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人が自死を選ぶほどの不幸のメリットってなんだろう。

人は生命をもつものであり、その生命を維持することは、
生きるものとしての純粋な望みである。

生きていると、”ついていない”、”つらい思い”なんて、ゴロゴロ転がっている。
これらは、”次にそうならないための教訓”や”幸せを感じるハードルを再確認する”意味があると思う。

人が幸せに生きることが一つの目標であれば、これらには大いなるメリットがあると言える。

そこで”死を選択する不幸”は、その人にとってどんなメリットがあるんだろうか?
その人の周りへは”他人の不幸”というメリットが与えらえるだろう。
他人にメリットがあり、自分にはメリットがないということなのか。

人が生命を維持し続けることを望んでいるはずなのに、自死を選択するほどの不幸感って
どんなメリットがあるんだろうか。
もし自分自身にメリットがなく、周りにしかメリットがないことを思うことって、
その人にとって意味がないのではないか。
その人は、なぜ自分の大きな望みにメリットがないことを思うのか。

質問者からの補足コメント

  • >人間は環境と折り合いをつけながら生活し
    >生きていきます。

    >その環境との乖離が一定の限界を超えて、耐えられなく
    >なると自己を解体して、同族の為に、肥やしになろう、とする。

    ⇒面白い考え方ですね。
     ありがとうございます。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/10/14 15:02
  • >貴方は精神の病気に対して、両足骨折した人間に「何故走らないのか?」と聞いているのと同じ感覚>しか持ち合わせていないみたいね。

    ⇒僕の質問が同じ感覚と思われるのは、ちょっと飛躍していますね。
     ある両足を骨折した人が「骨折した状態で、走りたい」(僕から見たらメリットの無い)と言ったので、「なぜ、走るのですか?」と聞いているほうが近いです。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/10/14 15:18
  • 不幸感は人が自分の中で生み出すものですよね。
    自分で生み出したものが、自分を死に追いやるというのはどういうことなんでしょうかね。
    例えば癌も同じように、自分の体の中で生まれるもので、死にいたる。
    ただ、「癌」は、それ自体が肉体にいらないものです。
    不幸感は違います。
    不幸感は人に必要なものです。
    でも、あまり強すぎると死に至る。

    人の肉体は、無意識のリミッターが働いていて、自分で肉体を壊すような動きはしないと言います。
    このリミッターが壊れたことで死に至ったということは、聞いたことがありません。
    自分で生み出した不幸感という感情は、
    コントロールができなずに、死を選択するまでの不幸感を感じてしまう。
    肉体への無意識なリミッターはうまく働いているのに、
    なぜ、精神的な部分への無意識なリミッターは働かないのでしょうかね。

      補足日時:2017/10/21 08:03

A 回答 (9件)

”死を選択する不幸”は、その人にとってどんな


メリットがあるんだろうか?
   ↑
人間は環境と折り合いをつけながら生活し
生きていきます。

その環境との乖離が一定の限界を超えて、耐えられなく
なると自己を解体して、同族の為に、肥やしになろう、とする。

んだそうです。
ソースは放送大学です。




他人にメリットがあり、自分にはメリットがないということなのか。
  ↑
その通りだと思います。




もし自分自身にメリットがなく、周りにしかメリットがないことを思うことって、
その人にとって意味がないのではないか。
その人は、なぜ自分の大きな望みにメリットがないことを思うのか。
   ↑
自殺の大部分(94%)は、精神異常になるので
実施されます。
正常な精神状態では自殺はむずかしいのです。

色々な理由があって追い込まれ、精神に異常を来して
自殺、という段階を経るのが通常です。

自分自身のメリットという意味なら、武士の切腹が
それでしょう。
己の名誉を守るため、というメリットがあります。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2017/10/14 20:06

精神的な部分への無意識なリミッターが働かないのは、


認知に歪み(間違ったことでも正しいと判断してしまう)が起きているからではないでしょうか。

少し逸れる部分もありますが、書きますね。

私は母親から刃物を投げつけられたり、寝ている間に殺されそうになったりしました。
そして子育てより、宗教活動や自分の恋愛を優先させる、そんな母親でした。
父親は母親に向けて包丁を突きつけたり、その他にも犯罪を犯し、刑務所へ行ったりと・・・。

そんな幼少環境から人格が正常に形成されず、人格障害になってしまい、認知に歪みが生じてしまいました。

そして何か不都合なことがあると、原因は全て自分のせいだ。と自分を罰する意味でリスカしていました。

例えば、電車の車内が混んでいるのも、私がいるからいけないんだ。
私がいなくなれば、ここに一人分のスペースができて、他の人たちはその分だけ、
窮屈さを感じなくなる。だから私は早く消えなきゃいけない。との思いから自殺を考えるのです。

しかし、自殺を実行する勇気も足りず、事後処理のことなどを含め、
誰にも迷惑のかからない自殺方法を調べたりもしましたが、見つからず、できませんでした。

存在していること自体が迷惑だから、当時、せめて私にできることと言えば・・・
リスカすると、わずかながら皮膚が取れます。
せめてその微量だけでも、自分の姿を減らすことが、自分がいなくなることが、
世の中の平和に繋がる、そう思って切っていました。
自殺を実行できる人は、そう思って自殺する人もいるのではないでしょうか。

「世の中の平和のためです」


そんな状態を母に話すと、「人格障害になったのは、あんたが甘えているからだ」と言われました。
続けて、刃物が飛び交ったり、大人の事情に振り回されて育つ環境が、
子供にどう影響するか考えなかったのかを聞くと、
「私もそんな状態で育ったから、それが普通だと思い、何も感じなかった」と言われました。

私の認知が歪んでいるから起きてしまう他人との衝突、これはまさに
母の認知が歪んでいるから起きてしまう子供との衝突と同じではないかと、感じました。
そして、母のそのまた親も同じようだったと聞き、
このような負の連鎖は、私の世代で断ち切るべきだと思いました。

今後、この考えを覆すような何かが起きない限り、私は子供を作ろうとは思いません。

きっと、このようなこと(親が自覚していないまま子育てをすることで、子供も歪んでしまうこと)
が他のご家庭でも起きているから
近年の犯罪の動機が「イライラしたから」「誰でも良いから、やりたかった」
などという考えの犯罪者が生まれてしまうのではないかと思うのです・・・
(親が自覚していても、根本的に改善されないまま子育てをしたら、同じ結果になると思います。)

ちなみに薬物療法とカウンセリングを続けてきた効果があったおかげで
今ここでこうして説明ができるし、現在は
死にたいと思うこともないし、リスカもほぼゼロになりました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

また、貴重な体験談をご披露いただけて、うれしいです。
あなたの経験が、世の中の様々な方に大きな影響となり、
同じようなことが繰り返されなくなるといいなと僕は感じました。

>精神的な部分への無意識なリミッターが働かないのは、
>認知に歪み(間違ったことでも正しいと判断してしまう)が起きているからではないでしょうか。

⇒確かに認知の歪みが起きているからかもしれませんよね。
僕が気になるのは、認知の歪みが発生するにせよ、自分の命を危険に陥れるような状態が、生み出せてしまうことに違和感を感じるんですよね。
 認知が歪むことが起きるのであれば、肉体的なリミッターへの認知が歪まないのはなぜなんでしょうか。
精神的なリミッターと同じように肉体的なリミッターがおかしくなり死に至るような現象が起きてもいいのではないでしょうか。
 「肉体的な無理(死に至るような動き)」が規制されているのに、「精神的な無理(死に至るような不幸感)」が体験できるということは、何か理由があるのではと僕は感じるんですよね。
ただ、それが何かが僕には”これだ!”というものがさがせなかったので質問をしてみました。

お礼日時:2017/10/23 14:58

なるほど。


そういうことなら考えたことがあります。いろいろ問題発言かも知れませんが、良い遺伝子を後世に残すための手段ではないですかね。種としての。
自分は1人の人間であるけれど、人間という種を持つ生き物でもあるわけで。
自死を選ぶのはプラスにならないことなので自死を選ぶのではないでしょうか。

※難しいニュアンスですが、自殺した人が劣っているとかいいたいわけではないです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>※難しいニュアンスですが、自殺した人が劣っているとかいいたいわけではないです。

⇒僕自身、ここで自殺や自殺をする人の評価をしているわけではありません。
 良い/悪いとかの話ではないと理解いたします。

>良い遺伝子を後世に残すための手段ではないですかね。種としての。
自分は1人の人間であるけれど、人間という種を持つ生き物でもあるわけで。
自死を選ぶのはプラスにならないことなので自死を選ぶのではないでしょうか。

⇒「種の保存という観点から考えて、遺伝子を選別するための一つの活動ではないか。」
 ということですかね。
 ”種の保存”という本能の観点から、”死を選択するほどの不幸感”を感じてしまうと、
 自分という遺伝子を残さない為の行動が正しいと感じるということですかね。

 非常に面白い考え方ですよね。
 ただ、単に種の保存ということであれば、死ななくてもいいのでないでしょうか。
 例えば、
 「性的な活動を防ぎたいから去勢したい!!去勢手術をしてくれ!」
 という話がもっとあってもいいように思います。

お礼日時:2017/10/23 15:17

自死に至る時は発作的だと思いますよ。


私にも一度経験があるんです。
姑のたった一言で私は窓から飛び降りてしまいました。
愛する息子達が隣でスヤスヤと寝ている姿も目に入らずに。
そこにメリットなんかありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

不幸感は人が自分の中で生み出すものですよね。
自分で生み出したものが、自分を死に追いやるというのはどういうことなんでしょうかね。

身体的病気でいえば、例えば癌も同じようなものです。
自分の体の中で生まれるもので、死にいたる。

ここで違うのは「癌」は、それ自体が肉体にいらないものです。
目に見えない小さな癌でも、身体にとって害になります。

ただ、不幸感は違います。
不幸感は人に必要なものです。
でも、あまり強すぎると死に至る。

別の方へのお礼でも書いたのですが、
人の肉体は、無意識のリミッターが働いていて、自分で肉体を壊すような動きはしないと言います。
このリミッターが壊れたことで死に至ったということは、あまり聞いたことがありません。

でも、同じように自分で生み出した不幸感という感情は、
コントロールができなずに、死を選択するまでの不幸感を感じてしまう。

こう考えると、肉体への無意識なリミッターはうまく働いているのに、
なぜ、精神的な部分への無意識なリミッターは働かないのでしょうかね。

逆に、メリットがあるからリミッターが働かないのかもしれないと考えたのですが、
解がみつからなかったんです。

お礼日時:2017/10/20 17:34

メリットとか考える余裕がなくなるから自殺しちゃうんだろうね。

それより、あなたが自殺した人の周りの人は(他人の不幸)というメリットとあるけど、他人の不幸がメリットな人ってどうなの?!とおもた。周りの人が自分の死をメリットと思うから悔しいからしないっいうよりは周りの人が悲しむからしたくない方になるのではないかなぁ。うーむ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>周りの人が自分の死をメリットと思うから悔しいからしない
 ⇒こういうふうに感じる人はいるんでしょうけど、僕はそうではないです。

「人が死ぬほどの不幸を感じている」ことが、周辺の人が感じることができた場合、
様々な影響を与えます。この中で、様々なメリットもあると僕は思うんですよね。

「他人の不幸」がメリットだという面は、
 ・自分の状態を再確認できる
 ・自分がならないように回避できる
 ・自分の周りを見て、同じような人がいないか確認できる
 ・同じような人がいたら、死を選択する前に支援することができる
   等々

お礼日時:2017/10/20 17:23

うーん。

「メリットがあって死ぬ」はちょっと違うんじゃないんですかね?
実際に死にたいと思った事は無いんで、正確性はないですが。

なんだっけ?余り賢くは無い掲示板にたまに上がる画像に
「やまない雨はない とかじゃなくて 今降ってるこの雨が もう耐えられない っつってんの」
つーのがあるけど、まさにコレなんじゃないかな?と思うのです。
とにかく今のデメリットから逃げたい一心なんだと思ってます。

自殺する寸前で留まった人とかの体験談いくつか見たことありますが、直前では「なにも考えてない」人多い印象です。
ぽんやり「楽になれるかなー」的な「ちょちょちょまてよまてって」って感じで思いとどまる感じが多かったです。

まあ追い詰められると判断力も無くなるのでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>直前では「なにも考えてない」人多い印象です。
>ぽんやり「楽になれるかなー」的な・・・・

⇒非常に興味深いですよね。
 「何も考えていない」人が、誰も経験したことのない「死」に対して
 「楽になれるかなー」って思う。
 もしかしたら、人は自分で生み出した不幸感を感じ続けることで、
 「死」=「楽になる」と感じるよう、本能的にできているとも考えられますね。

お礼日時:2017/10/20 17:14

メリットというのは、生物学的に、不幸感が存在することの利点ということですか。


それは、今が辛くて苦しければ、より生き易いように 環境をつくり変えていけるからです。

痛みがあったら 治そうとします。
大方は身体が修復する傍ら、痛みから意識に求められるのは、
刺激を与えず 安静にすることだけです。
この何もできなくなるほどの痛みの信号がなければ、
体力を消耗させ、細菌に感染したりと患部を悪化させ、治癒を遅らせるし、
血の匂いをばら撒いたり 弱いまま表に出て 敵に襲われたりと
命を危機に曝してしまいます。

逆に、苦しみに耐えかねて 果ては自死に到ったとしても、
それは 身体だって怪我や病気で万策尽きれば死ぬように、自然の成り行きです。
心とても肉体の一ですから、自らの手で直せることが何もないと悟れば、
後は土に還って 誰かの肥やしになるに託すしか 残りの道はありません。

目的から結果へと一律に繋がらないのは、未来が不確定な以上、当然です。
それまで利点として巧く働いてきたから遺ってきた性質が
足を引っ張って 結果的に身を破滅に陥れるケースは ザラにあります。
恐竜の絶滅にしてもそうだし、生活習慣病や神経症などの現代病もそうでしょう。
まして不幸という感覚的な性質は、とりうる策も多岐にわたり、導かれる結果も良かれ悪かれ様々になります。

けれど、広い目で見れば、
痛覚も不幸感も、個人にとっては嫌なことでしかないけれど、
これがなければ 喜んで自分を粗末にし 命を投げ捨てるようになるため、
あったほうが生き延びるために有利に働くケースが多かった。
だから受け継がれて遺ってきているのです。

辛い悲しいと嘆いているうちは 無益な苦しみでしかないが、
そう感じさせる原因を滅ぼせる改善可能性のもとに存在理由があります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

不幸感のメリットは確かにそうですね。
僕もそう思います。
その不幸感の中で、「死を選択する不幸感」にメリットはあるかということです。

生物の大きな目的として、「生存すること」や「子孫を残す」ことが挙げられます。

これら目的に対して、「死を選択するほどの不幸感」って、
本来必要ないのではないかと思うんですよね。

人の肉体は、無意識のリミッターが働いていて、自分で肉体を壊すような動きはしないと言います。
このリミッターが壊れたことで死に至ったということは、あまり聞いたことがありません。

でも、同じように自分で生み出した不幸感という感情は、
コントロールができなずに、死を選択するまでの不幸感を感じてしまう。

こう考えると、肉体への無意識なリミッターはうまく働いているのに、
なぜ、精神的な部分への無意識なリミッターは働かないのでしょうかね。

逆に、メリットがあるからリミッターが働かないのかもしれないと考えたのですが、
解がみつからなかったんです。

お礼日時:2017/10/20 17:05

「自死を選択するほどの不幸感ってどんなメリットがあるんだろうか」


⇒不幸感にメリットはないでしょう。

あるとすれば、
毎日の苦しみから解放されるというメリットでしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>毎日の苦しみから解放されるというメリットでしょうね。
⇒確かに、一般的には死を選択することで、解放されるといわれていますよね。
 本当にどうかは、わからないですよね。
 麻酔のように意識を失うと痛みから解放されるということなどから、
 そう考えられているのかもしれませんが、実際は確かめられませんしね。

お礼日時:2017/10/20 16:26

死の最大のメリットは「無になれる」事ですね。


思考しなくて良い、続けなくて良い。

>なぜ、自分の大きな望みにメリットが無いことをおもうのか。

病気だからですよ。
貴方は精神の病気に対して、両足骨折した人間に「何故走らないのか?」と聞いているのと同じ感覚しか持ち合わせていないみたいね。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2017/10/14 20:05

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