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草枕に出てくる羊羹のくだりで、青磁のなかから今生まれた様な青い羊羹とは、どういう種類のものでしょうか?私は、単純に黒い小豆の羊羹だと思うのですが、主人は抹茶の羊羹だと言って譲りません。家庭内で長年物議をかもす原因になっています。どなたかぜひ回答をお教えください。

A 回答 (9件)

漱石には全然詳しくないんですけど・・・。



羊羹の羹という字を、漢和辞典で調べてみてください。「あつもの」という読みが出てきませんか?スープという意味です。羊羹とは本来は中国で飲まれていた、羊のスープをさす言葉だったのです。何故か日本ではお菓子ですが。

下で回答が出ている通り、青い羊羹とは豆のスープという意味ではないかと思います。漱石は漢文に詳しかったそうですから、「スープ」などというハイカラな言葉ではなく漢語チックな「羊羹」と言う言葉をわざと使っていたのかもしれませんね。
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寺田寅彦の「夏目漱石先生の追憶」と題する文章に、漱石は「草色の羊羹(ようかん)が好きであり、レストーランへいっしょに行くと、青豆のスープはあるかと聞くのが常であった。

」という一節があることに気付きました。

どうでしょう、これは長年の物議を決着に導く証言ではないでしょうか?

参考URLは青空文庫です。

参考URL:http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2472_ …
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漱石がふじむらの近くに下宿していた頃の作品のようです。

ふじむらは抹茶はなかったそうです。長いことふじむらとお付き合いのあった方の話です。

 羊羹の色が本当に違いました。時々水羊羹を作る時
白糖でなく和三盆を入れてみると(割合もありますが)羊羹色(薄いふじ色)になります。
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ふじむらやの羊羹のことみたいですね。

この羊羹やさんは本当に上品で美味しかったこと懐かしく思い出しました。羊羹色とはこんな色だったと意外な気が致しました。今はもうもう店もありませんが。キャンデ-ズの3人の今出演していない方の実家ですが。
 主人の大学時代の教授夫人が毎年お送り下しましたが突然届かなくなり他の品になりました。一度文京区西片のお宅に伺った折その三四郎の話から作品に出たふじむらの羊羹の店の場所を聞き閉店したことを知りました。あの色の羊羹にはもう何処の羊羹をみても似たものに出会えないのが残念です。
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#2です。



草枕の羊羹は谷崎が『陰翳礼讃』で引き合いに出してますが、やはり当たり前の赤黒い羊羹のことだと思いこんでいるんですよね。まああの人は俳味とはおよそ風馬牛だからしょうがないと言えばしょうがないですけど。

お気づきかどうか、草枕にはもう一度、羊羹が出てきます。大蜘蛛の硯のクヨクガンなるものの描写です「形容して見ると紫色の蒸羊羹の奥に、隠元豆を、透いて見えるほどの深さに嵌め込んだようなものである。」こっちははっきりと小豆に由来する色をしていることが明言されています。そしてこっちは蒸羊羹で、青磁の鉢に載せられていた練羊羹とは別物であることがさりげなく示されています。

あれほど力瘤を盛り上げてその美を説いた「青い羊羹」がこのちっぽけな比喩と読み手が連絡させてしまったら困る、ということでしょう。なにしろこの直前に、連想の糸を結ぶべき二つの《青いもの》が出てきていますから。「緑を含む琥珀色の玉液(玉露のことです)」と「青玉の菓子皿」ですね。この青い皿は画家が青磁を褒めたからこれをお目に掛ける、と那美の父親がはっきり述べています。

青磁というのは緑色をしていて当たり前ですが、この青玉なるものは、緑ではなくて晴れた空の青をしていたはずです。「すかして見ると春の日影は一面に射し込んで、射し込んだまま、逃がれ出ずる路を失ったような感じである。中には何も盛らぬがいい。」とありますから。不細工に言い換えれば、この器には空が溶け込んでいる、ってとこでしょう。ここにも下で述べた漱石の夢の断片が含まれています。

もう一つ、見落としてはならない《青いもの》があります。那美さんが嫁入りのときに乗った馬です。とうぜん「青馬」(るびは「あお」)です。こう呼ばれる馬の毛色は色々で特定するのは無理な相談ですが、これは何色かと言えばまずは純白と見るべきでしょう。白無垢姿との取り合わせですから。「白馬」と書いて「あお」と振り仮名を振ったほうがいいのかもしれない。でも大切なのは「青」という字です。実物がどんな色をしてるかは賞味の話、たいして重要ではないのかもしれません。空や海の色をした馬なんていませんから。これは最後の川下りと一対にするための工夫ですね。そして言うまでもなくオフィーリアの亡骸を載せて流れる川波の暗示でもある。

要するに漱石は《青い》なんとかと書くとき水をイメージして書いてるんだと思います。だからこそ「青い羊羹」が「青味を帯び」ているなんて異常な措辞が出てくるのではないですか。杓子定規に考えれば青いものが青味を帯びることなんてできないですから、これはよっぽど特殊な青さなんだろう、と誤読なさる方もいらっしゃるだろうと想像します。

そしてこれは決して筆が滑ったのではなくて、俺は羊羹を通じて水のことを書いてるんだからな、水は青かろ気付けよ読者、と注意を喚起してるんだと思いますね。確かにここは、え、え、え、どういうこと、何たくらんでる、と考え出すべきところだと思います。ほんとに羊羹は緑なのか、と。なにか大きなからくりが仕掛けられているんじゃないか、と。


さて、草枕の時代に抹茶羊羹があったかどうか、それは存じません。ちょっと調べてみましたが案の定わかりませんでした。ただ、羊羹の主原料はアンコであり、アンコをさまざまな色にするのは昔からの常套のはずですから、羊羹だけがストイックに単色だったとは考えられないと思いました。ただ着色に抹茶が使われたかというと、どうもこれは時代が下るような気がしたので、「緑の羊羹」としました。
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この回答へのお礼

たびたび丁寧な回答をいただき、本当にありがとうございます。かなり詳しい漱石に関する分析等、大変参考になりました。簡単に答えが出てくるところではない、というか、漱石の文章と言うのは、あらゆるところに深い意味があるからこそ、漱石であるとあらためて考えさせられました。そしてまた、いろいろな方の解釈をまだまだ聞いてみたいという気になりました。もう少し、締め切らずにご意見を伺っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

お礼日時:2005/03/20 00:41

私も普通の黒い小豆の羊羹だと思っています。


あの羊羹のテラテラ感を表現する為に「青い」といっているのだと思っているのですが。
抹茶の羊羹では「青く」見えません。
まったくの蛇足で申し訳ありませんが、いぜん髪を茶髪から「黒く」染めなおしたとき知人から「今度は髪色、青にしたの?」といわれました。
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なぜだれも指摘しないのだろう、と不思議なのですが、出ないのでわたしが書きます。



>青磁のなかから今生まれた様な青い羊羹

わざわざ「青い」とあるのですから「青い」のです(なお、日本語では「みどり」は「青」の一種と考えられています。「青葉」「青信号」などのように)。

それとは別に、羊羹色、という表現もあります。黒っぽい赤というんでしょうか、赤を含んだ黒というのでしょうか、まさに練り羊羹のそれです。
羊羹と聞けばふつうのひとはその色を連想する。そうではなくて、青いのだ、というために「青磁のなかから今生まれた様な青い」という比喩表現を使っているのです。

胃の調子が悪いので、羊羹という字面を見るだけで、不快になります。文面が不機嫌な調子でしたら、それが理由ですので、どうかご容赦のほど。
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これはどう見ても緑色の羊羹だと思います。

緑色ならいっさいの描写と整合するけど、小豆色を黒に近づくまでに濃くした普通の羊羹だと、徹底的に齟齬しますもん。

だけど普通の美意識から言えば、青磁と小豆羊羹の色ってとってもよく映えるように思えるんですよね。だけど違う。

なぜって漱石の好み(もしくは狙い)から言うとこれは同系色じゃなきゃいけないから。漱石が最も愛した言葉は何か。雲、もしくは白雲、です。漱石は輪郭があるようなないようなものが好きなんですよね。がんらい輪郭のないものがかりそめに、確固たる輪郭を持って目に映るものが。

那美さんは波さんだ、っていうのはどれほど認知されてるんでしょう? 日本文学史上最善最美の裸体描写はご承知の通りこれです。

「頸筋を軽く内輪に、双方から責めて、苦もなく肩の方へなだれ落ちた線が、豊かに、丸く折れて、流るる末は五本の指と分れるのであろう。ふっくらと浮く二つの乳の下には、しばし引く波が、また滑らかに盛り返して下腹の張りを安らかに見せる。張る勢を後ろへ抜いて、勢の尽くるあたりから、分れた肉が平衡を保つために少しく前に傾く。逆に受くる膝頭のこのたびは、立て直して、長きうねりの踵につく頃、平たき足が、すべての葛藤を、二枚の蹠に安々と始末する。世の中にこれほど錯雑した配合はない、これほど統一のある配合もない。これほど自然で、これほど柔らかで、これほど抵抗の少い、これほど苦にならぬ輪廓は決して見出せぬ。」

これ流れるだの浮くだの水の隠喩の連鎖によってイメージを紡いでるのは誰の目にも明白ですよね。漱石が女を描くさい頻繁に水のイメージに頼ったことはたぶん周知でしょう。最後の明暗までそうだった。水にせよ雲にせよ、ほんらい形なんてないんですが、空の青を背景に、または器に従って変幻自在に姿を決めてゆく。

こういう場ですからあんまり長くなってもなんですから結論を急ぎますが、羊羹は食べ物で柔らかく、青磁は食器で堅い、でも色や質感に通い合うものがある、溶け合ったってよさそうなもんだ、だから逆に「生まれた」なんて表現が出てくるわけで。

漱石の畢生のテーマは三角関係でした。長篇にはすべてこれが出てくるし、短篇にも多い。三角関係って何かったら、一つの空間もしくは位置に二つのものが同居できない、溶け合いようがなくて争い合うってことですよね。だから初期漱石はこの真逆の、溶け合うことの幸福
や陶酔を描くものが多くて、これもその一つなんだと思います。皿と菓子は酷似していなくてはいかんのです。

蛇足ですが藤むらは緑色の羊羹は作ってなかったと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。漱石をこよなく愛しているお気持ちが、ひしひしと伝わってきて大変感動いたしました。ご意見を拝聴して、ではあの場合羊羹はやはり緑色?しかしそもそも明治時代に抹茶(あるいは緑色)の羊羹が存在したのか、という基本的な疑問さえ浮かんできてしまいました。ほんとうのところ、漱石の言うあの場合の羊羹は、何色だったのでしょうか?それとももっと観念的なものと考えるべきなのでしょうか?

お礼日時:2005/03/19 00:48

夏目漱石は、東京 本郷にある(あった?)『藤むら』の煉羊羹を


とりわけ好んで食べていたそうです。
『藤むら』の名前は吾輩は猫であるには登場していますが、
草枕ではお店の名前までは出ていませんね。

なので断言は出来ないのですが、「青い煉羊羹」は
やはり好物だった『藤むら』の煉羊羹と考えるのが
自然なのではないかと思います。

ただ、残念なことに『藤むら』は7~8年ほど前から
休業中だそうで、お店で買うことは出来ないようです。
(常連さんには電話注文で作って下さっているらしい
話を耳にしましたが、定かではありません)

参考URLで実物の写真が載せてありました。
黒い(?)小豆の羊羹のようですね。

参考URL:http://shinowazuri.cocolog-nifty.com/memo/2005/0 …
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