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信仰心のある人は

弱い人か 強い人か

神様に頼るような 弱い人か

神の存在を 認めて頼る 強い人か

A 回答 (12件中1~10件)

弱いようで強いのがクリスチャンである、と牧師が言ってました。

そう思います。全部自分で解決できる!は傲慢だそうです。生死は神の領域だから。試練や迫害も当然ありますが信じる者は見捨てられてないから希望があります。私は弱くても私の神は強いです。
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この回答へのお礼

りお様
いつも ありがとうございます。
人と違う生き方を貫ける人は 強いと思います。
誰の助けもいらないというのは 『傲慢』ですね。
僕も弱いですが 神様は強いと思います。

お礼日時:2018/01/11 12:45

日本人でいるなら、神も仏も精霊も近くに居ます


日本という国が、天皇陛下は天照大神の直系だと言っているからです
日本で宗教なんて!と馬鹿にすると、日本語すら話せなくなりますし、冠婚葬祭も出来なくなります
神を信じられないものは日本に居てはいけません
海外で生活するべきですね

と、私は思うので、どうなんでしょうね?強いのか、弱いのか

神は人を呪わない
神は『祟る』だけ
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信仰心のある・なしと、


強い・弱いは、関係ありません。
 
言われるように、信仰心があって強い人・弱い人、
無信仰で強い人・弱い人、様々ですし、
強い弱いも多義的で、対象や状況でも変わります。
 
ただ「信仰心がある」だけなら、強くても弱くても構いませんが、
信仰心の方が「強い」場合、それが原因で争いを生じたり、
事実を見誤ったりも、起きていきます。
 
>宗教のない人がいかに弱く だらしなく
>非道で残虐で臆病で愚かだったか
>世界の歴史を見れば 明らかです 
 
ただ無宗教と言うだけで、
だらしない、非道だ、残虐だと、
こんな主張するようになってしまう。
これが宗教、信仰心の怖いところです。
 
信仰心があるのは、構わない。
それだけなら、強いでも弱いでもない。
 
でも、信仰心が強いあまりに、
違う立場の人を侮辱、攻撃するようになるなら、
強い弱い以前の、問題であり、
信仰なんか捨てた方が良いと思います。
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信仰者が強かったか 弱かったか



 宗教のない人がいかに弱く だらしなく
非道で残虐で臆病で愚かだったか
世界の歴史を見れば 明らかです 

 宗教の何たるかも知らず 議論するのは
園児が数学の方程式を論じたり
科学が分からない太古の人が
量子論を議論するのと同じで
無知と偏見の誤った結論が出る事はあきらかです

 最初から 神を頼る とか認めるとか
それで強いか弱いかを 判断するのは浅薄と思われます

宗教は
イ・・人間を強くします
ロ・・人間を善くします
ハ・・人間を賢くします 

 宗教のイロハを論ずる前に
科学を知らない人程
歴史を知らない人程 宗教を否定します
 エセ宗教や 占い等の類は論外ですが

 
 古典力学が否定され 否定した相対性理論は
ボーワの論争で否定されました
宇宙 物質 生命化学 次々と否定されました

 人間の知恵はいかにも浅く 小さいか 
科学者程 化学の限界 地平線が見えています
だから科学者は 宗教を否定しないのです
アインシュタインが 「宗教なき科学は不完全であり」
とは有名です

 科学を知らない人程 宗教を否定します
宗教vs.科学者ではなく 合流の方向を望んでいます
科学者は科学で人類が繁栄する とは言いません

 仏教の 諸行無常 実に科学の最先端の論理です
因果応報も 自業自得も 縁により結果が変わる
とか仏教だけど科学です

科学の究極の目的・・・空間を知る
仏教の究極の悟り・・・空を知る 
色心不二・・・有る無いは二にして二にあらず
 素粒子論みたいでしょう

仏教 キリスト教の歴史を学びましょう

 呪術的迷信を打破
既成宗教の祭祀体系を否定
民族的に偏狭な観念を克服
民衆救済に立ち上がった信者

 仏教 キリスト教
人類文明にこの二つの宗教が無かったら、
人間の知恵はいかにも底の浅いものに
なっていただろうと思います
 儒教の「仁愛」「大同」墨子の「兼愛」「非攻」
も同じです

 文学も 芸術も 哲学も宗教がその底辺にあります

 悪い噂は 経典や聖書からではなく
それを悪用する聖職者の堕落によるものなのです

 十字軍遠征も 保元の乱の発単も聖職者です
聖書にもコーランにも仏教にも
無垢の庶民を武器を持って襲えとは書いてありません

 宗教は本来 人間のためにあったのです

 化学万能と言う言葉は
化学を知る者には 死言です

エセ宗教が  占いや 霊等が 宗教に無知な
人達を 騙しています

内村鑑三は
 経済の背後に政治がある 政治の背後に社会がある 
社会の背後に道徳がある 道徳の背後に宗教がある
と述べています

無宗教は
思考が 好き嫌い 損徳 での判断となります
理性 道徳 妥当性 論理的 義 が行動の基本とするために
宗教は絶対必要と思います

今の世間
初詣は神社 結婚式は教会 葬式は仏教
クリスマスのバカ騒ぎ
無宗教の奴等の そのだらしなさは あきれる
今の日本社会を見て 内村鑑三は嘆いている事でしょう

 宗教により人は幸せにもなるし 不幸にもなります
国家が滅びる時もあるし 繁栄もするのです

 これほど大事な宗教を 
正しく教えるはずの 聖職者 坊主は
宗教の事など語らず 金儲けの道具にしています
そのため 誰も正しい宗教が分からないのです
だから 原始主教のような
占い 霊 お告げ お払い 等の単純な宗教に
エセ宗教に カルトに騙されるのです

余計な事かもしれませんが
人間は宗教なしでは 正しく生きられない事は確かです
 トルストイは人間は宗教なしでは生きられない理由を
第一に 宗教のみが善悪の決定を与えるからだ
第二に 宗教なしでは人間は自分のしていることが善いか悪いかを
     知ることが決してできないからである
第三に ただ宗教のみが利己主義をほろぼすからである
第四に 宗教のみが死の恐怖を打ち消すからである
第五に 宗教のみが人間に生の意義を与えるからである
第六に 宗教のみが人間の平等を樹立するからである
と言っています

しかし 他力の信心 は論外ですが

長くなりそうなので 終わります




http://sannkuto66.3zoku.com/newpage35.html
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キリスト教系の大学出身です。

まわりには数多くのクリスチャンがいましたが、強い人でしたね。

絶対的な英知を持つもの(Supreme Intelligence )の存在を認め、自分が弱いことを悟るのも信仰だと思います。
これは、「神様にすがればなんとかなる」という安易な考え方ではないことを、彼らから学びました。

神様から与えられている運命に感謝して、その運命の中で人生を切り開く。
これは、弱い人には出来ません。
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予め、弱い人、強い人、という人がいる


という思い込みがある。

強い面と弱い面がどこでどう出るか。
そういう事。

問題によって変化するものでも
あるのが人の内面の複雑さ。

不治の病に際したとき、輸血は禁止という信仰があるけれど
病を受け入れようとして、傷付けあい揺れながら、
神に頼り寿命を待つのは強い人か、弱い人か。
信仰を捨ててしまい、命を救おうとするのは強い人か、弱い人か。


信仰か人間どちらが一番になるか、
常に強い人、弱い人はいない。
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神の存在を認めていてそれに頼っている=強いという感覚は全くないです。


「溺れる者は藁をも掴む」と言いますが、その藁が信仰ですから、そういうことにすらすがらないといけない位弱いのかも知れません。
ただ信仰心といっても非常に幅広いので、例えば毎年欠かさず初詣に行く人は信仰心はあるのでしょうけど、強い弱いという観点では語れないと思います。
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この回答へのお礼

locatonbi様
いつも ありがとうございます。

信仰と『藁』は 別物だと思います。

でなければ 厳しい迫害や反対に立ち向かえません。
命をかけることも出来ないと思います。

毎年欠かさず 初詣に行く人は 信仰心というより
一年の節目を迎えることが 習慣になっているだけだと思います。
その日がたまたま 大雨だったら 行くでしょうか。

お礼日時:2018/01/11 12:50

信仰と精神的にタフか脆弱かというのは、直接関係ないですね。



日本人は信仰というものが、あまり日常的なものではないので、ピンと来ないかもしれません。
イスラムの人や、敬虔なキリスト教徒の方などは、信仰と日常は切り離すことができないものになっています。
信仰は「生きる規範」だからです。

日常ですから強いも弱いもありませんし、通常は(普通の考え方では)強弱をもって信仰心の表れとはしないものです。
過激な信仰心を持つ人たちが、戦禍を拡大していっているのを見ても理解できるとおりです。
普通の人たちは、そのようなことで信仰を持ち出すことはないものです。

そういった意味で言うと、日本人はかなり特殊なケースといえます。
新興宗教が雨後の筍のごとく増えるのも、それに夢中になるのも、信仰心を「競い合う」という、日本人独自の考えが後押しをしていると思われます。

神様(預言者でもいいのですが)に頼るということを「精神的に弱いからだ」という解釈をするのは、日本人くらいでしょうね。
まずはもっと前…日本人と宗教とは?というところから追及していってみてください。
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この回答へのお礼

おっしゃる通りだと思います。

信仰=精神的に弱い という解釈は 日本人独特ですね。

日本人には 国教がありません。

『神道』は 宗教というより 生活に根付いた 冠婚葬祭です。

『仏教』は インドの輸入教です。

お礼日時:2018/01/11 12:53

その人が強いか弱いかは別として、神の存在を認めて頼ると強い人になる意味がさっぱりわかりません。

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この回答へのお礼

『AAA』をお持ちなのに 『意味がわからない』とは

貴殿にとって 冠婚葬祭は ただの習慣で

クリスマス バレンタイン 花見 ゴールデンウィーク 七夕 お盆 花火 etc.

それらは ただの イベントに過ぎないのですね。

起源も 本来の目的も 関係ないのですね。

『神の存在を認める』ことが いかに 勇気や確信が必要なことか

強くなければ 認めることはできないと思います。

お礼日時:2018/01/11 12:59

強いとか弱いとかの問題じゃないと思います。


信じるものは人それぞれですが、誰でも何かの指標を生きる上で必要としており、それが宗教であるか、金銭であるか、自分なりの信条であるか、の違いだと思います。
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