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先日、2001年に起きた花火大会での歩道橋事故で
明石署の元副署長榊和晄被告に免訴の判決が出ました。
私は判決内容は妥当と感じています。
この方に責任を負わすのは筋違いな気がします。
と言いますのも、私は事故の遺族の方にも落ち度があったのではと考えているからです。
どうしてあんな雑踏で人ごみの中の歩道橋に幼児を連れて行ったのでしょうか?
遺族の方に多少なりとも過失があったと思います。
私は遺族の方にはこの判決を受け止めてもらいたいと思います。
私はこう思うんですけどね。
でもやっぱり榊和晄という人物は罪になるんでしょうかね?

A 回答 (7件)

#1に支持が集まってるようですが…。



私は、一方的に責めるほど遺族に全くの過失がないとは思いませんね。

幼児を連れて行くにはあまりにもリスクが高い場所なぐらい、「見ればわかる」でしょうし。
そんなに可愛い我が子なら、死ぬ前に親として出来る事はあったでしょう?と思いますね。

重度の平和ボケ、危機意識のなさ、ここに極まれりって感じ?
何でもかんでも「自己責任」で済ませるのは好きじゃないですが…。
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この回答へのお礼

あなた様のご意見拝読しました。
回答頂きありがとうございます。

お礼日時:2013/03/02 16:42

明石の歩道橋事故で遺族に落ち度はないのでしょうか?……



 どうして幼児をあれほどの異常な雑踏を見せた歩道橋に連れて行ったのか…と、遺族に落ち度があったとする意見には猛反対ですし、そうした考え方には怒りさえ覚えます。

 あの夜の花火大会は多くの市民が前々から楽しみにしていたイベントだったはずです。当然、誰しもが、多くの人出で混雑はするだろうと考えたと思います。

 彼ら多くの市民は等しくこう考えたと思います。花火大会なのだから多くの市民が出かけて行くことだろう、となれば、会場に向うルートは大混雑することだろう。多分、前を歩く人の後ろに密着したノロノロとした歩み程度にはなろうが、それは仕方がない。それさえ我慢すればやがて会場に到達できる…と。

 そうしたホコリっぽく快適とは言えない人ごみ…、それはつまり常識的な想定の範囲、その中に幼児を連れ出す…、その是非はたしかに親の良識に負う問題です。ですが、その是非とは、たとえば、幼児の疲れやむずがり、迷子、あるいは病気の感染とか不注意による怪我、たぶんその程度のリスク想定に対する判断であったはずです。

 この時点では…、つまり、住まいの玄関にカギをかけて会場に向かう段階では…、「それ以上のリスク」は想定の中に含まれていなかったと考えられます。後から考えれば、狭く、ほかに逃げ場がない歩道橋という通路は、とかく押し合いへし合いの異常な状況になりやすい条件を持っていたとしてもです。

 押し合いへし合いの異常な状況…は明石の例だけではありません。過去には、終戦直後、昭和天皇の全国行幸の際に、日本各地で、集まった群衆が「押し合いへし合いの異常な状況」になり、多数の怪我人を出した例、あるいは、さる有名グループサウンズの公演の際に、入場を待っていたファンが起こしてしまった異常な状況など、この事件の前にも幾らでも前例があるのです。

 それゆえに、注意深い市民や、警備当局も、警備担当者も、頭のどこかに、こうし異常な事態を恐れる意識は間違いなく思い浮かんだはずです。だからこそ、警察は警備体制を敷いたのですし、多くの市民もいたずらに押したり割り込んだりなどと正常な状態を乱す行為は控えたはずです。

 ところが、…押し合いへし合いの異常な状況…というものは、群集心理などともある部分で共通する、「人一人一人の個人的な認識や注意では防ぐことが出来ない状態」であり、それだけに大変危険な状況なのです。

 こう考えますと、市民たちが、そしてある親が幼児を連れて、花火大会の会場に向かい、必然的にこうした混雑の中に巻き込まれて行った…、この行為は、ごく普通の常識的な判断の範囲から考えて、誰一人としていささかも間違ってはいなかったと言えます。

 にもかかわらず、歩道橋には徹底した誘導も制限もなく、どんどん人が押し寄せました。しかも悪いことに、その先の出口側は通路が直角に曲がってから階段になるという構造になっていました。出口通路が曲がっている場合には、人も、その他の物体でも、通過に際して大きな抵抗が生じるものです。

 通路の出口側が直角に曲がっていて、そのためにスムーズな通行が妨げられたため、つまり出口が狭くなったのと同じ状況になったのです。当然のことながら、歩道橋の中は、押し合いへし合い…の異常な状況をさらに越えて、もはや人が異常に圧迫され、呼吸さえ困難な状態にまで行ってしまったのです。

 ここまで考えますと、幼児を連れていた親には、ほかに成すべき判断や行為は考え付きません。答えは明白です。ごく普通の市民であるこの親御さんの責任は問えない…というのがわたしの結論です。

 こでもう一度言います。「どうしてあんな雑踏で人ごみの中の歩道橋に幼児を連れて行ったのでしょうか?」、このフレーズは考え方が逆なのです。「あんな雑踏で人ごみ」は結果論なのです。結果論を前に持ってきて、「だから連れて行かなきゃよかった」というのは論法上間違った論理です。

 では、どうだったら良かったのでしょうか…。歩道橋の出口側が直角に曲がっていて歩道橋の出口側は一見して壁のように突き当り状態だった…。警備関係者は事前に通路の下見をしたそうですし、当然のことながらこうした危険は読み取れていたはずです。

 であるなら、どんどん歩道橋に入って行く一般市民はいずれ、歩道橋内部で行き止まり状態になってしまい、詰め込まれたまま大変な圧力のもとに置かれてしまう。そうしたことは、市民には知っておくべき責任は一切なく、警備側にとっては十分想定すべき大変なリスクだったはずです。

 ならば、異常な詰め込み状態に陥らないような警備を行う責任が当然警察側にあったはずです。事実、現場で警備に当たっていた一部の警察官から、異常な状況が本署に報告されていたといいます。にもかかわらず、死傷事故は起こってしまったのです。

 いったい誰が罪をかぶるべき人物なのでしょうか。親でしょうか、市民でしょうか。少なくとも異常に気が付いた際に、即座に、それ以上の市民が歩道橋に入ろうと押し寄せるのを阻止しすべきだった人は誰だったのでしょうか。

 こうした群衆の動きを阻止しコントロールするには何人かの警察官程度では明らかに無理です。だからこそ指令担当者が居るのです、司令官はそのことをすぐ察知し、現場の警察官を増員させるか、消防に協力を乞うか、あるいは民間の警備会社に応援を委託するか、何か、適切な措置を講じるべきだったと思われます。それでは、司令官の席には誰が座ることが多いのか、多くは副署長クラスということでしょうけれど…。
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お礼日時:2013/03/02 16:42

死ぬ以上の落ち度が 他にありますかね。

 

責任は もちろん警備関係者が負わなければならないとは思いますが
それで死んだ人間が還ってくるわけでもない。   
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この回答へのお礼

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お礼日時:2013/03/02 16:42

遺族に落ち度がなかったかと問われるとないとしか言えません。


しかし警察の落ち度かと問われると、それも疑問です。
ポイントは、あの混雑が事前に予想できたかどうかです。
しかも混雑があるところで必ず事故があるわけでもありません。

先の総選挙で人が誰も集まっていない寒空の広場で、首相経験者の某候補がビールケースの上に立って演説をしている画像を見ましたが、人出予想は難しく蓋を開けてみないわからないところがあります。
ということで私も判決は妥当と思います。
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お礼日時:2013/03/02 16:43

見物人には、子供、乳幼児も含まれる事が当然予想されるので、主催者や警備担当は事故の無い様に、人の流れを整理する事が重要事項であり義務であると言える。


よって、歩道橋に雑踏を生じさせた主催者や警備担当に重大な過失が認められ、見物人には何ら落ち度は生じない。
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お礼日時:2013/03/02 16:40

 文明とはどんなに群集が集まっても圧死する人が出ない仕組みを言います。

中国では「私が北京に行って列車に乗る時、明らかに寝台券で、券も有りベッドも有るのに、それでも乗車は混雑しなければならなくて、みんなが乗り込めないほど混雑して、私は隊列の末尾でこの死ぬ思いをしている一団を眺めていた。」と言うほど、必要も無いのに群集が先を争って混乱します。日本の生活に慣れた留学生には母国のやり方がおかしな風に見えるのです。一方日本では「地震の間東京は依然として整列するという優秀な習慣を維持していた。私はその中にきっと多くの中国人や韓国人が居た思う。彼らもきっと日本人を信じていて、だからこそこの規則を守ることができたのだ。」と言うように、日本には独特の文明があります。

「もしも世界の終わりが来るなら、私はそれが現在の日本のようであって欲しいと願う」
http://user.qzone.qq.com/29881138/blog/130017215 …
(東京で東北大震災に遭った中国人留学生の日記)

 先日の旧正月、私は横浜中華街に行きました。日曜日の旧正月で午後3時半から龍が商店街を練り歩き大変な混雑が始まりました。車椅子の見物人が立ち往生する一幕もありましたが、すぐに警察が商店街主催者を指導して、主な通りの歩行者を一方通行にさせて混乱を未然に防ぎました。

 「人ごみに幼児を連れ出しては事故に遭うのが当然だ。」 中国ならそう言うでしょう。カウボーイなら銃で自衛するところです。しかし日本では、子供や老人や車椅子がどこを歩いても安全な国土、これが武士の時代から22世紀に引き継ぐべき我々の社会であるはずです。

 本来群集が自律的に圧死など起きないように行動することが理想ではありますが、今年の横浜中華街での例を見るとおり、警察にはそれを誘導するチャンスがありました。我々は警察のボランティアに期待しているのではなくそのために税金から給料を与えています。(圧死の心配をするだけが警察の仕事ではないと言うことは認めます) 有罪になるかどうかは別として、警察自身には、警察の失敗であったと受け止めてもらわなければ困ります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3% …
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この回答へのお礼

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お礼日時:2013/03/02 16:39

この事件は誰が悪いとかではないと思います。



混雑は予想できたはず。
警備の予想を越えるほど混んでしまっただけ。

亡くなった遺族側は
ただ花火大会を楽しみたかった。
それだけのことです。

どちらが悪いとは
言いきれませんね。

そんなことよりも
私はあなたの無神経さに
苛立ちを感じています。
誰が悪いにしろ悪くないにしろ
遺族に過失があるとゆう言い方は
どうかと思います。
大切な家族を亡くした方の気持ち
立場に立ってみてください。
最低ですね。
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この回答へのお礼

最低ではないですよ。私は。
他人事と感じられるかもしれませんが、
第三者から見たら正直そう感じてしまうのです。

お礼日時:2013/03/02 16:38

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