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主婦暦2年目です。
結婚とは『愛』を誓うことです。
でも、主人を『愛していますか?』と聞かれたら『愛しています』と即答できません。今まで、主人には沢山の嘘をつかれ、裏切られ、話し合いをしようにも、話にならないことが多々あったせいか『愛しい』という感情が皆無です。私はまだ子供はいませんが、街で赤ちゃんを見るたびに心が満たされます。見知らぬ赤ちゃんを見るだけで幸せな気持ちになります。しかし主人の顔を見ても幸せいっぱいって感情はないですし、ふと、昔裏切られたことを思い出したりしてムカつくときもあります。主人とは結婚暦はまだ短いですが、交際期間が7年ありました。
数え切れないケンカもして、何度も別れてやる!!を繰り返したせいか、結婚する大分前から『愛』に幻想を抱いてきました。
しかし、主人がお金を稼いでくれるから私は昼間のパートで済んでいます。今のマンションも私一人では絶対に手に入れられません。主人には感謝もしているし、離婚する気も一切ありません。もう、空気みたいなものです。私は空気に対して『愛』はありません。しかし空気がないと生きていけません。
この前、『愛』について調べていたら不倫女性の作ったHPにたどり着きました。そこには同じ不倫女性が沢山コメントを残しており、皆言うのです。「彼を心から愛している」と。結婚している私が『愛』がなんだか分からないのに独身の彼女たち皆が『愛』を感じています。
彼女たちは、交際期間が一ヶ月~十年と様々で、不倫相手を空気などと表現する人は一人もいないのです。
私のパート先の50代の主婦の方々は皆、旦那様のことを「鬱陶しい」といいます。「旦那を愛している」なんていう人は一人もいません。
結婚=愛ではなく、不倫=愛なのかと思ってしまいます。

不倫女性たちは結婚、出産をあきらめ、生活を扶養されることなく彼のためだけに生きているようです。こういった、相手に見返りを求めない関係こそが『愛』で、『無償の愛』と言うようです。結婚とは扶養されることなので、夫に対して『無償の愛』を示すことは無理です。

彼女たちは言います。彼と付き合って『愛』を知ったと。普通に結婚をしていたら経験できない『与える愛』を、注げる相手がいるんだと。
なんだか、不倫の経験のない私は人を『愛』することが出来ないみたいです。

私の両親は父の女性関係で仮面夫婦になってしまいました。それがトラウマで既婚男性は父親に見えてしまいます。もしも、将来既婚者を好きになり関係を持ってしまったら自殺しようと考えています。仮面夫婦の家庭の歪んだ空間を経験しているせいか、自分のせいであの空間で苦しむ人がいると考えると生きていけません。

皆様、『愛』ってなんでしょうか?

A 回答 (22件中21~22件)

「愛」とは、何か・・・言葉で表すことってすごく難しいですよね。



でも、私が思うのは、不倫女性たちが言葉にする「愛」というのは、夫婦間の絆に比べれば、非常に浅はかなものだと思います。

不倫は、要は、無責任な関係同士のただの恋愛関係ですから、相手を好きだという気持ちもあれば、愛しく会いたいという気持ちも強く持っているでしょう。

しかし、夫婦はきれいごとではすまされません。
24時間365日ずっと一緒で、煩わしいしがらみの中で、厳しい現実生活を送り、自分たちの人生や命そのものがかかっているのですから、「愛」だの「恋」だの言ってられるほど甘くもなく、毎日必死ですよ。

けれど、それなりに絆の出来た夫婦は、そんな忙しく、苦しい中でも、ふとした瞬間や些細な出来事で、相手に対する感謝の気持ちや相手への愛情を感じるものです。

私は、主人と10年以上の付き合いですが、主人のことは愛していると言えます。
でも、言葉にはしません。
言葉にしないのは、言葉に出来るほど浅はかな気持ちではないからです。

愛している・・・というよりも、温かい気持ちになるというか、感謝の気持ちというか、愛おしいという気持ちというか・・・言葉では表せないものになっていきます。
確かに、愛の形はドンドン変わっていき、恋人同士のような感情ではないですが、運命共同体としてもっともっと深いものになったと実感します。

私の母も、結婚して26年、恋愛期間を入れれば30年ほどになりますが、どんなに大喧嘩をしても、泣き叫んでいても、最後にはいつも「お父さん以上の男性はいない。お母さんはお父さんと結婚して本当に良かった。」といい続けており、今でも「お父さんと結婚して正解だった。」と言ってます。

でも、私も母も不倫経験なんてないどころか、付き合った男性は、夫ただ一人です。
不倫経験の有無は、愛には関係ありません。

距離のある関係の方が、「愛」というものを実感しやすく、また、単なる恋愛感情を愛だと錯覚しやすいのでしょう。

私が、自分の両親や自分たち夫婦のことを振り返って思う「愛」とは、相手を無条件に信じて、自分の人生や命、全てをかけても大切なものを守り抜く力だと思っています。
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この回答へのお礼

結婚してからは、『愛』と言うものに畏れを抱くようになりました。
私のような若造が、触れてはならない領域のように感じます。
目に見えるものではなく、本当に存在するのだろうか?
とも思います。淋しがり屋の人間が作り上げた心の拠り所。
宗教のようでもあります。
付き合っているときは三日に一度はけんかをし、結婚してすぐに離婚の話すら出ました。最初は主人だからこんなにうまくいかないんだって思っていましたが、なんだか誰と結婚してもうまくいかないときはうまくいかないと思うようになり、主人を許そうと思い、結婚生活を続ける決断をしました。
なぜか今は交際期間を含め、一番安定しています。
激しいケンカはなくなりました。主人の世話をするのが少しずつですが私の喜びになろうとしています。これは『愛』なのか・・?
と思ったりもしましたが、やはり「ダーリン大好き!あいしてるわ!」
っていうのとは違います。
不倫女性の言うような「彼を愛しています」「いいところも悪いところも含めてもう愛しい!」という情熱というか、両手を広げて「愛してる!!」ではないのです。ほとばしるような感情がないのです。
昔、裏切られたことを思い出しながら、ムカつきつつ、主人の好きなメニュー(手作りマーボー豆腐)を主人が喜ぶと想像しながら作っています。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/07/06 21:27

貞操概念というものは、生来のものではなく教育や社会が


強制するものです。
扶養というものも、家族というしくみがあってはじめて生まれるもの

恋愛をして男女が親しくなりつきあいが深まるなかで、一方は扶養を
一方は貞操を求めて「結婚」というしくみにに魅力を感じる

でも、本来恋愛は、代償を求めるものでないから
扶養という代償も貞操の義務もそれが目的になると恋愛時代の
緊張感が薄れ、すべてが色あせて見えます。

私は50代半ばで、結婚は2度目。これまで結婚を含めた恋愛経験は
8人あまり。それほど豊富ともいえませんが
つきあった全ての女性に一生懸命愛を注いだつもりです。
最初の結婚は、妻が仕事を持っていて親元から通っていたので
「結婚はしなくていい」といわれました。私は給与の大半がホテル代に消える
のは馬鹿馬鹿しいので毎日安心してセックスが楽しめるように結婚した。
それと結婚することで、彼女が他の男にとられることを防いだつもりだった。

彼女の浮気で離婚に至った時には40代半ば。つきあう相手はことごとく
既婚者。でも、相手は私に何も求めてこない。無理をして時間をつくって
私との逢瀬を楽しむだけ。わたしは彼女をその時間だけせいいっぱい愛して
楽しませる。

しかし、それを続けていても自分が得るものより、失うものが大きいと思って
別れまじめに結婚相手を探すと、こんどは「お金目当て」の女性がやまほど
交際を申し込んでくる。
なにしろ、私は学歴も企業の肩書きも年収も高いのだから当然の話で
自分が愛を求めているのに相手は『生活の安定』をもとめる人ばかり
なかには、素敵な人がいても年収が低いのよ。その点あなたは・・みたいな
ことを面と向かっていう人まで・・・。

あきらめて、また人妻と交際をはじめ、いろいろあって苦労しました。

今のカミサンと知り合って結婚しましたが、カミサンが教えてくれたのは
愛とはとことんまで相手を信じて、そして自分の運を信じてなんとかなると
最後まで相手についていく信念のようなものですね。

たしかに、カミサンとつきあいはじめて私は運勢も好転したけど考える土俵が
大きくなった気がします。
愛の形も意味づけも人の人生それぞれで違いますね。
自分なりの愛の実現のために人は生きているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

人は一人では生きていけないのでしょうか?
異性に裏切られても、異性と幸せになりたいと願います。
愛されたいと願い、愛されない人生は意味がない。

生きているうちは愛に悩みます。
回答者様、いい奥様に出会えてよかったですね。

私も主人を支えられる妻になりたいです。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/07/06 20:44

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