プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

生きるか死ぬか、
そういう選択を本気で迫った人、
いますか?
どういう人生でしたか?戦争時代みたいですけどね。

この世は精神病患者ギリギリのクソ野郎にとって、
戦争時代そのもの、
いや、地獄絵図、生き地獄。
学校なんてクソ喰らえ。
普通の人はこんな事思わない。
何故なら学校に友達がいるし
学ぶ事は楽しいし つまらないからといって
自殺なんてしないよね。
でもね?精神病患者ギリギリセーフの人は
障害者としても扱ってくれない、もう無理だよ。

A 回答 (1件)

自分は小学3年生の頃に命には別状はない難病にかかりました。


この病気はとても痛みを伴うもので、だけど最初は見ただけでは分からず、痛いと訴えても大人たちは自分が気を引くためにわざと痛くもないのに痛がっていると勝手に思い込んで結局病気だと分かったのは三年後の小学六年生になった時でした。その間は痛み止めもなくとても辛かったです。顎が腫れてきてわかりやすく言うとアントニオ猪木みたいな感じですかね。でも自分は女子であり物心ついていた時期でもありました。周りの友達はみんな優しかったけど他人の目は嫌でした。
中学に上がるころには腫れは治まってきていて病人だと見た目でわからないほどになりました。でもまだ痛みはありました。そして自分が本気で死を考えた時期は中学二年生です。病院の先生にはこの病気は大人になれば治ると聞いていました。だからあと何年かと辛抱だと自分で考えていました。
だけどネットで調べてみた時、この病気にかかる人はとても稀でしかもだいたいが(三十代後半ぐらいの)大人でした。そして、治療法は確立していなくて、自然になおった人もいればずっとこの病気に付き合っている人もいます。そこで大人になっても治らないことを悟りました。そして絶望しました。そのときは週に1回痛い皮下注射を打っていて薬も沢山飲んでいました。こんな痛い注射を我慢しても治らない。ならする意味なんてない。ならやめよう。と思い注射を拒否しました。そしたら親にその注射は七万円もする。お前は七万円無駄にしたと言われたのです。値段なんて気にしたこともなくてその時初めて自分は値段を知りました。唖然です。それ以上話を聞きたくなかったので自分の部屋にこもりました。そしたら姉が入ってきて、どうして私がバイトしているかわかる?どうしておばあちゃん(自分の家の向かいに住んでる)が仕事を始めたのかわかる?どうして家族旅行で遠くに行かなくなったかわかる?ぜんぶお前のせいだよ。と言われました。
なりたくてなったわけじゃないのになんで自分が責められているのか、どうして自分だけが病気なのか、なにか悪いことをしたのか、なにをしたら治るのか、どうして命に関わる病気じゃなかったんだとか。
まだ16年しか生きていませんがその時が一番辛かったです。死ぬことしか考えてませんでした。だけどたとえ死んだとしても自分はただのお金の無駄の存在にしかなれないと思ったのです。だからせめて早く自立してこの居心地の悪い家から出てやろうと考えました。それが一番の親孝行なのだと自分では思っています。
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