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この人は障害者だと自分が認識した途端に、この人は一般人より劣っているという認識になり、また今まで知られていなかったようなADHDだという言葉で表現されると、知的な障害なのかと認識し、接し方が変わってしまうということはあると思うのですが、
人は事物に名前をつけることで、それを一つの表象や存在として認識するようになり、それに固定の観念や価値観を与え、今まで認識されなかった状態から境界を作って分けていくという作業をしているように思います。
例えば自と他の名前をつけ認識するようになると、個の概念が生まれ、自と他を区別するようになり、山や森や木という名前をつけると山は木で覆われているという見え方になったりという具合に。

逆にいうと何も名前をつけなければ、それらは他と混ざり合った状態であって認識できず、無意識のものになっていくように思います。

人間にはまだまだ無意識のものは多くあるような感覚がありますが、人間は実は人生のほとんどを無意識によって動作し生きているという考え方もあったりするのでしょうか?
いくら考えても頑張ってもうまくいかないことが、何も考えず無意識の行いによっていとも簡単にクリアできているという具合に。

A 回答 (7件)

① この人は障害者だと自分が認識した途端に、この人は一般人より劣っているという認識になり、また② 今まで知られていなかったようなADHDだという言葉で表現されると、知的な障害なのかと認識し、接し方が変わってしまうということは ❸ あると思うのですが、



中には そういうこともあるのでしょう。 ただ、そういう認識なったり、接し方が変わったりすることが ③ ないこともあるでしょう。

④ 人は事物に名前をつけることで、それを一つの表象や存在として認識するようになり、⑤ それに固定の観念や価値観を与え、今まで認識されなかった状態から境界を作って分けていくという作業をしているように思います。

そういう例は多くありそうです。 ただ、乳児期というか新生児は、名前も知らず、目も見えない状態でも、触覚だけで認知し反応します。 私など、近所で見かける植物、店頭に並ぶ野菜、果物、魚、ケーキ類、衣服など、名前など知らないことの方が多いのですが、ちゃんと個物として存在を認識します。遠くに見える山波は連続体で区切りをどう認識しているのか疑問といえば疑問ですが、凸状態が大きく目立つ部分が一つの山だと認識しますが、名前など知らないです。 大量?に泳ぐ水族館の水槽の魚も名前を知ることも、覚えることもなく、ひとつ一つの魚が群れで泳いでいると認識します。 空に浮かび形を変え消えては現れる多数の雲も、瞬間瞬間には雲と認識します。 名前をつける、名前を教えてもらう、名前があるはずだと思うことと、存在を認知することは違うでしょう。 音など聴覚で認識する現象、臭気など嗅覚で認識するモノ、走る止まる飛ぶ回る揺れる立つ寝る横切る近づく遠のくなども、暗くなる明るくなるなども、軽い・重い・固い・柔らかい・熱い・冷たい・痛い・苦しいなども、名前をつけることなくても状況認識はできるし、多分時間経過という概念を持たなくても今と先ほどもっと前の区別認識はできてると思います。 もしかすると、疲れた、何か食いたい、水がほしいなども、言葉などなくても、自分の状況認識はできてるのではないでしょうか。
名もなく、言葉がなくても、混ざり合った状態で区分認識できないとは限らないでしょう。 無意識の語の使い方にもよるのでしょうが、敵味方、餌と餌でないもの、道具類と食料、子と成体、夫婦のような相手方は、他の存在と溶け合ったような渾然状態ではなく、しっかり区別がつくのだと思います。


> 人間にはまだまだ無意識のものは多くあるような感覚があります

全員がそういう感覚をもっているものか大いに疑問です。
多くの場合、無意識のモノがあるという感覚を実感することはないと思います。 
しかしたまには、意識している存在・意識できている存在以外に、大量の存在があるということを、意識してしまうことはあるのだと思います。
ただ、そのことと、《無意識のものが多くあるような感覚》とは違うように思います。《感覚》では、視覚・嗅覚・触覚・温度感覚・痛覚・聴覚など感覚器に影響しないものが[あるような感覚]が起きるモノなのか、疑問です。

> 人間は実は人生のほとんどを無意識によって動作し生きているという考え方もあったりするのでしょうか?

そのように考えられているのがごく普通だと思います。
人間でも、サルやイヌでも、トラやカラスでもアリやハチでも、生涯の大部分の時間を無意識の状態で動き活動しているのだと思うし、そのように考えられているでしょう。

> いくら考えても頑張ってもうまくいかないことが、何も考えず無意識の行いによっていとも簡単にクリアできている

それも多いでしょう。強く意識している状態は単純に言えば動作の自動化でまだまだの状態で、個別にコンロトールする状態ですから、うまくいかないことが多発するし、なんとか最後までクリアしてもやっと不可ではなくて済んだという程度のことが多いです。縄跳びでも、魚を捌くのでも、ゴールに向けてシュートするのでも、細部まで意識しないとならない状態では、簡単にできることはないです。 ロジカルに情報を整理分析し対策方針を考案する場合でさえも、考えあぐねたらば、意識の上では考えるのを中断し、他のことを始めていると、その別のことをしている状態で、無意識だったはずの状態でアイデアがひらめいたりすることもあります。
(ひらめかないことの方が圧倒的に多いので、中座して、考えないことにする方策をとるのを常習するのは最悪です)
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上っ面しか知らないとそうなるね。

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人はそれを「色眼鏡」あるいは「常識」と呼ぶ。



身勝手な思い込みと観念だが 多くの人間はそれに積極的に従い 物事を「理解」したつもりになる。
本質は見ず 上辺だけをすくい 味わって捨てる。

一つにそういった見方で 概略を理解する事は 生きるうえで役に立つ。
しかしそれだけに従えば 全てが与えられた情報による埋め込みだらけになり 自我の選択が出来なくなる。
ゆえに 絶えず「本当にそうか」という確認は し続けなければならない。
本質を穿たねば。

概念なき無意識とは そういった本質に基づく知性の場合もあれば 単なる無秩序の場合もある。
本能に揺り動かされただけだったり 昔考えたパターンに則ってたり。
ゆえに それらもまた 確認が必要なものだろう。
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ADHDは、知的な障害ではないでしょう。

質問者様の認識も、知的ではないように感じますし、障害のある人の立場の対極なあるような発想の方のように感じます。
まだまだ、障害のある方との共生社会は、ほど遠いと、この現実を考えさせられます。
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人間の反応は自分の意思とは関係なく勝手に決まります


心臓や肺は勝手に動きますでしょ
寒くなればかってに鳥肌が立つし
バカ喰いすれば勝手にインスリンが出ます

自分の生命というのは自分でコントロールできない領域でかなりが決まっていると言えましょう
そして自分の意思つまり何を好むかとか、そういうのは遺伝子で生まれつき決まっていて、

たとえばハエはウンコが好きとか、猫は爪とぎをするとか、
自分の意思すらも生まれつき決まっているのです
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>人間は実は人生のほとんどを無意識によって動作し生きているという考え方>もあったりするのでしょうか?


この世の中はいつの時代でも
色んな考え方をする人もピンキリで必ず一定数存在します。
とは云うものの
殆ど無意識なんていうことになると
誰が考えたって、極少であり尋常ではないレベルで
そもそもそんなことを
考えること自体が出来ないでしょう。
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あると思う人にはあるし、ないと思う人にはない


難しく考えるような事象ではないと思われます
興味のない人にはどうでもいい
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