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法律を勉強して最近感じたこと。

法律の世界を支配するものは法ではなく、実はただの判例であるということ。
 
アホらしい。

皆も同じかな。
 

A 回答 (5件)

法律においては、何が正しいのかよく判りません。


それを証明する適当な方法が無いからです。

例えば、憲法9条です。
自衛隊の存在については、合憲説と違憲説が対立
しています。
どっちが「正しい」のか、よく判りません。

これに対し、自然科学ではどちらが正しいのかは
実験によって確かめることが可能です。

法律学において、この実験に相当するのが
判例である訳です。
合憲か、違憲か、というのは判例によって確かめる
ことが可能だからです。

この意味で、質問者さんの考えは正しいと思います。
法律てのは、結局は「虚学」です。
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この回答へのお礼

 
>法律てのは、結局は「虚学」です。

全く仰せの通りです。

実際、セシウムは無主物だからいくら世の中にバラ撒いても罪にはならないなんて論法が堂々と裁判で有効となった判例も会ったし。

お礼日時:2013/02/16 16:07

法には、実定法と判例があるということです。


法=法律=実定法と考えるからおかしな理屈になるのです。

最初に法律が出来て、その解釈を巡り論争が起きて判例が出来、
その判例に更に修正が加えられて徐々に正義に近づく。

確かに「ただの判例」、
しかし「正義への闘争」の集積でもあるのです。
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「支配する」という意味がよく分かりませんが、判例が法を縛ることはありえません。

判例(判決)は法の範囲に留まるからです。また法の解釈の結果が判例ですが、判例になっていない条文はいくらでもあります。例えば刑法の内乱罪、外患罪なんてものがそれに当たります。

学説、特に通説も判例同様に大事なものです。判例のないものは通説が学会を支配しますよね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
 
>「支配する」という意味がよく分かりませんが、

法の解釈の結果が判例であり、また法は多くの解釈が成立しうるのでこれに従い多くの判例が生じ得る訳です。

しかし裁判官が判決を下す際に該当する判例が存在するか否かを最初に考察するという現実を見ると、判例によって法が解釈され判決が下されるに等しいのであるから、実質的に法を支配するものは判例であると述べているわけです。
 

お礼日時:2013/02/16 10:44

そうですね 馬鹿馬鹿しいね


法とは
判例であり
慣習である
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この回答へのお礼

 
パチパチパチ
 

お礼日時:2013/02/16 10:54

確かにそういう面もあると思います。


しかし、状況の変化で判例と違う判決も出ているケースもあります。
また、判例と完全に同じケースの裁判は少なく、状況に応じて
判決を変えるのが裁判官の技量でしょう。

また、判例の一番最初はやはり法律に従ったもののはずです。
したがって、法曹界は法律に支配されていると言ってよいと思いますし、
法曹界とはそうあるべきです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

 
>法曹界は法律に支配されていると言ってよいと思いますし、

法律は存在するが、その解釈は実質判例によって行なわれています。

やはり法曹界は法律ではなく判例に支配されていると言ってよいと思う。
 

お礼日時:2013/02/16 10:53

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