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 説得力のある話を聞いたとき どういう反応を採るか?


 1. あぁ わが無知は恥ぢなり。と言って まなびに励む。

 2. こりゃあ いいことを聞いた。只で聞けたよ。もうけものだ。

 3. こいつ うまいことを言いやがって。どこかにインチキがあるんぢゃないか?

 4. こんなに納得させられるとは いやはや 困ったなぁ。どこかで粗を見つけてやろう。

 5. 正解なんか 聞きたくない。のらりくらりと互いの話しが出来ればよいものを こんなにストレートでど真ん中に投げて来やがって。このアンポンタン目。

 6. ・・・(ご自由にどうぞ)。

A 回答 (19件中1~10件)

私は素直に(1)



しかし、年齢も年齢の為、生きて来た人生を否定は出来ない。

どこかに落ち所を見つけるしかない。

人生、死ぬまで勉強よね。

この回答への補足

 考えてみれば

  2. こりゃあ いいことを聞いた。只で聞けたよ。もうけものだ。

 この反応も けっこうイケテルと思いました。恥ぢなどの面倒な感情をすり抜けて行けるかも知れないからです。

 ただ この反応にしても 

  ○ 人生、死ぬまで勉強よね。

 の思いと意志にふくまれる。ように思いました。

 よって この考え方にて BA をえらびました。質問者の好き嫌いが入っていないとは言えないかも知れませんが。



 なお この主題は さらに問い続けることとしました。あたらしい設問で よろしければ お会いしましょう。

補足日時:2014/07/03 09:17
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この回答へのお礼

 そうですよね。――どうも今人は そうでもないみたいなんです。

 とうめいぱぱさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 まぁ ことは 単純です。そうしてわたしも(1)〔ときには (2)〕であるという・さらに単純なことなんですけれど。

 ほかのみなさんは どうなのか? 変にたのしみになって来ました。



 ★ 人生、死ぬまで勉強よね。
 ☆ というふうに やっぱし
 ★ どこかに落ち所を見つけるしかない。
 ☆ ですよね。きわめて単純な一次方程式。


 ほかの回答を見守っていてください。
 

お礼日時:2014/06/29 20:04

私のほうこそ、すみませんでした。

bragelonneさんとのやり取りの途中にしばしば登場してくるものですから。

私が何か言はれるのは、毎度のことなので、かまひませんし、(こんなことを書くと失礼かもしれませんが)少少おもしろがつてゐます。わだかまりは残したくないものですから。和解のためですから、サポート担当さんも許してくれるとおもひます。削除にはなるでせうけれど。

おからだをお大事になさつてください。新約聖書の神の名の話、また、あんな投稿を読みたいと願つてゐます。

私は、このサイトのルールそのものが、まちがつてゐると、おもひます。誤解をとくための、かうした話し合ひができない、といふのはをかしい。本文とは別に場を設けるとか、対処法はあるはずです。また、遠まはしな言ひ方なら許される、これが健全なありかたなのでせうか。フクアカを禁止しても取り締まりの方法は皆無です。そのほかにもいくらでも不備があります。ネット社会の歴史は始つたばかりです。成熟とは程遠い。ルールは、これから作るべきものです。ルールを守れ、で終了してしまふのは、それこそ、思考の停止であり、哲学的態度に反するものです。

>>説得力のある話を聞いたとき どういう反応を採るか?

以上は、説得力のない話なので、反応はありません。
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この回答へのお礼

 いやはや。まづは ご回答をありがとうございます。


 たぶん 一点 明確にしておかねばならないことは やはり質問と回答の形式で すすめるということ。ではないか。

 つまり そういったやり取りの問題についても一つひとつ疑問・質問として挙げて みなで考えを述べ合う。ということ。これなら 無難なすすめ方だとは思うんです。

 それを コミュニティではなく 哲学カテでやったほうがよいと思います。思想の問題が基礎にあると考えられ そのあたりのやり取りが ミソになるかと思うからです。



 かざみどり氏は――内緒の話ですが―― わたしも ほとほと手を焼いています。

 普段はふつうにやり取りをすすめているのですが 何か大きな主題などに出くわすと もう答えは返って来ません。返答がなくなります。そのまま どこ吹く風で 自分のテーマを追いつづけます。・・・

お礼日時:2014/07/02 22:41

Rhinoceros Sutra


http://en.wikipedia.org/wiki/Rhinoceros_Sutra

The Rhinoceros Sutra (Pāli: Khaggavisāna-sutta; Sanskrit: Khaḍgaviṣāṇa Gāthā; Gāndhārī: Khargaviṣana-sutra) is a very early Buddhist text advocating the merit of solitary asceticism for pursuing enlightenment (as opposed to practicing as a householder or in a community of monks or nuns).

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ちょっとメモです。
検索するとウィキペディアに説明がありました。



~~~~~~~~~~~~~~~~

写本に書かれた原典の内容として経典サンプルを一つ紹介します。これは参考文献の2番目の Richard Salomon, A Gaandhaarii Version of the Rhinoceros Suutra で公表されている韻文テキストの冒頭です。

sarve.so bhute.so .ni.sae da.m.do  avihesao a.m;natara.m pi te.so /

metre.na citi.na hita.n(uka.mpi  eko care khargavi.sa.nagapo) //


 カローシュティー文字は長母音と短母音の区別ができませんので、ローマ字通りではなく、おそらく

サルヴェーショ ブーテーショ ニサーエ ダンドー  アヴィヘーサオー アンニャタラン ピ テーショ /

メトゥレーナ チッティーナ ヒターヌカンピー  エコー チャレー カルガヴィシャーナガッポー //


というように読んだと推定されます。内容は

一切の生物に対して棍棒(暴力)を内に納め、それら(生物)のどれも害することなく、盟友に対する心でもって、ためになるものを用いて(生物たちに)共感・同情し、サイの角のようにたった一人で歩むがよい。


というもので、パーリ語の『スッタニパータ』という聖典に対応します。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/indology/Blb.htm

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ガンダーラ語のスッタニパータがあるらしい、という表現だとまぎらわしいですね。
上記のサイトの引用をしておきます。

『犀の角』の経がよほどポイントなんだろうか。私はあまり読んでなかったけど。
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この回答へのお礼

 覚え書きですか。

お礼日時:2014/07/02 22:20

もしかしてプラポタさん誤解しているでしょうか。


私はプラポタさんを批判していません。

同じような誤解をブラジュロンヌさんにも与えてしまい
すっかり相手にされなくなりました。

最近、余裕がなくて私の被害妄想が強くなっているのは確かですが
医師の話では、まだ病気にまでは至っていないようです。

スッタニパータが『ブッダのことば』かというのは
過去の質問を読んでください。

水野弘元 『パーリ語文法』 というのを読めば「マガダ語」というのがでてくるのですが、
たとえば24ページ。
okwaveではマガダ語の評判が悪いです。なんか全部私の作り話だろみたいなことになっていて
なんだよそれと思っています。

ブラジュロンヌさんの回答か質問の履歴をたどっていけば
いくつかあります。
私はブラジュロンヌさんの投稿の箇所に好き勝手に使ってしまって
迷惑を与えています。

okwaveやそれ以外にも私はなぜか不特定多数の人に攻撃されるので
わざわざ誰々ということなく、はぐらかして時々言及するのですが
それが余計な誤解を与えているようです。

ときどきでてくる禅僧というのは
本人のプロフィールによると曹洞宗の学者らしいです。

それから
ダンマパダの話は

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

A Comparative Edition of the Dhammapada

with parallels from Sanskritised Prakrit
edited together with
A Study of the Dhammapada Collection

by
Ānandajoti Bhikkhu
(2nd revised edition July, 2007 - 2551)

http://www.ancient-buddhist-texts.net/Buddhist-T …

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


1: Yamakavagga

Gāndhārī 201 [13.1] Yamaka

http://www.ancient-buddhist-texts.net/Buddhist-T …

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ガーンダーリーというのがあります。

http://www.let.osaka-u.ac.jp/indology/Blb.htm

たぶんこのサイトで紹介されているガンダーラ語のことでしょう。

世の中にはガンダーラ語のスッタニパータもあるらしいですが
まだまだ専門家しか見れないのかもしれません。

こういうのがあるのに
どこが古いだの古くないだのの論争をするのも無意味で悲しくはなってくるのですが
なぜか一般にまで情報が来ないですからね。

ブッダチャリタはゴータマ・ブッダの伝記ということで言及する機会が多いので
とくにプラポタさんになにか意見があるのではありません。

プラポタさんのおかげで読む機会ができました。

そんなこんなでとにかく私が書き込んだのはプラポタさんのことではありませんので
気にしないで下さい。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 誤解および無関係ということで。

お礼日時:2014/07/02 22:01

「補足」ありがたうございました。



>>何の関係もないと わたしは思います。よ。

その件です。これで5回目です。何を勘違ひしてゐるのか、さつぱり判りません。1件訂正しますが、読み直してみると、『ダンマパダ』のことも無関係です。結局すべて、不明なことばかりです。

ネットの世界はむづかしいものです。私の文章にかぎらず、すぐに悪意に解釈して、無駄に争つてゐる状況をあちこちで見ます。どうして普通にできないのか、不思議でしかたがありません。bragelonneさんのやうに、話に応じてくれる人なら、簡単なのですけれど。
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この回答へのお礼

 いやぁ にゅうとらるさんと言い 世の中 誤解と勘違いだらけぢゃないですか。

 と言いますか――おっと ご回答をありがとうございます―― ぷらぽたさんは なおまだわたしの感覚の届かぬほど繊細なんですねぇ。おそれ入りました。としか 言いようがありません。そこまでの l'esprit de finesse はわたしは持ち合わせておりません。






 とは言っても かえりみれば もうここの場もわたしは 七八年になります。

 これまでに手を焼いた相手は じつは まだほかにいます。けっこういるようです。
 
 ひとりだけ例をあげておきます。

 ハーフの日本人で物理学の教授をアメリカ(テキサス)の大学でやっている人間がいました。いまも ネームだけは 登録したままです。 cyototu と言います。

 わたしと同年あたりですが この野郎は 終始(つまり 参加しなくなるまで)わたしに突っかかりました。人間扱いしないどころではありませんでした。

 やり取りはいくつかあります。ひょいと拾ったのですが 次を例にあげておきます。

 【Q:中国人の英語って そんなにひどいのですか?】
   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6013675.html

 ほかの人びとにとっては いい人だったようですが わたしにとっては ただただ何でもかんでもからんで来るただの酔っ払いでした。

お礼日時:2014/07/02 22:00

お礼、ありがとうございます。



ぶろじぇんぬさんは確かに真面目な人ですから、疲れる事も多いでしょうね。

私もこの間、精神を消耗しましたよ。

意見はほざくクセに、ケンカは負けそうになると逃げる輩に。


別に私が間違っているのであれば、論破してくれればそれで言いだけなのに・・・

ああぁ、すいません・・、愚痴っちゃいましたw
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この回答へのお礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。



 動物はあまりなじみがなくて・・・なのですが 背景の色合いが 何となくいいみたいですね。ID の絵。



 そうですか。疲れますか。

 わたしは 自慢ぢゃないですが・いや 自慢ですが 三十歳ころの或る日を境に 肩こりを感じなくなりました。疲れも だいたいは ほどよいものに感じるようになりました。

 ストレスという文字は わが辞書にはない。とまで 冗談を言うようになりました。

 その代わり 思ったことをずばずば言ってのけていますけれど。


 ついこのあいだも――直前のやり取りでも書きましたが―― h・・・氏に対して おまえは たましいがくさっていると言ってやりました。恥ぢ入らせる必要があると思ったからです。


 相手のふところに入って行くと むしろ相手がそのような叱責を欲していると思うときがあります。

 間違うこともありますが つねに前進。試行錯誤。

 きよらかなおそれを抱きつつ あかるく・あかるく。
 そして もっと自由に。もっともっと自由に。いえいえ もっともっともっと自由に。だと思います。底抜け能天気です。





 あっ そして けんかの効用を言っています。けっきょく相手のよりも自己の思想についての批判をおしすすめていくことになる。ゆえにだと。

お礼日時:2014/07/02 21:15

回答番号11で最終のつもりでしたが、「お礼」をいただいたので、もう少し。



>>平謝りも 功を奏したようですが。

さうしなければ、「劇場」になつてしまひますから。

>>不特定多数の集まるコミュニティーサイトで自由な意見を出す

ダンマパダの話もその他の話も、自由な、おあそびページのため、意味はありません。

>>「恥」といふ概念はいくらか邪魔なものに思へます。 

「恥」とは無縁のことです。いつも書いていることですが、私は画一化に反対です。個性を尊重し、そのスタイルを認める、そして、(悪い意味ではなく)おもしろいものは、おもしろい、素直に書くだけです。遠まはしな表現をしたり、かげで蔑んで嗤ったり、裏でねちねちするのは嫌だから、表でやります。(削除がふえると迷惑になるので、これからは控へます。)これも何度も書くのですが、「嗤ふ」と「笑ふ」は異なります。

>>邪魔に感じられても使おうかと思っています。

邪魔といふことですが、「凡人」とか「凡夫」とかいふことを、読んだことも、もちろん書いたこともありません。「ブッダチャリタ」については、自分の質問ページ以外では、読んだことがありません。「輪廻」については、私自身理解不能の概念です。そのほかの件もまつたく不明です。

>>まぁ これまでにおいても 《控えて》来ました。

控えめに言つても、抗生物質がどんなものかは、まつたくわかりません。ナスビのフクアカに手を焼いてゐる豚が、別に作るはずがありません。

私は、態度は、はつきりさせてゐるつもりです。たとへば、科学崇拝の風潮に対しては、批判的立場であることは、きつぱりと述べてゐます。なぜ、批判してゐない文章について、無理やり批判として受け止めようとするのか、不可解です。私の文章にかぎらず、あちこちで同様の現象が見られます。ネット社会にはまだ新入りで、慣れてゐません。少なくとも、トラックを溝に落として苦労するやうな、バイトのおつちやんを、警戒する必要などないとおもひます。

この回答への補足

 ひょっとして回答No.12を意識しておられますか?


 何の関係もないと わたしは思います。よ。

補足日時:2014/07/02 21:00
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この回答へのお礼

 こんばんは。ご回答ありがとうございます。


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
  >>「恥」といふ概念はいくらか邪魔なものに思へます。 

 「恥」とは無縁のことです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ このつながりがよく分かりません。あるいはつまり:

 ★ 「恥」とは無縁のことです。
 ☆ とは どういう意味ですか? 縁があって話し合いなどの場にいて 恥づかしさをおぼえるということだと思うのですが それが 《無縁》なのですか? ちょっと分からないのですが。


 

 ★ ・・・これも何度も書くのですが、「嗤ふ」と「笑ふ」は異なります。
 ☆ 嗤うというのは あざける意味がふくまれるのでしょうか。

 この問題は 話が長くなります。取りあえず端折って言うとすれば あざけり笑うということを含む文章表現も 時と場合によっては わたしは用います。というよりは 相手のその時の状態によっては と言ったほうが合っています。

 ひとのみち氏が たましいがくさっていると思ったら わたしは そのままそういう表現を使います。つまり 恥ぢいらせるために あざけり笑っています。

 いつも引く方程式ですが もし相手を人間のたましいの持ち主でないと思ったなら そういう嘲笑や叱責は言いません。

 という問題をはらむ主題だと考えています。



 次の《邪魔》論は 込み入っていますね。
 ☆☆(No.11お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~
   ★ 不特定多数の集まるコミュニティーサイトで自由な意見を出すために、「恥」といふ概念はいくらか邪魔なものに思へます。 
   ☆ このスレッドは でしたら そろそろ閉めたいと思いますが 今後にわたって この《恥ぢ》なる概念は もしタブーでなければ 邪魔に感じられても使おうかと思っています。

 やましさ反応をめぐって その知覚の問題と知覚内容の認識というつながりで一組を成すと考えますから。(* やましさなる知覚内容を認識レベルで《恥ぢ》という概念とするということだと思います)。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 邪魔といふことですが、「凡人」とか「凡夫」とかいふことを、読んだことも、もちろん書いたこともありません。「ブッダチャリタ」については、自分の質問ページ以外では、読んだことがありません。「輪廻」については、私自身理解不能の概念です。そのほかの件もまつたく不明です。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ちょっと つながりが分かりかねています。のですが?


 次も 何のことだか 分からないのですが?
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  >>まぁ これまでにおいても 《控えて》来ました。

 控えめに言つても、抗生物質がどんなものかは、まつたくわかりません。ナスビのフクアカに手を焼いてゐる豚が、別に作るはずがありません。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ わたしが控えて来たというのは スサノヲ論ですよ?

 なすび(ななにす氏のことですよね?)は しつこいだけです。よ。とにかく しつこい。と思っていれば それほど苦にはなりません。と思いますが。




 あとはですね。
 ☆☆ (No.11お礼欄)  ええっとですね。いつもひと言多いのですが 相手を持ち上げる・またはあたたかく触れ合ってお相手するばあい いちばんの問題は 相手が善人である場合です。・・・ 
 ☆ この《ひと言》というのは あなたが 参加者どうしのあいだに入って 渋滞してしまうのではないかと思ったものですから つけ添えました。《批判として受け留めた》からしゃべっているものではありません。よ。

お礼日時:2014/07/02 20:47

ぶらじゅろんぬさん、


やっぱり何を言われているのか分からないので、
保留にしてもよいですか。

どうして二角関係の話になっているのかも分からないし、
二角関係の中に人生が閉じ込められるわけでもないし、
二角関係のせいでこの世の終わりになるわけでもないし、
対等な関係なのに「てなづける」とか「あしらう」とか
よく分かりません。


あと、分からないのが恥ずかしいのではなくて、
おいらみたいになかなか理解しないヤツが恥ずかしいのであり、
分からないことを訊かない・分かろうとしないのが恥ずかしい
のではないの?

>互いに合意の上で納得づくでツイ関係をすすめたのなら 何がどう成っても 原則として恨みっこ無しです。
> 《いやならいやと言うことから あたらしい世界――つまり そのツイ関係の破綻と解散をもふくむかたちで――があらためて始まる》

:はい、ここは同意しますよ。異議なしです。
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この回答へのお礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ やっぱり何を言われているのか分からないので、 / 保留にしてもよいですか。
 ☆ そうですか。 ちょっと意外なんですが。
 
 仕方ありませんし あるいはツッコミがおとなしいのかも知れませんね。そちらからのツッコミです。


 ★ 対等な関係なのに「てなづける」とか「あしらう」とか / よく分かりません。
 ☆ ここは 一般的な人間どうしの二角関係の中の・特には 男女間のツイ関係の世界です。

 ツイ関係が いちど互いの合意によって成ったなら――もちろんあとで 考えが違っていたと分かって ていねいに取り消すこともあるわけですが―― その解消の申し出がどちらかから出ないかぎり つねに具体的な個々の出来事についても 合意したということになるのだと思います。

 合意してともにおこなっていたことについて あれは じつは嫌だったんだと――言ってもかまわないわけではありますが―― その嫌だったという意見は あとのマツリなのだと思います。それはそれで 受け留めて あたらしい出発へと開かれて行く。こう思います。



 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
 あと、分からないのが恥ずかしいのではなくて、
 おいらみたいになかなか理解しないヤツが恥ずかしいのであり、
 分からないことを訊かない・分かろうとしないのが恥ずかしい
 のではないの?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ なるほど。

 これは やはり人それぞれであるようですね。

 つまりわたしのような昔の人間は いちおう尋ね返しますが 知らないことがあったら 一目散でそれを独りひそかに知ろうとするクセがあるようです。

 いまの人たちは まづ知らないと知られたことについてこれは まづい(恥づかしい)と思ったら その場をきちんと(?)もとの秩序が回復されるようにチカラを尽くすのではないでしょうか? あたかも知識が互いに対等であるといった状態につねにその場をととのえる。のではないでしょうか。

 要するに知らないとか 知らなかったとかとは あんまり言わないのかも分かりません。
 (こういう世渡りの術を わたしは開発して来ませんでした。同世代の中でも 特殊なのかも分かりません)。

 その両極のあいだで きちんと尋ね返すという反応もあり。ですね。分かりました。





 次を読んだら なああんだと思いました。
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   >互いに合意の上で納得づくでツイ関係をすすめたのなら 何がどう成っても 原則として恨みっこ無しです。
   > 《いやならいやと言うことから あたらしい世界――つまり そのツイ関係の破綻と解散をもふくむかたちで――があらためて始まる》

 :はい、ここは同意しますよ。異議なしです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ほとんどこのことをしか わたしは言っていませんよ。と思いますが。

投稿日時 - 2014-07-02 19:40:20

お礼日時:2014/07/02 20:19

4. こんなに納得させられるとは いやはや 困ったなぁ。

どこかで粗を見つけてやろう。

これではないでしょうか。


以下は、愚痴です。
凡人と書いたことになんか反響があるみたいで、

凡夫にすればいいんでしょうけど
凡夫だと、凡夫の救済の話になるから
仏教からすれば待ってましたみたいな話になるから嫌なんですよ。

もっというといちいちこんなことで粘着してくる人が気持ち悪いけれど。
たしかにたんに私が間違えている場合のこともありますけれど
頻繁に書き間違えていますからね。

こういうこともあるから困るね。

もっというと

ブッダチャリタの回答で描写と書いたとたん
画像を載せたいやみな禅僧がいたんですが

輪廻の観察とか
以前、覚りは視覚的な概念なんだろうか
とかいう書き込みをしたときも思ったんですが、

地獄絵図でも眺めたほうが案外、覚りの手助けになるのではないでしょうか?

ここで注目したいのは、イダイケが極楽を観察したのに対して
ゴータマのほうは、地獄を観察したという対比もきちんと考察していけば面白いのでしょうけれど。

それはそうと中村元以降で、
だれか面白い思想家はいないでしょうか。

スッタニパータは『ブッダのことば』なのか?
『ブッダのことば』だとすれば具体的にどの箇所なのか?理由は?

とかこういうことにきちんと答えてくれる人とかどこにいるんだろう?

あとは、
ダンマパダの比較でアーナンダ・ジョーティ比丘のサイトとか見たとき
ガンダーリーとかいうのがあったけど
ああいうのとか、一生知ることなく死んでいくんだなあ。
とか思ったりするんですよね。

知っている人は知っているのでしょうけれど
私の人生とは関係ない。

私もネットに書き込んでいつまでも嫌味をいわれるよりは、
だれか先生を探して学んで静かに暮らしたほうがいいのでしょうけれどね。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~
  4. こんなに納得させられるとは いやはや 困ったなぁ。どこかで粗を見つけてやろう。

 これではないでしょうか。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これなら 見つけた粗をあとで知らせると よいでしょう。

 いづれにしても――つまり 粗を見つけたにせよ 見つけられなかったにせよ―― 納得するのは自分自身ですから その納得の時点で 問題は自分の問題になっているということだと考えられます。

お礼日時:2014/07/02 11:10

「お礼」拝見しました。

これで最終にします。

>>自分が無知だと知ったときには その恥ぢを

bragelonneさんのやうに、何でも自分のエネルギーにしてしまふ人はそれでいいのですが、それができない人たちもたくさんゐます。不特定多数の集まるコミュニティーサイトで自由な意見を出すために、「恥」といふ概念はいくらか邪魔なものに思へます。

>>スサノヲについては どうなんですか?

読んだのですが、意味がわかりませんでした。私でもわからないのですから、「当事者」ではない他の人はなほさらです。たまにはいいかもしれませんが、極力控へたほうがいいとおもひます。
自分が悪魔であることに気付く要因となつた、あの回答文にしても、「自分史」の意味を、私は「フクアカ」が生まれて消える、それだけの意味で書いたのに、周囲のみんなが○○○の意味に解釈して、あわてたやうです。哲学カテゴリ的意味合ひの文章も、アンケートカテゴリで通用するはずもなく、ずいぶん誤解を招きました。いつも私のことを熱心に弁護してくださる方もゐて、申し訳ないことをしました。
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この回答へのお礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 ★ 不特定多数の集まるコミュニティーサイトで自由な意見を出すために、「恥」といふ概念はいくらか邪魔なものに思へます。 
 ☆ このスレッドは でしたら そろそろ閉めたいと思いますが 今後にわたって この《恥ぢ》なる概念は もしタブーでなければ 邪魔に感じられても使おうかと思っています。

 やましさ反応をめぐって その知覚の問題と知覚内容の認識というつながりで一組を成すと考えますから。






 スサノヲの件:
 ★ ・・・極力控へたほうがいいとおもひます。
 ☆ まぁ これまでにおいても 《控えて》来ました。あまり回答がつきません。

 ただしこれも タブーでなければ――というより 哲学にタブーはないと考えています―― ときどき問うてみたいと思っています。


 ちなみに その問いは 数居る日本人の中でわたし(=ぶらじゅろんぬ)だけがなぜ 自由なのかという含みがあります。
 つまり恥ぢをめぐって 精神のストリップがわけも無くなぜ出来てしまうのか? です。(つながっていましょう?)

 ★ 何でも自分のエネルギーにしてしまふ
 ☆ わたしに出来て ほかの人に出来ないというのは 話に合わない。






 あくまの件:
 ★ ・・・あの回答文にしても、「自分史」の意味を、私は「フクアカ」が生まれて消える、それだけの意味で書いたのに、
 ☆ わたしの感覚では ふつう その内容を弁明としてでも書き込むと思いますよ。
 平謝りも 功を奏したようですが。





 ええっとですね。いつもひと言多いのですが 相手を持ち上げる・またはあたたかく触れ合ってお相手するばあい いちばんの問題は 相手が善人である場合です。

 善意であるという場合には ややもするとこちらは 少々間違ったことがらでも 受け容れてしまう。マチガイを指摘することなく そのまま認めてしまう。ことだと思います。

 その場では それで過ぎて行きますが(あるいは初対面では 信頼関係が出来ていないからには そうするしかないですが) そういう事態が重なって来た場合には 思わずそのマチガイをゆるしたユトリが雪だるまのようになってかえって 重荷として圧(の)し掛かって来ます。


 相手が悪意のばあいには じゅうぶんこちらは警戒していますが 善意の場合には 隙が広がってしまいがちではないでしょうか。

 つまり これは あとから弁護するにもなかなかむつかしい問題にすでに成ってしまっていることがあるのでは?

お礼日時:2014/07/02 09:27

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