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噴火の被災者はまだ増える可能性があるということで、捜索救助を祈るばかりですが、ニュースが出るたびに、「自己責任だ」とか、登った自分が悪いんだから同情できないとか言う人がいて、何だか悲しくなります。
別にニュースで伝えられてるのは、「こんな可哀そうな人たちの生活を支援しましょう」なんてことではなく、ただただ自然の恐ろしさ、非情さであり、何とか、被災者には遺体となっても、近親者に戻してあげて欲しいって気持ちだけであって、誰が悪いという論調でもないでしょうに。これは、社会参画意識とメディアリテラシーが足りないんじゃないか、と危惧します。今後、活火山への登山規制をどうするか、研究予知体制をどうするかは、山国である日本にとって、重要な課題になるかも知れません。
だいたい、同情できないとか言う人は、基本的に山登りが好きなタイプでなく、近くにもいない、どうでもいいと思っている人だと思いますが、では山登りが好きな人が社会に一定数いて、社会を共生し、税金等の負担を分かち合って生きているという意識がないんでしょうか。自分の興味ないことに、無関心なのはまだ仕方がないとして、ただ感情的に敵意を向けるようなことは、あってはならないと思うのです。
個人的なつぶやきすら情報拡散してしまう時代だとしても、ある程度の大人が、子供じみたコメントしていることが悲しいと思います。皆さん、どう思いますか。

A 回答 (13件中11~13件)

 それをここに書いてるあなたも同類だと思うよ

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>皆さん、どう思いますか。



日本のマスメディアのレベルが低いと思います。

噴火の事実関係だけを報道すればよいのに、個人の感想や、個人の意見までメディアにのって全国を駆け回るようにしている。

報道の本分を忘れた低レベルなメディアですね。
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そういう人は、自分が当事者に向かって、その意見を言えるほど度胸が無いのです。



ネットを通じて、「実名を出して」意見を述べるならば、「未成年者でも」それなりの言葉を選んで、悔やまれるという心情が最初に出るでしょう。

しかし、ネットでは、「実名を出すことなく」「反論を受けても削除できるから」と好き勝手なことをつぶやく人々がいます。これは、年齢も秘匿されていますから、未成年ほど万一のときも処罰が軽かろう、という悪循環を生んでいます。

対策は、「ニュースで」「顔も出せない実名も出せないような人間の意見を」「まるで世論の多数のように拾うな」ということです。

ネット上だけならば、ネットというメディア上のリテラシーだけで済みますが、それを無料で閲覧できる地上波でのニュースとしてマスメディアが取り扱うと、より広範な人々のマスメディアに対するリテラシーが問われる、いわゆる「民度」が問われることになるからです。

アメリカのニュースでインタビューを受けている人は、近所の人間であるとか当事者の関係性とともに実名を出してニュース上で放送されます。それだけ、自分の意見の表明に責任を持った上であえてマスメディアのインタビューに答えているのです。

それができない日本のマスコミと、取材されても意見が言えない日本人が、「匿名で済ませたい」という易きに流れる利己的引きこもりを、実社会でもネット上でも好んでしまうのが、ご質問にあるような言論やそれを安易に公表する事態を起こす根本ではないかと思います。
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