたが、ベースはあくまで法然による浄土宗です。


ただ、浄土宗の戒律及びその教義が不十分だと確信したために真宗を創ったらしいです。
ただし諸説ありますm(_ _)m
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真実は知りませんが、



「違う宗派を作った=異を唱える」

は単純すぎませんか?

基本的な教えは同じで、プラスアルファの考え方だったのかも知れませんよ?
いわゆる「フランチャイズ」に近いかと。

真言宗と浄土真宗と浄土宗、どれも基本的な考えは同じですからね。
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