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船が沈んだ後、浮いていたドアにローズが乗り、ジャックが海につかりながら
ドアにつかまっている。ジャックが凍死で死んだら
ローズはジャックがつかまっていたドアから手をはがし海中に沈めた。
ローズは何故、ジャックを海に沈めたのか?
そのままにしてあげたら、死体だけでも・・・・

質問者からの補足コメント

  • >ジャックがあえて極寒の海に浸かっていたのは、
     ドア一枚の浮力では二人の体重を支えられないからだった
    その通り、あのドアに二人を支える浮力は無いですね。

    >ジャックはドアをつかんだまま息絶えたので、これを切り離さなければ、
     ドアもろとも沈んでしまう。ドアの上のローズも共倒れになる。
    しかし、ローズはジャックを沈めた後、直ぐにドアから降りて海に入り、泳いで近くで死んでいた
    人の首にかかっていた笛を吹いて、救助隊に居場所を知らせたのです。

    ローズがジャックの手をドアから離したのは、ドアに乗ったまま手でかいて
    移動するので、ジャックの抵抗が邪魔になるからと瞬間思いました。
    しかし、ローズは泳いで移動しました。
    それなのに、なぜジャックを沈めたのがずっと疑問に思っていました。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/04/30 13:34

A 回答 (3件)

『心中天網島』の次に『世界の果てまでイッテQ!』を例に引くと、ふざけて聞こえるかも知れないが、そういうバラエティ番組がある。

その中で、例えば冬の北欧へ行って氷の浮かんだプールに浸かったりする。「バラエティを超えてるよっ」と悲鳴を上げるわけだ。
それでも、浸かるのは数十秒くらいのようである。そりゃそうだ、それ以上は生命の危険につながり、番組が打ち切りになりかねない。出演者は頑張り屋さんだから、数秒ではなく数十秒はかけて、体を張って大人気である。

話を『タイタニック』に戻そう。おっしゃるように、ローズは笛を得るため極寒の海に入る。力いっぱい、息の続く限り吹き鳴らした。運よく救助艇がそれを聞きつけて、助けに来てくれた。
しかし暗闇の中、灯りはランタン程度だったと思う。方向は音が頼りだっただろう。音波というのは可視光と異なり直進性が低い。距離が離れると、けっこう方向の見当が狂うもので、発信源は見えない。
つまり、救助艇が到着するまでの時間は、決して短くは見積もれなかった。ローズはいったん海に浸かっても、できるだけ早く浮遊物に上がり、その短くない時間を待つ算段をしておかなければならなかった。
それが、重り(ジャックの死体)を切り離し済みのドアだった。ローズはそれを確保した上でなければ、海に浸かれない。戻って来た時に、ドアがジャックと一緒に水没してたら(あるいはバランスを失って斜めになってたら)、上に乗れないじゃん。

「映画やドラマだから」と言って安易に観ていると、「ヒロインが笛を吹けば、直ちに助けが駆けつける」などと思いがちだ。
また、戸板などに乗って手で水を掻(か)いても、さっぱり進まないよ。オールまたは棒が要る。それは、元自衛隊員が無人島を脱出する番組で見た。どんだけテレビを見てるんでしょうか、私は。
オールがなくて、かつ、短距離の移動なら、泳ぐのが適している。ただし、すぐに極寒の海から上がることである。
一言でいうと、ローズは頭の回転がよく、活発な女性だった。
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人体の比重は個人差もあるが、1よりやや大きい。

脂肪は軽いので、体脂肪率が高いと比重は小さくなるが、ジャックは若く均整のとれた体型で、体脂肪率は低そうだった。比重はやや大きかっただろう。
一方、海水の比重も1よりやや大きい。結局、人体と海水の比重は似通っていて、人体が海に浮くかどうかは微妙である。肺が空気でいっぱいならば浮くし、肺に海水が入って空気が追い出されれば沈む。つまり、凍死したジャックの比重は、海水より重くなった。
ジャックはドアをつかんだまま息絶えたので、これを切り離さなければ、ドアもろとも沈んでしまう。ドアの上のローズも共倒れになる。
ジャックがあえて極寒の海に浸かっていたのは、ドア一枚の浮力では二人の体重を支えられないからだった。ジャックは秒・分単位で激しく体力を奪われつつも、ローズをドアの上に保った。彼は自己犠牲の愛を捧げた。それを受け取ったローズは、生き抜くためにジャックを切り離した。強い女、それが今の観客に受けて大ヒットした。

これを、例えば篠田正浩監督の代表作『心中天網島』(1969年)と比べると、米日および今昔のメンタリティの違いが浮き彫りになる。紙屋治兵衛は既婚だが遊女の小春と馴染みになり、お金の関係だけでなく本当に愛し合ってしまう。しかし、皮肉なことに治兵衛には身請けする大金がない。そうこうしているうちに彼の身内にもバレて、責め立てられる。しかも、治兵衛よりお金がある客に、小春は身請けされそうになる。
治兵衛は男泣きに泣いて、この世では叶わぬ恋、あの世でめおとになろうぞと、小春と心中して果てるのだった。映画で、そのラストは美化されていない。橋の下、河原に敷いた粗末なむしろの上に、二人の死体は互い違いに置かれ、さらし者になる。互い違いに置くのは、あの世で添い遂げさせないためである。
一方、映画『タイタニック』も叶わぬ恋で、悲嘆限りない別れとなったが、ラストにあの世で(空想シーン?)ジャックとローズは船内のみんなの祝福を受けて結ばれていた。
ちなみに、『心中天網島』は海外でも上映されたが、治兵衛の男泣きのシーンでアメリカの観客から少し笑いが漏れたそうだ。「おいおい、男が泣いてるぞ」、「ここはこのシリアスな映画の中でもちょっと笑いを誘ってる場面かも」という理解なのだろうか。和風の感性で言うと、義理と情の矛盾の果てに進退窮まった治兵衛に、観客ももらい泣きするところなのだが。

なお、水死体はのちに浮くことが多いが、あれは死後も内呼吸(死ぬときに止まるのは外呼吸)して腐敗も進行し、細胞が膨張して比重が軽くなるからである。
この回答への補足あり
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それは私も疑問に思いました!


解説的なものがあったのでどうぞ。

http://s.ameblo.jp/cinemanavi21/entry-1091891410 …
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この回答へのお礼

有り難うございます。
やはり、疑問に思う人がいましたね。

質問文の訂正。
凍死で死んだら、は可笑しいですね。
面目ない。

お礼日時:2015/04/30 10:19

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