プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

こんばんは

以前に「障害は不便ではあるけど、不幸ではない」
と乙武さんは言っていました。
私は共感できません。
乙武さんは障害者の中でも勝ち組です。
障害があるがゆえに苦しむことも多いです。
自身がそうです。
障害はないに越したことはないと思ってます。

あなた様は障害は不幸ではないと言い切れると思いますか?

A 回答 (13件中1~10件)

障害があったとしても親に愛されて育った場合


それは普通の子供に比べてどれほど幸せなことかと私は思います。
障害があると妊娠中にわかり出産を諦める方さえいるのですから
それはとても悲しい現実ですね。
障害者の方が差別もなく住みやすく不便のない
世の中になることや「障害があると不幸だ」という
考えをお持ちの方がいなくなることを願います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/07 09:34

わたしは言い切れませんし、言うつもりもないです。


子供が障害をもった親が幸せだということを時々聞きますが、
そう思うまでそうとうの葛藤があったし、いまは幸せと言えても
親が年老いていくなかで先々は不安しかないです。
きれいごとを言って自己満足にひたれる人はそれでいいと思いますが、
私はまったく思わないです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/07 09:32

障害は不幸です



もし、障害の有無を選べるとしたら、有りを選ぶ人がいるでしょうか?

障害者は、不幸ではないとムリして思い込むことで、不幸感を抑制しているのでしょう
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/07 09:31

少なくとも先天的な障害なら、不幸度は低いと思います。



後天的なものの場合、通り魔的に事故に遭って重度後遺障害を抱える羽目になったら、なかなか割り切れないかもしれません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/07 09:30

結局は心の問題だと思います。



何の障害も持ってない人だって

家で引きこもったり働かなかったりします。

あんな真性クズのような存在が
障害者を見下したりします。

最低です。


私が五体不満足だったら、多分人生投げ出しますね。
私にはそんな精神力がないから。

あの人は、心が強いんですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/07 09:30

不幸っていうのは出来事で一時のこと。

不幸せってのは心の問題で、人となり。だから、障害は気持ち的に不幸せでなければ、不幸な出来事はもう去ったと思えるんだろうね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/07 09:29

乙武さんは勝手に勝ち組にならされた訳ではないのですよ。

自分でつかみ取ったのですよ。

要は自分の気持ち次第、やり方次第です。障害はデメリットだらけに感じますが、メリットもあります。乙武さんが障害者でなければ有名人にはなれなかったかも知れません。

障害自体が不幸ではないと思います。障害にせよ何にせよ、自分の状況を嘆き、改善しようと努力しないのはとても不幸な事だと思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私は努力も何もしてない訳ではないですよ。
やっぱりつらくなる時があるんですよ。

お礼日時:2014/12/07 09:29

同級生に精神障害の方がいますが、ある時に“どうしてこうなっちゃったのかなぁー”とつぶやいたことがあります。


またある同級生は、工場で右指を親指以外切断する事故にあいました。
リハビリで療養所に行って落ち込んでいる時に、脊髄損傷で車椅子となっている人に出会ったそうです。
その人は、“指を落としたくらいでクヨクヨしていてどうする?俺なんか一生車椅子だぞ。お前は自分の足で歩ける。恵まれているよ”と言ったそうです。
彼はそれを聞いて、自分よりも大変な人がいるのにクヨクヨしていることはないか・・と思ったそうです。
そういう境遇になってしまったことは「運命的な不幸」だと思います。
ですが、それを常に健常者と比べて“自分は・・・”と思っている限りは「気持ち的な不幸」だと思います。
障害になってしまったのは、これはある意味運命のようなものですから仕方がありません。
大事なのはそういう自分を客観的に見つめて、次のステップに踏み出せるかどうかのような気がします。
乙武さんは踏み出せたのでしょうね。
先に延べた精神障害の同級生は、踏み出せずに悩んでいるんだと思います。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/07 09:28

例えば----。


美人と不美人がいる。
美人が故に不幸になる人もいる
不美人のため不幸になる人もいる。

でもそれは運命でしょう。

私は普通に見えますが、内臓疾患の障害者2級です。
主人は脊髄損傷の障害者です。

確か健常者と比べると不便です。

でも不幸ではありません。

不幸だと嘆く心が不幸を呼ぶのです。

その人その人の運命は皆違うのです。

完全な人などいないのではないでしょうか。

障害者は不幸ではありません。

でも確かに不便ですね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/07 09:26

幸福感は上り坂で少しずつ感じるものです。

下り坂で不幸を感じます。

周りが恵まれていて自分が低い位置にいると不公平を感じますが、努力で同じ位置に立てた時に達成感があります。元からその位置に立っている人には何も感じなく、上の位置からそこまで下がった場合不満です。

ある意味で障害は取り返しがつかないけれど、上り坂を登る勇気と見守ってくれる人と、登るチャンスを与えられたと考えれば幸せ。

ないものはない、ないから手に入れようと前向きに考えられた人だけが手にする幸せ感です。

貧乏が富裕層と比べて陥る考え方も似ていますが、どん底から這い上がれば一段上がっただけでも達成感があります。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ある意味で障害は取り返しがつかないけれど、上り坂を登る勇気と見守ってくれる人と、登るチャンスを与えられたと考えれば幸せ。

その上り坂を登ってもゴールにまでたどりつけない方も多くいますよ。
その上り坂があるがゆえに不当な扱いを受けたり、損したりもします。
働くことでも不利です。

綺麗事ではどうにもならないですよ。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/29 14:08

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!