電子書籍の厳選無料作品が豊富!

ネット上の記事で、出処が定かではないのですが、1945年の5月に、日本政府は降伏交渉をアメリカ政府に対して行い、アメリカ政府は公式にこれを却下した、つまり日本は降伏すらできない状況に置かれたと云う記事を読んだことがあります。
これが事実なら、理由はひとつです。降伏されてしまうと、原爆投下人体実験ができなくなるからです。
正しい出処が分からなくて真偽の判定が困難なのですが、詳しい方はいらっしゃいませんか?

A 回答 (2件)

>私の質問は、5月に日本が降伏交渉の意志を示したのに拒否されたのであれば、降伏すること自体ができなかったのではないかと云うことを申し上げております。



意思を示したものの交渉にならなければ、戦争は継続でしょう。しかしながら、互いの意思にズレがあったのではないかと感じます。

日本としては、カイロ宣言を受け入れる(=日本国の占領統治は無し)。これはほぼ無条件降伏に等しい。

米国としては、日本の無条件降伏以外認めない。しかし、まだ連合国他国で諮っていないので、余計なことは言うべきではないし、言わない。そもそも無条件降伏の意思表示ではない。

簡単に言えば、大日本帝国のメンタリティとしては、無条件降伏に等しい条件を出しているのだから、戦争終結に合意して欲しい、米国としては、一切の条件提示は飲まないということです。

戦争というか、外交の中ではよくある話ですね。戦時とはいえ外交は存在しますし、相手の話を聞くことで利を逃す可能性があれば無視します。恐らく「完全に潰す(=完璧に支配下に置く)」と決めたら、相手が出してくる条件なんか聞きません。

>その、5月の話がどうだったのかを知りたいと云うことです。

この本のことですかね。

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83 …

この本によれば、中華民国に仲介を求めたとのこと。ほぼ同じ時期にソ連にも仲介を求めていたのですから、できうる限りの外交チャネルで、まだ多少なりとも条件を出せるうちに条件を出そうという努力です。でも、孤立主義を覆して参戦し犠牲を払った米国としては、条件なんか出してくること自体、聞く耳を持たないということだっただけです。

尼港事件もそうです。占守島の戦いもあるいは同じ傾向と言えるかもしれません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
偶然ですが、ヘレン・ミア~ズさんの同書は抄訳版を購入し、繰返し読んでいるところでした。
抄訳版にはその話は出てこないのです。
自分が目にした出典が何であったのかは、恐らく同書原典にあったものをインタ~ネットに掲載したものではないかと思います。
今のところ抄訳版でも、自分には充分です。
全ての日本人に読んでもらいたいと思っています。
丁寧なご回答、深謝です。
ヘンリ~・スト~クスさんの本を読んで、気持ちを落ち着けたいと思いますw

お礼日時:2015/08/09 19:39

>1945年の5月に、日本政府は降伏交渉をアメリカ政府に対して行い、アメリカ政府は公式にこれを却下した、つまり日本は降伏すらできない状況に置かれたと云う記事を読んだことがあります。



降伏すらできないって、ポツダム宣言(日本軍の無条件降伏を含む宣言)を受諾して、無条件降伏しましたよ。正確に言えばポツダム宣言は1945年7月でしたが。

恐らく「国体の護持を保障するのであれば、降伏の用意があると、当時日ソ中立条約が有効であったソ連に対し、連合国への仲介を依頼した」ということではないでしょうか。

ソ連がそれを他の連合国に伝達したかどうかは分かりません。しかし、ソ連は2月のヤルタ会談で、ドイツ降伏から3ヶ月以内に対日宣戦することを他の連合国と合意していました。2月時点ではソ連が参戦しない場合の日本の敗戦はかなり先になるであろうこと、ソ連が参戦した場合、それなりにソ連にも被害が及ぶことが予想されていました。が、米国の日本都市空爆が功を奏し、5月以降は日本の敗戦が秒読み段階に入っていたので、日本が敗戦直前に約束通り対日宣戦すれば、軽微な被害で戦利を得ることができることが分かっていたので、通知ぐらいはあったかもしれませんが、積極的な仲介は無かったはずです。

>これが事実なら、理由はひとつです。降伏されてしまうと、原爆投下人体実験ができなくなるからです。

前提条件や背景が分からずに、よく理由付けできますね。既にあなたの中である結論に誘導したいだけではないですか。

原爆投下の理由には幾つか説があります。あなたの仰る通り、人に与える影響を測りたいという説もあります。

しかしながら、軍人、民間人を問わず、惨たらしい状況で自国民が死ぬと、被害側には厭戦感と復讐感が湧きます。結果、降伏側に傾くか徹底抗戦に傾くかは分かりません。米国としては戦争の進捗上、また占領後の統治駐留上、それは困るのです。幾ばくかの物理学者がそれを望んだとしても、国策、政策、戦略、戦術、戦域の何れかに影響を与えるとは、先の理由で思えません。提言があったとしてもそれは副次的なもので微々たるものでしょう。

放射線の影響をよく分かっていなかったという説もあります。日本軍も米軍も今のような人体的影響を分かっていなかったようで、かなり早い時期に現地に入っています。それどころか米軍はかなり後の大気圏原水爆実験で軍人を被爆させています。多分、軍や政府は破壊力の大きさのみを追及していて、放射線による影響には関心が無かったのでしょう。

個人的には、ソ連に出てこられると、米英の利益が脅かされ、後々面倒なことになるので、ソ連参戦前に片をつかたかったのではないかと思っています。

1)ソ連の宣戦が不要な状況になっていたときに、ソ連が宣戦して利を得るのは米国として困ったことになること。
例えば、ドイツはソ連に先に占領されたために、西側陣営による独占ができず、美味しいところを持っていかれました。
2)二次大戦で枢軸国というイレギュラーがあったとはいえ、一時大戦直後から共産主義国と自由主義国の対立軸があり、二次大戦直後からそれが再燃することは見えていたこと。
ソ連は各国の共産主義者と連携し、政権の転覆を図る企図があり、危険でした。
3)日本の降伏を急がせるとともに、ソ連が対抗できない兵器を有していることを見せ付けるため。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
私の質問は、5月に日本が降伏交渉の意志を示したのに拒否されたのであれば、降伏すること自体ができなかったのではないかと云うことを申し上げております。ポツダム宣言の受諾は、その後の話でしょう。
その、5月の話がどうだったのかを知りたいと云うことです。
原爆の話がたぶんに感情的であることは認めます。
もし、5月に降伏交渉が可能になっていれば、果たして原爆の投下は成されたのか成されなかったのか。と云うことです。

お礼日時:2015/08/09 14:34

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!