限定しりとり

1. おのれの生をいとなむについて純粋なる勤勉をこころざし その意味で
禁欲主義をまもり 勤勉によって得た資産をその純粋なる自己増殖にゆだねる。
みづからもそのモノ(≒おカネ)としての運動に身と心とをゆだね これを継
続する。
――これを 拝金主義ないし資本主義的ガリ勉とよぶこととします。

2. ことしは100だった資産をあくる年には 110とする。そしてその
得た10についても 《純粋に》その増殖にまわす。拡大再生産だ。
――これが 自己増殖なる路線であり 禁欲主義的ガリ勉であるとします。



3. 中世の修道院では 純粋に祈り働けの方針で生きるのであり その意味
で禁欲主義をまもります。ただし労働は 自給自足の生活におけるようなかた
ちです。

4. このいわゆる聖域における禁欲的勤勉を もしいわゆる世俗の領域にも
持って来たとしたら どうなるか? 資本主義的に徹底した勤勉志向になるの
だろうか?

5. つまりもし モノ≒おカネの拡大再生産の方式にわが身もわが心をもゆ
だねその物象化した人生を送るとすれば 禁欲することは すでにその方式を
形成しているように あくまでも再投資のよる増殖というかたちを採る。
――これは まさにマモンの神に仕えるかのような拝金主義的行動となる。か?

6. つまり 禁欲すると 〔われわれ日本人の一部分の見方を成すと思われ
るように〕世間からは強欲だと見られることになる。か?



7. 当の拝金主義者は 《祈り働け》なる神のしもべとしての生活をこの世
間の中で 《純粋に》問い求め追い求めた結果 そのみづからがあると思って
いる。らしい。たぶん。
――欲望を捨てた結果が 強欲に成る!?

8. 世間を思いやり世間のことにもその心を振り向けたまえ――つまり 隣
り人への愛を おまえさんは忘れたのか?――との誹りをもものともせず 何
ものかへの愛につきすすむ。

9. その愛には 世間への愛もふくまれるし その愛によってこそ世間の生
活は うるおうのだとの言い分を持っているのかも知れない。

10. なぜなら直接に隣り人に対して贈り物や大盤振る舞いをこそしないけ
れど――つまり 利得はほとんどを独り占めだけれど それは純粋な資本の増
殖ゆえらしく―― その代わり(?) 世間への寄付は膨大な額をおこなって
いるのだから。と。



11. 何がどうであって どこがどう成っているのだろう?

12. 日本の資本家的市民は これとは違うだろうか? 法人なる組織を成
す会社等の拡大再生産はあっても 個人としての自己増殖は ない・・・だろ
うか?


☆ 自由なご見解をうけたまわりたく。

A 回答 (2件)

昔は、同等の使用価値のあるものを、物々交換していました。


交換=分業が盛んになるにつれて、金や銀、希少な貝など、
価値があって携帯に便利な物が、貨幣的な役割をしました。
それが役所などの信用による手形=紙幣になりました。

人々は、ただの紙切れに価値を感じるようになり、お金を
集める事が生きる目的になりました(拝金主義)。
それによって、本来、助け合うために集まっている社会が、
お金を奪い合うために競合する弱肉強食のジャングルと
なったのです‥‥実質的には助け合いながら。
生きる満足=助け合う大きな喜びに充ちたはずの社会は、
一部の勝者の個人的な小さな満足に萎縮してしまっている。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 昔は、同等の使用価値のあるものを、物々交換していました。
☆ それは 《起源》ではないのでは?

誰かが おそらく隣りの共同体の長(をさ)に 和平のためか下心
があってか 《贈り物》をした。

やがて その互酬性なるナラハシが出来て行った。

それに 物々交換というのは その出来事が重なって行くにつれ 
互いの主観のあいだに 細かいことは言いっこなしで そのモノ
どうしの等価性が成立したのでしょう。

一般的に言ってそのときの価値は 使用価値も交換価値(つまり 
のちの価格)も ぜんぶ引っくるめてそのモノの値だったのでし
ょう。

ムラのヲサとしての誇りと体面も その値と等価性を決める要因
になったのでしょう。(それは むしろ 《交換価値》です)。
(持ち出しつまり損をしてでも その太っ腹を見せたかも)。



★ 交換=分業が盛んになるにつれて、金や銀、希少な貝など、
価値があって携帯に便利な物が、貨幣的な役割をしました。
それが役所などの信用による手形=紙幣になりました。
☆ 細かいことは言いませんが ひとつつけ添えたいことは 
贈り物にせよ物々交換にせよ そのような人びとの互いに人と
してのマジハリにおいて 信頼関係ないし信用が 成り立った
とということは 大きなことかと思われます。

仲が良いとか 仲間意識といった共同体成員の共同性も 並行
して出来て行きます。


もうひとつは やはり《等価性》が のちにおカネという第三
者的な物指しを発明し使うようになると いろいろ文句はあっ
てもとにかく《等価交換》であるということは 人びとの間に
大きく自由と平等なる民主制を意識させたものと見られます。

ですから おカネが紙幣になったところでは:
★ 人々は、ただの紙切れに価値を感じるようになり、
☆ というのは言い過ぎでしょう。というより 歴史的ないき
さつや《等価交換・つまりそこに潜在すると見られる自由のも
となる平等性》は 重要なことだと考えます。

等価性が おカネで保障されていないと 一たんモノを借りて
恩を感じ負い目を負ったときには あとでその恩人が何かを言
って来ても もう拒むことはできなくなり その貸し借りの等
価性を超えて あたかも奴隷のごとく永く仕えなければならな
くなります。

・・・

お礼日時:2018/01/25 14:25

金持ちお父さんと貧乏お父さん、ロバートキヨサキ読んだら?

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この回答へのお礼

あっ 読んでいません。そうなんですか。

ご回答をありがとうございます。


▲ amazon: 改訂版 金持ち父さん 貧乏父さん:アメリカの金持ちが教え
てくれるお金の哲学

△ (ピロリン:成功した人の自慢話? 書かれていることには,理想と
現実の乖離があるように思います。)
☆ この書評をわたしは 信頼します。

つまり 長所として次の三点を挙げている。:
△ ~~~~~~~~
第1にお金を生み出さない資産にお金を使うのは無駄という点。
第2にお金持ちになるという事を成功と考えるならば,成功するためには,
学校の成績で評価されない才能,努力が必要ということ。
第3に,才能ある人間から多くを学ぶこと,助けてもらうこと。そのた
にはお金を惜しまないこと。
~~~~~~~~~
☆ ということですが これらでは わざわざ読む必要はないと考えます。

そしてそれだけではなく 短所としては きちんとその問題点を説明して
いるからです。

その点を むしろ長所として挙げているほかのレヴューワーの見解から引
用してみます。:
▽ (正義の味方:二人の父さんを対比して正しいお金の知識を浮き彫り
にした本) ~~~~
・学校教育は、雇われる人を作るだけの所だ。

・学校で、お金を守る事を学んでいない為、働き続けることになる。

・雇われ人は、会社のオーナーの利益、国への税金、銀行への利息の為に
働いている。本人が貰うのは、残りかすだけだから、貧乏なのだ。

・不労所得で生活できて初めて、お金を自分の為に働かせたと言える。

・会社を作って、経費で節税せよ。

・会計、投資、市場、法律の知識の総和でお金を産み出せるが、知識のな
い人は、ただ働くだけしかできない。

・人は、損する事を恐れてばかりだから、損をする。
~~~~~~~~~~~~

☆ わたしには・つまりこの質問にとっては 答えになっておらず その
指摘じたいも くだらんと思います。見解の相違でしょうか。

お礼日時:2018/01/25 13:55

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