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記憶を思い出と知識に分けたとします。
知識は日常生活するのに必要ですが、
思い出は日常生活では不要なことが多いと思います。

そんな「思い出」はどのようなものがどれくらい必要ですか?
例として、私ですと
現在30代ですが
幼少の頃を中心に、半年分もあれば十分な気がします。
あまり多くてもあまり使いませんし
これから増えていく感じでもないと思ってます。

皆様はどれくらいの「思い出」が必要ですか?

A 回答 (10件)

こんにちは



思い出は 記憶力があまりないので
ほとんど思い出せないのですが
自分の中で例えば 体調のことだったり
トラブルの回避法や経験値による対応の違いで
うまくいくことが増えるので
それはいいなーと思います

経験することによって 生きていく智恵みたいな
そういうのも増えると思うので
思い出と知識の線引きって曖昧な層が
マーブル状に混じっている気がします

思い出は無くていいかなと思います。
忘れた方が 毎日新しい世界で 発見も
感動も多いです
ちょっと人とのかかわりのとき
記憶や思い出が薄くて脆くて
困ったことはありますけど
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この回答へのお礼

こんにちは。

「経験は想像力を広げる」と言っていた方もいて(角幡唯介)
経験することで、その先を予測することができるようになって
トラブル回避など、より有利に生きていけるのかもしれませんね。
ですので経験はどちらかというと知識寄りかな、と思います。

思い出は無い方が、毎日が新鮮というのは
確かにそうかもしれません。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/29 06:10

「知識は日常生活するのに必要ですが、思い出は日常生活では不要なことが多いと思います」


→どちらも必要だと思いますよ。
例えば、頭の中に高等数学と英語、国語、そして百科事典がぎっしり詰まっているけど、思い出がほとんどない人とはロボットや機械のような人間でですね。
話しても何も面白くありません。
お互いに感動し合ったり、思い出話に花を咲かせることができない人はつまらないですね。
思い出は人生をより豊かにしてくれます。
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この回答へのお礼

日常生活で面白みが重要な部分を占める人は
知識と同じくらい思い出も大事ということですね。
思い出を使うときには、他人の思い出もあると
より効果が高まりそうですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/29 12:32

親など人から愛された思い出は、多い方がいいでしょうね。

多ければ多いほど、自分も人を愛せるんじゃないでしょうか。

辛い思い出は、教訓などに知識化したら、思い出そのものは不要ですね。

それはそれとして、私は幼い頃の住んで居た町の街並み、木造校舎など、今は無い風景の思い出マニアなんです。デジタルカメラやネットが普及してからはいくらでも写真が得られるけど、それ以前の写真は各家庭のアルバムにしかないので、親戚や知人の家に行く機会があるとアルバムを見せてもらいますw
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この回答へのお礼

辛い思い出は教訓として知識化してクールに処理。
良い思い出は取っておいて、人にも同じように温かく与える。
素晴らしいです。素敵な循環ですね。

昔の町並みや木造校舎の風景は
デジカメの画像データではないかもしれませんね。
銀塩フィルムを現像した写真自体が今や懐かしいです。
「写真屋さん45」とか、昔は実家の近所にありました。

お礼日時:2014/12/29 12:20

若いころには「思い出」など気にしたことはほとんどありませんでした。



しかし人生の残り時間が少なくなると、子どものころや若いころのことを思い出すことが時折あります。特に今は故人となってしまった親族や友人との「思い出」は貴重なものです。

妙なたとえですが、「思い出」は「同窓会」のようなものかもしれないと思います。卒業してしばらくは昔の友人に会いたいとはあまり思いませんでした。しかし20年、30年たつうちになぜか会いたくなりました。

そして中学校卒業以来44年ぶりに、初めて参加した中学校の同窓会で会った昔の友人は、すっかり忘れていた中学生のころの私の行動を覚えてくれていました。その一言をきっかけに私の記憶がよみがえり、うれしくなると同時に、自分の「思い出」が大事なだけではなく、他人の「思い出」に登場することも大事なのかもしれないと感じました。
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この回答へのお礼

回答に重みを感じます。

歳を重ねると、思い出が多くなっていることに気づいてくるのでしょうか。
故人に関しては、生きている人の記憶から消えてしまうと
本当になくなってしまいますから。
他人の思い出の一部に、自分が関わっていると
嬉しい気持ちになるのもうなずけます。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/29 07:39

知識も思い出も全て自分の大切な財産です。


不要な思い出はありません。

思い出はただ浸るためにあるのではなく、そこから何かを思い出したりすることもありますし、
あんな思いは嫌だ、などと現在の自分に思わせる材料にもなります。

知識にしたって今まで一度も使ったことのない(と勝手に考えている)知識だって山のようにあるでしょう。
一生使わないかもしれませんが、不要だと捨てる必要は全くありません。
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この回答へのお礼

思い出に量はあまり関係ないということでしょうか。
小学校で勉強したけど、使っていない知識は
思い出のようなものかもしれませんしね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/29 06:02

どちらもたくさんあっていいです



損することはありませんから
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この回答へのお礼

どれくらい思い出が必要かと聞かれると
多ければ多い方が良いということですね。
参考になります。
個人的には、思い出には人それぞれ
適切な量があるのかな~と思いました。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/28 21:49

こんにちわ!



私は 5:5 半分半分です。
思いでも良いものですし・・
知識も必要ですから。
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この回答へのお礼

こんにいちは!

なるほどハーフハーフですね。
どちらも必要だから
等量でバランスがとれるということですね。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/28 21:53

記憶をその2種に分けて割合を示すと、思い出9割:知識1割が私にはいい感じかな。


これはあくまで割合であり、知識が少なくていいのではなく、
膨大な記憶があり、つまり膨大な知識がある上で、思い出がその9倍あってもいい、と言う具合だ。
質問者様が言う「必要」として、そんなに必要かと言われると、そうでもないかも知れないが、
言うと、知識もそれほど必要なものでもなく、記憶するに値しないものばかりだ。
記憶しないかわりに、それを見て分かる資料があればいいのだ。
知識はいくらか資料にしやすいが、思い出を資料にするのは私に向かない作業だ。
質問内容を極端にして考察してみよう。
例えば、「記憶が思い出のみと知識のみになるとしたらどちらがいいか?」とする。
いずれにしても、痴呆や記憶障害の一種になってしまうような結果だが、
その辺は生活に支障をきたさない程度にするとして考えると、
仕事をしている時間は思い出は一切必要なく、知識が重要となるし、
休日にこれと言って何もしない私は、思い出にふける時間を楽しむので、知識はまったく必要なくなる。
そもそも記憶力のよくない私は、どちらもほどほどにしか充実させる事はできないが、
どちらかになると、どうやら生きているのが困難になってしまいそうな気がしてきた。
質問内容を極端にしてしまうと、解を導きやすいかと思って試みたが、
逆に「解なし」の解を得ることになってしまった。
もしや、質問者様も、そこまで考えた上で、質問を極端にされなかったのかとふと思う。
こうしてだらだらと書いてきたが、知識で書いているのか、思い出で書いているのか、
どうもあいまいな気がして、記憶を占めるその他の何かがあるような気がする。
そしてそれこそが、思い出よりも、知識よりも、実際に占める割合が大きいように思う。
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この回答へのお礼

なんだかいろいろ考察して頂いてありがとうございます。
質問を極端にしてしまうと、解なしになってしまうのですね。
記憶を知識と思い出に分けた前提が
あまり適切ではなかったのかもしれません。
確かに、日常生活が送れる程度であれば
知識も思い出もそれほど必要ないかもしれませんね。
ただ、割合でみると、思い出が多い方が
ちょうどいい感じなのですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/28 21:46

思い出を懐かしがってだけ生きていては前に進めませんが、



時には思い出を懐かしがらないと生きていけない気がします。

思い出が「重いで」になって前に進めなくならない程度には必要です。
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この回答へのお礼

全くいらないわけではないけど
たまに懐かしめる程度の思い出があればいいのですね。

私もそのくらいがちょうどいいと思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/28 15:22

使うのは人生経験の知識です・・これは主に脳が記憶しています



思い出は 心で記憶するものなので 沢山詰め込んでも 余裕で入ります

なんしか 心は 宇宙空間と同じくらいの広さなので・・

必要になれば 心から脳に伝わり それで記憶として蘇るのです
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この回答へのお礼

宇宙と同じくらい思い出が入るということなのですね。
必要な時に蘇るのであれば、多い方がよさそうですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/28 14:26

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