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私は議論するのが好きなので、授業中に発言をするし、疑問も出します。講義全体がそういう雰囲気ですが、私はその中でも発言が多い方です。
同じく講義内でよく議論をする人が男性で何人かいるのですが、授業外でばったり会うとお互い「あ!」という顔をしますが、特に何も話しません。同じ研究室の人とは話せますが、それ以外の授業の人とは自分からは話せません。

でも、お互いなんとなく認知しているのであれば話しかけておいた方が得なこととか今後出てきますでしょうか?男性から女性に話しかけるより女性の私から話しかけた方がよいですかね。
旧帝大に通っているので、知り合いを増やしたらいいことありますでしょうか。私は多分ギリギリ合格なので逆に自分をよくみせようとしまっていて、周りと関わる恥ずかしさがあります。
是非メリットあれば教えて下さい

A 回答 (3件)

その私の価値観では、大学に行くのは『大学でないと手に入らない優れたものを手に入れ身につけられる』からです。


その『もの』とは、『チエ・ウデ・ワザ・カン・人脈』だと思ってやってきました。
それは、社会に出たとき、やりたいことをする上で必要になるものです。

大学で『人との関わり』が重要なのは、人と関わることで自分が磨けることと、社会に出た後で人脈として使える人とのつながりが手に入ると思ってきました。
これが私が思う『大学で知り合いを増やすメリット』です。

私にとっての大学は、遊びの仲間や知り合いを増やす場ではありませんでした。

質問の最初の二行から、質問者さんが授業に積極的に参加している姿勢は伺い知りました。
確かに『人と関わる』ことは大事だと思います。
しかし、残りの質問の文面が言うことは、大学・大学院という最高学府の人が構築・形成すべき人とのかかわり方に関するもののようには到底思えませんでした。

『この人にとって大学に通う目的は何なんだろうなぁ』とか、『勉強するのは良いけど、それを使うための勉強ってしてるの』という疑問さえ沸いてきました。
それに対しては、関わる相手やその人とする議論の中身・質を考えられてはどうかと思いました。

私は在米の隠居爺です。
大昔ですが、私は日本のそれなりの大学の院卒で、カミさんは当地のそこそこの大学の卒、子どもたちは今、カミさんと同じ研究大学の大学院に居ます。
私はプロファイルにも記したように、仕事柄、研究者として米日欧の大学や企業や公的機関の研究者と深く交流してきました。

そんな経験からは、質問にある『女性の私から話しかけた方がよいですかね』『知り合いを増やしたらいいことありますでしょうか』などということばには『この人は何を考えているんだろう』という疑問しか沸いてきませんでした。

隠居した年寄りのことは置いておき、あなたと同年代の子どもたちの様子を紹介しましょう。

子どもたちが通う大学の場合、大学院になると講義形式のいわゆる授業は輪講だけのようです。
それも最初の1年だけで、それ以降は、研究に対応した議論をする毎週の定例のミーティングがあるだけと聞いています。

子どもたちは医歯薬バイオ系学群の研究者です。
彼らの場合、学内だけのミーティングを週に一度、学外を入れたミーティングを週に一度、研究室の仲間だけのミーティングを週に一度開いていると言っています。
学外とは、彼らの研究分野の学会、研究のスポンサー機関や企業、連携して研究している大学などだそうです。

彼らはその他に、社会に出たときに役立つようにと、専門性を使った事業コンサルティングのボランティアをしており、研究の合間を縫って企業やベンチャーのインキュベーターに通って『仕事』をしています。

彼らはそうういった活動を通して『大学でないと手に入らない優れたもの』を実際に使えるようにする自己訓練をしているようです。

学生生活をどのように過ごすかは人それぞれでしょうが、大学は単に勉強するだけでなく、それを社会で実際に使い、勉強したことを使う上で必要なことも手に入れるようにすることを重視するのが当地アメリカの大学での教育の特色のひとつです。

勉強の成果を社会で使うとは、人にその成果を提供するという意味では『人と関わる』のは必然なので、授業などという狭い世界ではなく、広く社会でそれを行うのが大事だというのがその根底にあるようです。

当地の子どもたちは、小学生から高校までの生活で、目的意識を持つ、自分の意見を簡潔にまとめる、文書にする、プレゼンする、ディスカッションする、ディベートする、結果をまとめる、ということを毎日一貫して繰り返す訓練を受けています。

そこで培った習慣からは、『女性の私から話しかけた方がよいですかね』『知り合いを増やしたらいいことありますでしょうか』などという言葉は出てこないです。

人と関わるとは仕事そのものです。
何事も他の人に影響を与えて初めて意味があるのですから。

子どもたちの様子を見ていて、最高学府にふさわしい人との関わり方と言うのがあるように私は思います。

質問者さんもそういうことを考えられてはいかがでしょう。
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この回答へのお礼

知り合いを増やすというのは社会に出た時の話ですが、ご指摘の通り私の書き方では不足が多すぎると感じました。仰る通り、友達の延長で人と関わるのではなく、人ととの関わり方を考えていかなければならないのだと思いました。ありがとうございました。

お礼日時:2023/08/07 10:19

友達になりたいならそう気負わずに話しかけたらいいと思いますが。



人脈を作ろうと思って、自分自身に語るべき中身がないのに知り合い増やそうという意気込みばかり前面に出ている人ってのは、正直見ててイタいです。

そういうのは、院生なら所属学会によく付設されている「若手の会」とか、大学院が主催する各種企画の運営に携わるとかしたほうが、有意義な人脈を作れるだろうと思います。

大昔私がいた大学院では、外部進学が多かったのですが今みたいにリトリートだの何だのと言った内部の親睦を図るような公式行事が皆無で互いに顔を知る機会に乏しかったので、ある院生の呼びかけで勝手連的に飲み会を開催して交流深めていました。

ところで、院試の成績なんかは誰も気にしていません。質問内容から外部進学かなと想像しますが、それもほとんどの人は大して気にしていません。優秀な人かどうかは実際に話せばわかります。
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この回答へのお礼

そのような会があるのですね。また、確かに仰る通り各種企画の運営に携わった方がよいというのは書いていただいてなんだか腑に落ちました。学問以外のことはそれ以外の場でということですよね。そうなんです。外部なんです。そうですよね。話せばわかるから取り繕うと却って二重に恥をかきますよね。

お礼日時:2023/08/07 10:04

講義中に挙手をする学生がいるとは珍しいですね。

文系かな?米国の大学なら学部でも大学院でもどんな講義でも当たり前なんですが,日本の工学系ではそういうことは一切ありませんね。しかし講義中に議論をするんですか。特にそういう風に設計された講義以外ではあり得ないですけどね。教員は何も言わないのでしょうか。僕なら議論は外でやれと言いますが。で,ご質問内容ですが,知り合いを増やすために用も無い人に声をかけるのでしょうか。僕にはほぼ理解できません。何か共通の話題が発生した場合には当然言葉を交わすでしょうが,そうでないときに無理やり話しかけても,言葉をかけられた方が困るだけじゃないでしょうか。大学という施設は社交場ではなく,特に大学院なら,自分の研究テーマに関する勉強を一人でする場です。研究室の仲間同士であっても,雑談は談話スペースとか研究室の外でやるのは構いませんが,自分の居所に座ったまま隣の学生と雑談をすることは周りへの迷惑です。性別や知的実力とは全く関係ありません。
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この回答へのお礼

文系です。まさに米国のような講義スタイルで進んでいきます。たまに議論が講義と違う方向にいくと教員が止めに入りますが、教員も「何か意見ある人いる?」と積極的に議論を促す雰囲気です。仰る通り社交場ではないですものね。知り合いを増やして人脈があったら将来何かよいことあるかなと考えましたが、結局は本人の能力の問題ですものね。そう考えれば特に話しかけなくてよいですね。ありがとうございます。

お礼日時:2023/08/07 10:08

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