10秒目をつむったら…

よく、ロシア革命前のアヴァンギャルド音楽や、戦時中の社会主義レアリズムの話は聞きますが、冷戦中のソ連の音楽がどうだったのか気になっています
やはり社会主義にとって都合の良い音楽だけが演奏されたのでしょうか?

A 回答 (3件)

韓国では、戦後ずっと日本大衆文化の流入制限として日本の映画やテレビドラマ、漫画、歌謡曲などが禁止されていて、一部が緩和され始めたのが1988年のソウル・オリンピックの頃、ほぼ撤廃されたのは2004年です。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD …

日本だって、1960年代に流行した「グループサウンズ」などは、コンサートに行くことを禁じた中学・高校が続出し、NHKでは放送されなかったことを知っていますか? これは、「長髪、派手な服装」が「青少年の不良化を助長する」とみなされたからです。その意味で「ビートルズ」なども同じ扱いでした。

そういった「社会に与える影響を考慮した文化活動の制限」は、いつの時代、どんな国でも行われるものです。
ただし「社会主義にとって都合のよい音楽」とか、「社会にとって良い音楽、悪い音楽」がどういうものか、自分なりの考えをもって議論しないと意味がありません。

冷戦の時代に、西ヨーロッパやアメリカ、そして日本でも、クラシック音楽は「前衛音楽」「現代音楽」という不毛な領域が「最先端」でした。「専門家」は評価したかもしれませんが、音楽愛好家は離れて行きました。
現在では、そういった「前衛音楽」「現代音楽」はほとんど聞かれず、逆にショスタコーヴィチは「20世紀を代表する作曲家」として盛んに演奏されます。ショスタコーヴィチは1970年代までは「ソ連の御用作曲家」とみなされていましたが、没後の1979年に刊行された「ショスタコーヴィチの証言」で1980年代以降に評価が急変しました。芸術作品の社会的な受容や、専門家・批評家の「評価」なんて、そんな「相対的」なものなのです。

制限をかけない、自由に創造できる活動が、本当に最良の結果をもたらすのか、なかなか難しい議論だと思います。

ソ連時代の音楽家の状況を知りたいのであれば、下記のショスタコーヴィチの本をお読みになることをお勧めします。
「ショスタコーヴィチ 人と作品」(音楽之友社)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%8 …

今は絶版のようですが、古本などで見かけたらこれも読んでおくとよいと思います。(現在ではオリジナルのインタビューではない「偽書」(他で発表されたものなどの寄せ集め)ということになっていますが、内容は面白い)
ヴォルコフ編「ショスタコーヴィチの証言」
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%8 …
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1945年から1989年まで44年間にわたって続いた冷戦当時、ソビエト連邦では西欧由来の音楽や芸術が「退廃的」「堕落した文化」として扱われ、音楽レコードや芸術品の輸入が全面的に禁止されていました。

 そんな中でも「スティリャーガ」と呼ばれた10代の若者によるサブカルチャー集団の間では、ロックンロールやジャズが人気を集めていたのですが、ソ連の若者たちが最新の西欧音楽を密輸していた意外な方法が明らかにされています。 冷戦当時のソビエト連邦は、対立する「仮想敵国」の思想流入を防ぐため、公式的に西欧文化の音楽や芸術を禁止していました。 一方で、当時のソ連の10代の若者の中にはロックンロールやジャズなどの禁止されたサブカルチャーを愛するグループが存在していましたが、最新のヒット曲を密輸するために使われていたのは「ボーン・レコード」と呼ばれるレントゲン写真を用いた手製のレコードでした。

当時のソ連では退廃的音楽の禁止に加え、レコード盤の素材となるポリ塩化ビニールが不足していたため、西欧からの最新ヒット曲が非常に入手しづらい状況が続いていました。そこで10代~20代で「スティリャーガ」「スタイルハンター」と呼ばれた独特のファッションを持つ若者グループたちは、安価で大量にビニール素材を得る方法を思いつきました。 それが「撮影済みのレントゲン写真を使うこと」で、その素材ゆえに若者たちから「肋骨上の音楽」「ボーン・レコード(骨のレコード)」と呼ばれていたとのことです。 密輸業者は密輸したレコードを円板カッターで複製できることに気づき、ボーン・レコードは地下市場で大量に販売されるようになりました。 ボーン・レコードによってソ連の若者たちはエラ・フィッツジェラルド、エルヴィス・プレスリーなどの最新ヒット曲をシェアできるようになりました。

一方で、ボーン・レコードの品質は決して良くはなく、音質はオリジナルより劣化していたほか、レコード盤の片面しか録音できませんでした。 中心穴はタバコの火で空けられることが多かったそうですが、密輸されたレコード盤が1枚5ルーブルだった当時で、ボーン・レコードは1枚1ルーブルという価格で販売されていたことで人気を集めたわけです。そんなボーン・レコードも1958年に禁止されてしまったのですが、現存するボーン・レコードは数十年たった現代でも音楽を再生可能です。 当時作られたボーン・レコードを試聴できるウェブサイトも存在しています。
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暇なアマチュア愛好家です。

ショスタコビッチやプロコフィエフの曲を聴けば何かしらヒントがあるかもしれません。前者の交響曲5番が政府よりだとか,7番はレニングラードという題目だとか,後者もいろいろな噂がCDの説明書等に書いてあったります。が,しかし,実はそうじゃなくて・・・とかいった政府への抵抗の姿勢についての噂もありますので,きちんとした2方向からの歴史書を読まないと真実はわからないかもしれません。レニングラードフィルのムラビンスキーの怖ぁーい顔と冷たい雰囲気は,当時の冷戦状況を感じさせてしまいますが,演奏はそれはそれは凄いものでした。演奏開始直後に背中がゾクゾク。おっと冷戦とはちょっと離れてしまいました。詳細は,詳しい方にお願いします。
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