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それぞれの立場や物の見方によって違うのでしょうが、最近色々思うところがあるので教えて頂ければ幸いです。

私はアスペルガーを医師より診断されていて、手帳も取得しています。医師からは重度相当の事を言われ「ソーシャルスキルについては、努力するだけ無駄」という趣旨の所見も言われています。
私個人のことはさて置いて、一般的にアスペルガーという分類の人はコミュニケーションが苦手だといわれています。
そして、苦手な部分を改善しようとするよりも、得意な部分を徹底的に伸ばす方が成功(社会に受け入れられる)すると言われています。

ただ、世の中には発達障害は存在しないという人や、知らないという人も多くいて、その人たちから見れば、私たちの「苦手を捨てて特化能力に傾倒する」ことや「障害ゆえに苦手がある」ということが「甘え」とか「努力していない」と見えるようです。

結局、努力とは何なのでしょうか?
なんらかの課題が成功した事から遡って、その過程が努力したと認められるのでしょうか?
課題が失敗しても、その過程が検証者の意図に沿っていれば努力で、そうでなければ「サボり」なのでしょうか?

自分の中である程度の基準があるのですが、医師からの所見などを受け入れるに際して「自分の思考はすべて正しくない」という仮定を用いた常識の検証をしています。
私個人のことではなく、もっと大きな視野での回答をお願いできればと思います。

よろしくお願いします。

追記

私個人は、周囲からは「真面目でいい人」とか、努力家といわれています。自分でも、幼少期や思春期ごろから比べれば、コミュニケーションスキルや作業能力は自分でも「よくやったなぁ」と思うほどに上がっていますし、幼い頃の私を知る人は、今の私を見ると「よく変われたね」といいます。
自分では相当に努力をしたつもりですが、それでも部分的に普通の人に及ばない部分があり、逆に普通の人より鋭い部分もあり、その落差が周囲を戸惑わせることがあるようです。
基本、カミングアウトしても「アスペ」を説明しても、私があるぺだとは信じてもらえないくらいのコミュニケーションスキルはあります。

これがどの程度の努力なのかの判定も、ついでにして頂ければ幸いです(主題は、個人ではなく、一般的な努力のあり方です。こちらは質問の副題程度に思ってください)。

質問者からの補足コメント

A 回答 (44件中1~10件)

こんにちは。


いつもながら、ひとつひとつ丁寧なお礼や補足をいただき、ありがとうございます。

ただ、正直申しあげて、バカていねい過ぎるほどのお礼や補足を書く必要はない、とも思います。
というのは、質問者さんはお気づきになっていないかもしれませんが、時には「こっちのことをわかろうとしないんだな?」と見えてしまうこともあるからです。
こっちの目から見たときに、質問者さんの反論が「屁理屈」や「卑屈」に思えてしまうことすらありますし、また、こっちの言い分を素直に受け入れてくれようとしない「ひねくれ」に見えてしまうことすらもあります。
要は、「相手の思いをくみ取ることができない」という以上に、「しつこさ」のようなものが際だってしまい、こっち側に不愉快な感情をもたらしてしまうのです。

例えば、質問者さんは「私はアスペなので、相手の思いを汲む事ができない。推察は誤りしかなく、正しい事は何もない。という前提をかけた上で、書き込んでいます。」と書いておられます。
このようなことをわざわざ断る必要はないのではありませんか?
自分自身のことをことさら正当化しようと躍起になっているようにしか見えません。申し訳ないのですが、これは傲慢に映り、こっち側には不快感が残るだけですよ。
アスペルガー症候群であることに甘えている、と私が言いたいのは、まさにこの部分です。

誰であっても、相手のことがすべてわかるはずがありません。
また、質問者さんでなくとも、推察はあくまでも推察でしかなく、ものごとの正しい姿であるわけがありません。
ですから、「アスペルガーだからそうなってしまう」などといちいち断る必要はないのです。
逆に、いちいち断りを入れるとすると、何とも嫌味に見えてきてしまいます。「アスペルガーである、ということを理由にして、面倒なことから逃げているだけじゃないか!」と。
ですから、質問者さんはこれまた気づいておられないかもしれませんが、自分にとって都合の良い所だけを取捨選択してしまい、耳の痛い内容を完全に拒絶しているようにも見えてきてしまいます。
すると、こっちにとっては、質問者さんが「わからない」とおっしゃるのと同様、こっちとしても質問者さんのことがわからなくなってしまいます。
この結果、お互いにゆき違いだけが大きくなっていってしまい、いつまで経っても「わからない」ままで終わってしまうのです。

大事なことは「わかる」ということではありません。
全部わかる必要はなく、100%理解する必要はないのです。
ですから、「わからない」ということを繰り返し言う必要もなく、また、「わかる」までしつこ過ぎるほど粘る必要もないのです。

それよりもずっと大事なことは、たとえわからなくても、まずは相手の言い分&相手の思いや願いを受け入れること。
言い替えれば、「相手への共感」「相手の立場の受け入れ」こそが大事なのです。
いちいちお礼や補足で自分の言い分をだらだら&長々と書き綴るのではなく、それをやめてみること。そういう行動が、実は、相手に対する「共感」だったりするんですよ。
つまり、必要以上に長々と自分の言い分を述べるのは、実は、相手に対する否定になってしまうのです。
質問者さんが周りから理解されにくい一番の原因は、おそらくここにあるのではないかと思います。

次に、障害者枠のこと。
この単語をしばしば使われていらっしゃいますが、「障害者ゆえの特別扱いを受けられる」と思っておられるのだとしたら、たいへんな勘違いです。
なぜなら、ただ単に、障害者雇用促進法上の法定雇用率を満たさなければならないための採用枠に過ぎないからです。
事業主側として障害の特性などに絶対的に配慮しなければならない、といったような義務はなく、単なる「入社方法の差」でしかないのです。
したがって、いったん入社してしまえば、求められることは、一般の社員と何ら変わりありません。
ジョブコーチが間に入っていようとなかろうと、質問者さんは質問者さん自身の責任を持って、その会社の目標の達成のために頑張ってゆかなければならないのです。
同時に、ある仕事に対する適性が認められなければ、事業主としては、もう質問者さんは必要とはしなくなります。これも、一般の社員と同じです。
責任をはたせない者を雇い続けるほど、余裕があるわけがありません。ボランティアで経営しているわけではないのですよ。

> 自分の主業務をやりつつ、他の人の応援や、自己判断での提案や他部署でのお願い事なども動いている

そんなものは「努力」でも何でもありません。
あたりまえにやるべきこと・やらなければならないことです。社会人としての務めをはたすというのは、そういうことです。
いちいち得意げに言う必要はないと思います。

> ジョブコーチを間に入れて、私の努力の方向性や、会社との調整を依頼しています。特に何も言われないので、今のところそれた事はしていないと思う。

言っても素直に聞き入れるような人でなければ、むしろ、何も言わなくなります。
言いたくはありませんが、私としては、そういった可能性も否定できないと考えます。
同時に、質問者さんにあえて考えさせ、社会人としての務めをはたしてもらうために、わざと何も言わない(ほんとうは多々言うべきことはあるのに‥‥)ということもあり得ます。
要するに、ものごとには多面性があります。ホンネとタテマエ、と言ってもよいかもしれません。

世の中を渡り歩いてゆくためには、そういった多面性を多々経験し、あるいは学習して、自分の行動や考え方を変えてゆくことが求められてきます。
それこそが「努力」ということであって、世の中が他者の集まりでできている以上、努力の成果は他者が判断してゆくことになります。
他者から否定される、ということは、おそらく、質問者さんの行動や考え方がまだ変わっていない・ひとりよがりである‥‥ということなのでしょう。
正直申しあげて、このご質問でのいろいろな方々とのやり取りも、まさしくそう見えてしまっていますよ。
それこそが「アスペルガーであることに甘えている」ということではないでしょうか。
質問者さんは初めから「できない」と思い込んでしまっており、結果として、結局、「何も変わろうとしていない」と周りから見られてしまうのだと思います。

残念ながら、おそらく、これからも平行線のままで終わってしまうように思います。
このご質問に関するかぎり、いい加減で切りあげてクローズするのも、ひとつの選択肢になると思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

部分的に分かるところ、できそうなところ、やめれそうなところがありますので、実践してみます。

ありがとうございました。

こういう感じで行くということでしょうか?

お礼日時:2015/05/17 08:44

不幸から這い上がれない奴は惨めだね。

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>昔から一定数いたことは確か。

ただ、それが表立って目立たなかったのは、社会構造がそれを飲み込めたから。例えば単純労働、例えば徒弟制度や丁稚奉公。あるいは座敷牢かもしれない

わたしも年を取ったのかもしれませんが、
「最近の若い人達」、特にあなたやあなたのエセ障害者仲間の発達障害信者たちは
どんだけお偉いねん、何様?って言いたくなります。

自分はろくに仕事もできないくせに、他人の仕事をなめてかかり、馬鹿にする。

この前もここgooの質問で、自分は顔が汚いから仕事も清掃などの汚い仕事が似合ってる、
などと言っている人がいました。
立派な職業もしくはその職業に就く人達への名誉棄損です。

職業に貴賎なしと言う言葉を学校で習いませんでしたか?

そんな基本的なことすら習わないで、今の若い人達は社会に出てくる。
中世並みの不平等な身分制度や格差社会をさも当たり前のように、さも正しい事だと思って発言する。
まったく民主主義の意味が分かっていないし、その職業それぞれの意味や大切さも
分かっていない。

要は、あなた方はあまりにも無知なんです。

あなた方からすれば
会社でコーヒーを入れて客に出すのも、コピーを取るのも、
電車や公共交通機関で車掌などが指差し確認するのも
「単純」作業だからとなめてかかるんでしょうが、
わたしからすれば、それらの仕事一つ一つこそ
最も大切であり、難しい仕事だと親や先輩、教師達から教わってきましたし、
自分も社会人として仕事してきてその大切さを身にしみてきました。

そして、そういった単純に見える細かな仕事を丁寧かつ心をこめて行ってきたからこそ、
この日本は技術大国、経済大国として、高い品質と安全性、信頼性を築いてこれたんだと
思います。

単純労働、徒弟制度、丁稚奉公、
あなたやあなたのお仲間は、簡単で楽な仕事だろうと勝手に思い込み、
格下の仕事だとでもいいたいんでしょうが、
一般的には、それらは「基本の仕事」を覚える為、
高い技術を習うのに必要な「礎、基本」そのものを習うために設けられた制度です。

たとえば、丁稚奉公ってのは今で言うサラリーマン制度と同じで、
そこで店の掃除や小間使い、雑用を行うことで、
店を清潔に保つためにはどうしたらいいか、
店の内部的な構造や先輩達の接客業、客が話しているのを見聞きして情報をつかんだり、
習ったりして自分の仕事の技術や「人間性、人格」を磨いていくわけです。
江戸時代、一つの大きなお店(おたな)だと丁稚奉公に来る人は最初は100人以上にものぼります。
それからのれん分けやお店の番頭など昇格していける人はわずか数人。
その間、他の人達は皆、辞めて行ってしまう。
それほど仕事は厳しくて辛いからです。

昔から、あなたのように先輩や上司にプライドもしくはエゴ(自我)を傷つけられて
怒りや悔しさが先に立ち、
自分の甘えや情けなさを反省する事も無く、
さっさと尻尾を巻いて逃げてしまう人達はいましたが、
そんな人達とは違って、
あなた方が馬鹿にする丁稚奉公での単純な仕事の厳しさと辛さに耐えられた人だけが昇格できるのです。


話しは変わりますが、野球選手のイチローやテニスの錦織選手がどうしてあれほど活躍できるか
分かりますか?
彼らは皆が遊んでる時間、毎日、素振りやサーブの練習をしたり、「基礎練習」をするからです。

プロになればなるほど、毎日の練習は欠かせなくなる。
「一日練習を休めば自分に分かり、二日休めば仕事仲間に分かり、
三日休めば客に分かる」と言う格言通り、
基礎で単純な仕事ほど、どんだけ辛くても苦しくても、飽き飽きしても嫌になっても、
やることはやらないといけない。

それを「努力」って言うんですよ

誰にほめられるでもない、誰に認められるでもない、
目に見えない細かな作業の連続、日々の鍛錬、基本の仕事の蓄積こそが
高い技術や大きな仕事を任せられる信頼性につながるのです。

あなたやあなたのお仲間は、それを馬鹿にし、おろそかにする。

最初から自分の実力も知らず、無知(もしくは無恥)無謀に
高い技術や大きな仕事、他人から称賛される評価が高そうな仕事を求め、
自分はそれができるはずだと根拠の無い過剰な自信を振りまわし、
小さな仕事は馬鹿にして、いい加減にしか作業しない癖に、
他人の目に見える作業だとなぜかしゃしゃり出てきて
自己アピールするかのように大げさに誇張して作業する。
そして、実力がないから失敗する。

それでも自分を反省することはない

その繰り返しをしてきた結果が、現在のあなたの体たらくです。

社会構造があなたやお仲間の言う発達障害者を呑み込んできたわけじゃない。
そんな世界はあなた方が勝手に妄想してるだけです。

そんなに世間は甘くもないし、単純でもない。
あなた方には単純に見えるんでしょうし、自分達ほど立派に「努力」しているとでも
言いたいんでしょうが
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この回答へのお礼

すみません。先の事例については、私の編み出した考えではないので、誤解と思われる部分を、少し説明させてください。

>一般的には、それらは「基本の仕事」を覚える為、
高い技術を習うのに必要な「礎、基本」そのものを習うために設けられた制度です。

たとえば、丁稚奉公ってのは今で言うサラリーマン制度と同じで、
そこで店の掃除や小間使い、雑用を行うことで、
店を清潔に保つためにはどうしたらいいか、
店の内部的な構造や先輩達の接客業、客が話しているのを見聞きして情報をつかんだり、
習ったりして自分の仕事の技術や「人間性、人格」を磨いていくわけです。
江戸時代、一つの大きなお店(おたな)だと丁稚奉公に来る人は最初は100人以上にものぼります。
れからのれん分けやお店の番頭など昇格していける人はわずか数人。
その間、他の人達は皆、辞めて行ってしまう。<

これと同じようなことをその方も言っていました。その方は療育というか、職業訓練の立場から話していて、
「厳しく躾ける・教える」ということの必要性を説いていました。また同時に、現在ではそれは難しいと言うことも仰っていましたが。
特に職人の徒弟奉公について、反復し同じ事をそれこそ「体で覚える」まで文字通り、叩き込む。これはやり方としては乱暴だけど、案外理に適っていたのではないか。そういう教育は「個性」とは別の意味でその人を「助ける・糧を与える」側面があったのではないか?
これが平然とできていた時代、に比べ今は逆に選択肢が狭まってしまった部分もある。
また、逃げ場としての単純労働(ずっとボタンを押すだけとか同じものを延々と作り続ける)にも、厳しく躾けられることで適応できていたのでは?
それがオートメーションで単純作業そのものが減っている。
>結果、現在のように発達障碍者は仕事や居場所に困るようになってしまったのではないか?」<

という趣旨を話しておられました。どう思われるかは分かりませんが、私の文章が拙いがために誤解を与えてしまい、申し訳ありません。

その方の意見を引いていると、私は甘えているのかも知れないと思うようになりました。まだその程度の認識ですが。

重ね重ね、失礼お詫びいたします。

お礼日時:2015/05/17 09:12

>補足の件ですが、注目して欲しかったのは進学率ではなく、人口動態のほうです



本当に負けず嫌いでしつこいねぇ~
後だしジャンケンみたいなこと言うんじゃないよ。

自分から進学率の統計出して反論してきておいて、議論に負けそうになったら
いや、いやそっちの資料を見てほしいんじゃないんですよ、なんて卑怯な屁理屈こねて
自分が言い出した話すら誤魔化そうとする。

言い訳ばかり、ってそれですよ。
それも幼稚で低レベル過ぎる、ど素人でも大嘘だと分かるスタップ細胞並みにマ抜けた言い訳、屁理屈。

自分の負けを認める、自分の間違いを認める、自分の未熟さを反省する、
これがすべてにおける人間の成長の基本中の基本です。

あなたにはそれがまーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーったくない。
上っ面だけ「ああ、ごめんなさい、間違ってました」とあなたは言うけれど、
その1秒後には必ず「でもね、夜勤明けで頭がぼうっとしてたんですよ」と言い訳が入る。
「でもね」の後は要らないんです、とわたしが何度言ってもあなたは決して改めない。
決してその言い訳を止めようとしない。
なぜなら、その言い訳をしたら自分が許されると思ってるから、
多少なりとも他人は同情して自分の「甘え」が認められると思ってるからです。

幼児が何が何でも自分のやり方、主張を押し通そうとう駄々をこねるのとまったく同じです。
それが30も過ぎたおっさんなんだから、もはや呆れるなんてのを通り越して不快レベルでしかない。

わたしや上司に反論すること、言い訳する事こそが自分を成長させると信じて疑わない、
そのあなたの幼稚さ、自己中心的な考えがもはや非常識を通り越して、無礼でしかない

あなたの文面や表向きの言葉づかいなんてどうだっていいです。
あなたの態度、実際の行動にはなんら変わりはないんだから。
不躾、無礼、無恥、

ふてぶてしい、それしかありません。

>この場合、問題なのは私の理解力が低く、あなたの文章をあのようにしか理解できないことともう一つ、「sofialondonさんは、そのように相手に取られる文章を書いた」と言うことではないでしょうか?

あなたの言い分って、
泥棒が「家のドアが開いてたので、勝手に入って家の中の物を盗みました。
家のドアを開けてるやつが悪いんだ」と言い訳するのとまったく同じです。

だからって、泥棒をしていい理屈にはならない。

それと同じように、わたしの文章をそのように解釈した、
「あなたが間違っている」

その結果に変わりはないですし、その結果の責任を取るのはわたしではなく、
あなた自身です。

あなたの理解度が低かった、
あなたが間違っていた、その事実はどうやっても動かせません
いくらあなたが屁理屈をこねても、ね。
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この回答へのお礼

補足の件、こちらが不手際でした。確かにリンクを張らず、キーワードだけで「こっちが本命よ」と言うのは、失礼でした。申し訳ありません。

>その結果に変わりはないですし、その結果の責任を取るのはわたしではなく、
あなた自身です。

なるほど、なんとなく分かってきた気がします。私はあなたに求めすぎていた、これが甘えで、私の言うことの成否を「私に分かるように」教えて欲しいと望んでしまった。これが我欲ということでしょうか?

あなたが私のレベルまで降りてきて、教えを授けるのではなく、私があなたの元までたどり着く、おっしゃる事が分かるようになることが「努力」と言うことでしょうか?

考えるところがあり、やり方を変えてみました。
見逃しや、気付かないところ等あればまた、ご指摘願えると幸いです。

お礼日時:2015/05/17 08:51

ゆとりねぇ(笑)子どもがゆとりだな。

リタリン飲ませてた世代だわ。まだ、発達障害と言う言葉は浸透してなかったね。俺がそんなに若く見えた?
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この回答へのお礼

> 広義では、小中学校において2002年度以降、高等学校において2003年度入学生以降に施行された学習指導要領(いわゆるゆとり教育)で育った世代(1987年4月2日-2004年4月1日生まれ)。 狭義では、ゆとり教育を受けた世代のうち、一定の共通した特徴をもつとされる世代(1987年4月2日 - 1996年4月1日生まれ)。<
ネットから拾ってきました。これを見ると自分がオジサンである事を突きつけられて愕然としました。
なんだかよく分かりませんがショックです。

そういえば、子供のころから学生時代にアスペとか発達障害って聞きませんでしたね、私も。
一応、現役第一線の心理学の助教授にくっ付いていたんですが。私としてはそこで見つけてもらいたかったです。

なんだか、私の愚痴ばかりになってしまいました。申し訳ないです。

回答いただき、ありがとうございました。

お礼日時:2015/05/16 09:12

よっぽどわたしが言った事が図星で、悔しかったんだろうねぇ~



ほんと、無駄だから、わたしに反論したり、議論しようとしても。

あなたの世代って、ゆとり教育の世代なんでしょ?

1980年代あたりから受験戦争をなくそうと、学習要領を改訂していき、
学習する内容が減ったことと、
少子化もあいまって誰でも入学できる学校の数が増え、
入試の競争率はものすごくゆるくなった。

つまり、ベビーブーム世代で子供の数も多ければ、
大学に入るにも競争率何千倍って中で競争して入学するのが当たり前だった受験戦争世代の私達と、
あなたのようにゆとり教育に加えて、さらに少子化のせいで大学の数が余ってきて
何度も受験もでき、誰でも入学できるようになったあなた方ゆとり世代とでは
進学率の意味がまるで違います。

同じ90%の進学率であっても、ね。


だから、あなたは自分の知能を誇って
わたしに自分のくだらない雑学知識を披露したがるんでしょうけど、
そもそもあなたが補足に書いた「防忘録」なんて日本語、ないから。

それを言うなら、「備忘録」です。
ちゃんと国語を勉強しましょう。

それぐらい、あなたとわたしとじゃ、平均学力が違いすぎるんです。

つまり、わたし程度で、わたしの世代においては平均もしくは平均以下なんだから、
その上にはもっとすごい人が昔はたくさんいたってことですww


少なくとも、ベビーブーム世代は、ね。

それが今じゃ、あなたごときの学力でも
自分は賢い、自分のカスにもならないエセ知識でも議論ができると思いこめるほど、
日本の学力は相当、低下してきてるってことです。


そんなあなたのような若い人達が増えていくから、どこの企業でも
一人か二人、あなたのような発達障害を言いだす人が増える
まして、中堅世代であるはずの30代があなた程度の仕事しかできないんだから、
仕事を教えられる人はずっとずっと少なくなる。

かくして、日本の技術や経済競争力はどんどん落ち込んでいき、
かつてジャパン アズ No1とも言われたぐらい、
世界でも技術力、経済力を誇った日本が今じゃ餓死や貧困、失業率の増加に悩む
第三国になりさがってしまった。

丁寧でかゆいところに手が届くぐらい気配りと思いやりにあふれた国と言われたこの日本が
今じゃ、あなたのように、雑でいい加減、気の利かない、
自分勝手で屁理屈ばかりこねる愚鈍な人間ばかりになってしまった。

説教しても反抗的、
働きもしないくせにぜい沢で欲張りだから親や誰かのスネを図々しくかじりたがる。
しかも、自分ほど偉い者はいないとばかりに傲慢でバ○だから
誰かの世話になったり、何かを教えられても
それをありがたいとも思わない。
迷惑をかけて悪いとも思わない。

恥知らずとはこのことです。

ありがとう、ごめんなさい、
やっぱりあなたは言えなかったですね
ものすごく簡単だけど、生きるためには最も基本的な大切な言葉なのに、ね。


もう、あなたに説明して教える=説教することは何もないです。

言っても聞かない人だから。
わたしがあなたの本当の姿を暴けば暴くほど、あなたは否定して回る事でしょう。
反発し、屁理屈ばかりこね続けるのでしょう。

そのうち、誰もあなたの相手をしなくなることでしょう。
少なくとも今もまともに相手してくれる人は少ないでしょうが
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この回答へのお礼

補足の件ですが、注目して欲しかったのは進学率ではなく、人口動態のほうです。

たぶん間違いか、誤解を招く文章かなと思います。
>人口も子供の数も平成の今よりずっとずっと多かった。
人口のピークは2010年くらいではないでしょうか?総人口が現在より多い時期って、ないのではありませんか?
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hoka …
小さいことですが、せっかくこれだけの論陣を張られたのに、もったいないなぁと妻と話しておりました。勘違いなら「ごめんなさい」ですし、余計なお世話ならやっぱり「すいません」ですが。

あと、私って学歴どこかで書き込みましたっけ?短大卒なんで、そんな誇れるようなものではないです。ゆとり世代よりは少し前ですし、そもそも家が貧困だったので中卒で仕事しながら、夜学で短大です。普通の学生生活も受験も縁がなかったですよ。
なので学識という点においては、大した事ないのは自覚してます。変な知識を幾らかかじっているのと趣味が近代史で、回答の時代背景がちょうど父(81です)の時代背景に被ったので「例外も居るよ」と言いたかったのはありますが。
この現状で、なんで論戦を挑もうなどと思いますか。ただ、分からないから教えてほしいとかそれってどうなの?という疑問のつもりなんですが。

>もう、あなたに説明して教える=説教することは何もないです。
残念です。私としては、私のあなたの考えに対する「誤解」をもっと解いていきたいのですが。
素直さについてもですが、全般に???が多いです。
母の笑い話ですが
「お茶のことを{おぶ}ということを知らなかったから、おぶを入れろと言われ難儀した」
という、おぶが分からない状態みたいです。
あなたの仰る素直さなどが「おぶ」で、実践がお茶を入れるです。
私にはまだ、「おぶ」が何なのか理解できないので、お茶を入れる行為が的外れなんです。あなたが怠惰だ堕落だ虚栄心だという部分は、この認識の相違じゃないのかなと、思うわけですがいかがでしょうか?

もし教えていただければ幸いです。
一応知り合い(健常者)にこの文章を見てもらい、私の疑問を解けるか聞いてみます。

あと、妻から慇懃無礼な文面だと叱られました。謹んでお詫び申し上げます。

お礼日時:2015/05/16 08:47

妬みの方へ。

面白いねぇ。やっぱりみごとに反応してくる。
幸せな人はそこにこだわらないんだな。できないことがあって、親や誰かにできないことを小さい頃から言い続けられてきた。それが今発達障害で保護されてる。見事な二次障害。元は愛着障害だろうね。
発達障害は妬み者の言葉を借りると、脳の回路のなさ。そう、病気ではないわ。形質だな。眼鏡の人を視力障害と言うようなものだ。だから回路を作ることが前提となる。
感情につなぐ回路が直結したものがないと、迂回するよね。別の反応から来ることがある。あるいは違う場面で理解したりする。それが発達によってつながれば、理解できるし、場合によっては、「これをすれば人は怒る」という理解で感傷を理解しないままでも、衝突回避はできる。
同じように子供の頃に幸せな経験が少ないと、幸せを感じやすい回路は衰退し、妬む回路が発達する。だから、自閉的こだわりが入り反応が大きくなる。これは発達障害とは厳密には成り立ちが違うが、二次障害という。実際俺にはそいつは異常者で嫌われ者にしか思えない。嫌われてきたんだろうなぁ。
根本を否定してあげるが、昔っから変わったヒトはいた。ただそれらは養護学校に行けばいいとされた。だが、18歳で突然保護なしに外に出される。それまで見る機会がなかっただけの話。それがひどすぎるのと、研究でほとんどの者に関わる事象であることがわかってきたので、養護学級などが併設されたりすることが多くなった。
少し前にアイアムサムって映画があった。アメリカは日本よりも10年進んでるというが、あの映画は研究されていた。会ったこともないアメリカの人の同じ動きがそのまま発達障害の子供にもある。脳の回路としか説明できない。普通ではしない動きだ。
差別は被差別者が育むという。どこかで同じような経験を経て、それより少し上を目指す。「上見て暮らすなした見て暮らせ」は何百年も前にある。
無知ならまだいいが、妬みは始末におえない。なぜなら、同じ形質をもち、自分を理解しないまま育ったからだ。かわいそうに。合掌しとく。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

私も「妬みの人」でしょうか?それとも私が「妬みの人」?

文意を汲み取ってお叱りを受けたばかりなので、判断に自信がありません。しかも、仰る事が随分と当てはまる。
子供のころは貧しくて悲惨だったからなぁ。ああはなるまいとがんばってきたつもりでしたが、私も愛着障害かなにか併発してるのかなぁ。
医師はアスペルガー単独と言っていたけど…

ご紹介の映画、アカデミーノミネート作品なんですね。お休みの間に見て見ます。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/05/16 08:58

わたしがあなたに何度も回答する理由を言いましょうか?



わたしはあなただけじゃなく、今、発達障害を信じる若い人達に向けて
どうしても説教してやりたかったからです。

絶望と愚痴しかこぼさない今の若い人達がはがゆくてたまらないからです。

わたしが下のような回答を書くと、あなたはまた、
自分は発達障害者なんだから他の人のようにできないんです、と
また、言い訳し、反論してくるでしょうから、先に言っておきましょう。


実際、発達障害なんて概念は、昔はまったくありませんでした。
そんな概念が欧米から紹介されたこともありましたが、
その頃の日本は一笑に伏して、誰も信じなかったのです。

なぜなら、終身雇用制で失業者が少なく、
日本は経済大国、技術大国と言われて世界でも類を見ないほど好景気でした。
一億総中流とも言われ、経済格差もほとんどなく、餓死したり、孤独死したり、
経済的に苦しくて学校に行けないなんて子供もまず、いなかった。

しかも、こんな小さな国で世界のあらゆる企業よりもずっと優秀だとたたえられていたのです。
人口も子供の数も平成の今よりずっとずっと多かった。

おかしいですよね?
発達障害が先天的な病気や障害なら、患者の数は昔から変わらないはずです。
ところが、今じゃ毎年6000人ぐらいの子供たちが発達障害だと診断されて
特別学級や支援学校に放り込まれている。

発達障害と言う障害が本当に存在するなら、
あなたのように「優秀でない人間」「仕事ができない人間」「普通の事ができない人間」が
昔からたくさんいるはずなのに、
昔はあなたのような人間はほとんどおらず、むしろ優秀な人達ばかりだったんです。

だから、日本というこんな小さな国が世界から認められるまでになった。
日本製品やサービス、産業は品質のいい、優秀な素晴らしいものが多いといわれ、
信用されてきたのです。

ところが、あなたのような人が増えたために、今じゃあらゆる製品がリコールやら
故障したり、失敗するようにもなってきている。

つまり、日本人は堕落したってことです。
きちんと教育や躾がされておらず、あなたのように働く意欲もやる気も無く、
いい加減にしか生きていない、仕事に身も入らず、自分のエゴとプライドばかり高くて
パフォーマンスに明け暮れ、いかに自分が損しないで楽して生きることしか興味のない、
だらしない人間ばかりが増えるようになったってことです。

わたしの言う事が嘘だというのなら、あらゆるネットの掲示板であなたと同じ発達障害だと言う人達のコメントを読めばいい。
あなたと似たようなだらしないダメな自分ほどかわいい、好きって言う逆ナルシストばかりが
はびこっている。

要は楽して、ズルして生きたい。
根底にある本音はそれでしかない。

真面目に働く気などさらさらないのです。

だから、日本はどんどん不景気になっていった。
電車の遅延も当たり前だし、コンピューターのプログラムがショートしてATMシステムが止まっても
原発の地震対策もいい加減にしか対応できない。
明らかに怠慢な人間が増えた。

そんな怠慢な人間の言い訳が、
あなたの言う「自分はアスペルガーだから普通の人みたいにできないんですよ」なんです。

そんな人間ばかりが増えたら日本は崩壊しますよ。

本当に国ってのは崩壊するんですよ。
会社だって倒産するのと一緒でね。
あなたのようないい加減な仕事しかしてなかったら、会社も倒産してしまうんですよ。
あなたはただ、会社の他の人におんぶにだっこしてもらえれば
自分も給料のおこぼれにあずかれるとでも思ってるんでしょうが
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

この回答には、色々言いたい事はあるんですが、この間発達障害の当事者会で話題に上がったことを一つだけ。

「現在の発達障碍に該当する人は、昔から一定数いたことは確か。ただ、それが表立って目立たなかったのは、社会構造がそれを飲み込めたから。例えば単純労働、例えば徒弟制度や丁稚奉公。あるいは座敷牢かもしれない。発達障害と言われるような人でも「受け入れられる」仕事や場所があった。
現在は仕事の高度化(一人何役も求められたり、まずコミュニケーションという風潮)と、パイの減少のため、昔は「出来ない人のためにあった仕事にも健常者が入ってきており、また仕事そのものが減ってしまった。
結果、現在のように発達障碍者は仕事や居場所に困るようになってしまったのではないか?」

という話がありました。私は「ルールが変わった」と理解したのですが、どう思われます?

>だったら、どうしてあなたに文中の意なんて「くめる」のです?
中略
子供のおママゴトの話を出して説明したんですよ。

意を汲む事は馬鹿でもあほでも出来ますよ。問題はそれが正解かどうかでしょう。と私が言うと居直り見たいですが、私だって物事を判断はしますよ。
この場合、問題なのは私の理解力が低く、あなたの文章をあのようにしか理解できないことともう一つ、
「sofialondonさんは、そのように相手に取られる文章を書いた」と言うことではないでしょうか?
そちらの意図は兎も角、私にはあなたが「誤解」と言ったように伝わっています。
私としては、それを誤解と言われない限り間違った情報が「sofialondonさんの言いたかった事」になってしまいます。
何度も言い換えて、これでいいか聞きましたよね。それは私があなたの意図を「間違って理解してないか?」確認したかったからです。
また、分からないから聞き返すのも、「より正確に知りたい」からですよ。
あなたと同じ事を言っていた元上司との経験から、誤解や間違いはなるべく早く訂正した方がよく、確認は十分したほうがいいと思いましたので。

私の言う自分を疑うとはそういうことです。馬鹿なりに、違うといわれれば別の答えを探しますよ。

ちなみに、ママゴト仕事の喩えは、妻も最初「ゴメン、さっぱり分からない」と言ってました。私たちには伝わりにくかったです。こちらの例えが伝わらないように。

お礼日時:2015/05/16 08:00

>文中の意を汲めば、



だから、あなた、ご自分で言いましたよね?
自分は理解力がないんです、分からないんです、って。

だったら、どうしてあなたに文中の意なんて「くめる」のです?
あなたに理解力はないことはよく分かってるので、
わたしはあなたの仕事ぶりを表すものすごく簡単な例として
子供のおママゴトの話を出して説明したんですよ。

でも、あなたはその部分は読まない。
読んでてもきっとスル―したんでしょうね。
なぜなら、気に入らないから。

子供のおママゴト仕事こそ、あなたが認めたくない本当の自分がそこに書かれているから

だから、あなたは意図的にそこだけはすっ飛ばして、
自分に都合のいい「と思われる」部分だけ読んで
そこに自分の勝手な解釈をいれようとする。
そして、その解釈に基づいて不毛に何度もわたしが書いた事に反論するんです。

そうして、自己弁護しようとする。
自分は努力したと認めろ、自分はちゃんとやってるとほめろ、とね。

>ただ、私がそう感じたのは事実なんです。これは、動かせません

黙ってやる事やれ、と言ったのは、まさしく
あなたがわたしの文にどう感じようと、それをいちいちわたしに説明する必要も、
それに基づいて反論する必要も無いっていう意味です。

あなたがどう思うと、そんなことはどうだっていい。
わたしはあなたの思いや感想など聞く必要はない。

あなたは自分の感情的な思いをグッと我慢して
わたしを含め他人に言われた事、教えられた事を素直にそのままやる努力をしろっていう意味です。

要は、言い訳するなってことです。
いくら悔しくても、ね。
どんだけ自分は納得できなくても、ね。

他人に怒られても、説教されても、その時、自分が感じた悔しさや腹立たしさは
グッと我慢して、
黙って他人に指示された事をコツコツしてみろっていう意味です。
それを「素直」って言うんですよ。

あなたはその我慢ができない。
怒られたら、すぐに悔しさや怒りが先に立ち、
すぐに我を張って反論したり、言い訳することに頭を使う。
いかに自我(エゴ)を守るか、そればかりに心血を注ぐ。

結局、自分の体裁やプライド(虚栄心)ばかりを守る事しか考えていないので、
仕事そのものについてはまったく考えない。

だから、安全確認においても上司が
>「なぜ今のタイミングで見た」
とあなたに聞いても、あなたの答えは、
>「はい、先ほど注意をう行けましたので」
になるんです。

あなたが安全確認と言う仕事をするのは、「安全を確認するため」ではなく、
自分が上司に怒られず、仕事をちゃんとやってる事を「上司に認めてもらうため」なんです。
「ちゃんと上司に言われた通りにやってることを証明するため」なんです。

仕事の目的が間違っている。
目的がまったく分かっていない、分かろうともしていない。

だから、いつまでたっても仕事ができない。
安全を確認できない。
なぜなら、それを確認することを仕事だとまったく思ってないから。
自分が仕事のできる優秀な人間だと証明することこそ、仕事だと思っているから。

だから、子供が親にほめられるために、おママゴト家事をするのと同じ。

上司のやった仕事の真似ごとを上司に見せる事だけが仕事だと思ってるから。
一つ一つの仕事の形や手順を真似しているだけ。
その仕事の形や手順が一体、何のために必要かなんてあなたは一つも考えない。
その仕事の形や手順でないといけない理由などにも興味がない。

安全をどうして確認するのか?
なぜ、そのタイミングが大切なのか
あなたは一つも考えた事はない。
興味も無い。

つまり、働く意欲もやる気もまったくないんです。

そんな従業員に会社におられても会社にとってはお荷物でしかありません。
むしろ、損害しか生みません。
他の人の業務妨害にすらなります
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この回答へのお礼

>それを言うなら、「備忘録」です。
ちゃんと国語を勉強しましょう。<

まず、ご指摘ありがとうございます。ほんとに間違ってますね、お恥ずかしい限りです。夜勤明けの寝ぼけた頭でぽちぽちして、変換しないから「おっかしーな」って思ってはいたんですが…全然気付きませんでした。訂正できないようなので、恥さらしでさらして起きます。ゴメンナサイ。

>子供のおママゴト以下略

これがそんなに重要だとは思いませんで、失礼いたしました。
私の返答順位では3番目の予定だったのですよ。二番目は外部評価のことについてだったのですが、これも書ききれませんでした。
お礼って、1000文字なんです。なので、どうしても私の優先したい事から書き始めてしまいます。
毎回、文字数目一杯使っているんですが、書ききれません。申し訳ないです。

あと、子供のママゴトの部分で言わんとすることが、よく分からなかったのもあります。仕方ないので妻にも見てもらい(妻は健常です)、二人で考えたのですが、恐らく「無能な働き者の喩えと同義だと思う」という結論に至りました。
無能な働き者は、間違ったやり方、信念で行動するため、自軍に危機を呼び込んでしまう。軍内にいたら処刑せよ。という、兵士の四部類というあれのことです。
それなら分かるのですが、違いますでしょうか?

それをやっていたので、昨日は時間がなくなってしまい、尻切れな補足となったわけです。申し訳ありません。

>あなたが安全確認と言う仕事をするのは、「安全を確認するため」ではなく、
自分が上司に怒られず、仕事をちゃんとやってる事を「上司に認めてもらうため」なんです。
「ちゃんと上司に言われた通りにやってることを証明するため」なんです。<

これも同じことを元上司に言われています。
でも、上司の指導どおりに確認すること=「最適な確認方法」ではないのでしょうか?もっとも基本となる方法であり、まずはそれを行うべきということではないのですか?

なぜそれをするのかも、口頭説明はほぼ満点でした。なぜそれをするのか「分かっているのに何故しない」となり、説明したとおりにしたと思っても
「理屈はあってるが、やってる事が違う」
となるわけです。

一応、現在は別の会社に勤めています。人を殺す可能性が冗談抜きに人より高かったのと、適性がないと会社側からいわれましたので。

お礼日時:2015/05/16 07:32

No.24とNo.27で回答させていただいた者です。


ひとつたいへん気になるのが、公的な努力に結果が出ていないという点。
おそらく、質問者さん自身は努力されているつもりであっても、相手が求めているものを理解されていない・理解できないがゆえに、そうなってしまっているのだと思います。
これを「アスペルガー症候群や自閉症スペクトラムの特性としての障害」と言ってしまえばそれまでなのでしょうけれども、同時に、私は「障害とは、自ら作ってしまうものでもある」「障害とは、周りからもたらされてしまうものでもある」とも思っています。

質問者さん自身が努力のあり方を誤り、相手が求めている「公的な努力をしてほしい」という願いからずれたことを行なってしまったのなら、それは「自ら作ってしまった障害」になります。
自分は作ったつもりはない、とおっしゃるかもしれませんが、しかし、そう甘いものではありませんよ。社会の一員として存在している以上、公的な役割は何らかの形で果たしてゆかなければなりません。障害のある・なしはそこでは関係がなく、極端な言い方をすれば、「アスペルガー症候群などというものは存在しない」とさえ言えてきてしまいます。
言い替えれば、どんな人であっても、生きるためには、自分としてできる形で周りに適応させてゆかなければならず、どうしても、そのための工夫は必要になってくるのです。それこそがほんとうの意味での「努力」だと言っても良いかもしれません。

しかしながら、質問者さんは、果たして工夫していらっしゃるでしょうか。
また、頭であれこれと考えているよりも、実際に行動してゆく中でいろいろと学べるものはあり、その成果を応用して行動を図ること(たとえば、トラブルの回避)もできるはずですが、そのような工夫もされていらっしゃるでしょうか。
残念なことに、私にはそのようなものがなかなか見えてきませんでした。
工夫したくても私にはできない、とおっしゃりたいかもしれませんが、私は、そんなことは絶対にあり得ないと信じます。仕事柄、アスペルガー症候群の方々と接した経験があり、彼らがどんどん変わってゆくのを目のあたりにしたからです。

もしこのままだとすると、おそらく、周りからもますます理解されず、自分としては努力をしているつもりであっても、周りからはどんどん疎外されていってしまうと思います。
これが「周りからもたらされる障害」です。
注意していただきたいのですが、周りから勝手にやってくるものではありません。
本人の行動が招いてしまうものであって、いわば、悪循環としての結果です。「自ら作ってしまった障害」と一体になっているのです。

要は、自分自身が変わってゆこうと真摯に向き合うのであれば、ハンディキャップもハンディキャップではなくなるのではないでしょうか?
そのためにはやはり、いろいろな形で周りに適応するための行動を行なってゆくこと。
それが、質問者さんにとってのほんとうの意味での「努力」になるのだと思います。

私たちは決して、いつも、むずかしい判断や思考を無意識のうちに巡らせているとは限りません。
正解をいつも瞬時にはじき出しているわけでもありません。
そういった点は、むしろ質問者さんと何ら変わりがないと思っています。
違いがあるとすれば、頭で考えているよりもまずは行動に移してみる、という点。そこが大きな違いではないでしょうか。優先順位の付け方が異なる、と言いますか、理屈をうだうだとこねくり廻すことは自分にとってプラスにならない、と、理屈の優先順位を下げるわけです。
なぜなら、いま求められているのは、理屈よりも行動だから。そう判断するわけです。

ワンステップごとにいちいち納得させなければ行動できない、というのは、そうしようと思えば、いわゆる「健常者」であってもそうします。
しかし、現実に向き合ったとき、そんなことをしてしまうと、ロスやデメリットのほうが大きいわけですね。自分にとってプラスにはならなくなってしまいます。
こういったことを知らず知らずのうちに学習して、結果として、質問者さんの目から見たときに「すごい!」と思われるような行動としてあらわれているだけであって、メカニズムと言いますかステップとしてやっていること自体は、質問者さんとそんなには違わないと思いますよ。

結局のところ、質問者さんが言うところの「性能の差」でもなんでもなく、どうやら、「周りにどのように適応していったらよいのか」というそのやり方を誤ってしまっているがために、「努力していない」などと思われてしまったり、こちらのサイトでもなかなか理解されなくなってしまうのだと思います。
アスペルガー症候群ゆえの特性はわかりますが、しかし、それを言い訳に使っているような部分も見受けられました。たいへん失礼かつ申し訳ない言い方になってしまいますが‥‥。
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この回答へのお礼

ご心配いただきありがとうございます。

>相手が求めているものを理解されていない・理解できないがゆえに

これは大きいと思います。sofialondonさんのおっしゃる事の意図がわかりませんから。これは、あちらのお礼であげた事例の指導官の方にも共通する事でした。
アドバイスをいただいても、さっぱり分からない。他の人に言われた事は、多少は出来るのですが、その人の言う事が特に分からない。分からないなりに考えて行動してみると、やっぱり違う。
この繰り返しでした。

もうひとつ、問題なのは私が「公的な努力」の成功事例を良く分からないということです。
例えば、同じ会社で、フォークリフトも同時に練習していたのですが、こちらは現場配属可能なレベルまで、出来ていたそうです。ただ、トラックの運転と同じように怒られ、認めらずだったので、自分では何が良くて合格してのかさっぱり分かりません。
今現在就業している自動車部品工場は障碍者枠なので努力の結果とはいえませんでしょうか?
一応、自分の主業務をやりつつ、他の人の応援や、自己判断での提案や他部署でのお願い事なども動いているのですが、これは努力なのでしょうか?
現在のところは、ジョブコーチを間に入れて、私の努力の方向性や、会社との調整を依頼しています。特に何も言われないので、今のところそれた事はしていないと思うのですが。
他の方の基準でいうとそれは「おべんちゃら」で浮かれているだけで、私は努力していないと言う事になります。
問題の運送会社の前に一時、派遣で働いていたのですが、そこでは「君に頼むと一発で探し物が分かる。助かる」とよく言われていました(倉庫整理が主業務です)。派遣元で正社員として働かないかというお誘いも受けましたが、これもおべんちゃらでしょうか?

キャリアカウンセラーと相談していると、成果として上がっているものは普通にあるらしいのです。運送会社は「トラックを運転したら駄目な人」だから、辞めましたが(まれに居るらしいです。運転適正がない人)。
努力の成果とは、結局何なのでしょうか。

アスペルガーに甘えている部分についても、もしよければご指摘いただけると助かります。あまり自覚がありません。
基本、私はアスペなので、相手の思いを汲む事ができない。推察は誤りしかなく、正しい事は何もない。という前提をかけた上で、書き込んでいます。

お礼日時:2015/05/16 07:05
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