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大学生です。
諸外国に比べ学歴による差別が比較的少ないといわれている日本社会です。しかし、最近の教育改革により裕福な家庭の子供は良い教育を受けられるなどの社会の階層化が進み、最終的には米国・欧州、またはアジアの国々のような過度の学歴社会に移行する可能性はかなり高いのでしょうか。僕の所属する大学でも、法科大学院、ビジネススクールの充実化など大学院教育に力を入れているようです。このような高等教育に力を入れる傾向はエリート主義を助長すると思うのですが…。

個人的にはこの傾向は避けられないかもしれないけれど、日本の平等主義もなかなか良かったのではないかな。と、感じています。

不勉強の大学生の意見です。
いろいろ教えて頂く事が多いと思います。
さまざまな有意義な情報をお待ちしています。

A 回答 (14件中1~10件)

社会人です。


今までとは違う意味での「学歴社会」になると思います。
かくいう「3流大卒」の私がいうのもなんですが、総じて高学歴の人間ほど能力は高いです。これは事実でしょう。但し「何々大なのに人間としては失格」とかの話がありますがそれは当然でしょう。学校の勉強ができる人間が必ずしも優秀とは限らないわけですから。
ちなみに大学がいろいろ力を入れるのは「少子化対策」でしょう。
今までは直接将来の仕事に結びつかないような学部でも大学に入りたいから入学する、それでも卒業すれば出身の大学のランクでそれ相応の企業に入社できてましたが、そうもいかなくなるような気がします。
企業の方も「何々を勉強した」等を重視していくような気がします。
裕福な家庭の子供ほど勉学の環境がいいのは事実だと思います。
(これでも中・高私立の進学校でした)でもそれは裕福だからという単純な図式じゃないんだよね。学のない人間が普通裕福にならないでしょ。だからこそ裕福な家庭ほど教育の大事さを身にしみてわかっている。だから子供の教育にも熱心になる。そうして子供が勉強する。そしてよりレベルの高い学校に進学していくと・・
残念だけどそういう循環になるからどんど格差が広がっていく。
それを是正しようと思うのなら一番は質の高い公教育(公立という意味じゃないよ)をどう提供するかですね。だから授業内容を削減するゆとり教育は金持ちはさらに金持ちに貧乏はさらに貧乏にしてしまうシステムだと思ってます。
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otafukutigerさんの文章の中に、多くのトピックが含まれている


ようなので、分けて考えてみます。

最近の教育改革というのはゆとり教育のことでしょうか。
ゆとり教育によって子供の学習時間に格差が生まれているというのは
苅谷剛彦氏によって指摘されています。
高学歴の親の子供のほうが学習時間が長く、学習意欲も高い。
ゆとり教育では子供の自由時間が増えるが、それを学習のための
時間にまわすことができるのは高学歴の親の子供のほうであり、
その結果は子供の学力の差となって現れる。
結果として、高学歴の親からは高学歴の子供が再生産され、
それが社会の階層化につながる、といった内容だったと思います。

題名の「これから日本は学歴社会になるか」は、「これから
日本の教育の状況は海外の状況に近づくか」という意味でしょうか。
海外の教育をめぐる状況、あるいは学歴によって得られる社会的
地位について、私はあまり詳しくありません。
ただ、ゆとり教育に関して言えば、ゆとり教育を先に始めたのは
英米であり、結果として公立学校の質は大変に低下してしまったために、
ゆとり教育路線は見直されているという話は聞いたことがあります。

法科大学、ビジネススクールについては、No.1の方も書かれて
いましたが、専門教育の充実と見るべきだと思います。
政府の裁量行政から、法律に明文化したルールにのっとった
行政へという流れの中で、訴訟が増えるという予想があり、
それに備えて弁護士はこれから数を増やすべきだという議論
ありますが、それが法科大学の充実の背景だと思います。
また、日本企業には優秀な経営者が少ないと言われています。
今後、企業間の国際競争が激しくなる中で、社会人で、
ビジネススクールに入って勉強したいという人は多く、
それがビジネススクールの充実の背景だと思います。
これから少子化が進む中で、社会人を学生として取り込みたい
という大学の台所事情も、ビジネススクールが流行っている
一因ではあると思いますが。

最後に、高等教育の充実がエリート主義を助長するか、ですが、
エリート主義と言ったときに、どのようなことを指して
おっしゃっているのかわからないので、何とも言えません。
ですが、一般論として、高等教育の充実は必要ではないかと
思います。とくに、社会人の再教育機関としての大学の
役割は大きくなっていると思います。
現在、組織が、あるいは事業が繁栄をしていられるのは、
だいたい30年と言われています。しかし、人は20代半ばに
労働市場に参入したとして、平均余命は55年あります。
従って、多くの人は、組織よりも長く生きることになり、
組織を移らなければならないことになります。
(定年で働くのをやめれば移らなくても済みますが。
60才定年というのは、平均寿命が60才よりも短かった頃に
作られた制度です。今後、定年は延びる可能性があります。
また、今でも多くの人が60才を過ぎても働いています)
組織を移るときには、特に知的な職業では、教育が必要です。
ここで、再教育機関としての大学の役割がクローズアップ
されています。

こんな感じで参考になりましたでしょうか。
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 こんばんは。

私も大学生です。
 私はかなりの勉強不足なので、感想をちょっとだけ・・・。

 大学の先生は、「学歴重視の社会はもう終わりを迎えるだろうから、自分自身をしっかりと確立しなさい。」とよく言っています。
 学歴より資格のほうが強いということらしいです。
 私としては、学歴社会でないほうがもちろん嬉しいです。
 でも、「今は学歴社会ではない」ということも言われていますが、現状は違うような気がしてならないのは私だけでしょうか???


 全く参考になってないと思います・・・すみません。
 余談ですが、私も「国家意識」という質問をしているので、もしよければ意見を聞かせてください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

僕もそう思っています。
しかし、そうでない分野もあることは事実だとは思っています。

国家意識というスレッドはまだ読んでいませんが、これから読もうと思います。
教育と国家とを分けて考えることは不可能だと思います。

お礼日時:2002/12/08 19:13

御礼見ました。


キリスト教的な存在がないためというより、
戦前における天皇への極端な崇拝に対する反省、反動から、現在は思想の自由が少々行き過ぎた形でありながら認められているように思います。
西欧においてキリスト教が根付いているいるというご意見ですが、過去の植民地時代には西欧列強は植民地支配を正当化して来た事、奴隷貿易などを行っていたを踏まえると、
キリスト教の黄金律ともいえる隣人愛の精神は全く見られません。
ただ、今キリスト教信仰が形骸化しているのかどうかまでは存じません。
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この回答へのお礼

キリスト教が評判が悪かろうと、本質的によくなかろうと
(思想的なことはよくわかりませんが、それは今話し合っ
ているような場面では問題ではありません)、形骸化していようと、
それを基本として、精神のよりどころとして位置付けることができる。
言い換えれば逃げ場を持っている。
または、戦う相手を持っている。

そのことが、精神的に有利なのでは。と、思いました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/11/08 05:48

今まで学歴社会といわれ続けてきましたのでこれから学歴社会になるかどうかというご質問は新鮮であるとともに意外です。


バブル崩壊から10年以上たっていますが、依然として企業は学歴あるもの良しとします。すなわち大卒であるかどうかにこだわります。
これからはもっと就職が厳しくなるでしょうからたぶん学歴の重要性も増すだろうと思います。
文部科学省の進めているゆとり教育は無鉄砲、無策であるがゆえに批判されていますが、社会の階層化を進めるほどの意味合いはないと考えます。
土日以外は勉強漬け、土日は子供らしい遊びでもやってくれというのが方針のようですから子ども自身にとってはいいことだと思います。
自分自身を振り返っても、土日も宿題に追われるような生活は子供には耐えられないものです。子供にストレスがたまりとんでもない形で爆発するのを防ぐためにはある程度の息抜きは必要だと思います。
ただゆとりは意義あるものである反面、文部科学省はあまりに無策ですから国民からは信頼されていないのだと考えます。総合的学習の時間などは一体何がやりたいのやら良くわからない状態になってます。例えば授業に神主が現れて変な呪文のようなものを唱えるのが新しい授業だなんていうあほな事例もあるほどです。テレビにおいて、ある小学校の事例では、校長が「とりあえず自習室作ってみました」などという事を言っていました。その理由を問いただされると目的ははっきりしない。
文部科学省がうまいこと統率が取れていない証拠です。さらに今の教育者たちはほとんど例外なく無策で頼りないものばかりです。
教師自身社会的にあまりに未熟で子供たちを指導する力量がないため学級崩壊が起こってます。隣のクラスの担任とも付き合えないような未成熟教師に人間関係を教える資格などありません。
いつの間にか質問からそれたのでこの辺でやめときます。
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この回答へのお礼

西欧と日本を比べた場合、キリスト教という強力な宗教
がないため、あらゆる改革が色あせているように感じます。
同じように、「日本国とはこういうものだ!」
的なこともあまり言えなくなっている。
だから、教育に芯がとおらないのだと思います。

アメリカだったら、授業が始まる前に星条旗に忠誠を誓う
という、敬礼みたいなものをすると聞いています。
また、フランスなどのような共和制の国は共和国を継続して
いくためには徹底的にその仕組みなどを教える必要がある
野ではないでしょうか(愛国心)。想像ですが。

記紀神話を建国の神話と認めて、小学校時代から徹底的に
教育して、これを国民の思想の根本におくような教育を
しない限り、日本人の教育、しいては心も常に不安定なの
ではないでしょうか?

でも、このような変化は今の時代なかなか受け入れられませんよね。

それならば、「科学技術立国」などの新しい国の基本スローガンを
徹底的に教育の基本にしていったら面白いと思ったりしています。


どうでしょうか?

お礼日時:2002/11/02 23:42

再び失礼します。



>就業システムが変わったら~

その為に、現在インターンシップなどが始まってるんです。
たかが筆記試験や面接だけで人を見るなんて限界があります。

それに、中学や高校生が職業体験といって、授業の一つとして色んな職業を体験したりしてますよね。企業が人を見る目を養うと同時に、人も企業(職業)を見る目を養ってるってことです。

残念ながら、社会において企業の割合が非常に多く、社会で認められる=企業、という感覚もありますよね。これって学歴社会の延長なわけでしょ?逆の言い方をすれば、企業(就職先・職業)こそが、学歴社会を助長しているってことですよね。

この部分の成長が非常に重要ですよね。つまり、人を見る目・企業を見る目を養うってことは、人や企業以外に着目するってことでもあるわけで。

つまり、幅広い視野・価値観を持つことですよね。
学歴にこだわる人・家族を大事にする人・自分の人生を大事にする人などなど、いくらでもでてくるわけですが、そういう風に幅広く受容できる社会になれば良いなと思ってます。
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この回答へのお礼

>残念ながら、社会において企業の割合が非常に多く、社会で認められる=企業、という感覚もありますよね。これって学歴社会の延長なわけでしょ?逆の言い方をすれば、企業(就職先・職業)こそが、学歴社会を助長しているってことですよね。

この部分。ものすごい賛成です。
僕も幅広く人の人生を受容できる社会がいいです。

やっぱり、このように思っている人はいるのですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/10/10 03:44

こんばんは。


学歴社会にはならないと思いますよ。
企業が現実に「学歴」で人を選ばなくなってきているからです。
判断材料となるのは、その人の能力です。そして、従来はその能力の判断基準として「大学名」などが使われていたわけです。
徐々にですが、その能力を見分けることが出来る人が増えてきたとうことでしょうか。あるいはそういう視点をもち始めたというか。

そもそも、この2,30年はいわゆる「団塊の世代」の方々が社会を率いてきていましたよね。彼らは大学教育の兆児ですから、非常に大学に対して誇りというか、思い入れというか、表現できませんがそういったものを持っていた。
だからこそ、「大学卒」に良いイメージを持っていたし、「OB訪問」なるものがあったわけです。
また、「大学卒」=ある程度の専門知識・常識・または(大学受験などの)努力経験があるということが重要だったのですが、本当に大学卒?という人も増えたことで、価値が下がってきたような気がします。

一概には言えませんが、私自身が採用などをしていて感じたことは、職業によっては、大学生よりも専門学校生や高校生の方が「仕事ができる」ということです。
どちらにせよ、大学で中途半端なことしかしていない人は高校で一生懸命頑張ってた人にはかなわないでしょうし、出来る人は学歴に左右されないということです。
が、現実に社会においては「入社資格:大学卒」なるものが存在していて、左右されていることも事実。
学歴よりも能力、その結果、大学院ができたりしてるのでしょうか。そうすると結局また学歴社会になるのかな?と思ったりもしますが、結局は「人」を見る目を持った人が増えれば、学歴のみにはならないと思いますよ。
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この回答へのお礼

人を見る目。って、難しいですよね。ぱっと見ただけで能力が把握できる人なんているのでしょうか。
人事課の人は「安全パイ」を採ろうと、大卒・高学歴を選ぶのだと思います。
でも、このような就業システムが変わったら面白いですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/10/09 15:14

#6です.


すみません,下記の中国の序列化ですが,
「予算配分」に関してのランク分けであり,毎年ころころ変わるところもあるようです.

つまり,いい業績のところはよりよく,悪いところはそれなりに・・・と
格差が広がるところに,競争原理があります.
補助策もあるのかも知れません,それについては分かりません.
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技能による差別化は,もしそれを否定するような誤った社会では発展と労働意欲を欠くものなので,必要なものです.



逆に変な平等主義を図った結果,技能や経験を考慮せず,無意味に大学名や会社ステータスが
重視されるようになっていたのではないでしょうか?
大学を出ていればそれなりの資質があると「みなされます」,
大学院があればより一層の資質があると「みなされます」,
しかし現在日本の大学や大学院は,画一的に卒業生・修了生を把握できるほどの
教育を行っているか?・・・疑問です.従って今後の「改善」を期待します.

以下は乏しい知識によるものですのでご参考まで..

中国の場合ですが,10年ほど前に政府が業績等を考慮して序列化を図った経緯があります.
トップは北京,精華,フッタン・・・に始まり,その下に重点8大学として
ハルビン,上海交通などなど,それらを含み更に15大学で北京航空,西北工大,
序列化は日本より相当はっきりしており,研究者の交流も含めてアメリカほどに盛んなようです.

中国の序列化は,大学の良し悪し(設備や業績など実のあるもの)を明確にしています.
それに応じて学生は大学を選び,提供される学問・技能を修得する,
学生は夜遅くまで勉強しますが,教官もそれに付き合うのだそうです.

つまり,名のみでない,実と結果の伴った序列化であり,共産国家でありながら,
歴然とした競争社会がそこにはあります.
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 学歴社会は、存在しています。

平等な日本社会で、働く労働者をどっかで区別しなければならないからです。その一つの手法として、学歴というものが存在していると思います。
 しかし、少子高齢化社会の到来や、産業の空洞化による製造業の海外進出により、産業界を取巻く環境が随分変化してきました。日本は、貿易立国ですから、優秀な人材を集めて、外国の企業に勝たねば生き残れません。学歴が必要なのは、特に技術者ではないでしょうか?高卒よりは、大卒。大卒よりは、院卒が技術の上では役立ちます。技術職以外は、特に学歴というものは重視されなくなると思いますよ。
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