プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

こんにちは。

よく一人旅や自分探しでインドに行くというのが流行ったみたいですが、それはなぜですか?
なぜカンボジアやネパール(あくまで例です)ではなく、インドだったのでしょう。

なにかきっかけがあったのでしょうか。

A 回答 (2件)

>よく一人旅や自分探しでインドに行くというのが流行ったみたいですが、それはなぜですか?



 自分には手も足も出ない環境の中にいるとき、人は孤立し、自分って何なんだろう?って考えるようになるのではないでしょうか。

 私がはじめてインドに足を踏み入れたのは1969年のことですが、その時痛烈に感じたのは、自分にとって『あまりにも日常的では無い』ということでした。
 例えば、ベナレス(現バラナシ)のガートで、目の前を、白い布に包まれた幼児の遺体がプカプカと流れて行くのを見たときは、驚きというよりも打撃を受けました。

 こういうことが次から次へと起ってくると、孤立してしまうんですよね。人から孤立するのではなく、環境から孤立してしまう感じがしましたね。雑踏の中を歩いているのに、雲の上から下界を見ているような、そんな錯覚に陥ってしまいました。

 こういう時、人って、自分は何なんだろう?って考えるのでしょうね。私にはそんなことを考える繊細さはありませんでしたから考えられませんでしたが、なんとなくわかるような気がします。

>なにかきっかけがあったのでしょうか。

 『自分探しでインドに行く』いう言葉は、1960年代中頃から言われるようになったと記憶しています。目標を失った先進国の若者たちが病んでいた時代です。ピッピーが世界的に流行った時代です。インドで感じる孤立感が、病める若者の心にフィットしたのでしょう。


 蛇足ですが、今のインドには、人の心を動かすような、劇的な雰囲気は無くなりました。ごく平均的な外国になりました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

インドと言う国は日本人から見るとあまりにも「非日常の国」だったのですね。

今のインドは平均的な外国という印象に落ち着いてしまったのですね。それがいいか悪いかは別として。
回答ありがとうございます。
お二方ともにベストアンサーをあげたいです。。。
なんで1つしか選べないのか。。。

お礼日時:2014/06/18 10:16

インドは仏教の故郷ってことで平安の昔から日本人にとって西方浄土の憧れの地であったわけです。

確か明治期くらいにはインド仏教美術のコレクションブームみたいのがお金持ちの中であったり、アジアはひとつ的な思想からインドと日本の知識人の交流がとくに深かった時期も戦前にあり、まあとにかく、カンボジアやネパール(あくまで例)などに比べて、ずっと人気なデスティネーションではあったわけです。

で、"たぶん"なんですが、1957年に堀田善衛が『インドで考えたこと』(岩波新書刊)を出し、その後1988年に椎名誠が『インドでわしも考えた』 (集英社文庫)を出しました。椎名誠は人気作家で、当時は熱狂的な信者みたいのもいたようです。

このあたりから、「インドは何か考えるor考えさせる場所」ってイメージが広まったのではないでしょうか。旅の目的が「考える」なら、一人旅のがいいわけですし、自分探し好きな人にはうってつけなのかもしれません。

あと、1960-70年代のヒッピームーブメントも関係していそうです。新しい価値観を求めて、悩める西洋人がインドを目指す、ってのが若者のちょっとしたトレンドだったようなので、「悩んだらインド」ってのが日本でも流行ったのかもしれません。近代社会で行き詰った人間がカオスのインドでパンチを食らう、みたいな。

こうしたことから、「インド=一人旅」的なイメージが出来上がったのではないでしょうか。あくまで私見ですが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

元々インドは憧れの地で、かつ昭和の時代に人気作家がインド紀行本?を書いてインド=一人旅というイメージが出来上がったのですね。
腑に落ちました。ご回答ありがとうございます!

お礼日時:2014/06/18 10:14

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!