昨日見た夢を教えて下さい

憧れの人はたくさんいますが、その人みたいになりたい、同じように頑張らねばと思ってしまいます。

年も変わらない友人で、影響力があったり、年も変わらないのにアクティブに活動していたりして、憧れている人が何人かいますが、自分も同じレベルにならないとと思ってしまう。
勉強(それも理系やら語学やらもう様々)ができたり、勉強頑張ってて、かつ憧れている人がいると、同じくらいのことできなければと思ってしまう。

SNSで同級生がより可愛く、もしくは綺麗になっていたり、可愛い・綺麗だと思える芸能人がいたりすると、負けたくない、自分もなってやりたいと思う。

知人でも好きな有名人でも、憧れの人の頑張りやスケジュールの厳しさを知ると、自分も負けてられないと思う。同じくらいハードスケジュールにすべきだ、そうでない自分は劣っていると思ってしまう。
などなど。


どれか一つじゃなくて、全部やってやりたい。やってやるべき。
そうでないうちは自分はダメだ。
現にどれもできてない。今の自分は屑。
みたいな思いがあります。

実際、能力、性格、人付き合い、容姿、どれを取っても自分に自信がなかったり、実は完璧主義だからなのかなとも思いますが、何かの病気なのでしょうか。

A 回答 (5件)

どの年齢になっても、自分と同学年の人間がテレビで活躍していたり、スポーツの世界にいたりすると、自分も「何か別の道でなしとげたい」という思いはあります。



ただ、彼らと同じ道で対抗しても並ぶことすらできないのは分かっているし、万能な人間なんていうのはいない、というのもわかっているので、それで心が焦らされることはありません。

実際にそうやって全部やってやる、と頑張った結果、十二指腸潰瘍になってドクターストップかかった経験もありますから、自分の限界「量」は知った上で、それを一点集中するしかないんだな、と身を以て実感しています。

そうやって、がむしゃらに走って、倒れるまで自分の力量を確認してみれば、全部やってやりたい病はなくなりますよ。「全部やってやりたい」から「全部やってやったけどさすがに全部は無理」に成長できますから、まずはやっちゃってください。行動するのが一番の治療です。
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この回答へのお礼

言われてみれば私も「自分は別の道でなしとげたい!」という気持ちが強いです。
それでも、道は違えど同じくらいデキる奴になりたい、と思ってしまいます。

思えば、ろくに行動も起こさず、ただただ考え悩んでばかりでした。
まずは、できることをできる限りやってみたいと思います!

お礼日時:2014/11/26 20:58

再びお邪魔します。



ふむふむ・・・ もしかして、優越感に救いを求める気持ちが強くなっていませんか?

わたしもそうだったんですが、優越感に救いを求めるのは、じつは劣等感のうらがえしなんです。

健全な精神でいると、劣等感にも優越感にもとらわれないんです。
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この回答へのお礼

そうだと思います。劣等感が強いですし、精神的にも不安定(?)だと思います。

お礼日時:2014/11/27 03:32

よくできることへの脅迫観念があるんでしょう。


すべてを1流にというのは、育ってきた環境にもよるのですが、
自分で息苦しさを感じるならもう無理、限界なんですよ。

自分を愛する、いまの自分をうけいれることですが、
歌でもあるでしょ、ありのままの自分でいよう、とか。
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この回答へのお礼

強迫観念はありましたね。
ただ、言われてみれば、まだそういう意味で息苦しさを感じてはいませんね。
ありのままを受け入れるのは、行動を起こしてからにしようと思います。

お礼日時:2014/11/26 21:19

憧れの人など目標の人物像に向かって


実際に行動できるのは素敵なことだと思いますよ
思うだけで愚痴や自慢で終わる人の方が多いです。

なぜを考えてみたら良いんじゃないでしょうか?

なぜ「アクティブに行動したい」のか
なぜ「勉強を頑張らないといけない」のか
なぜ「綺麗・可愛くなってやりたい」のか
なぜ「ハードスケジュールにすべき」なのか

今の主さんの考え方だと
全てが達成された時に急に老け込みそうです。
やりたい・やるべき事柄を手に入れてから
自分はそれをどう人生に活かすのかを考えてください。

アクティブに行動すれば「交流が増える」「健康でいられる」
勉強を頑張れば「就職の選択肢が増える」「考えの幅が広がる」
綺麗・可愛くなれば「好きな人に振り向いてもらえる」「モテる」
ハードスケジュールだと「充実感を得られる」
(「効率よく計画を立てる練習(実践)になる」もありかな?)

どうですかね?
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この回答へのお礼

そうですね。
人に負けたくないという気持ちはありますし、最近はそればかり考えていましたが
なぜそうなりたいのか、なぜそうしたいのかと聞かれると、実際それぞれ理由はあります。
そういう気持ち大事にしていきたいと思います。負けん気だけにとらわれず。

お礼日時:2014/11/26 21:17

非の打ち所がない人でありたい、のかな? とおもいました。



他人に自分を否定されることを、極度におそれていたり、
自分が自分を否定しているから、他人に認められる事で自分を好きになろうとしているのかな。


ダメな子ほどかわいい。 これでいいんです。
自分のダメさ加減を、「じつはこれちょっとお気に入りかも」と思ってもいいんです。

人を好きになったときも、そういうところありますでしょ。
さいしょは外見的にうけつけない、と思っていた人が、そのうちキモカワ的に、かえって味が出てしまうみたいに。

この「キモカワ」的な感覚は、万人じゃなく自分だけの感覚だから、
かえって愛着がわいて始末が悪いんです(笑)

たとえるなら、うちのペットが一番可愛い!!みたいな感覚です。
よそさまのペットも可愛いのは重々承知なわけですし、自分とこのペットも欠点だらけなわけですが、
それでもとにかく、うちのペットが一番可愛い!! となるわけです。

何か優れているから認められる、というのだけでなく、
親バカ的にかわいいという目線も、ありだと思いませんか?

自分にとって、あかんなぁと思うようなところが、
他の人にとっては意外な萌えポイントだったりするんで、
そういう人にめぐりあえば、あら幸せ。
かえってつぶしちゃうのも、もったいない話かもしれませんよ。
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この回答へのお礼

非の打ちどころのない人とまでは思いませんが、あれもこれも…と思ううちに、それに近くなっていたのかもしれません。どうしても自分にはできない、と既に割り切っているものも多少はあるので…。
否定的に見られたり、劣等感を感じることも今まで多々ありましたので。

ダメな自分もかわいい、心のどこかには、そういう気持ちちょっとあるかもしれません。ちょっとでなく、心から思えるようになれるとしたら、まだまだ時間はかかりそうですが…。

お礼日時:2014/11/26 21:11

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