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1975年10月31日、日本記者クラブ主催「昭和天皇公式記者会見」において、記者の一人が昭和天皇に対して太平洋戦争の戦争責任について問うたとき、昭和天皇は次のように答えたそうです。

『そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。』

わたしも確か昭和天皇がそのような内容の話をしている映像を見た記憶があります。
私はこの映像を見たとき胸が痛みました。
無念の思いが胸を過ぎりました。
昭和天皇は太平洋戦争で起こった出来事をあたかも文学小説の一コマの如く語っている様子を目にして信じがたい思いを感じました。
太平洋戦争でむなしく死んでいった数百万人の兵隊さんや民間の老若男女は浮かばれるのかと。
日本のため、天皇陛下のために命を捧げた数百万人の日本人の命はいったいどこに消えたのでしょう。
皆さんはどのように感じますか。

質問者からの補足コメント

  • その後、映像は編集されたらしく昭和天皇の上記発言部分は消されており、今では見ることができません。

      補足日時:2016/05/09 23:32
  • 今月の27日にアメリカの大統領が広島を訪問しに来るそうである。
    長崎にも行くかどうかは不明だけど。
    そこでアメリカの大統領は自分たちが行った広島と長崎への原爆投下について日本国民に向かって何かを語ることになるのである。
    もしも昭和天皇が言ったように広島と長崎への原爆投下が「已む得ない」ことであったならば、広島と長崎の原爆投下は正しかったことになり、アメリカの大統領も昭和天皇が言ったように広島と長崎への原爆投下は「已む得ない」ことであったということになるのである。
    この場合アメリカの大統領は広島を訪れてもただただ「已む得なかった」と言えばよいことになり、広島、長崎の市民、日本国民に対し一切の謝罪をする必要はなくなるのである。
    それで日本政府や日本国民は納得できるかということなのである。
    私はそれで良いと思う日本人は昭和天皇だけであって欲しいと願っております。

      補足日時:2016/05/11 11:04

A 回答 (36件中31~36件)

この場で質問するにふさわしくない内容でございますので、お答えはしません、って意味です。

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この回答へのお礼

日本国民に対して説明する場はふさわしい場ではないってことになりますか。

お礼日時:2016/05/10 08:40

>広島と長崎の市民にとってやもうえなかったで済む事なのですかね。



 戦争を終わらせる為には、已む得ないかと・・・
それに、「原爆」を落としたのは、昭和天皇でないし

 hitonomichi34さん的には、
なんと!回答すれば 100点満点の
「已む得ないで済むのでしょうか?」
是非 その模範解答を知りたいですね~

>部分は削除されたのでしょうか。

 残っている映像にないのですから
削除されたのでしょう

 それが、どちらに都合の良い
(政府、マスゴミ)
映像なのか映像を見ないとわかりませんけど

 ただ、左巻きの方にとっては、
映像が無いから とても、都合がいい叩き材料で
ある事には違いありませんよねwww

 下記に詳しく責任付いて
書いている方がいますので読まれてみては?

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
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この回答へのお礼

>是非 その模範解答を知りたいですね~

「已む得ない」ってことは、広島と長崎の原爆投下は正しかったってことなんだよ。
広島と長崎の原爆投下は正しくないってことだよ。
どのような状況であれ広島と長崎に原爆投下したことは犯罪行為であると主張すべきなんだよ。

お礼日時:2016/05/10 00:56

こんばんは。



多分この映像はなかなか見ることはできないでしょう。今後「このような発言はなかった」ことになるかもしれません。

この記者会見の様子を、ある本では、このような昭和天皇の発言に対して、「記者たちの間から忍び笑いが聞こえた。」と、あります。
結局日本の戦後は所謂「左翼」も含めて、このような発言を許してきた。そのようなメンタリティーの上に成り立っているということでしょう。堀田善衛の「方丈記私記」によると、東京大空襲の後の焼け野原に、大元帥姿の天皇の姿があった。人々はそれを見て、怒りをぶつけるどころか「ひれ伏して、詫びた」と記されています。
また、1947年に行われた昭和天皇の広島行幸では、被爆地広島で、天皇に対して、「地鳴りのような歓声が沸き上がった」と云われています。

ヒットラーは自殺し、ベルリンのナチスの徽章はソ連軍の砲弾で粉々にされました。
ムッソリーニは市中に吊るされました。

戦後日本人は天皇に指一本触れることができなかったか?そうではなく、日本人自らの意思で、「指一本触れないように」ここまで来たのです。それが「ヒトラーもうらやんだ、「下から」のファシズム」ではないでしょうか?
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この回答へのお礼

>多分この映像はなかなか見ることはできないでしょう。今後「このような発言はなかった」ことになるかもしれません。

『そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。』
だいぶ昔のことなのでわたしもはっきりとは覚えていなかった。
最初私の頭の中では「戦争責任について答える義務はありません」と言っていたように思っていました。
しかしその後よく思い出してみると、確かに「言葉のアヤ」だとか「文学」みたいな話をしていたことを思い出しました。
確かに昭和天皇がそのような内容の話をしている映像を見た記憶があります。
おそらく好ましい映像ではないので消されたのでしょうかね。

お礼日時:2016/05/10 00:50

64歳主婦です。



日本のために、我が子のために、祖国のために、愛する人のために

この国を守ろうと命をかけて下さった英霊の方達は、

そんなに貴方が思われるように「無念」とは思っておられなかったのでは?

国を守るために、愛する人たちを守るために命を掛けることが

出来る、、という喜びも大きかったのではと思います。

もちろん、全員とはいいませんが、、。

戦後に作られた戦争もののドラマは、「仕方なく戦地に行かされた」

という「被害者目線」のような描き方をされてるものが多いですが、

それこそ、、自分の愛する家族、子供、恋人、親を守るために

喜んで命をかけて戦地に赴かれたのですから、そういう気持ちは

汲み取ってあげられないとかえって失礼だと思いますよ。

別に「天皇陛下のため」に、戦地に行った訳ではないと思いますよ。

世界の列強から攻撃される祖国を守ろうとされたのですから。

また、当時と平成の私たちでは、命の考え方が違います。

現代の私たちは、どうしても、唯物論的考え方をして、

死んでしまったら、人間は終わり、、といった考えをしますが、

70年も前の方達は、「永遠の魂」というのを信じておられましたから

肉体は滅びても魂は残っている。

だから、靖国神社で再会しよう、、という考えをなさっておられたのです。
命よりも大切な祖国や、その祖国に生きている愛する家族や、

恋人や子供や親のために、戦地に赴かれたのです。

戦地に向かう兵隊さんの遺書を、靖国神社で読まさせて頂きましたが、

皆さん、祖国日本を守ろう、、という崇高な心構えが素晴らしく

胸を打ちますよ。

hitonomichi34さんも、ただ、単に「頭の中」で考えるのではなく、

一度、靖国神社に行かれて、、直接、自分たちが戦うことによって

愛する家族がまもられるのだ、、という当時の英霊の方達の崇高な

気持ちを汲み取って頂きたいと思います。

昔、戦争で亡くなった方達は「犬死であった」などという

唯物論者の言葉がありましたが、本当に、祖国日本を守りたい、、という

気持ちで命をかけられた方達に対して、失礼極まりない言葉を吐く

ものだと、同じ日本人として悲しく思ったものです。

英霊の皆さんも、「犬死であった」などと語り継がれたら、

死ぬにも死ねない無念な思いをなさると思います。
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この回答へのお礼

昭和天皇は戦時中はどのように語っていたのかは知らない。
ところが戦後になると、
『そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。』
こうなったというのである。
私はこれの意味について、あれこれ考えてみたんですが、どう考えてみたところで解せないのであります。
なんで太平洋戦争で起こった出来事が、太平洋戦争で死んでいった数百万人の兵隊さんや民間の老若男女のことが文学の話になるのかまるで理解できない。
普通の人間感覚では誰も理解できないのではないかと思っているのですが、あなたは理解できるのですか。

お礼日時:2016/05/10 00:33

私の調べた話では


(言葉のアヤ発言)

 昭和50年(1975年)9月22日、昭和天皇は
訪米を前に外国人特派員団33人と会見

 訪米後に国内報道陣と史上初の宮中での公式記者会見
(これが、質問文の1975年10月31日)

 この時に記者が
「ホワイトハウスにおける『私が深く悲しみとするあの戦争』というご発言がございましたが、
このことは、陛下が開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と
解してよろしゅうございますか。また、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか」

  これはホワイトハウスでフォード大統領主催の晩餐で陛下が挨拶されたとき
「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争の・・・」と述べている部分があり、
これを英文でdeplore(1 …を(痛烈に)非難[批判]する, とがめる.
2 …を深く悔いる, 遺憾に思う, 〈人の死などを〉嘆き悲しむ, いたむ.)と訳したため、
解釈論争が起きたことが背景にあります。
藤山駐米大使は「ただ"悲しんでいる"という意味である」と説明しています。

 そこで、『そういう言葉のアヤ・・・」という事になったと聞いているのですが・・・

 要するに、マスゴミが、都合 発言を
編集し放送した結果だったかと・・・・

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この回答へのお礼

広島と長崎の原爆投下についてはやもうえなかった事とはっきり言ってますね。
広島と長崎の市民にとってやもうえなかったで済む事なのですかね。
『そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。』の部分は削除されたのでしょうか。

お礼日時:2016/05/10 00:04

>太平洋戦争でむなしく死んでいった数百万人の兵隊さんや民間の老若男女は浮かばれるのかと。


>日本のため、天皇陛下のために命を捧げた数百万人の日本人の命はいったいどこに消えたのでしょう。
こういうのを言葉のアヤという。当事者意識のない綺麗事。
だから文学小説の一コマの如く語っている様子にあなたは見える。
言質取りしたら、浮かばれたり、現れたりするのかい?
陛下は当事者だから、綺麗事では答えられないとおっしゃっている。

40年前の発言の死後28年経っている死者にむかって今頃鞭打つのは人道に悖る。
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この回答へのお礼

かつて太平洋戦争当時、天皇は人間ではなく神であると教えたそうである。
その映像を見たとき確かに昭和天皇は人間ではないなって感じております。
人が人であるとは一体何なんだろーね。
人の道って何なんだろーね。

お礼日時:2016/05/09 23:51
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