最大1万円超分の電子書籍プレゼント♪

皇族の女性の名前には、全て「子」が付いていますけど、何故なんでしょうか?

生まれながらの皇族に「子」が付いているのは、何か伝統的な意味があるのでしょうか?
旧皇族もちょっと見た限りでは、「子」が付く名前ばかりですし・・・

又、それだけでなく、婚姻によって皇族となった女性も全て「子」が付いているのも、確率的に考えるといかにも不自然なんですけど、どうしてなんでしょうか?

gooドクター

A 回答 (11件中1~10件)

奈良時代は皇族でも「子」を付ける方は稀で、藤原不比等の娘で、文武天皇の夫人になった宮子、それから臣民から初めて皇后となった光明子くらいのものです。


ある説では、藤原氏の娘に「子」が多いから、その習慣ではということを書いた資料もありますけど、この光明子などは、本名は安宿媛と言いましたから、「子」という文字に何かの意味があれば、藤原氏の習慣というのもちょっと信じがたい。

http://www.marutoku.jp/roots/Kfujihokke2.html

↑藤原北家の系図ですけど、女性は全て「子」ですね。

他氏族ですと768年の女官の位階表(柏木ゆげひ氏の資料)
 无位 文屋布登吉[ふみやのふとき] 
 正四位上 吉備由利[きびのゆり] 
 従五位下 平群真継[へぐりのまつぐ] 
 无位 藤原浄子[ふじわらのきよこ]  
 従三位 藤原百能[ふじわらのももの] 
 正四位下 藤原家子[ふじわらのやかこ] 
 従四位上 大野仲智[おおののなかち]  
 従五位下 久米若女[くめのわかめ]  
 无位 多治比古奈弥[たじひのこなみ]  
 従五位上 桑田弟虫売[くわたのおとむしめ] 
 従六位下 朝妻綿売[あさづまのわため] 

他氏に比べ、藤原氏に「子」が多いですけど、藤原麻呂(京家)の娘の藤原百能は「子」が付かない。


平安時代からは「子」が流行して、「子」が付く女性が増えてきますが、本当のところ「子」を付けたかどうか不明な面もあります。
例えばお馴染みの藤原明子ですけど「あきらけいこ」、藤原高子は「たかきこ」と読むかと思えば、文徳天皇の母親など、藤原多賀幾子(たかいこ)と読みます。
ここまで来ると、暴走族の「夜露死苦」のように、読みが先行して、それに漢字を当てたということも考えられ、一部では定子が「ていし」なのか「さだこ」なのか不明ということです。
いずれにせよ、嵯峨天皇の時代には定着し、皇女は全て「子」が付き、外部から入った女性も「子」をつけるようになりました。
例えば、明治天皇の皇后は一条美子といいますけど、結婚前は寿栄君と名乗っておられました。
ここまで来ると、最早伝統でしょうね。
たまたま、美智子、雅子、紀子という「子」が付く方が民間より入られましたが、中には秩父宮勢津子さまのように、本名の「節子」から、大正天皇皇后の九条節子と同名を憚って改名されていますし、今後、悠仁親王の妻が「子」が付かない方ですと、あゆみなら「鮎子」、かをりなら「香子」と改名される可能性はありますね。
    • good
    • 7
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「子」についての歴史的な考察、大変参考になります。
近年は皇族は「子」を付けるのが当然になり、時には改名さえしてきたのですね。
たまたま民間から入られた方が「子」が付いていたのは、そんな改名の検討をしなくて済むので、変な議論になる可能性がなくなり、ある意味ではラッキーなことだったかもしれませんね。

お礼日時:2006/09/13 05:30

皇太子、秋篠宮両夫妻の世代(1966年以前)なら、未だ、女性の名も★(#)「子」が曲りなりにも多数でしたから(!?)「子」で終わる名に絞って、結婚相手を探す余裕があったかも知れません。



ですが、(NO9さんがURLを張られた)明治安田生命の調査によると裕「子」(1982年)が最後で、1983年以後は「子」で終わる名が1位の座に就いていない傾向があります。

そして(2006年9/6に)秋篠宮夫妻の第3子が長男で、悠仁(ひさひと)と命名され、一息つきましたが、彼を取り巻く環境(縛り)には相当な厳しさが待ち構えているリスクも有得ます。

●即ち(不謹慎なのは熟知していますが)皇太子が昭和天皇や(非皇族ですが)石原現都知事の如く、弟に先立たれた時、"皇太子を経験出来ない型の次の次の天皇の誕生"になり兼ねず、所謂"帝王学"の充分ではない可能性がある

●女児の「子」離れと同時並行的に、少子化も急速に進展しているので、多少譲って(親世代と同比率だとしても)将来の対象者数に余裕がない、と考える妥当性が高そう。
*将来の天皇に於いても、一定の格式が関るだろうから「子」で終わるが、ヤ●ザの一族よりは「子」で終わらぬが医師、弁護士等の一族を選ぶだろうと言う事、
がそれです。

更に皇族の配偶者になるのに、同意した女性は今迄20余年使い慣れて来た、姓が無姓になる点は自明だから未だしも、親が命名したり、何等かの故あって「子」をつけぬ場合も当然有り得るでしょう。

それを本人やその一族等に同意を求めるなら別ですが、
後になって伝統だから改名なんて無粋な事持ち出したら自殺行為なのは宮内庁も薄々認識していると思いますね。

(2006年9/13)現時点では"男系男子"がやっと1人産まれただけですから、少なく共約四半世紀後の候補者の名が「子」で終わる点に(宮内庁は)拘る程先見の明があるとは私には思えません。

その前に、皇太子ではなく、秋篠宮家への人的、資金的対応に追われてそれ所ではない、のが現状ではないか?と言う気がします。
    • good
    • 6
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

別に今でも「子」の名前の女性に限って選んでいるとは思いませんが、もしかしたら、他の要因があるのかと疑問に思ったわけでした。
「お世継ぎ問題」については、又別の機会にお聞きしたいと思います。

お礼日時:2006/09/16 05:00

No.3です。


ついでに計算しておきますね。
三人とも「子」がつかない確率はやはり八分の一。
三人のうち一人に「子」がつかない確率は八分の三。
三人のうち二人に「子」がつかない確率は八分の三。

つまり、三人の中に「子」がつかない人がいる確率は、八分の六になります。

ただ、これは三人の世代のお嫁さん候補の中に「子」がつく人が50%という前提です。
他の方もお書きですが、美智子さまの場合はその家柄などを考えると「子」のつく名前をつけるのが普通なので、三人とも「子」がつく八分の一の確率は、実際にはもっと高くなるだろうと思います。

あ、お礼はいりませんよ。ついでに計算しただけですから。
皆さんの回答を拝見して、私も勉強させていただきました。ありがとうございました。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

再度のご回答、ありがとうございます。

「子」がつく確率は、もっと上になりそうでした。
勉強になりました。

お礼日時:2006/09/16 04:56

大和時代から順に説明していくと、次のようになると思います。



(1) 大和時代、「……子」という人名は男にも女にもあった。

(2) 奈良時代に入ると、男性名の「……子」は廃(すた)れた。

(3) 嵯峨天皇(第52代。在位809~823)の時代から、皇女の名は「……子」一色となった。竹田恒泰によれば、このことは外戚の藤原氏から来ているそうだ。
皇室のきょうかしょ vol.8 天皇の御名(おんな)
http://www.fujitv.co.jp/takeshi/column/takedatsu …

これに倣って、上流階級の女性の諱(いみな。宮仕えや叙位に際して命名される)も「……子」に統一された。昔の人は、通称・実名など何通りもの名前を持っていたのである。また、天皇の側室や后となるときは、宮仕えや叙位を伴う。したがって、天皇の側室や后は必然的に「……子」の名前を持つことになる。
以上のように、嵯峨天皇の時代以降、「皇女」および「天皇の配偶者」は、すべて「……子」の名前だそうだ。この前例を踏襲し続けて1200年、現在に至っている。

(4) 豊臣秀吉の正妻は「木下ねね」だった。しかし、その名では叙位を受けられないので、公式の名を「平朝臣寧子」にして、その名で従一位に叙されている。

(5) 明治時代になってもしばらくは、「……子」の女性名は公家・華族のもので、それ以外の女は「仮名(かな)2文字」が多かった。例えば、乃木希典の夫人は江戸時代の生まれで藩医の娘であり、戸籍名は「……子」ではなく「シヅ」だったが、通称として「静子」を名乗った。さらに時代が下ると(明治30年代)、正式な戸籍名として、庶民でも娘に「……子」の名を付けるようになった。
生まれ年別名前ベスト10女性(明治安田生命)
http://www.meijiyasuda.co.jp/profile/etc/ranking …

> 又、それだけでなく、婚姻によって皇族となった女性も全て「子」が付いているのも、
> 確率的に考えるといかにも不自然なんですけど、どうしてなんでしょうか?

確率的に考えると、不自然とは言えない。なぜなら、最も若い紀子さんでも1966年生まれであり、前出の表で66年の所を見ると「……子」優勢だからである。それ以前は、さらに「……子」優勢だった(1940年代あたりが最も優勢)。

(6) 将来、悠仁(ひさひと)の妃となる令嬢の名は、「……子」でない可能性が高い。1200年の伝統が破られるわけだが、それも時代の趨勢と言うものだろう。それとも、「……子」限定でお妃選びをしたり、わざわざ改名させたりするのであろうか? そのように万事固陋なことをしていては、嫁の来手もなくなってしまう。徳仁(皇太子)の時も、妃候補と目された令嬢たちにことごとく忌避されて、大変だった。雅子さんは犠牲になる覚悟で皇室に入ったと思われ、実際に犠牲になっている……。
(参考にした本)
『世界大百科事典』平凡社
    • good
    • 6
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。詳しく調べていただき、お手数をおかけしました。

嵯峨天皇の時代以降、「皇女」および「天皇の配偶者」は、すべて「……子」の名前になった、ということですね。それにしても、藤原家の伝統を引き継ぐ結果となったというのは、日本人の姓に「藤」の付く名前が多いことと併せて、藤原家の権勢がいまだに強い影響が残っているとも言え、興味深いですね。

確率論については、ちょっと自信がないので、これ以上は止めておきますが、皆さんのご回答を下に色々と調べてみましたら、「子」がつく名前の率が高かった時期は、1940~1955年がピークで、何と70~78%にも上るそうです。
逆に、1966年は少なめで50%、美智子皇后様のお生まれの頃は多目で、65%だそうです。
1920年以前と、1982年以後は、30%以下で、今では10%にも達していないようです。
ですから、これからは大きく変わる可能性が高いでしょうが、まさか改名などはさせないだろうなあ、と思いつつも、ちょっと危惧も残りますね。

単純な質問が皆さんのご回答から色々と発展して、勉強になります。

お礼日時:2006/09/13 06:03

No.2、No.5に続いて、三度目です。



ええと、雅子さまと紀子さまだけなら、不思議はないけど、他の妃殿下がたも皆「子」がつくのが不思議とのことですよね。

まず、美智子さまと雅子さま、紀子さまの三人以外は皆皇室と縁のある方々です。つまり一般人はこのお三方だけなんです。

美智子様が「子」がつくのはなんら不思議ではありません。一般庶民でも、この年代の方のほとんどに「子」がつきますから、
まして正田家は、民間人とはいっても、相当な財産家。つまり「いい家柄」なわけです。
この時代に、いい家柄に生まれたら、まず普通は「子」のつく名前です。


さらに雅子さま、紀子さまですが、
雅子さまのおうちは外交官ですから、結構モダンな家庭だったと思われますね。
「子」がつかない名前をつけてもおかしくない環境かなあとも思いますが、ご両親のお年を考えても、
「子」のつく名前をつけても不思議はないですね。

紀子さまのおうちは大学教授だし、川嶋家はちょっとユニークですから、「子」がつかない名前をつけるとしたら、川嶋家だったでしょうね。
紀子さまのお父様が一番「子」がつかない名前を
おつけになるタイプかなあと。。(笑)

「子」はついていますが、「きこ」と言う名前は
そんなに一般的ではないと思います。
ここにお父様のユニークさが表れているのでは、
と思います。

こんな回答ではいかがでしょうか。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。色々とお考えいただきまして、感謝します。

私は、皇族以外の旧皇族でも「子」がつかない人も多少はいると思ったんですけど、ちょっと調べた限りでは全てに「子」がついているようでした。
その中で、一般から皇族に嫁がれた女性がどの位いらっしゃるのかが分らなかったのですが、こちらも例外なく「子」が付く方ばかりだとすると、本当に不思議な傾向だな、となるのですが、調べ切れませんでした。

川嶋家については、例えば家庭でテレビを見なかったとか、色々とユニークなお考えをお持ちのようですし、確かに「子」がつくとはいえ「きこ」という読みのお名前は珍しいですよね。
私の娘も、テレビは見なかったし、ちょっと変わった名前ですけど、皇族には嫁がなかったかったです(笑)

お礼日時:2006/09/13 05:45

No.3です。



>皇族と結婚した女性の名前が全て「子」がつくというのは、その世代の半分がそうだとしても、1/2×1/2×1/2=1/8の確率ですし、更にこれに旧皇族の分も含めると、相当低い率になるのが不思議でした。

民間から皇室に嫁いだのは美智子さま・紀子さま・雅子さまの三人ですよね?
皇族や旧華族では「~子」と名づけるのが一般的なのですから、民間出身の三人だけの確率で見てみましょう。
八分の一と言うのは、別に低い確率ではないと思いますよ。
三人兄弟がみんな男の子あるいは女の子になるのと同じ確率です。
三人兄弟が同性だからといって、別に不自然な兄弟ではありませんよね。

他の方もお書きですが、質問者さん、かなりお若い方なんでしょうね。
私の年ですと、皇族女性が全員「~子」だって、何もひっかかりません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

勿論、3人に「子」がついた程度では、低い確率とは言い切れません。でも、3人に「子」がつかない人がいる確率の方が、ずっと多いような気がしますが、まあ確率論は苦手なので自信はありません(笑)

私は若くないんですけど、同世代では「子」がつかない女性も、かなり多かった印象がありましたので、不思議な感じがしたというわけでした。

お礼日時:2006/09/13 05:35

またまた回答します。



たぶん、このご質問者さんはお若い方なのではと推測します。

たまたまでは腑に落ちないとのことですが、
雅子さまも紀子さまも、ほぼ私と同世代です。
私は東京生まれで東京育ち。
うちも含めて私の同級生のほとんどがサラリーマン家庭でした。

つまり旧家の子も、旧華族の子もクラスメートにはいなかったわけです。
それでも同級生の約半分は、子がつく名前でした。

そこから考えても、雅子さま、紀子さまのお二人が「子」のつく名前だとしてもそんなに不思議なことではないと思います。

それよりも今私の生徒さん(あるお稽古事を教えています)の約7割が「子」のつく名前なんですよ。その方が不思議です。
約40人中7割ってすごい確率に感じます。
それも30代がほとんどなのに。。。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

たびたびのご回答ありがとうございます。
残念ながら、私は若くはないんですけど(笑)

お二人だけなら別に珍しくもないんですけど、皇族は「美智子様」「雅子様」「紀子様」「華子様」「百合子様」「信子様」「久子様」と、嫁いだ方7人が、例外なく全て「子」が付きます。
又、天皇家で既に亡くなられた方で見ても、秩父宮「勢津子(元は節子)様」「高松宮喜久子様」を始めとして、一人も例外が見当たらないんです。

又、手元にある名簿で見てみましたら、71名中「子」がつくのは39名で、55%でした。(ご回答者より、だいぶ上の年代ですけど)

やっぱり、腑に落ちないです(笑)

お礼日時:2006/09/12 23:23

祖母が言ってました。


昔は一般庶民の名前に「子」をつけてはいけなかったそうです。
なのでみんな「ちよ」「うめ」「まつ」「はる」「とら」・・・などなど。
祖母の母親は京都の公家の娘だったので「子」がついていました。
公家の娘には「子」がついている。なので徳川に嫁いだ公家の娘達もみな「○子」です。

明治時代あたりでしょうか、一般庶民も「子」をつけることが許されたんだそうです。
それでみんな喜んでつけたと聞きました。

おそらく代々続くような名家のお嬢様は「○子」とつけるのが当たり前なのでは?
美智子様も雅子様も由緒正しきお家柄でしょう?
紀子さまのお父さまは学習院大学の教授ですが、将来のことを考えての命名だったかも・・・なんて勘ぐってしまいます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

皇族だけでなく、公家さんとか高貴な方には「子」を付けているんですね。
ですから、旧家や名家であれば、それにあやかって「子」を付けることが多いのは分ります。
常陸宮妃殿下の華子様などは、その典型ですね。
美智子様の正田家も、お父様は財界人ですけど由緒がある家系ですね。

ただ、雅子様の小和田家は、旧家・名家ではないようです。

将来のことを考えて・・・と勘ぐるところまではいかなくても、何か不思議さが消えないんです。

ただ、

お礼日時:2006/09/12 22:29

>婚姻によって皇族となった女性も全て「子」が付いているのも、確率的に考えるといかにも不自然なんですけど



私は40代ですが、この世代なら女性の半分以上は「~子」です。不自然じゃないと思います。

「~子」という名前は上流階級から庶民に広まったと読んだことがあります。

私の祖母の世代は「トメ」「つや」「うめ」なんて名前が多いです。
「~子」の流行以前の名前ですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

前の方へのお礼にも書きましたけど、やはり確率からして不自然な気がして仕方ないんです。

考えすぎでしょうかね?(笑)

お礼日時:2006/09/12 22:20

昔は、「子」は身分の高い女性だけに許されていました。


例えば農家の娘とか、町人の娘は、
梅、松、春、といった二文字の名前がほとんどだったわけで、
武家や公家のお姫様だけが、和子、澄子、徳子といったように、「子」をつけることができたんです。

私の祖母は 初 といいました。(明治の終わりの生まれです)
母は、恵子です。
母は60代ですが、母と同世代の人たちは「子」がつく名前の人がほとんどではないでしょうか?

昔は身分の高い人にしか許されなかった名前を、
わが子につけるということが流行ったのだと思います。

私の名前には子はつきません。
私の同級生は「子」がつく人と、つかない人が半々くらいだったかな。。。

ちょうどモダンな名前が流行り始めたころだと思います。

ただ今でも旧華族や財閥の家柄、由緒ある家柄では、
伝統として、「子」をつけるのではないでしょうか。

雅子さま、紀子さまのご実家は、どちらかというと、旧家というよりは、モダンなおうちだと思うので、
「子」がついていたのは、たまたまだと思います。
次世代は、初の「子」のつかない妃殿下が誕生するかもしれないですね。

質問の答えになってないかもしれませんが、
少しでも参考になれば。。。

いつから正式に一般人でも「子」をつけられるようになったのか、また、なぜ身分の高い女性には「子」と言う文字を使ったのか、その辺は私もわかりません。
どなたかわかる方、よろしくお願いします。
私も興味があります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

皇族に「子」がついているのは、高貴の印ということですね。

ただ、皇族と結婚した女性の名前が全て「子」がつくというのは、その世代の半分がそうだとしても、1/2×1/2×1/2=1/8の確率ですし、更にこれに旧皇族の分も含めると、相当低い率になるのが不思議でした。

そして、「雅子さま」の小和田家は武士ではあっても旧家ではありませんし、「紀子さま」の川嶋家は、一般のご家庭ですよね。

やはり、たまたまというには、どうも腑に落ちない気がするんですけど。

お礼日時:2006/09/12 22:18

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

gooドクター

このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング