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二万五千の地形図を見ると札幌の都市を形成する道路は明治初期に計画された碁盤目状になっていますが、このらの道路の方向は明らかに東西南北にはなっていません。南半分は真の北から約6度西へ、
北半分は同じく約10度西へ傾いています。質問です。
1 南半分の約6度の傾きは、偏角を無視して施行したと考えてよろしいのでしょうか。それとも他に 理由があったのでしょうか。
2 北半分が約10度になったのは何故なのでしょうか。
3 どして、道路の傾きが6度と10度の2首になったのでしょうか。
以上教えてください。

ちなみに、歴史の古い京都の道路は正確に東西南北になっているとみられますが。

A 回答 (2件)

以下を参照して下さい。



川があったためとのことです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%81%AA …
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この回答へのお礼

有り難うございました。豊平川の流れまで変更するには及ばないと言うことでしやか。

お礼日時:2016/02/10 14:14

最近のブラタモリでやってましたね



札幌の南部の方は豊平川の扇状地なので良いのだが
東や北の方は湿地帯だったので、開拓をするには土壌の排水から始めなければならなかった
排水するには川に向かって排水路を切るだろう、結果自然と川や排水路を基準にして街路が形成されていった

で、札幌の地域毎に微妙に街路の向きが異なるのは、最初から今の札幌の規模の街区が出来上がるなどは当時想像も出来るはずもなし

札幌周辺の開拓は、札幌中心部だけで行われたわけではなく
周辺の各地で同時並行的に実施された

それぞれの開拓地では、それぞれの地域に適した方法で開拓が進められていった
札幌の開発が進んで街区が拡大した結果、周辺の開拓地をも飲み込んでいった

結果、元々は関係のなかった周辺開拓地も札幌に組み込まれる過程で、街区の接続点には
微妙な曲がり角や道路の曲がりが生じた

最初から札幌という大都市を作る目的で開発したのなら、京都のような街区になるのだろうが
そもそもが農地開拓を目的に作られた街が、歴史の中で今の形になったので

正確な南北関係とかは重要ではない、開拓の効率を最優先
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この回答へのお礼

有り難うございました。良く分かりました。ブラタモリはうっかり見損ないましたので、見れば良かったなと思っています。碁盤目が傾いているのは実に切実な理由だったのですね、科学的な根拠などなかった、ちょっとガッカリでした。正確な東西南北であるかないかは、私にとっては大変重要な問題なので質問しました。回答者様の私見とは異なりますので念のため。

お礼日時:2016/02/10 14:12

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