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最も:[副]比べてみて程度が他のどれよりもまさることを表す。いちばん。何よりも。

つまり、「最も」=「一番」=「一つだけ」だと思うのですが…

よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

 No.7です。

議論は禁止されているようですので、私の意見だけ。
 「最も○○なものの一つ」の例として、「法隆寺は、日本で最も有名な寺の一つである」というのが挙げられると思います。この日本語を聞くと、まず「日本で最も有名な寺」を想像しようとすると思います。このとき、直感的に複数の寺を想像するでしょうか? 常識的な日本語を身に付けた人なら、「一番有名な寺」を一つだけ想像しようとするのではないでしょうか。このときに「私は複数の寺を想像しますよ」という人がいらっしゃれば、その数(日本人全体に占める割合)を知りたいです。おそらく、ごく少数だと思います。そして、一つだけ、と思っていたものが、あとで「の一つである」と言われると、「あれっ?」と肩透かしを食らったような感覚になると思うのです。「一番」は一つだ、というのは、自然な感覚だと思います。一番速いF1ドライバーでも、一番おいしい食べ物でも、まず人間は(この場合、日本人は)一つのものを思い浮かべようとする、と思うのです。実際は複数あったとか、定量的か定性的か、ということ以前に、直感的に受けるイメージのことを言っているのです。その語感に対して、「の一つ」とあとで言われるのが、違和感であったり、矛盾を感じたりするのだと、私は思います。
 ですので、前の私の質問につながるのですが、そういう言い方をしないでそれと同じ意味を表す表現は何か、を問いかけ、いろいろご回答を頂いた中で、「指折りの」「屈指の」というのがそれに代わりうる表現だ、という結論に到りました。「法隆寺は、日本で指折りの[屈指の]有名な寺である」。これなら、何の矛盾も違和感もないと思います。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2873958.html

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2873958.html
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No.6です。

まあ、私も“最も”の固定的イメージは“1番”なのですが...

“富士山は日本で最も高い山の一つである”と言ったなら、それは“最も”の間違った用法だと思います。その事実は既に調査済みで周知の事実であり、更に日本には富士山級の山が他に無いからです。

一方、“ミハエル・シューマッハは最も速いF1ドライバーの内に一人である”(例えは何でも良いですけど)の様な時に、それは主観的・定性的であり、定量的評価ができない内容です。
この表現の時、ミハエルクラスのドライバーは他にも居るので、“の内の一人”が成り立つ様に感じます。(私はミハエルが一番だと思ってますけどね)
でも、“1番”の意味しかないなら、“最も”は定量的に比較できない場合や、既に調査が尽くされて、それが証明できる時にしか使えないって事になりませんか?

次の3つの三角形の中で、最も面積が広いのはどの三角形か?の様に、数学的に答えがだせるから、この時の意味は一番ですよね。
最も美味しい食べ物は、何て質問であれば、その日の気分でも変わりますよね?

“最も”が“1番”の意味しかないと仮定すれば、「最も○○なうちの一つ」の様な表現が間違えと言うだけでなく、上記のような一番とする論拠が無い物を“最も○○”と表現した事自体が間違えの様に感じます。
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 No.6さんのご回答に関して(議論したいのが趣旨ではなく、異論の根拠を提示するだけですので誤解のないように)。


 私の持っている辞書では、「最も」は、「いちばん。このうえなく。」だけでした(「角川国語辞典 新版」、角川書店(1969))。古い辞書なので、言葉の変化に対応していないのだと思いますが、このことこそ、「最も」の本来の意味が「一番」であることを示しているのではないでしょうか。すでに広く定着した表現であるというのは認めますが、正しい言い方かどうか、という問題になれば、「本当は間違い」という結論になるのではないかと、私は思います。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

言葉は時代とともに変化すると言われますから、「最も」の意味も変化して

1969年=一番。このうえなく。
2007年=一番。このうえなく。きわめて。はなはだ。
となった。

とすると、1969年当時では「最も○○なうちの一つ」といった表現は正しくなく、2007年では正しい、という事になるんですかね。

言葉は複雑です…

お礼日時:2007/03/30 02:18

“最も”を辞書で引いたら、


(1)比べたものの中で程度が一番上であることを表す。
(2)きわめて。はなはだ。
でしたが、“最も”=“きわめて”なら、程度論であって、絶対論(一番)ではないですね。
「きわめて○○なうちの一つ」は全く不自然ではありません。

また、仮に一番と言う意味合いだったとしても、
「最も○○な群のうちの一つ」の様に、“群の”様な言葉が省略されていると考えれば、間違ってるとも言えないです。
そもそも、“比べたものの中で”と前提が付いてますが、全てを比べてない場合、“最も”が“絶対的一番”とは成りません。そこに“群”と言う概念で捕らえる事ができるのではないかと思います。

私の単なる推論ですが。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

確かに、「最も=一番」だとヘンですが、「最も=きわめて」だとスッキリしますね!

さらに、「郡」という考えも、「マラソンの先頭集団の考え」に通じますね!
先頭グループ、二番手グループ、三番手グループ…

お礼日時:2007/03/30 02:11

日本語としては“おかしい”使い方だと思います。



"one of the most..."といった英語からの翻訳なんですね。
英語の最上級は、まるでマラソンの「先頭グループ」のような使い方をするのですが、本来の日本語では、本当に「一番」だけを指すので、最初の訳者は勇気が要ったことだろうと想像します。

表現としては定着しているのかもしれませんが、ご質問のような奇妙な感触が残っているので、決してこなれた訳だとは思いませんが。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

僕が昔通っていた予備校の英語の先生は
「"one of the most..."のone of は『訳さない』」と言っていたのを思い出しました。
何か関係があるんですかね。

英語の「最も」→先頭グループの様に【複数】
日本語の「最も」→本当に一人だけで【単数】
という事ですか!

また、新発見です!

お礼日時:2007/03/30 02:06

・最も強い人間


・最も美味しい食べ物
・最も美しい美術品
なんてのを一つだけ選ぶのも難しいのでは?

最も強い人間だと、
ボクシングの現チャンピオンと全盛期のモハメド・アリを戦わせる事は適いませんし。
朝青龍と双葉山なんてのも比べられません。
歴史上の武将、それらを狙撃できる狙撃手、狙撃手をまとめて消し飛ばすミサイルの発射ボタンを持った指令官、誰?って事になりかねません。

No.1さんと同じく、色んな条件で一番は色々あるが、それらの中の一つという、他の条件での一番に配慮、謙譲した言い方ではと思います。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

やはり【純粋な比較ができるかどうか】の問題ですね!

さらに、いろいろな条件が複雑に絡み合ってる感じですかねぇ…

お礼日時:2007/03/30 02:00

 昨日、「最も有名なものの一つ」という題で質問した者です。



>「最も」=「一番」=「一つだけ」だと思うのですが…

 全く同感です。昨日の質問にも書いたのですが、陸上競技や水泳で、同一タイムで優勝者が二人以上という場合のように、一位が複数存在する状況も、ないわけではないと思いますが、むしろ特殊な状況だと思います。「一番」は普通一つだけですよね。
(オリンピックで優勝者を二人にするのはありそうですが、ボクシングや相撲では必ず勝敗を決めますよね。判定で同点ならチャンピオンの勝ち、とか、優勝決定戦とか取り直しとか)
 しかし、昨日の回答のお礼にも書いたのですが、英語でも“one of the most ○○ things”という言い方があり、なぜか私はこれには違和感を覚えないのです。そこには、日本語と英語で複数形の表現があるかないかの違いではないか、という結論にしました。私の個人的な考えですが、もともと英語で“one of the most ○○ things”という言い方が普通になされており、それを日本語に直訳したことによって、違和感を生じる、ということではないのかなと思います。「最も○○なものの一つ」という言い方が、元から日本語にあったのだろうか、と。
 昨日の私の質問は、それに代わる言い方を求めるものでしたが、私は質問者さんと同じく、不自然な言い方だ、という考えです。質問者さんのご意見に一票。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
koz7291さんも昨日、僕と同じ様な質問をなさっていたんですか!
奇遇ですね。

全ての回答を読み、意見が変わり、僕が質問した言い方は実は正しいのではないか、と思っています。

例えば、沢村栄治と松坂大輔、どっちがスゴイか?という質問があったとします。
答えは「二人ともスゴイが、純粋に比べることはできないから。」です。

二人とも、【その時代においては】確実に凄かったからです。
確実に【最強の投手】と言われたはずですし、言われています。

しかし、二人を同じ条件で投げ合わせる事は不可能です…

つまり、「沢村は最もスゴイ投手のうちの一人で、松坂も最もスゴイ投手のうちの一人」だと思います。

結局、【純粋に比較できるかどうか】が問題なんですかねぇ…

自分自身もまだ自信はないのですが、現時点では上記の結論に達しました。

お礼日時:2007/03/30 01:55

英語的表現の影響もあるとおもいますよ。



JAPANESE IS MOST DIFFICULT OF ALLとか。
(日本語は、全ての中で1番難しい。)
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

この英語では、そのままの理解で正しいですね。

「MOST=最も=一番」ですから。

お礼日時:2007/03/30 01:43

国語的なことはわかりませんが。



ある状態を保つための条件が いくつか整わないといけない状況では…
「最も○○なもの」は複数あると思います。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

確かにそうですね。

「最強の人間」を決める場合でも、塩田剛三(合気道の達人・1994年没)かヒョードル(現時点で世界最強と言われている)かと問われれば、甲乙付けがたいです。

二人は交わる事は不可能ですし…

二人とも「最も強い」と【その時代】に言われてた訳ですからね。

という事は、塩田さんを「最も強い人間のうちの一人」という事は可能で、「最も○○なうちの一つ」という言い方は正しいですね。

スッキリした気分です。

お礼日時:2007/03/30 01:39

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