
『私はカトリック(もしくは「プロテスタント」)のクリスチャンです』
と言う方は、実際何を主張したいのでしょうか?
カトリックだからこういう考えであり、断じてプロテスタントとは違う!
…と、相容れないような強い主張なのでしょうか?
クリスチャンだけど、プロテスタントなので、カトリックの方とはお話が合わないと思います。
…と、それとなく他方を敬遠しているのでしょうか?
単に敬虔な信者であることをアピールしているだけなのでしょうか?
どういった思惑が込められているのか、クリスチャンのお考えをお聞かせください。
無知であることをお許しください。
A 回答 (6件)
- 最新から表示
- 回答順に表示
No.5
- 回答日時:
はじめまして。
カトリックとしての誇りは初教会とぺトロ使徒との直接のつながりです。そして守ってきた統一性。カトリックの視点からプロテスタントがヒエラルキーのない無秩序教会です。
プロテスタントは中世の終わりその時に唯一の教会であったカトリックの過ちを指摘しながらキリスト教の聖書的な革命を求めました。その時から、キリスト教の代表的な人物が大部分プロテスタントでした。今もそうです。
残念ながら、ヒエラルキーのないプロテスタントには今一番いい教会(例えば:米国のいちばん大きい教会である南部バプテスト連盟)もありますが、最悪な教会(たとえば、韓国で流行っている繁栄信仰)もあります。
プロテスタントは相変わらずカトリック教会内の革命を求めて、望んでいます。
神学の違いが割と大きいですので、どっちに所属するのが割と重要なことです。
No.4
- 回答日時:
日本においては、
・日本キリスト正教会(オーソドックス)
・日本キリスト教会(カトリック)
・日本キリスト聖教会(プロテスタント)
・新聖教諸派
オーソドックスとカトリックは、古くは南蛮と言っていました。
イギリス聖教が紅毛です。
ローマが東と西に分裂して、オーソドックスとカトリックに分かれました。
対して、革新派のイギリス聖教や新聖教諸派は、オーソドックスやカトリックのような教会主義でははなく、洗礼名も受けません。
救世主はイエス・キリストで、よりキリスト信仰が強いと言えるでしょう。
新聖教諸派は、それも希薄で、キリスト系カルト教とも言われています。
仏教においても各宗派があるように、キリスト教もまた、信心がどの辺にあるかは違うのです。
No.3
- 回答日時:
カトリックとか、プロテスタントとか、白か黒かでしか、モノが考えられない幼稚な信仰の持ち主だと思います。
たいていのクリスチャンの場合、信仰歴が長ければ長いほど、わざわざクリスチャンの前にカトリックとか、プロテスタントとか、つけません。
おそらく、なったばかりの信者でしょう。

No.2
- 回答日時:
クリスチャンです、というだけではあまりにも幅が広くて
教義や主義主張や社会的立場も違うので
前提となる話が違えば、話が噛みあわないからじゃないでしょうか?
他方を敬遠、というより…。
だから「私はカトリックです」という場合にプロテスタントを遠ざけるのではなくて
ほかの聞き手に対して、立ち位置を示しているだけに過ぎないのでは。
たとえば「東京での生活はこうでした」というのが
23区内の人と八王子の人では違ってきますし
「うちは仏教で」が浄土真宗か創価学会では意味が違ってくるでしょうし
クリスチャンもプロテスタント、カトリック、エホバ、いろいろありますからね。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
おすすめ情報
おすすめ情報