準・究極の選択

人の心について質問です。

自分自身のことなのですが、自分がどうしても苦手な人、自分の価値観とは全く逆のことをする人に対し、ある種、「見下し」に近い感情を持ちます。

人間という生き物は、人を見下す感情があると思いますが、それは何故なのでしょうか。
他者が他者であるが故でしょうか?
DNAや脳の構造がそうされるのでしょうか?

マザーテレサやナイチンゲールのように、どんな人にも平等に見下すことなく接する人は、この世にいるのでしょうか?彼女ら自身も含めて。
ご教示方宜しくお願いします。

A 回答 (13件中1~10件)

どんな人にも平等に接することができる人は


いると思います。
でも、人間は時に自分が中心になってしまう
生き物ですから気が付くと上から目線だった、
と気が付くことはたくさんあるでしょう。

ここで大切なのは、見下してしまった、という
「気付き」と、それを改める心。
つい、自分の価値観にとらわれて人を見下してしまっても、
いけなかった、と気付いて反省できれば良いと思います。

ダメなのは、気付いても心を無視すること。
見下す感情をそのままにしておくことがいけないと
思いますので、あなたもそのように感じるならば、
また「自分の物差し」で人を見てしまった、
改めよう、と相手の立場に立ってもう一度
考え直してみてください。
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この回答へのお礼

心の有り様を改めて考えさせられました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/25 14:47

自尊心が育っている人は他者も尊重します。


反面他者を見下す人は自尊心が低いのです。
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この回答へのお礼

心の有り様を改めて考えさせられました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/25 14:47

2才の子でも喧嘩するんだから本能なのでしょう。

成長してないってことですかね。
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この回答へのお礼

心の有り様を改めて考えさせられました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/25 14:47

私も同様な気持ちになる時期がありました。


人を見下してしまい、人から見下されているかと不安になっていました。
「人は人。自分は自分。」と鏡を見ながら声に出していたら、楽な気分になりました。
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この回答へのお礼

心の有り様を改めて考えさせられました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/25 14:47

自分と違う価値観を持つ人を見下してしまうのですね。

あなたと違う価値観を持つ人がどのような環境で育ってきたのかを想像できれば見下す事は出来ないと思います。見下すという言葉は不快ですよね。世の中には色んな環境で育った方が沢山いますよね。どのような価値観を持った方でも尊敬したいと考えます。人の道を逸れた方はこの限りではありませんが。
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この回答へのお礼

心の有り様を改めて考えさせられました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/25 14:47

たぶん進化のもっと前の段階で


よりせっぱ詰りやすい環境下で
天敵に食われてしまったのろまなやつをかわいそうに思ってばかりいたら
自分がそのあと生き残るための余力をその分に割くことになって不利になるので
そういうのろまなやつをあきらめる気持ちが
淘汰のふるいを突き抜けて遺伝子的な構造の核となり
その先で肉付けされた枠組みとして
見下すという気持ちが獲得されてきているのだと思います。

ただし脳のネットワークは可塑的なので
後天的に環境とタイアップして広く枝分かれした可能性の先で
意識の上でまるっきり反対の方向の価値観を獲得する人も出てきて
それがマザーテレサやナイチンゲールみたいな人なんだと思います。
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進化の過程のお話で、はっとさせられました。
心の有り様を改めて考えさせられました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/25 14:48

おじさんです。


とてもいい質問ですね。
「人間という生き物は、人を見下す感情があると思いますが、それは何故なのでしょうか」
→自己防衛本能でしょうね。
へんな人間は社会で人に迷惑をかけます。その迷惑が自分に及ぶ可能性もありますからね。
人の価値観などはそれぞれ自由なのですが、時々他人に迷惑をかけても平気な人もいます。
これは自由とはいいませんね。
そういう人を見下すのは当然でしょう。
他人に迷惑をかけないことが自由の範疇でしょうね。
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この回答へのお礼

心の有り様を改めて考えさせられました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/25 14:48

それはあるモノが見えていないからだと思います。


そのあるモノとは
人の頭の上空20cmくらいにいる”神様”です。

誰でも例外なく、頭の上に”神様”が憑いています。

それを”守護霊”と言う人もいますが、呼び方はなんでもいいです。

ここで言いたいのは、人はみんな”神様”が憑いているということです。

人を見下すということは、その神様を見下すということです。

人を人とでしか見ていないと、見下してしまう場合もあるかもしれませんが、
人を神として見るならば、神が見えない自分が未熟なんだと反省しますよね。

と、私は思っています。
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この回答へのお礼

心の有り様を改めて考えさせられました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/25 14:48

最近は、アドバイスや助言を、気をきかしてこちらから先に言うと、求めてないし、上からと言われます。

言葉使いにもよると思いますが、人の話しをよく聞く聞き上手がいません。コミュニケーションを勘違いして、リーダーシップをとることと、話し上手になりたいばかりです。本当のコミュニケーションは、聞き上手と、相手を悪く言わない否定しないです。これができていないので、上から言われているようで、また上から言ってしまったりしているのです。
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この回答へのお礼

心の有り様を改めて考えさせられました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/25 14:48

心はどこにあるんでしょう?


脳でしょうか?
DNAでしょうか?
価値観が違うと見下す。
価値観は人それぞれです。
生まれ育った環境やその人が生きてきた人生経験から生まれるものです。
個性みたいなもんです。
合わせるのも自由
距離を置くのも自由

そこを問題にしているという事は、
合わない価値観を理解する機会でもあるんですが。
どうしたいのですか?
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この回答へのお礼

心の有り様を改めて考えさせられました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/25 14:48

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