中学1年の男の子です 小さい時から 落ち着きの無い子供で中学生になった今でも
変わりません そこで 夏休みに禅寺修行に行かせようと思っています 三重県で修行させて頂ける所を探しています どなたかご存知ありませんでしょうか? 愛知 岐阜あたりでも結構です。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (1件)

下は禅宗系のお寺一覧です。



息子さんにさせようと思っていらっしゃる修行の中味がわかりませんが、「座禅会」に近いものから2泊3日程度の体験ツアー的なもの、あるいは一夏通すハードな物といろいろあると思いますので、お寺に直接、問い合わされたほうがいいかと思います。
自分のお寺でそのような催しをやっていなくても他のお寺をあっせんして下さるのではないでしょうか?

私個人は学生時代に鎌倉の有名なお寺で3泊4日の修行?を体験しましたが、コンビ二にも冷房にもどっぷり浸かっていなかった時代にも関わらず、とてもつらくて死にそうでした。朝は4時起きで本堂のお掃除、そして座禅、そして本物のかまどで炊くご飯作り、和尚さんの飼っている鳥の世話。そして昼間は正座しっぱなしの茶道の練習(大学が茶道部だったのでその関係で行ったわけです)今、思い出してもぞっとします(笑)いい経験ではありましたが。
友達は一人脱落して途中で下山しました!

参加の際はよーく息子さんと話し合うことをお勧めします。

参考URL:http://www.otera.net/zen.htm
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう御座います 何軒か問い合わせてみたいと思っています。

お礼日時:2001/07/18 21:51

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q雲水の修行としての禅問答。

落語の「蒟蒻問答」では、旅の僧がある寺を訪れて、その寺の住職に問答を挑みますが、
実際に修行のために諸国を旅して、禅問答をしていた僧も居たのでしょうか。
具体的な事例があれば教えて下さい。できれば禅問答の内容も。
何十年か前までは、単独行の雲水を偶に見ましたが、最近はとんと見かけません。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

若い頃の「盤珪(1622-1693)」などは条件に当てはまると思いますが、
具体的な問答となりますと…調査が捗りません(><)
・『日本仏家人名辞書/鷲尾順敬編/光融館/明治44再版』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2627882/266
<266/904>(65頁下段)
エータク 永琢 (※皇紀)2282-2353(※西暦1622-1693)
〔臨濟宗〕播磨龍門寺の開山なり、永琢字は盤珪、…
・『正眼国師盤珪大和尚/長井音次郎/政教社/大正15』
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983460/29
「第四 猛修行/
(一)行脚(二)疑團打解(三)崇福禪叢に詣る(四)陽明の徒と商量(五)再び道者元を訪ふ」
<29~43/182>(36~64頁)

あと、条件を別にしての具体的な問答でしたら、真偽を問われても困りますが(><)
某有名人が言い負かされた珍奇な下記問答など如何でしょう^^

(1)『日本仏家人名辞書/鷲尾順敬編/光融館/明治44再版』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2627882/643
<643/904>(814頁下段)
チューギ 忠義 (※皇紀)2086-2158(※西暦1426-1498)
〔眞言宗〕紀伊高野山明王院の學僧なり、忠義字は長泉房と云ふ、鄕貫詳ならす、
高野山に登り勝義阿闍梨に師事し、敏才を以て知らる、

一休宗純禪師の山に登るにあたりて問答す、
師山中の神社に詣し、印言黙祈す、傍に一客僧あり、大般若經函に踞す、
師拜して後告けて曰ふ、客僧の踞するものは大般若經の函なり、と、
客僧平然として曰ふ、大般若經の上に大般若經を置く何の妨かあらん、と、
師即ち客僧の膝の上に踞す、客僧痛に堪へずして師を排せんとす、
師曰ふ、大般若經の上に大般若經を置き、尚ほ其上に大般若經を置く、何の妨かあらん、と、
敏才常に此類なり、客僧は即ち一休宗純禪師なり、…(中略)…(高野春秋)

肝心の『高野春秋』(※『高野春秋編年輯録/春潮房懐英』)はWEB上では見つかりませんが、

(2)『紀伊続風土記』にも関連記述があります。
・『紀伊続風土記. 第4輯 高野山部 上/仁井田好古等編/帝国地方行政会出版部/
明治44.12.25増訂再版』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765520/396
<396/472>(778頁上・下段) 巻三十六 高僧行状之部巻之三 浄慧
明王院忠義伝附重義 …一休禪師問答數回…
(※以降の記述は前記(1)と同じ流れも別問答ですが漢文ゆえ珍粉漢粉(><)
でも、幸い下記(3)では(1)(2)の問答が一つに纏められています^^

(3)『宗教大観/伊賀駒吉郎/樟蔭女子専門学校出版部/昭和10』
第四章 各宗槪論/第十一節 禪問答
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1224278/126
<126/359>(230頁9行目~231頁12行目)

以上 疑問解消には程遠いかもしれませんが、御参考まで^^

若い頃の「盤珪(1622-1693)」などは条件に当てはまると思いますが、
具体的な問答となりますと…調査が捗りません(><)
・『日本仏家人名辞書/鷲尾順敬編/光融館/明治44再版』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2627882/266
<266/904>(65頁下段)
エータク 永琢 (※皇紀)2282-2353(※西暦1622-1693)
〔臨濟宗〕播磨龍門寺の開山なり、永琢字は盤珪、…
・『正眼国師盤珪大和尚/長井音次郎/政教社/大正15』
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983460/29
「第四 猛修行/
(一)行脚(二)疑團打解(三)崇...続きを読む

Q百々ヶ峰(岐阜県岐阜市)の山頂にある板について

岐阜県岐阜市に百々ヶ峰という山があります。
比較的市街地に近いところにあり、登山客もぼちぼち登っている417.9mの小さな山です。
住所は岐阜市雄総というところになります。

市街地からこの百々ヶ峰を見上げると、山頂に大きな白い板が見えます。
板は2枚が向かい合っているようにも見えます。

この板は何のために立っているのでしょうか?
ある程度調べてみたのですが、中部電力の施設なのではないかということは分かりました。
御存知の方がいらっしゃれば、回答宜しく御願い致します。

Aベストアンサー

中部電力から以下のとおり回答が来ました。

お問い合わせいただきました、百々ヶ峰山頂付近の弊社反射板について
ですが、岐阜市と関市にある弊社事業所間のマイクロ波通信に使用して
おります。マイクロ波通信は、災害時の連絡や設備の運転等の通信に利
用しています。

とのことです。
そういえば関市は山の反対側ですね。

(質問にお答えいただいた中部電力の方に、この場をお借りして感謝を申し上げます。)

Q禅の修行が出来るところ

 釈迦の哲学に共感して、座禅を組んだりしています。家で一人でやっているのですが、それでも結構色々なことに気付けて面白いです。
 一度、禅宗の寺に行って座禅を組んでみたいのですが、どこの寺にいくか迷っています。

 オススメがあったら教えて下さい。
 自宅は神奈川県です。

Aベストアンサー

誰の指南も受けずに独学で坐禅(座禅)を習得されたとはすごい!
きっと質問者様には「良いもの」を見つけ出したり、それらからなにがしかの「良い点」を吸収しようとする「意欲」と「謙虚さ」そして「センス」がおありなのだと思います。
よろしければ、どんなことに気づかれたか、教えて下さいね。

さて、神奈川県と言えば・・・曹洞宗の本山である総持寺(横浜市鶴見区)という声が上がりましたが、
私だったら、真っ先に、北鎌倉の円覚寺(臨済宗円覚寺派本山、鎌倉五山の第二位)を挙げます。
ここの坐禅道場は、古くから多くの文化人はじめ社会各層の人々に親しまれ、私の父、そして私も通いました。
私は土日一拍のコースに行きました。到着後、先ず僧侶による面接があり、坐禅に来た目的を聞かれました。隣の人は、「自分の根性を叩きなおすために、坐禅『でも』やってみようかと思いました。」と答え、「『・・・でも』とは何だ!そんな生半可なものではない!」と怒られていました。少し高圧的だなと思いましたが、なるほど、一泊二日の寺の修行はそう生半可なものではないな、と実感しました。内容は、1回30分ほど×何回にも亘る坐禅、そして、作務(庭のそうじなどの作業)や粗末な食事・・・くらいしか覚えていませんが、禅の修行(悟りへの道)のためには、他に「公案」(禅宗において修行者が悟りを開くための課題として与えられる問題に対し、僧侶に回答すること、いわゆる禅問答)などの修行があり、大変興味深いものがあります。
http://www.engakuji.or.jp/about/ を見れば、色んな日程、内容の坐禅会の案内が見られますので、是非一度トライして下さい。


尚、禅宗には、臨済宗、曹洞宗の2つの大きな流れがあり、その他に黄檗宗などもあります。
又、鎌倉はまさに禅宗の発祥地であり、中でも前出の鎌倉五山(5つの寺)は有名です。
以上に挙げたキーワードで検索すれば、沢山の情報に出会えますので、調べてみて下さい。

誰の指南も受けずに独学で坐禅(座禅)を習得されたとはすごい!
きっと質問者様には「良いもの」を見つけ出したり、それらからなにがしかの「良い点」を吸収しようとする「意欲」と「謙虚さ」そして「センス」がおありなのだと思います。
よろしければ、どんなことに気づかれたか、教えて下さいね。

さて、神奈川県と言えば・・・曹洞宗の本山である総持寺(横浜市鶴見区)という声が上がりましたが、
私だったら、真っ先に、北鎌倉の円覚寺(臨済宗円覚寺派本山、鎌倉五山の第二位)を挙げます。
ここの坐禅道...続きを読む

Q仙台に定禅寺はあったのでしょうか?

仙台の広瀬通りは広瀬川に通じる通りです。定禅寺通りは、定禅寺に通じているのかと思ったのですが、現在はありません。昔、仙台に定禅寺はあったのでしょうか?また、どうしてなくなってしまったのでしょうか?
拙者は、仙台に越して着て2ヵ月半のホヤホヤの仙台市民です。

Aベストアンサー

上手くまとめることが出来ないので下記サイトからそのまま引用します。

「仙台開府のときに、伊達政宗は鬼門、現在の勾当台公園のところに、京都から誘致した定禅寺 をおきました。真言宗のお寺です。
定禅寺通りは、門前町として栄えました。
定禅寺は、寛永5年(1708)1月の大火で寺が焼け、いったん復興はしましたが、明治に入り仙台藩からの保護を失うや、経営難になりました。その後、県庁前の広場に陸軍の病院「仙台鎮台病院」がたつことになり、明治6年に廃寺となりました。

定禅寺の名残りに戦前は樹齢200年の吉野桜がありましたが、戦災でなくなりました。
仙台は『杜の都』といいます。ところが、まずこの杜の都』は定禅寺通りや青葉通りのけやき並木だと思っているようですが、本当は旧伊達藩士屋敷の屋敷林や寺や神社の社寺林の緑を大正あたりからそう表現したもののようです。
 屋敷林は太平洋戦争で焼けてしまいました。その戦災復興のために、営林署から今のとちのき公園にあるとちのきをもらって植えるはずだったものが、生育の遅れていたけやきをもらって昭和30年ころに植えたものです:青葉通りは昭和26年。定禅寺通りは昭和33年)。
仙台でたったひとつの道路公園でもあります。


http://cache.yahoofs.jp/search/cache?u=www.d1.dion.ne.jp/%7Efami/kyuu1.html&w=%22%E5%AE%9A+%E7%A6%85%E5%AF%BA%22+%E7%94%B1%E6%9D%A5&d=94C23553D0&ou=%2fbin%2fquery%3fp%3d%25c4%25ea%25c1%25b5%25bb%25fb%2b%25cd%25b3%25cd%25e8%25a1%25d7%26fr%3dtop%252c%2btop

上手くまとめることが出来ないので下記サイトからそのまま引用します。

「仙台開府のときに、伊達政宗は鬼門、現在の勾当台公園のところに、京都から誘致した定禅寺 をおきました。真言宗のお寺です。
定禅寺通りは、門前町として栄えました。
定禅寺は、寛永5年(1708)1月の大火で寺が焼け、いったん復興はしましたが、明治に入り仙台藩からの保護を失うや、経営難になりました。その後、県庁前の広場に陸軍の病院「仙台鎮台病院」がたつことになり、明治6年に廃寺となりました。

定禅寺の名残り...続きを読む

Q禅での「悟り」と「智慧」

私は今、禅について学んでいるのでが、
「悟り」と「智慧」の違いが分かりません。。
「悟り」(般若)というのは、勿論言葉では表せないものだと書いてありましたが、あえて言葉に表せば、自分自身が「空」であるといった自分の本質を知り全ての「苦」から解き放たれるもの というように解釈しています。
ですが、「智慧」も基本的には「空」である認識?で同じような意味なのではないでしょうか?

後道元禅師の事について記述されているページに

「悟りを背にして、仏の光に照らされて修行すること、「修証一等」「本証妙修」といわれる。修行して仏になるのではなく、悟りを背にして、仏の光に照らされて修行するのである。したがって、その修行は、すでに仏であることに気づかされた本証の上の修行ということになる。」

とありました。

しかし、悟りを背にするとはどういうことなんでしょうか?
自らが仏である、という概念は分かるのですが、それに気づいたのなら何故修行する必要があるんでしょうか?。。(道元はそれを探しに中国まで行ったという話は読んだことがあるのですが、未だに理解出来ません。。)


参考「禅の入門 禅 滴」愛知学院大学 禅研究所
http://zenken.aichi-gakuin.ac.jp/word/text/12.html

私は今、禅について学んでいるのでが、
「悟り」と「智慧」の違いが分かりません。。
「悟り」(般若)というのは、勿論言葉では表せないものだと書いてありましたが、あえて言葉に表せば、自分自身が「空」であるといった自分の本質を知り全ての「苦」から解き放たれるもの というように解釈しています。
ですが、「智慧」も基本的には「空」である認識?で同じような意味なのではないでしょうか?

後道元禅師の事について記述されているページに

「悟りを背にして、仏の光に照らされて修行すること、...続きを読む

Aベストアンサー

悟りを開くと言う事を分かりやすく述べるなら、分離脳の研究をしたスペリー博士の研究成果を述べてからが分かりやすいと思いますので、先ずそのその要点を書いてみます。

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。この研究は、左右の大脳半球の機能分化の理解に大きくに寄与した。。この研究は、左右の大脳半球の機能分化の理解に大きくに寄与した。

この中で特に注目をしたい事は、「二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。」と言う処です。つまり人間には二つの意識が存在しているという事になります。

そうしてその二つの意識には能力の違いが在ると言う事です。左脳は分別脳です、物事を分けて見る、或いは物事を計算してゆく処に在ります。そうして左脳に自我意識が在ります。従って自我意識は有限の世界しか理解出来ない、そうして、永遠とか無限の世界は理解出来ないという事になります。何故ならば割り切れない事の総称を「永遠或いは無限」と言う名をつけてあるからです。

人生苦、或いは心の病を「心の矛盾」と言う風に置き換えても言いすぎにはならないと思います。その先駆けがお釈迦様です。そうして心の矛盾を解消されました。是が「悟り」です。是は左脳の意識と右脳の意識が出会ったという意味が在ります。

右脳は無意識界を統制しています。無意識にも意識が在ります。右脳の意識を仏性と言います。是は誰にもあるものです、何故ならば右脳の無い人は皆無と言っても良いからです。仏性の役割は分別できないもので成り立っています。つまり「永遠」と言う事が理解できるという事になります。

従って「死の恐怖」と言うものを言葉にするなら、自我意識は恐怖に襲われます。是は心の矛盾ですから、怖くないと言っている者がいる事になります。是が仏性です。肉体の死が全てと思っている自我意識に、「永遠のものが既に存在している」と言う事を仏性が教えようとしています。是が心の矛盾の正体です。是が死の恐怖の正体です。

見性する事によって、恐怖の実態が分かります。是が悟りと言うものです。生死の問題が解決したという事になります。絶対の安心を得ると言う事です。この心持が涅槃と言う事になります。

人間は仏性によって正常な生活が営まれています。仏性と仲たがいをしてい事が「心の病」と言う事です。「一切皆苦」と言う事になっているからです。自我意識が自我意識だけで苦しんでいる事が「心の病」の正体です。仏性は分かり難い姿をしています。自我意識と交代する処は、真に巧妙に出来ていて分かりにくくなっているからです。

自我意識と仏性が交代する瞬間は雷よりも短い時間かも知れません。意識が生まれる瞬間の事です。その時をつかむ事が悟りを開くときです。自分が何者かを知る時です。自分自身を知ると言う事は大変に難しいです。

悟りを開くと言う事を分かりやすく述べるなら、分離脳の研究をしたスペリー博士の研究成果を述べてからが分かりやすいと思いますので、先ずそのその要点を書いてみます。

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片...続きを読む

Q私がボクサーになれなかった理由日本列島武者修行の旅

中学校3年15歳の時、ボクサーというのも結構いいなぁと思い、自分の戦闘能力はいかほどか確かめるため、そして不足分の戦闘力をアップするため、九州から東京、横浜までの主要都市の中学校に道場破りを致しました。戦績は申し分なかったのですが、結局私はボクサーにはなれませんでした。一体何が悪かったのでしょうか。誹謗中傷のみを目的とする回答は、ご遠慮ください。

Aベストアンサー

途中で辞めたから・・
つまりボクサーになるまで続けなかったから。

それだけでしょう。

Q禅について

禅というのが昔からあると思うのですが
あれは正座をしてただ座っているだけなのでしょうか?
心を無心にするのが修行なのでしょうか?

禅について詳しい事を知っている人がいましたら、
簡単に説明をお願いします。

Aベストアンサー

禅は禅宗という宗教です。
>あれは正座をしてただ座っているだけなのでしょうか?
 坐禅ですね。正座ではなくあぐらに近い(結跏趺坐といい、仏像などと同じ足の組み方です。)です。ちなみに立禅というのもあるそうです。

 坐禅は代表的な修行の方法であり、瞑想です(瞑想ではないと言う方もいるそうですが・・)。

 最終的な目標は「悟りを得る」事のようですが、坐禅する事により、さまざまな思いやわだかまり(色)から開放される事を目指すようです。

また坐禅では呼吸が大切であり、ヨガの呼吸法と同じなので、肉体的な効果というのもあるそうです。

玄侑宗久さんの「実践!元気禅のすすめ」という本をお勧めします。 宗教色がなく、フロイトやユングを引用したり、大脳生理学を引用した説明で宗教に興味がなくても判りやすかったです。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4796642811/qid%3D1107964847/250-2857296-0069829

Qお坊さんの修行(托鉢?)

 時々、お坊さんが10人くらいで『おーーぅい』とだけ言いながら小走り、時には立ち止まり、家に向かって『おーぅい』と言っているのを見かけます。というか早朝なので起こされるんです。
 初めて見たときは雨の日で笠もマント(?合羽?)も真黒だったので、ものすごく恐かったのですが、ちょくちょく見かけるので『これは修行なんだ』と思いました。
 それにしても私の知ってる托鉢とは随分違います。この人たち、一体何をしているのですか?今日なんて朝から3度も家の横を大声で走り、何なのか知らないと正直苛々してしまいます。

Aベストアンサー

 私の住んでいる京都には,臨済宗の本山がいくつもあり,それぞれ僧堂と呼ばれる修行道場があります。その僧堂で修行している雲水さんが「お~~ぅい」と言いながら托鉢されている姿を良く見かけます。
 妙心僧堂・相国僧堂・大徳僧堂・建仁僧堂・東福僧堂・南禅僧堂・天龍僧堂と6つも僧堂(いずれも臨済宗)がありますから,入れ替わり立ち代わり雲水さんがやってくることも珍しくありません。
 首から下げておられる頭陀袋に「○○僧堂」と書かれています。
 「あれ?さっき来たのに,また来てるぞ。」と思って見たら,最初は○○僧堂の雲水さんで,今度は別の僧堂の雲水さんだったということは良くあります。

 宗派によって托鉢のやり方は違うのだと思いますが,質問者の方が見られた托鉢は,臨済宗の雲水さんの托鉢だと思います。

Q念仏と禅はくっつくのでしょうか?

ある本を読んでいたところ「念仏禅」という言葉を見つけました。
内容はあまり書いてなくて、ある時期、念仏と禅は同時に修行されていたということらしいのですが…。
念仏と禅というのは性格が正反対だと思っていたのですが、そんなことが本当にあったのかどうか、疑問と興味が湧きました。
この事についていろいろと知りたいと思いますので、詳細をご存知の方、情報をお持ちの方、どうぞよろしく教えて下さい。
(申し訳ありませんが、お礼はどうしても遅くなりますのでご了承ください。)

Aベストアンサー

念仏禅というのは実際に行じられています。ただ、言葉のうえから想像されるような単純なドッキングではありませんので、少々説明が必要です。

そもそも、念仏というのは「南無阿弥陀仏」と名号を口に唱えることだけではありません。本来は「観想念仏」、つまり「仏の姿を思い浮かべること」が狭義の念仏の意味です。「仏様の姿を念じる」わけですね。
平安時代の阿弥陀進行の盛んな頃、三昧講などと呼ばれる講組織が発達したのですが、メンバーが病になり重体になると阿弥陀堂などに移し、講員が見守るなかしきりに病人に仏の姿を念じさせ、さかんに周囲から「どうだ、(仏の姿が)見えるか」などと励ました、などという記録が各地に残っています。

一方で念仏を広く捉えると、身口意(しんくい)の三業(さんごう)念仏などといって、体で仏を礼拝し、口で名号を唱え、心にその姿を念じる、という全てが念仏だと位置付けられます。現在の念仏は法然、親鸞らの影響下にあって、特に口称(くしょう)念仏などと呼ぶのですが、名号を唱えることが全ての念仏行を包摂する、という立場から口業だけを専一に行うことになっているものです。

そもそもの「念仏」が「仏の姿を思い描く」ことだとすると、これは精神の統一が多分に必要ですから、いわば瞑想状態にもなって、かなり坐禅と親和性が高くなることは理解できるでしょう。黄檗宗で実際に行じられているご質問の念仏禅というのは、その意味で割と違和感なく融合していると言っていいでしょう。

ただもちろん、禅宗と位置付けられるなかでの行ですから、軸足は無論、禅のほうにあります。中国では中峰明本和尚が「禅は浄土の禅、浄土は禅の浄土」という表現をしたように、あくまでも禅を基盤にして、六字の名号の中にも禅があるとするものです。
念仏公案禅などとも言いますが、いわば名号を公案のごとく扱うことで悟道を得ようとする、と言えばいいでしょうか。

その際の浄土、阿弥陀仏の捉え方は「唯心の浄土、己身の弥陀」とよく説明されます。
前半部分は、唯心と呼ばれる個人の妄想なき仏心というのは、それぞれの肉体にあるものだけでなく宇宙に遍満しているので、極楽世界でもこの娑婆世界にもあるものだ、と考えるわけです。
また後半の方は、自性の阿弥陀仏を信じれば、三世に遍満する阿弥陀仏は自覚によって自身のなかに応化して出現し得る、ということを指します。
このような(やや抽象的な)阿弥陀信仰が禅を通じて体得されることを目指すのがその目標とするところですね。

黄檗宗(江戸時代)は、先行する臨済宗、曹洞宗とはかなり性格が異なります。それは導入した当時の中国(明)における禅の気風が反映されているためです。

念仏禅が生まれた歴史的な背景は詳述しませんが、いろいろな理由があると思います。
ごく荒っぽく言えば、およそ4世紀強ほどの間に念仏禅が中国で支配的になったのは、禅の庶民化のための必然的なプロセス(悪く言えば修行の脱落者救済的な意味合い)でもあったでしょうし、悟りを強調するあまりむしろ外道に近づいてしまいがちな禅の先鋭化に対するカウンタームーブメントであった、という評価もできるでしょう。

念仏禅というのは実際に行じられています。ただ、言葉のうえから想像されるような単純なドッキングではありませんので、少々説明が必要です。

そもそも、念仏というのは「南無阿弥陀仏」と名号を口に唱えることだけではありません。本来は「観想念仏」、つまり「仏の姿を思い浮かべること」が狭義の念仏の意味です。「仏様の姿を念じる」わけですね。
平安時代の阿弥陀進行の盛んな頃、三昧講などと呼ばれる講組織が発達したのですが、メンバーが病になり重体になると阿弥陀堂などに移し、講員が見守るなかし...続きを読む

Q浄土真宗の修行等について

仏の道に進もうとは考えておりません。浄土真宗に興味があり質問します。

浄土真宗は在家仏教と聞きます。
多くの最近の僧侶になる人が進むであろう仏教大学に入学してから、住職になるまでのおおまかなスケジュールを教えてください。(これ歳くらいで「副住職」とか一般的な例でいいです)
どの段階でどのようにして得度をうけるのでしょうか?
一度だけ剃髪するのですか?それとも頭にかみそりを当てるだけなのですか?
浄土真宗には修行という概念もないのかもしれませんが、お寺に入って最初のうちは何をするのでしょうか?
また、大学にいかない場合どのように浄土真宗の僧侶になるのでしょうか?

他宗派とのちょっとした比較も含め回答していただけますとありがたいです。
そのほか僧侶の立場での他宗派との大きな違いを教えてください。

Aベストアンサー

不良坊主(というか実家が忙しいときだけ手伝っている身分)なのであまり専門的なことは申せませんが。

僧侶になるには得度が必要です。
大学等は一切関係ありません。
浄土真宗では開祖の親鸞上人が9歳で得度したことから、9歳から得度できます。

私自身は大学1年生の時に得度しました(薬学部でした(笑))その時の同期には、小学生からお年を召された方、外国の方まで様々でしたよ。
剃髪については本山によって異なります。
浄土真宗には10派あり、それぞれに本山があります。私の場合は頭にかみそりを当てるだけでした。

生活については実家がお寺というだけでごく普通に成長しましたし、学生時代は仏教にあまり興味がありませんでしたので薬学部に進学しましたし…。お経の練習や内容、教義などは父親や本山での研修そして独学です。

住職に関しても本山によって異なると思いますが、うちの場合は住職試験?を受けるには最低教師(学校の先生でなく僧侶の学力?学位みたいなもの)の資格をもっている必要があります。
考査と研修によって得られるのですが、ここで仏教系の大学(多くはその本山の関連大学)を卒業していると考査が免除されます。
私は、大学在学中に通信過程を終了し考査免除で教師を取りました。

まあ私の場合こんな感じですね。

不良坊主(というか実家が忙しいときだけ手伝っている身分)なのであまり専門的なことは申せませんが。

僧侶になるには得度が必要です。
大学等は一切関係ありません。
浄土真宗では開祖の親鸞上人が9歳で得度したことから、9歳から得度できます。

私自身は大学1年生の時に得度しました(薬学部でした(笑))その時の同期には、小学生からお年を召された方、外国の方まで様々でしたよ。
剃髪については本山によって異なります。
浄土真宗には10派あり、それぞれに本山があります。私の場合は頭にかみそ...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報