No.3ベストアンサー
- 回答日時:
#2です。
補足がありましたので回答します。私自身は門徒ではありませんので正確なことはいえませんので、ご了解ください。
法然上人も親鸞聖人も「聖典をどのようにあつかうのか」についての話はないでしょう。だって形式を極力排除し、阿弥陀仏にひたすら帰依するというのが浄土宗、浄土真宗の信仰の基本だと思うんですね。
観想念仏の場合、目を閉じるようにとの記述が経典の中に書かれています。しかし称名念仏の場合、目を閉じよとも開けよとも経典の中には記載はありません。真心がこもっていれば、目をあけるあけないというのはどちらでも良いと思いますよ。
でも、このあたりはお寺さんに聞かれるのが一番でしょう。
No.2
- 回答日時:
はじめまして
念仏は誰が始めたかとのご質問ですね。
念仏というのは私たちは、「南無阿弥陀仏」と唱えるという意味にとらえがちですよね。
でも本来、念仏というのは「仏」を「念じる」ことなのです。仏を念じるということは、心の中で仏を念じる(観想念仏)もあれば、口にだして唱える(称名念仏)もあるのです。
念仏が具体的に書かれているのは、無量寿経でしょうか、この経典はインドで成立しているのですが、「阿弥陀仏の名号を聞信し喜び、心から念ずれば往生が定まると説かれ」ています。また「たった一度でも名を称えれば、功徳を身に供える事ができる」とも書かれています。
ですから、中国に伝わる前にインドにおいても「南無阿弥陀仏」と発声していた例があったのでしょう。もっとも発音は「なむあみだぶつ」ではなく「ナーモ・アミターユス」(サンスクリット語)と言っていたのでしょうけれどね。中国においてはその称名念仏を教義的に確立したのはNo1のノムリンさんのおっしゃるとおり、中国の「善導」です。
では日本では称名念仏をはじめたのは誰か、実はこれもはっきりしていません。末法思想が流行する平安時代末期には念仏は観想念仏よりも称名念仏が主流となっていたようです。だって仏や極楽浄土の景色を想像する観想念仏に比較して、称名念仏ならいつでもどこでもすることができるからです。
この称名念仏を教義的に裏付けをして確立したのは、No1さんのおっしゃるとおり浄土宗の開祖、法然です。
なにかご質問があれば私の知っている範囲でお答えしますよ。

No.1
- 回答日時:
中国の僧「善導」
日本では、浄土宗の開祖「法然」。
参考まで(Wikiより)。
善導は、「南無」の二字と「阿弥陀仏」の四字、合わせて六字に関する釈義(六字釈)で明らかにしている。善導の書を見た浄土宗の開祖法然は南無阿弥陀仏と称え阿弥陀仏に「どうか、私を救って下さいと」願う事で「阿弥陀仏に極楽浄土へ導かれる」と説いたが、法然の弟子であった親鸞は、これから「南無阿弥陀仏」は衆生が浄土に往生する因であるから、名号のいわれである「まかせなさい。必ず救うぞという仏の呼び声」を聞信すべきであるという、師法然の解釈に付け加えた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E7%84%A1 …
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お二方返信ありがとうございます
お言葉に甘えて聞きたいことを書きます
日常勤行聖典を開く前に顔あたりの前にかざすと聞いたのですが、読経が終わって聖典を閉じる前にも顔あたりの前にかざすのですか?
頭の中でするお念仏は目を閉じてしてもいいのでしょうか
よろしくお願いします