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徳を積むことの1つに、神仏を信仰する、とあるそうです。
なぜ、神仏を信仰することが徳を積むことになるんですか?

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A 回答 (8件)

「徳を積む」という言葉が少々古いですが、そのふるい言葉の意味のままでいいでしょうか。


であれば、徳を積む中で、神仏を信仰する、という言葉がでてくるのは、それが「道徳的によい人間になる」という意味だからです。

近年の日本は、政教分離の原則から道徳と宗教を切り離して考える傾向が強くなっていますが、そもそも道徳と宗教は同じものなのです。

日本で考えるとわかりにくいので、外国の例で考えますが、たとえばアメリカは大統領が聖書に手を置いて宣誓するようにキリスト教が元になっています。アメリカは道徳もキリスト教の考え方が基礎になっていて、個人的には仏教を信じていたり、ヒンドゥー教を信じていても、たとえば学校で寄付のためのクッキー販売とか、ボランティア活動などのキリスト教的な価値観に基づく行事は参加することになります。(寄付のクッキーは修道院の伝統に由来します)

実際にアメリカの小中学校ではこういう行為を行いますが、キリスト教的な価値観を持たない、日本の学校では寄付もボランティアも行司としては、ほとんど行いません。

また、アメリカなどの多くの国で裁判などの証人になるときは「聖書に誓って真実を話します」と宣誓します。その人が仏教なら「仏に誓って」となりますし、イスラムなら「コーランに誓って」となります。日本人の場合は「自分の良心に誓って」となるようです。

もっとも、日本でも江戸時代までは神に誓う宣誓の方法がありました。熊野神社牛王誓詞に文章を書いてそれを誓いに証にしたのです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E9%87%8E …
これは広く日本国中で行われました。

こういう時代の考え方からいって、そもそも「徳」を積んだかどうかのは天(神仏)が決めることでした。そして、徳を積むためには、当然ですが、良い心持ち・真性な性根の持ち主である必要がありました。
このような心を得るためには、道徳的に正しい考えと行動ができる人でなければなりませんし、その道徳を学ぶには神仏のルール(信仰)を守ることが重要である、と考えられていたのです。

現代においては、神仏や天という考え方が薄らいでいますし、特に多神教の日本では神のご利益や神罰と道徳というのはあまり関係がありません。

それでも「そんなことをすると罰があたるよ」というように、悪いことをした後に不幸やトラブルがあると「罰があたった」と考えるように、道徳と信仰心がまったく乖離しているわけでもありません。

昔は「徳を積んだ人」=神仏の信仰心に篤く良い行いを心がける人、だったのです。
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坊主でも、キリスト教の神父でも、破廉恥なことをする人がいます。


だから、神仏を信仰すれば徳を積めるかと言うと、あまり関係ないと思います。

誰にでも良心はありますから、人間として良いことと悪いことは分かる筈ですので、その良心に従って、自分を克己して行けば徳のある人になれると思います。

いくら神仏を信仰しても、自分を克服できない人は、徳のない人になると思います、・・・先に述べた坊主や神父のように。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2015/09/18 01:29

No.4です。



書き忘れました。

自分をこの世に産んで育ててくれた両親に親孝行するのが

最高の徳積みです。

両親の両親、そのまた両親、、と、ご先祖を祀ることも

徳積みになります。

両親への孝行、先祖への供養、、これが幸せの第一歩ですね。
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No.4です。



書き忘れました。

自分がこの世に生まれたのも両親の、そのまた両親の、

そのまた両親の、、ご先祖様のお陰です。

ですから、親孝行をすること、ご先祖を祀ることも

徳積みになります。

これが、何より一番大きな徳積みですね。
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神仏を信仰することが徳積みになる、、というより、



朝、家族に笑顔で「お早う」ということも徳積みです。

困っている人がいたら、助けてあげる、、、のも徳積みです。

困ってるからと言って、借金の肩代わり、、は

徳積みにはなりません。

道を聞かれたら親切に教えてあげる、、、これも

徳積みです。

電車に乗ったり、バスに乗ったりしたら、

乗り合わせたこれらの方達が、皆、幸せでありますように、、、と

心の中で祈ってあげるのも徳積みですよ。

別に、神仏を信仰しなくても、徳積みは何処でも出来ます。

自分の周囲の人たち、自分に接する人たちの幸せを

祈ってあげることは大いなる徳積みです。
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クレジットカードのポイントが1回10万円以上のお買い物をしたときにしか付かなかったらどうでしょう?


普段の買い物でもいいこと(ポイントが付く)があるから、使うのです。

それと一緒。
普段の生活に織り交ぜられることがある方が、ポイント(徳)は貯まりますし、そういう宗教を選びたくなるでしょう。
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おじさんです。


「徳を積むことの1つに、神仏を信仰する」
→そう言った人は、多分神仏を信仰している人でしょう。
「なぜ、神仏を信仰することが徳を積むことになるんですか?」
→徳と信仰は全く関係はないと思いますよ。
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こんにちは。



『昔は』神仏の信仰、つまり何らかの宗教団体に所属すれば、
いまでいうボランティア活動に従事する機会が得られましたので、
特を積めるという考え方になったのでしょう。
昔は、暮らしを維持しながら無償の施しを与えるという行為そのものが、
社会的・経済的事情により(一般市民には)、ほぼ不可能だったためです。

ではでは。
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