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私は現在、西国巡礼をしています。
私は真言宗を信仰しているので、朝夕のお勤めのときには「南無大師遍照金剛」と唱えています。
ですが、西国巡礼の際には他の宗派の寺院にも行くことがあり、様々な「南無~」に出逢います。また、真言宗の寺院でも、観世音菩薩を本尊としているところでは、「南無大慈大悲観世音菩薩」と唱えるなど、日本の仏教は懐が広いなぁと思いました。
そこで質問なのですが、仏教で帰依を意味する「南無~」って何種類くらいあるのでしょうか?
例えば、
浄土宗、浄土真宗=「南無阿弥陀仏」(念仏)
日蓮宗、創価学会=「南無妙法蓮華経」(題目)
真如苑=「南無真如一如大般涅槃経」
など、「私の宗派では南無~だよ。」っていうのがあれば教えてください。

A 回答 (5件)

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歎佛会法式というお経の本から、数えてみると、佛名は(南無OO佛という名前のこと)53佛+35佛+1佛で、89佛書いてありました。



この経典によると、過去千佛、現在千佛、未来千佛と3千あると書いてありました。


宗派でということでなく、仏教の南無は、無限大という意味でしょう。

自力本願思想でいくと、自分自身が悟り仏に成れる訳ですからね。

よって無限と思われます。

釈迦は、そんなものにこだわりを持つ宗教を邪教といってヒンズー教から変わった訳ですから。。。
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 「南無」はサンスクリットのnamas・mamo・namahに相当する言葉を漢字に音写したもので、「納莫」と音写する場合もあります。

また発音も「なむ」以外に「なも」「のうまく」ともします。これらはいずれも“帰依する”という意味なので、「帰命」「帰命頂来」と漢訳されます。
 ですから「南無○○」というのは帰依する、礼拝する尊格に対して冠する言葉ですから、本来は特定の宗派に限定されるものでもなく、また礼拝する対象の数だけ存在するのです。
「南無釈迦牟尼仏」(釈迦如来に帰依する)
「南無薬師瑠璃光仏」(薬師如来に帰依する)
「南無阿弥陀仏」(阿弥陀如来に帰依する)
「南無摩訶毘盧遮那仏」(大日如来に帰依する)
「南無地蔵菩薩」「南無虚空蔵菩薩」「南無大聖不動明王」「南無毘沙門天王」「南無日本国中大小神祇」…などなど、ですから“何種類くらいあるか?”というものではないのです。

 さて、現在の日本では「南無阿弥陀仏」は浄土宗・真宗で唱えるものという認識が一般的ですが、本来「念仏」は仏を念じるという意味です。そのうち特に阿弥陀如来に対する念仏は極楽往生の修行とされ、支那においても、数多くある念仏の方法のうちの一つである“仏の名前を唱える”という「口称念仏」が重視されました。ですから単に念仏というと「南無阿弥陀仏」と同じ意味になってしまったのです。日本でも念仏は特定の宗派に属する修行ではなかったのですが、法然上人や親鸞聖人などの教えが“阿弥陀如来の口称念仏”を教えの中心としたので、後代では浄土宗・真宗の専売特許のように誤解しているのです。
 「南無妙法蓮華経」は本来は「法華経に帰依する」という意味ですが、日蓮聖人はこの題目を唱えるのはただ単に経典の題号ではなく、法華経の功徳がすべて納められているとします。

 さて「南無大師遍照金剛」ですが、ここでいう大師は「弘法大師」つまり空海上人です。空海への大師号は、空海入定(承和2年<835>)後の延喜21年(921)に醍醐天皇より授けられました。「遍照金剛」は空海が唐の長安にある青龍寺で密教を授けられた際に、師匠の恵果和尚より授かった名前です。また遍照金剛は大日如来の別名です。よって南無大師遍照金剛は「弘法大師に帰依する」という意味ですが、より深くは「大日如来に帰依する」という意味も含まれます。
 弘法大師に対する宝号は、平安中期ごろより文献に登場しますが、現在の「南無大師遍照金剛」という形になったのは鎌倉中期ごろと推定されます。いずれにしろ、空海在世中は「南無大師遍照金剛」とは唱えられていませんし、空海自身も自らを礼拝せよとは述べていません。弘法大師の著書をひもとけば分かりますが、密教では「真言の念誦(真言を唱えるという瞑想法)」を重視するからです。南無大師遍照金剛は後世の弟子が宗祖への帰依の心、弘法大師への追慕の心より生まれたものです。

 
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#2ですが「宗派でということでなく、仏教の南無は、無限大という意味でしょう」>>>の下りは、誤解を与えるので、仏教の南無の数は、無限大という意味で理解しましょうに、訂正します。

慌てて書いていますので、ごめんなさい。

南無は、ナム、オーム(オーム真理教で使っている)、日本では、帰依する、

「のうまくさんまんだぼだなんばん」とかびるしゃな物(大仏)にも帰依するみたいですね。

南無と言う意味は、帰依するで、皆さんのいうとおりですから。

のんのとかとも言いますよね。ののさま。とか、
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この回答へのお礼

そうですよね。私も、南無の数は帰依する対象の数だけ無限にあると思います。

質問内容がみなさんに誤解を与えているようなので、補足というか変更をしたいと思います。
『真如苑のように、「南無~」という独自の帰依文を持っている新宗教を知っている方、教えてください。』

お礼日時:2005/10/10 18:12

真如じっさいに帰依するということは、戦前の禅宗も唱えていましたので、真如苑の専売特許では、ありません。



つまり、在来仏教宗派は、釈迦に端を発するので、どれも同じでしょう。

禅宗で読む読経でも、南無西方無量寿如来=阿弥陀様で、南無阿弥陀佛と唱えるのですから、ちっとも独自ではないですよ。
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