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自分の力の限界を感じるまで努力したことはありますか?

そんな人は少数なのでしょうか?

A 回答 (18件中11~18件)

 近くまではあるかな。



 仕事ではちょくちょくあるな。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
厳しいな仕事なのでしょうか。お身体に気をつけて頑張ってください。私も頑張ります。

お礼日時:2015/01/15 08:20

あります。


限界が来て体調を崩しました。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
いやーストレートな回答がいただけて嬉しいです。
しかし大変でしたね。お大事になさってください。

お礼日時:2015/01/15 08:11

その必要を感じる人は、するでしょう。


でも、必要を感じないで、ただ「そうしなければダメなんだ」と言ってる人は、自分のパフォーマンスを自分で殺してるのと同じ。
自分へのプレッシャーなんて、なんの役にもたちゃしない。

限界を得る必要が、今あるのかどうかを考えられる人じゃないと意味が無いんだよ。
そこのところは理解できるだろうか?。

この回答への補足

もしよろしければ質問に回答していただけませんか。

推測でいうと「ない」だと思います。「ある」人は努力について持論を語り、私に説明する必要がありませんから。違います?

補足日時:2015/01/19 17:58
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この回答へのお礼

いやー理解できません…「意味が無い」というのは何に対して意味がないのでしょうか?
質問しているのは私ですから私にとっての意味は私が判断します。回答をいただければ、私にとって意味はあります。でなければ質問しません。

「その必要を感じる人は、するでしょう。でも、必要を感じないで、ただ「そうしなければダメなんだ」と言ってる人は、自分のパフォーマンスを自分で殺してるのと同じ。自分へのプレッシャーなんて、なんの役にもたちゃしない。」→そうですか。
もしよろしければ質問に回答していただけませんか。まあ、別の回答者様みたいに類推しろと言われればできますが…

お礼日時:2015/01/15 08:08

>努力を続ければいつかは自分の限界がどこにあるかわかると思うんです。

例えば陸上選手はいつか記録を更新できなくなり、年をとって引退する
「普通の努力での記録更新が止まる」と「限界の努力での記録更新が止まる」はどのように判断しているのでしょう?

運動の努力では記録が止まっても、目先を変えてスポーツ生理学を勉強する努力で記録を伸ばせた場合に、勉強することに気が付かず努力を怠ったのはどう解釈されるのでしょう?

この回答への補足

疑問点にはお答えし、解釈をお伝えいたしました。
もしよろしければ質問に回答していただけませんか。

推測でいうと「ない」だと思います。「ある」人は回答者様が疑問に思った解釈や判断についてはわかっていますから。違います?

補足日時:2015/01/19 17:54
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この回答へのお礼

「自分の力の限界を感じるまで努力した」って主観的な部分があるからそんなに難しく考えなくてもよいと思うのですが…。
「「普通の努力での記録更新が止まる」と「限界の努力での記録更新が止まる」はどのように判断しているのでしょう?」→質問文に書いているのは「自分の力の限界」であって「限界の努力」とは書いてないですよ…
過ぎたるはなお及ばざるがごとし。努力はすればするほど記録が伸びるものではなく、当たり前ですが寝ずに練習すれば体を壊すし、練習しすぎれば故障も出るし、疲労で記録が落ちます。その辺が努力できる限界だと判断します。

「運動の努力では記録が止まっても、目先を変えてスポーツ生理学を勉強する努力で記録を伸ばせた場合に、勉強することに気が付かず努力を怠ったのはどう解釈されるのでしょう?」→どうしたら伸びるのか考えて、調べて試行錯誤してそれでも気がつかなかったら、それは当時のその人の限界であり、「自分の力の限界を感じるまで努力した」ことになると解釈します。考えもしないバカは努力不足と解釈します。

もしよろしければ質問に回答していただけませんか。
…まあ別の回答者様みたいに推測しろと言われればできますが…。

お礼日時:2015/01/15 00:08

日本では伝統的に努力と忍耐を重んじてきました。


しかし、努力すればするほどいいというものではありません。
「限界まで努力する」ということよりも、ある程度で自分の適性を判断するのがいいと思います。
そのほうが早く新しい自分の能力、適性を見つけることが出来ます。

この回答への補足

もしよろしければ質問の回答をいただけませんか。

補足日時:2015/01/14 12:29
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この回答へのお礼

おっしゃることはよくわかります

お礼日時:2015/01/14 12:28

 私は自分で勝手に限界を決めてしまっていたようですが、友人は『限界を感じるまで努力した』ようです。

小便に血が混じってたって。極々凡人が私と同じ大学を出た後、現役で?(笑)東大の理IIIに合格しました。今医者をしてます。私の“かかりつけ医”です。昨年9月には彼のお蔭で心筋梗塞で死なずに済んだ。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
「ある」のですね。しかし本当はもっと上にいけたのではないかと…そんなこともあるでしょうね。
ご友人は回答者様より努力され、上に行ったそうですが、回答者様が同じようになるかどうかはわかりませんよね(ちょっと失礼な言い方ですみません)。当時それ以上の努力ができなかったのなら、当時の回答者様にとってはやはりそこが「力の限界」だったのかもしれないと思いました。
事情をよく知らないのにすみません。せっかく回答いただいたので感想を書いてみました。

心筋梗塞、ご無事で良かったですね!お大事に。

お礼日時:2015/01/14 20:28

さぁ?


努力しているという段階で、限界なんか、いつまでもないですよ。
何がしかの目標を立てて、そこまで一歩一歩つめていくというのは、当たり前のこと。
天啓と、棚ぼたと、もろもとの僥倖だけを待望するのでなければです。

努力ではなく、’工夫’です。
そして、優先順位としての、日々のことの処理、24時間の按配だけのこと。
なので、方法論にまで、自身で’処理’を落としこんでていくだけのこと。
この、処理を’努力’というなら、ただの自己満足ではないでしょうか?

何に対しての’努力と限界’を問うているのかはわかりませんけどね。

社会人になれば、当然に、時間は拘束される。
その中で自分の要求を満たすように生活する、これは努力?
普通に、’生活の選択’ではないでしょうか?

学生でも同じです。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
「ない」ですね。回答者様はいつでも伸びしろを感じて努力(工夫ですか?)し続けているということですかね。それはそれで素晴らしいと思います。

その他いろいろと回答されているのはよくわかりません。人間である以上、何に対しても力の限界は存在します。それを感じるまで努力したことがあるかないかという単純な質問です。

お礼日時:2015/01/14 20:05

そもそも、自分の限界というものがどこにあるのかを


知らない人がほとんどでしょうね。私を含めて(笑)
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
「ない」そして「ない人がほとんどだろう」ということですね。

努力を続ければいつかは自分の限界がどこにあるかわかると思うんです。例えば陸上選手はいつか記録を更新できなくなり、年をとって引退する。その時の最高記録がその人の限界なのだと思います。

お礼日時:2015/01/14 08:03

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