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イジメの傍観者も同罪という考えの人は少なくないですが、そういう人はこの事件をどう思うでしょうか?
考えが変わったりしたでしょうか?


いじめかばう女児を暴行 「いじめてもいいんだってー」 三河の公立小、担任の目前で続くも制止できず

 愛知県三河地方にある公立小学校3年の教室内で、いじめられている同級生をかばおうとした女子児童が別の同級生3人から暴行を受け、1週間のけがを負っていた。20代の男性担任教諭はその場にいたが制止できず、学校はすぐに保護者に連絡していなかった。
 学校によると、騒動が起きたのは6月3日午後2時45分ごろで、5時間目が終わった休み時間中。複数の児童からたびたび悪口などを言われていた同級生を見かね、この女子児童が「いじめるなら、私をいじめろ」と口にしたところ、1人の女児と2人の男児が「いじめてもいいんだってー」と、殴る蹴るの暴行を始めた。
 2人が女子児童を押さえつけ、1人が跳び蹴りする場面もあった。
 担任は6時間目の授業に来て、騒動を知った。多数の児童らを分け入って止めようとしたが、暴行は担任の目前でも続いたという。
 担任は「出血など目に見えるけがはない」として、女子児童を保健室に連れて行ったり、保護者に知らせたりしなかった。学年主任には報告し、学校が調査して5日、女子児童の保護者に事情を説明した。
 校長は「子どもが担任の指示に従わないなど、学級運営の問題は感じていたが、担任から相談はなく、様子を見ていた。担任は経験が浅く、学校の管理責任が問われる重大な問題とは考えられなかった。大変、申し訳ない」と話した。
 女子児童側は、学校の聞き取り調査や家庭訪問などを経て、加害者側の「謝罪を受け入れること」を了承したという。女子児童は6月下旬に登校を再開。教頭や指導主事らが再発防止のため、担任との2人体制で授業をしている。
(中日新聞)

http://www.chunichi.co.jp/s/article/201407019009 …

A 回答 (11件中1~10件)

回答をいろいろ見てびっくりです。


傍観してるだけでイジメと同罪、というのはまったくナンセンス。

かばった子供が身代わりにいじめられたとして、最初にいじめられていた子供が黙っていたら、この子もイジメっ子と同罪ということになりますが・・・
そんなアホな話がありますか。

私自身は一度もイジメをしたことがないと胸をはって言えますが、小中学校を振り返れば、レベルの大小はあっても大半の仲間がイジメに加担していましたよ。
しかし、大人になればほとんどがまともな社会人になるわけです。
なぜ子供時代にイジメをしてしまうのかと言えば、倫理とか道徳とかの理性が未熟だから。

その未熟な子供をつかまえて「助けろ、さもなくば同罪だぞ」と脅迫めいて言うことにどういう意味があるのか不可解きわまりない。
そんなのは、イジメられっ子に向かって、「いじめられたときは先生や親に言うなり自分で解決しろ。それができないのはお前の責任だ」というのと同じ。
どちらも強力なストレスに打ち勝たねばできないことですから。

大人のような意思の力がないから子供なのだし、また、いろんな性格の子供がいるわけです。
気の強い子、気の弱い子、意地悪な子、やさしい子・・・
ある子供には簡単なことでも、ある子供には死ぬほど難しかったりします。
それを無視して一律に「こうしなければ罪人だ」と押し付けるのは、無責任にもほどがあります。

子供に勇気をもたせるためにいろんな指導法があるのはわかります。
しかし、黙って見ているだけで同罪というのは行き過ぎで、理屈的にも偏屈だし明らかに誤り。

この回答への補足

いじめ問題では現場の事を全然知らないとしか思えない綺麗事がたくさんあります。

・抵抗しろ
・話し合え
・気に入らないなら関わるな
・先生に相談しろ
・傍観しないで助けてやれ

etc

今回の質問の動機は、この事件がきっかけで現場の事に少しは目を向けるよう考えが変わった人がいるかと思ったからです。
残念ながら持論や見解を語る解答ばかりで、こういうふうに変わった、というものは見受けられませんでした。
(こういうふうに考えが変わった、ということかもしれませんが)

タイムリミットまでネットできなくなるので、この同罪であるという考えのナンセンスさについて現実的な考えを示されたこの回答をベストアンサーとして締め切らせていただきます。

8685378さんをはじめとする回答者の皆様、ありがとうございました。

補足日時:2014/08/09 08:58
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この回答へのお礼

>その未熟な子供をつかまえて「助けろ、さもなくば同罪だぞ」と脅迫めいて言うことにどういう意味があるのか不可解きわまりない。
そうですね。
この理屈に限ったことではないんですが、いじめ問題では相手が素直に聞き入れられるものなのか全然考えてないと思えるものがたくさんあります。
できないことを、できない事情を考えようともせずにやれの一点張り。
俺様ならこうやる。だからお前もやれなんて正義の味方もたくさんです。

この事件がきっかけで目を覚まして、少しは現場の事を考える人が出てくるかと思っていたのですが…。
難しい問題ですね。これは。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/03 21:39

何しても


言われるから
変わらない
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この回答へのお礼

確かにそれがあります。

今回の事案では、これほどの凶悪な児童となるとそうとう荒っぽいやり方で拘束しないとどうにもならず、それが体罰と見なされかねません。

こういう具合にほっといても何かしても責められるならリスク回避に向かうのも仕方ないのかもしれません。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/09 08:49

このケースだと加害者たちの残虐性は、少女が止めにはいらなかった場合に表面化しなかった可能性がある。


表面化したときに殺人者になってたら社会はどう対応できるのか。
気付いたら殺人者とか、加害者としてもその時点から自分の残虐性の問題に気付かされても、まともな未来なんてない。

大体、傍観を罪にするんだったら傍観した人間にペナルティを与えなきゃいけない筈だよ。
連帯責任として処理してこそイジメの深刻度も伝わるというもの
この様に思えた人は尚も傍観者罪を正当化するでしょうね。

いずれにせよ、いじめそのものが残忍過ぎきて明るみにならないパターンとかあるかもしれない。
そういうのにも気付かないままに正当化してるとしたら、頭がお花畑過ぎる。

学校には毎年200万人が入学する。そんだけ人がいたら、ヤバイのが何人も居てあたりまえ。
一寸際が地獄があるってのに、もう何十年も前から定例化してるってのに、いいがけんどうにかできんのかと。
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この回答へのお礼

連帯責任は連帯責任で、『あいつがなんか騒いだせいで罰を受けた』という方向に向かい逆恨みを招く危険があります。
そういった具合に色々と『正しい』とされることにメスを入れることが大事かもしれません。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/09 08:46

小学生の指導ができなくて、壁に向かって説教していたという輩が、カウンセリング担当の指導主事(先生を指導する先生)になったり、校長になったり、更に退職して教育委員会に勤務していると聞きます。



指導現場でトラブルの当事者になるより、何もしないでやり過ごす方が、上層部のウケが良いのが、この世界のようです。

なにか、マスコミに取り上げられれば、マスコミは上層部のご意見も伺うので、上層部の望む部下(現場の先生)の姿勢は、当然のヒラメ教師です。

件の3年の担任は、必ず出世します。これを、世間も望んでいるのです。

と、思います。
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この回答へのお礼

まあ…教員にソレを求めるのがそもそもの間違い、というものがいじめ問題には多々ありますから。
カウンセリングとかはきちんとプロに任せ、教育とは分離すべきかもしれません。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/09 08:44

NO6です。


ついでなので、もう少し回答させてください。

イジメはなくなりません!

イジメ問題は、イジメをどうやれば根絶できるか、という非現実的な考えにとりつかれてるから、おかしな意見が絶えないのだと思います。
「傍観者は同罪」というのもそうですが、道徳、正義、倫理うんぬん、はては日本の社会システムに切り込む始末。

現在の対応をみていますと、イジメで自殺した生徒などが出ますと、「いじめた側の断罪」そして「イジメをなくすための取り組み」と繰り返すだけで一向に改善しません。

最初から「なくならないもの」という前提にたてば、対応がぜんぜん違ってきます。
イジメがなくならないのなら、イジメられっ子もなくならないし、それで自殺する危険もなくならない。
ならば、「恒常的に発生する自殺者をいかに救済するか」に主眼がうつるわけです。

そうなれば、救済し、別の環境に避難させる、というシステムが確立します。
民間ではすでにいじめられっ子の避難的教育施設がつくられていますが、そういう避難場所を公的に増やすことになるでしょう。

中にはウツ病の子もいるわけです。
そういう子は許容範囲の「からかい」にも過剰に傷つき、簡単に自殺することもあり得ます。
重要なのは、そういう特異なケースにも対応し、最悪の事態を防ぐこと。

そんなことじゃ根本的な解決にならない、という意見が必ず出てきます。
しかし、根本的に解決しない問題ですから。
いつまでもきれいごとばかり言ってる方々のせいで、かえってイジメによる犠牲者が減らないのだと思います。
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この回答へのお礼

きれいごとばかり言ってるかたがたのせい。
確かにそうですね。
道徳なんて、同じ道徳を守ってる人相手にしか役に立たず、無法者が相手では自分の抵抗の足かせにしかなりません。
普通の人にしか通用しない理屈ですから、加害者であれ被害者であれ普通でない状態の人にはそれまた役に立ちません。

感情的に正義の味方がただ悪を叩くだけではダメなんですよね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/09 08:42

イジメを抑止しようとした女子児童の親子関係が気になります。


彼女は人は人、自分は自分とは思わなかった。
イジメを止めるくらい「良い人」であろうとした。

傍観者も同罪という言い方は変わりません。
この国の教育システムは傍観者こそ正解にしたわけですから。
彼女のような人間は罰を抑止することになり、
日本のような迎合支配を歓迎する社会では、
彼女は反乱分子にすぎないのでしょう。


あまりにも彼女に同意する人が周囲に少ないこと。
そういう学校環境。


一人が反論しても、周囲に「そうだ、そうだ」という声があがらない。
周りは敵だらけ。まるでブラック企業かと思うような状態ですね。
この国は、もう小学校からはじまっているんですね。

私の時代と比較して、小学校は制服もなく、
私服でも個性が見られ、とても楽しい時代でした。

しかし、今は子どもの時代から大人のような孤立感を深める時代が到来しているんですね。

この回答への補足

>この国の教育システムは傍観者こそ正解にしたわけですから。
公式にそのような発言が出たのでしょうか?

>彼女のような人間は罰を抑止することになり、
かばおうとしたいじめられっ子は、どのような罰がくだされようとしていたのでしょうか?

これらは何らかの暗喩なのでしょうか?
私は物事を言葉通りに受け止める傾向があるため、どうにもひねった表現は真意を掴みかねます。

補足日時:2014/08/03 21:44
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イジメの傍観者について私は同罪とは思いません。


但し”イジメの傍観者”は一部例外(後述)を除いてイジメ幇助者であり、罪が無いわけではないと思います。

後、イジメの傍観者は条件付であっても自分は”イジメ”の容認者であるとの理解はしておくべきでしょう。

”イジメ”の容認者でないのであれば、何らかの対処をすべきです。但し、この最重要なのは適切な対処であり
無謀な対処は避けねばなりません。
今回の”同級生をかばおうとした女子児童”の対処は、その結果からしても無謀な対処と考えるべきと思われます。(イジメをしていた3人を反対に怪我させる位の体力差が無ければ本対策は適切ではない)

但し、何か適切な対処をしようと考えていたため結果的に傍観者となってしまった場合、事後にでもイジメの事実を学校側や被害者・加害者の保護者に連絡する等の再発防止対策をしていれば”イジメ”の容認者ではないでしょう。

少なくとも目の前で傷害事件が発生したときに何の対処もせず傍観し、少なくとも一時的には身の安全が確保できる(加害者からの攻撃に対処できる)状況になっても事件を黙殺することは、一般的に犯罪とされるのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

いじめ問題では抵抗しろとか第3者も助けてやれという意見がよく出ます。
しかし…。

・加害者は要領がよくこちらが受けた嫌がらせなどは立件できない一方で、抵抗のためこちらが行った攻撃だけが立件される。
・無視も話し合いでの解決もできず暴力振るったほうが悪いと見なされる。
・部や道場などに所属していた場合、抵抗のためとはいえ暴力沙汰を起こせば不祥事と見なされ、連帯責任で迷惑をかける。
・加害者がスポーツマンの場合、イジメという不祥事がもとで処分されるということで、ことを公にしようとした被害者を他の部員や顧問まで逆恨みしてくる。
・内申点への影響、退学のリスクや保証人への迷惑といったしがらみがある。
・体格、性別、障害の有無などの要素から、相手が弱者でこちらが強者という図式になってしまう

ざっと、被害者が抵抗するだけでもこれだけの足かせが挙げられます。
第3者が助けようとしても同じだけの足かせがあり、更に次のイジメのターゲットになるリスクが有ります。
通報にしても、加害者に特定されてターゲットになりかねません。

※皆様にまとめてお礼に書いてて今気づきましたが、誤読されかねませんね。
上記の問題はいじめ問題全般で考えられる要素であってこの事件とは無関係です。

>少なくとも一時的には身の安全が確保できる(加害者からの攻撃に対処できる)状況になっても事件を黙殺すること
これにしても、陰惨な光景を目の当たりにした人はどうやって安全が確保されたと確信持てるでしょうか?
これから行う静止のための攻撃なり通報なり証言なりで相手に不利益をもたらし恨みを買ったあとも、その相手と同じ教室で学校生活を送っていかねばならないのにです。


この度の事件がきっかけで、足かせやリスクの問題を当事者の立場で真剣に考えるようになるだろうかと思い質問しました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/22 22:18

かばおうとして逆襲を受けているのを、ただ傍観しているだけの児童がいますね。

同罪です。自分で救出することができなければ、せめて教師を呼びに行かなければなりません。

ただ、ここで事態が変わります。教師が止めに入らなかったからです。「傍観者に罪はない」の論法でいけば、この教師にも責任はないことになりますし、学校側の責任も一切問われることはないはずです。しかし、止めに入らなかったのみならず、報告を怠り、隠蔽しようとした罪は重いです。
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この回答へのお礼

いじめ問題では抵抗しろとか第3者も助けてやれという意見がよく出ます。
しかし…。

・加害者は要領がよくこちらが受けた嫌がらせなどは立件できない一方で、抵抗のためこちらが行った攻撃だけが立件される。
・無視も話し合いでの解決もできず暴力振るったほうが悪いと見なされる。
・部や道場などに所属していた場合、抵抗のためとはいえ暴力沙汰を起こせば不祥事と見なされ、連帯責任で迷惑をかける。
・加害者がスポーツマンの場合、イジメという不祥事がもとで処分されるということで、ことを公にしようとした被害者を他の部員や顧問まで逆恨みしてくる。
・内申点への影響、退学のリスクや保証人への迷惑といったしがらみがある。
・体格、性別、障害の有無などの要素から、相手が弱者でこちらが強者という図式になってしまう

ざっと、被害者が抵抗するだけでもこれだけの足かせが挙げられます。
第3者が助けようとしても同じだけの足かせがあり、更に次のイジメのターゲットになるリスクが有ります。


この事件では、通報にしたところで、目の前でそんな陰惨な行為が展開されては身がすくんで行動できなくなってもおかしくありません。
通報しようとするのを加害者に覚えられ、次のターゲットになるかもしれない。
教師が考えなしに通報者を漏らすかもしれない。
加害者が頭使えば、通報できたものを絞り込み特定することだってできなくはありません。
通報して教師が来るからもう大丈夫だろう、そう思ってたからこそ傍観してたとも考えられますし。


この度の事件がきっかけで、足かせやリスクの問題を当事者の立場で真剣に考えるようになるだろうかと思い質問しました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/22 22:05

イジメの傍観者が同罪、という言葉は、必ずしもイジメを止めなかったことを責める意味で使われている訳ではないと思います。


傍観することで、イジメを止めなかった=自分がイジメたのと同じ、という罪の意識が本人の中に芽生える、自責の意味でも使われていると思うからです。
そして、だからイジメを止めろとはもちろん言いませんが、大人として、傍観している側の子には、イジメの傍観者は同罪ではないのか?、と伝えていきたいと思います。
酷なように思いますが、自分は見ていただけだから悪くない、イジメられたくないから関わりたくない、と考える子ばかりにはなって欲しくないからです。
なので、傍観者を責める意味ではなく、やはり「イジメの傍観者も同罪」という考え方は必要だと個人的には思っています。
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この回答へのお礼

いじめ問題では抵抗しろとか第3者も助けてやれという意見がよく出ます。
しかし…。

・加害者は要領がよくこちらが受けた嫌がらせなどは立件できない一方で、抵抗のためこちらが行った攻撃だけが立件される。
・無視も話し合いでの解決もできず暴力振るったほうが悪いと見なされる。
・部や道場などに所属していた場合、抵抗のためとはいえ暴力沙汰を起こせば不祥事と見なされ、連帯責任で迷惑をかける。
・加害者がスポーツマンの場合、イジメという不祥事がもとで処分されるということで、ことを公にしようとした被害者を他の部員や顧問まで逆恨みしてくる。
・内申点への影響、退学のリスクや保証人への迷惑といったしがらみがある。
・体格、性別、障害の有無などの要素から、相手が弱者でこちらが強者という図式になってしまう

ざっと、被害者が抵抗するだけでもこれだけの足かせが挙げられます。
第3者が助けようとしても同じだけの足かせがあり、更に次のイジメのターゲットになるリスクが有ります。

この度の事件がきっかけで、足かせやリスクの問題を当事者の立場で真剣に考えるようになるだろうかと思い質問しました。

回答ありがとうございました。


私はいじめられる辛さを身にしみて理解しています。
だからこそ、次のターゲットになることを恐れる子を責めることはできません。
当事者でもないので、クラスメイトたちに自己犠牲を強いる資格もありません。

お礼日時:2014/07/22 21:54

私がその年代でその場にいたら、思いっきり先生を巻き込んで、暴行側をぶん殴っていたと思いますよ。

経験上、こういうケースで動かない先生や暴れている児童をぶん殴っても、校長室には呼ばれますが、それ以上のペナルティーを食らったことはありません。

自分ができないからって、人ができないわけでもないし、助けようとして失敗した人でも立派だと思いますよ。なんにもできない人間ってサイテーですよね。人のためにも自分のためにも生きていないってことでしょう?
ご質問者さんは、そうは思わないってこと?
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この回答へのお礼

いじめ問題では抵抗しろとか第3者も助けてやれという意見がよく出ます。
しかし…。

・加害者は要領がよくこちらが受けた嫌がらせなどは立件できない一方で、抵抗のためこちらが行った攻撃だけが立件される。
・無視も話し合いでの解決もできず暴力振るったほうが悪いと見なされる。
・部や道場などに所属していた場合、抵抗のためとはいえ暴力沙汰を起こせば不祥事と見なされ、連帯責任で迷惑をかける。
・加害者がスポーツマンの場合、イジメという不祥事がもとで処分されるということで、ことを公にしようとした被害者を他の部員や顧問まで逆恨みしてくる。
・内申点への影響、退学のリスクや保証人への迷惑といったしがらみがある。
・体格、性別、障害の有無などの要素から、相手が弱者でこちらが強者という図式になってしまう

ざっと、被害者が抵抗するだけでもこれだけの足かせが挙げられます。
回答者様と違い、私の母校は小中高通してこうだったのです。

自分ができるからといって、他の人もできるわけでもありません。

第3者が助けようとしても同じだけの足かせがあり、更に次のイジメのターゲットになるリスクが有ります。

この度の事件がきっかけで、足かせやリスクの問題を当事者の立場で真剣に考えるようになるだろうかと思い質問しました。

あの子を立派と持ち上げることで、無謀な真似に出る子が出てくるのではないか? 取り返しの付かないゲガを負ってしまうのではないか?
できない事情を鑑みず批判することで、できるものとできないものとの対立が激化してしまうのではないかと危惧しています。


回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/22 21:47

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